016-1 金ヶ崎宿から黒沢尻宿(北上市)へ  歩行地図
 金ヶ崎-三ヶ尻-浄化センター-岩の目-相去-鬼柳-和賀川-北上市本通        13.1km

2020年8月27日
■金ヶ崎駅~三ケ尻
 前回、三沢から北上へ行く予定のところ、雨で金ヶ崎で終わってしまい、今日は強行軍で花巻へ行ってしまいます。その為「新宿-矢幅」間の夜行バスを使い、金ヶ崎駅まで戻りました。駅に7時前に到着。朝飯食べたりして●金ケ崎駅、7時20分に出発。  朝からかなり暑いです。 街道に戻って北上。
 矢来交差点の先で、県道の方は左カーブして行き、旧道は右へ曲がる●金ヶ崎宿出口の「枡形」にあたるのでしょう。
宿内川を渡ると三ケ尻集落へ入り、左手に「奥州街道碑→」があり、その先右手、加藤商店前バス停脇に●清水端一里塚があります。 街道を挟んだ東西に杉を植えた塚が築かれたが、現在は東塚に樹齢400年の杉の切り株部分だけが残るだけ。 説明板
 その先の右手に●丸子館跡説明板が立って、このあたり一帯は三ケ尻氏(葛西三郎詮義三男清義を祖とする)の館「丸子館跡」とされる。 説明板   7:45

■三ケ尻~三ヶ尻小学校
 すぐ左手に●千田正記念館という建物があります。 参議院議員や岩手県知事を歴任した「千田正」を顕彰する町立の博物館です。●千田家の生家(昭和5年築、国の登録文化財)や板倉、正光館(旧岩手県知事公舎応接室)などが移築されています。金、土、日、祝日の開館なので開いていなかった。
 その先、●十字路正面に「←奥州街道碑」が立って、街道は左へ。右へ行くと●町立三ケ尻小学校です。明治6年の創立。建物がユニークで、時計台が乗った洋館風な木造建築。平成18年の改築だそうです。 学校北側付近にあるという「十三本塚碑」、「飢渇供養塔」は見つからないという報告が多いので、あえて探さなかった。 7:55

■三ヶ尻小学校~浄化センター南
 学校を通過した先は●杉林の続く気持ちの良い道が続きます。 右手に●色々の旧蹟を示す案内標が立っていて、隣に史跡地図もあり、右折して行くと「工兵隊兵舎跡、穴山堰、御蔵場跡、東浦洞窟跡、岩手青年師範学校跡」へ至り、真っ直ぐは「奥州街道 瘤木足軽屋敷跡 馳蔵社 乳富久社 愛宕社」などへ至る。 右手の方も興味深いですが、あんまりたいしたものではないように思ったので、そのまま先に進みます。 すぐ隣は●藤明神社。地図の愛宕社にあたります。 先に進みますが、この先北上浄化センターで分断されてしまうので、足軽屋敷跡などは見ることはできないでしょう。 更に北上すると、●林に遮られて通行止め標識。その先を入って行くと、●ヤブで進めない。 あえて進んで浄化センターを抜けたという記録もありますが、無理することもないと思って、少し戻って「国道4号」を通過する迂回路へ向かいます。 8:15

■浄化センター南~迂回路~浄化センター
「花沢踏切」を渡って、●六原駅。 国道4号を右折して行くと、左手に大きな●赤鳥居。 享保年間の建立になる「二ッ森稲荷神社」の大鳥居で、北西方向、直線距離で4.3kmの所に鎮座していますね。 ここで「北上市」に入ります。 「北上金ケ崎IC口交差点」を右折して県道へ入り、●正作踏切を渡ると、正面は水田で作業中。水田の縁を南下してセンター沿いに曲がって行くと●北上浄化センター正面に出ました。ヤブで進めなかった先はこの正面へ出て来る様です。 しかしこういう公的施設を作るなら、歴史的街道が貫いているので、少し通れるような配慮がほしいところではあります。 迂回距離2.8km程 8:50

