008 白石宿から岩沼宿へ        歩行地図
 岩沼-旧北町-六軒-植松-飯野坂-増田-中田-名取橋-太子堂-長町-広瀬橋-荒町-芭蕉の辻  19.78km

40 岩沼宿
 槻木宿から1里27丁(6.9km)   古くから水陸交通の要所で、多賀城へ続く東山道が通り、近世には奥州街道と陸前浜街道の分岐点として、経済的、軍事的に重要視されていた。 本陣や多くの町屋が残り当時の町並みを感じさせる

2019年6月14日
■岩沼本町~竹駒神社
 本日は8時15分ホテル出発。 昨日慌ただしく到着したので、宿の入口から始めておきます・
 入口に到着すると●目黒商店に突き当たり、そこを右折して進むと●T字路に出ます。 ここを左折して進み、しばらく進むと左手のホテル桃幸の前で、右手から合流してくるのが●江戸浜街道だと云われます。 相馬、水戸を経て江戸へと通じていた。 ホテル前を左折すると 奥に●赤い鳥居の竹駒神社が見えます。   8:30

★竹駒神社
 日本三大稲荷の一つと云われるのだが、伏見の稲荷大社、豊川稲荷までは良いとして、第3番目が笠間稲荷(笠間市)、祐徳稲荷(佐賀市)、最上稲荷(岡山市)など色々ですね。  社伝では、承和9年(842年)、小野篁が陸奥国司として赴任した際、陸奥国府を鎮護するため伏見稲荷を勧請して創建したという。 ●立派な随身門●唐門があり、共に江戸時代の建築。 ●拝殿、●本殿なども総欅造りで風格を感じる。 拝殿脇に明治天皇行宮所記念碑がありました。 8:35 

■竹駒神社~中央1(旧南町)
 神社から少し北へ行った所に2本の高い松の木が現れれて、●「二木の松」(武隈の松)といいます。 千余年前、陸奥の国司として着任した藤原元良が植え、以後能因、西行など多くの歌人に詠まれるようになったという。 説明板  脇に●明治34年岩沼の醸造家松尾小左衛門が建立した歌碑が立っています。一帯は公園になっており、芭蕉句碑などがあります。
 ●宿内を北上します。 色んな旧家が残されて興味深い印象です。 左手奥に●蔵店が1軒。  8:50

■中央1~中央3(旧北町
 その先に進むと左手に両隣に店を夾んで、二階に建物が乗っかった変な門に出会いました。 本陣跡と思わず通りすぎましたが、気になって戻ると、門奥に「本陣・南町検段屋敷跡」の案内柱が見え、ここが●「本陣・南町検段屋敷跡でした。中に入れたので、入って見ると、その奥に●案内標柱と塀で囲まれた洋風の建物が建っていました。
 その先右手の●大きななまこ壁の蔵を備えた屋敷はどう見ても小野酒造ではないかと思いましたが、入口に「仙南石油」と書いてありました。 また南半分が壊されているのではないかと思います。 
 小川を渡った左角にある●相傳商店は文政4年(1821)創業で、奈良漬が有名らしい。 9:05

■中央3~奥州街道「本郷踏切」
 その先、右手に●旧家が1軒。ここは店蔵となっていて、喫茶店「四方山」といいます。
 やがて、街道は●梶橋交差点で国道に合流し、国道を進むと前方に仙台空港へ着陸する飛行機が一機高度を下げていきました。●歩道橋手前で左へ折れ、●「奥州街道本郷踏切」を越え、左斜めに「六軒」という所へ進みます。  9:40

■「本郷踏切」~川内沢川
 六軒というあまり車も通らない静かな道となります。左手は●一面の水田で、あまり見たことのない、さすが東北の米所という風景です。 やがて川内沢川という小川を越える手前に、●●道祖神路と刻まれた大きな石碑とその右手脇に小さな道標があります。 道祖神路(芭蕉の句碑)という案内標柱が立つので、どこに句がと思ったら、石碑は三角形で、右側面に芭蕉の句、「笠島はいづこ皐月のぬかり道 」と刻まれている。 この碑は笠島塚または芭蕉塚と言われ、安政3年(1856)に仙台城下の小西利兵衛によって建立されたという。 脇の小さな道標には「笠嶋道」と刻まれてあった。  10:00

■川内沢川~飯野坂
 その先、●植松という町へ入ります。しかし右手のJRの駅や、郵便局、公民館などには「館腰」という名前が付くので、地名と違いすぎと思って後で調べたら、・・・館腰は明治22年に植松、本郷、堀内、飯野坂村が合併して、 植松にある館腰神社に因んで館腰村と名付けられたかつての村名でもある・・・ということがわかりました。 左手は高台が続き、 雷神山古墳があるのだろう。 ・・・どこを左折すればいいかと案じながら進みましたが、案内板も出ておらず、 ネットで仕入れた「岡部医院」の所を曲がれ・・・ということで、医院の手前を左折して、坂道を登って行くと、広い公園に出て、●東北最大の前方後円墳である雷神山古墳がありました。 案内図  雷神山古墳は長さが168mもあり、400年前後に築かれ、仙台平野一帯を統治した地方豪族の墓だと案内にあります。 
 街道に戻って先に進み、明観寺前の左奥に●薬師堂古墳というのがあり、●観音堂が建っています。 案内板には宮山古墳、観音塚古墳、 山居古墳、山居北古墳、観音塚古墳と全長40~60m規模の前方後円墳5基と、全長約14m規模の方墳2基(観音塚1,2号墳)が 連なっている・・と有ります。 10:55

