4 布田から府中宿へ  歩行地 図
  柴崎−布田−調布−飛田給−多摩霊園−府中本町  8.1 km

4布田五ケ宿
京王線の駅で柴崎の次は国領。江戸時代は天領だったという。国領、下布田、上布田、下石原、上石原を布田五ケ宿といい五宿あわせて一宿の機能をもっていた

2006.7.30の続き
 柴崎の先、野川を渡る。この先で旧甲州街道入り口で右に曲がってしまい、正しくは直進しなくてはならない。気がついて左折しようと思ったら角に神社があり、行ってみる。
 ■国領神社
 國領神社(第六天社)と神明社(八雲神明社・杉森神明社)の二社を合わせた神社で、國領神社と神明社の創建年月については共に分かりませんとのこと。藤棚があり、何だと思ったら、この藤の木は、樹齢約四、五百年といわれ、人々は畏敬の念を込め、「千年乃藤」と呼んでいます・・・だそうだ。季節でないので咲いていない。

 元の街道に戻り布田駅から調布方面へ行く。
■常性寺
 布田の三鷹通りの交差点に常性寺という大きなお寺がある。「布田のお不動さん」として信仰されている。文政7年(1824)建立の「小橋の馬頭観世音」もある

■布多天神
 調布駅前通りのひとつ手前に布多天神の参詣路がある。北に向かって行き現甲州街道を渡った所に布多天神社がある。延喜式に載っているだけあって大きな立派な神社だ。寛政8年(1796)の狛犬、太閤の制札がある。式内郷社、祭神は少彦名神といわゆる天神様。境内に牛の象がある。本殿は一間社流造(1706年)覆屋内に覆われて見えない。拝殿は昭和の作。

■西光寺
 西調布駅の近く「近藤勇坐像」の文字が見える。西光寺の門前だ。近藤勇は、多摩郡石原村、現調布市野水1−6で生まれ、鳥羽伏見の戦いの後、甲府への出陣の途中故郷のこの地西光寺で休憩した。

■飛田給薬師尊・行人塚
 薬師堂があり、行人塚というのがあった。ここの石薬師像は、貞享3年(1686年)に元仙台藩医師の松前意仙の造った像。意仙は、諸国行脚の後この地に居を定めてから薬師如来を彫り上げ、大願成就後、深さ2.5mの墓穴を自ら堀り「鉦の音が消えたら土をかけてくれ」と言い、鉦を持って中に入った。意仙は、座禅を組み読経を続け、数日後に成仏したという。正面のお堂には石造瑠璃光薬師如来立像といって意仙が自ら造った像が安置されているとあるが扉が閉まっていて見えなかった。

■八幡神社
 京王競馬線の踏切を横切ると鬱蒼とした森の中に八幡道の碑がある。国府八幡神社への道を表す。国府八幡神社の社殿は質素だが、昔の敷地と思われる場所は広かった。国府八幡神社は、聖武天皇(在位724〜749年)が一国一八幡社の八幡宮として創立したそうだ八幡宿」の由来の碑がある。宿といっても宿場とは関係なく、国府八幡神社に由来する集落の名前を表すようだ.

■大国魂神社
 本日の最後は有名な大国魂神社。高校生の時から訪れている所。・・・創祀年代は、第12代景行天皇41年(111)年5月5日。大神の託宣によって創立。出雲臣天穂日命の後裔が武蔵国造に任ぜられて以後、代々の国造が奉仕し祭務を司ったといわれている。その後、孝徳天皇の御代に至り、大化の改新(645)の時、当地に武蔵国府が置かれ、当社を国衙の斎場とし、国内の諸神を配祀して武蔵総社と呼ばれた神社。武蔵の一宮から六宮までの六社を東西に祀っており、六所宮・六社神社とも呼ばれている・・・。古代武蔵国衙が置かれここから武蔵連絡道が通じている。古代から重要な地域でした。本日の歩行はここで終わり。府中本町駅から帰宅する。距離20.7km

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