■浄化センター~岩の目公園
 ●センター前からまっすぐに北上します。林を過ぎて。右手の「岩の目公園」一帯は、明治天皇が東北巡行小休された千田力之助邸跡です。 右の崖下で湧き出る清水を御前水として差し上げ、以来御前水と称され、園内に●明治天皇行在所碑が建っています。 説明板 
 更に進むと。下り坂になり、●三叉路の右手に見事な桜の樹が伸びて、根本に「巳己供養碑と庚申供養塔」と彫られている石板が置いてある。ここらあたりの旧道は消滅しているらしく、道は左カーブして県道に進むのだが、●道標の「奥州街道← →奥州街道」に従い鋭角に左へ進みます。(振向写真 右が下ってきた奥州街道) 9:00

■岩の目公園~相去町
 少し先の、水田右手に●標柱「奥州街道七里塚(一里塚)跡碑」が立っていて、旧道はここを通っているらしい。 「調査報告書」の地図では、このあたり急激に右に曲がってS字状になっている場所があり、その先は県道右手の水田の中を通っている。
 元の三叉路に戻って、●県道254に入ります。「山根」バス停を通過。 「本郷」あたりから先の旧道は●右手の水田の中を通っているのでもちろん通れません。 しばらく暑い中を進み、東北新幹線高架手前左手に、坂上田村麻呂の創建と伝わる●相去白山神社があります。このあたりに旧道も合流してきます。 9:35

■相去~鬼柳
 ●相去町の町並み。宿駅ではないが、仙台藩の北端に位置し、番屋が置かれた足軽町だったといわれます。左手に●「相去御番所跡」。明暦2年(1656)南部領との北境の当地に番所が設置された。 説明板 
 すぐ先の左手に●南部藩と伊達藩の「境塚」がある(塚は復元のもの)。天正19年(1591)秀吉による全国統一後、領地を接する南部氏と伊達氏との間で度々境界争いが起きた為、 寛永18年(1641)江戸幕府による裁定で、境界が定められた。説明板の位置が当時の境界だそうです。 説明板
 塚の所を左折して、東北新幹線高架に向かい、高架に沿って右折すると、畑の前に説明板が立ち、●南部領鬼柳御仮屋跡になります。 南部藩はこのあたり鬼柳町を作って町割りを実施、寛永7年(1630)宿駅が置かれ、本陣同様の設備を持つ「御仮屋」が設営された。 明治2年の大火で町内35軒の民家と共に焼失しましたという。 説明板  9:55

■鬼柳~和賀川
 そのまま前進して新幹線高架をくぐって行くと、左手森の中に●白鬚神社が鎮座。前9年の役を戦った源内という源頼義家臣が近江国白髭大明神から勧請したという神社です。
 街道に戻って先に進むと、本郷川手前に●鬼柳関所跡がある。南部藩側の番所跡にあたります。役人2人、同心や足軽が常駐して有事に備えていたという。
 本郷川に架かる「本郷橋」を渡り、新幹線と東北本線高架をくぐり、その先で街道は右に曲がり、 和賀川に架かる●九年橋を渡ります。 名称は、明治9年の明治天皇御巡行で、和賀川に初めて架けられた石橋が由来。 橋から●和賀川を見る。「和賀川の渡し」は少し右手にあったようで、下流は北上川に合流します。 10:20

■和賀川~北上市大通り
 九年橋を渡り、交差点右手の「ファミリーマート」裏に●和賀寺観音堂。当国観音霊場第三十三観音33番札所というお寺。住宅の中にポツンと一軒。 交差点から●二つ目の角を曲がると、すぐ左折し、ここが「間宿黒沢尻宿南口の枡形」といわれます。 公園横を通って進むと、●県道112号とぶつかり、真っ直ぐ北上するのが旧道と思われます。「調査報告書の地図」、無明舎本の地図共、県道の1本右手を通っており、それがこの北上する道にあたると思います。しかしここは人通りのあまりない、寂れた道で面白くなく、本陣跡とか旧蹟は左手の県道にあるので、左折して●本通1~3丁目を北上します。黒沢尻宿に入りました。 ここまでが前回歩く予定だった所になります。 10:50   その2に続く 

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