■飯野坂~増田
 しばらく進んでいくとやがて東北本線の線路にぶつかる、・・・といっても昔の話らしく、現在では踏切は廃止され、●高架橋を渡るようになっていました。 左手の階段を上がり、高架橋を渡り、県道に合流して仙台空港線の高架をくぐると、緩やかに左へ、かつての枡形の様な感じで曲がると増田宿(JR名取駅前)に入ります。
  まず最初に目に付くのが左手にある●大きな藏屋敷。一階は現代風。 鶴見屋といって創業二百数十年。現在は家庭用・業務用/ガソリン・ガス・石油などの販売を手掛ける会社です。すぐ先、左手にある●旧家は庄司氏宅で、門より中を見ると、庭に●「明治天皇増田御膳水」と彫られた石碑が立っていて、明治9年と14年の東北巡幸の際に当家の井戸の水を献じたとのこと。    11:25 

40 増田宿
 岩沼宿から1里29丁(7.1km)  慶長6年(1601)以降、仙台城下の建設に伴って設置、整備された。 街道の中央に水堀が通り、両側には一軒屋敷(間口7間、奥行30間)と半軒屋敷(間口3.5間、奥行30間)の 家が立ち並び、妻向い街村型の宿場となっていた。  

■増田~田髙
  ●町中に入って行きますが、宿内には蔵店、検断屋敷跡など宿場の面影がかすかに残っているのだが、町並は普通な感じ。 その先、左手増田公民館の前には●「衣笠の松」がある。樹齢600年で横に張った枝ぶりがすごい。 増田宿の北町検断屋敷を勤めた「菊池家」の敷地にあったものという。 ちなみに北町検断屋敷跡が増田公民館です。 案内板  
 左手に●増田神社がある。もとは「笠山大荒神社」と呼ばれており、明治になって多くの神社が合祀されて増田神社となった。  しばらく北上して行き、●田高交差点は昔の村田道との追分で、渡った左角に 道標 がある。、「村田道」と書かれ、側面に「距 高舘村二十九丁」と書かれています。  11:53

■田髙~中田
 増田の先は●上余田に入ります。 左の道標には「東京より343km、名取市上余田」と書かれてあった。 歩き始めて14年目ですけど、まだこんな距離かって感じです。 最も車の距離でしょうけど。  仙台市へ入る手前で左斜めに行くと、●天神塚古墳というのがあり、墳丘に●天満宮が祀られている。  結構大げさな案内板がありました。  すぐに仙台市へ入り、 ●第七十七銀行のある交差点が継ぎの中田宿になります。 左奥には「南仙台駅」。 本日のゴールがもうすぐですね。 12:30

41 中田宿
 増田宿から20余丁(2.3km)  増田宿同様、慶長6年(1601)以降、仙台城下の建設に伴って設置、整備された。かつては宿場の南北に木戸があり、検断屋敷も置かれいたという。

■中田~名取橋
 右手に七十七銀行中田支店のある交差点を通過し、その先右手に塀と門構えのある佐藤家がある。・・・・と言いたいところだが、 見事に●壊されて更地になっていました。 少しの板塀がその面影を偲ばせるばかり・・・・ さらにその先、右手に●白壁の蔵造りの家があります。  情報では中田宿にも検段屋敷が置かれていて、ここがその検段屋敷らしいという。 ●町中を進み、●名取橋を渡ります。 全長500m以上あるので結構懸かります。 昔は名取川の増水で川留めが多く、中田宿は重要な宿場であったといいます。 12:45

■名取橋~長町駅
  さらに10分程進むと、右手に●塀と門構えのある大きな旧家が見えた。  その先、街道は太子堂駅手前で左斜めに進んでいるのだが、再開発のた消滅してしまい、●コープやツルハ、などが並んでいる中を斜めに進み、太子堂駅手前でJRのガードをくぐる。 越えた先で右折して●高架線に沿って長町宿へと向かいます。  右手に●長町駅が見えました、 このあたりが長町宿だったのでしょう。 「太子堂駅」とは町並にマッチしないが、付近にあったという太子堂が駅名の由来だとか。   13:30

42 長町宿
 中田宿から1里(3.9km) 万治2年(1659) 伊達綱宗が広瀬橋以南に人家を移し、長町と称し宿を形成した。 現在ではビルが立ち並ぶ全くの市街地となっているが、町割りに跡が残っている

■長町駅~広瀬橋
 ●長町宿に入っても、駅前は高層ビルが建ち並び往時の面影は全く残っていない。 が 地図を見ても宿場らしく、間口が狭く、奥行のある店舗が並んでいるように見え、細長いビルも見えたりしました。 グーグルアースで確認  何か歴史的遺物でもと思って地図を眺めると、町割りの裏手に●淵上蛸薬師と舞台八幡というのがあるので、行ってみました。 八幡の方は天喜年間の前九年の役の際、源頼義が出発の際、河内国の平岡八幡宮を勧請したという由緒を持つという。 蛸薬師の方の案内板に長町宿の由来が書いてありました。 案内板
  街道に戻って、ほぼ真っ直ぐに進むと広瀬橋に出ます。 手前の左手に●橋姫明神と橋供養碑があります。 広瀬川が暴れて橋が架けられないので、若い娘の人柱が必要ということで、根岸の長者の娘が人身御供となり、橋は無事に架けられた。・・・という伝説にまつわる供養堂。 また 根岸の木場連の人々がその姫を供養するために橋の供養塔を建てたという。 現在の●広瀬橋は明治42年に日本で初めてお鉄筋コンクリート製の橋で、昔は少し上流にあったらしい。   13:58

■広瀬橋~南材木町
 渡った先はいよいよ仙台市内な訳だが、 経路が「調査書」と「無明舎」本とは違っていて、調査書の方は渡ってからなめらかに右へ曲がって行くだけ。 「無明舎」本の方はカクカクと3回曲がって進んでいる。 どちらが正しいかわからないのだけど、城下町らしくカクカクと曲がった方が面白そう・・・ということでカクカクと進みます。
 橋を渡って大通りを進み、●駐車場がある所を右に曲がると、左手のマンション前に「丁切根跡」の絵図があります。 ここが城下の入口で木戸設けられ木戸番がいた。その先で左折すると、右手に仙南堂薬店という古そうな蔵造りの店があります。 その先●2つのスーパーの間を右折すると、●小学校にぶつかり、そこを左折して、大通りを右折すると南材木町に入ります。 すぐ先左手にここもまた由緒ありそうな●店蔵が1軒。 なんでも天明元年(1781年)に建てられた旧丸木商店(薬種業)の店蔵で、 仙台最古の建物とのこと。(ネット情報)  14:15

■南材木町~荒町
 その先の左手には白壁の蔵造りの薬局があり、向い側には●蔵造りで門構えのある(工事中)旧針惣屋があります。 この針惣屋は先程の丁切根の木戸の番を勤めた家といわれます。 隣の 金刀比羅神社 はもともとは針生家の屋敷神という。  その先●枡形を通過して、真っ直ぐ進むと、県道が合流して来て、その先は変形なT字路となるが、正面に●三宝大荒神社が見えます。
  街道はここを左折して行くのだが、右手は南鍛治町。 由緒ある寺が集まっているけどパスして通りすぎます。 寄り道していると時間を食いそうななので。 ●荒町に入りますが、荒町は政宗とともに米沢から岩出山、仙台へと移動してきた6つの「御譜代町」の1つで、 他は大町、肴町、南町、立町、柳町で、この荒町には江戸時代から続く老舗がいくつもあるが、建物は新しいようだ。  14:32

■荒町~東北大学北門会館
 国道を横断して、その先左手の宿の正面に白い土蔵造りの様な●「旅館 森重」があって、古いのだか、新しいのかよくわからないと云う感じ。 右折して田町通へ入り、 右手に二十三夜堂があったりします。 ●北目町交差点を左に曲がり、すぐ左折。左右に東北大学の校舎が並びます。 少し先の●東北大学北門会館と金属材料研究所の間の道を右に曲がります。  14:55

■東北大学北門会館~芭蕉の辻
 ●青葉通りの交差点を通過して進むと、明治安田生命ビルの前に今日のゴールである●芭蕉の辻がありました。 「芭蕉の辻」といっても、松尾芭蕉とは関係なく、制札場であった所で、札の辻というのが正式名称という。 伊達政宗が重用した芭蕉という名の虚無僧が一時住居を構えていたからという説が有力とされる。 ●石碑や道標が立っており、道標には「南 江戸日本橋迄 六十九次 九十三里 奥州街道」、「北 津軽三厩迄 四十五次 百七里二十二丁 奥道中」 とあります。 ということは 最終ゴールの三厩まであと430km位あるということか・・・・と思います。 東海道でいうと 坂下宿あたりまでかというところ。 ともあれ仙台まで一区切り終わりました。 帰りがけに国分寺跡に寄って行こうと思います。   15:10

★陸奥国国分寺跡
 芭蕉の辻からすぐ近くの地下鉄「青葉通一番町駅」から地下鉄に乗り、「薬師堂駅」で下車。 少し戻ると●陸奥国国分寺跡、薬師堂が広がっています。 真偽は不明ながら、文治5年の奥州合戦の戦場になって焼け落ちたとされているので、本当なら感慨深いものがあります。
 云うまでも無く 聖武天皇の発願によって建立された国分寺の1つで、国府がある多賀城から結構離れた位置に建立された。 案内板
 詳細は案内板でということで、 江戸時代に伊達政宗により再興され、●●薬師堂を中心に大寺院として栄えが。明治時代に薬師堂を残してぐらいになってしまっています。    

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