日本橋から品川宿へ  歩行地図
 日本橋−銀座−新橋−芝・浜松町−高輪−品川  (約8q)

 日本橋
 天正8年(1580)江戸に入城した家康は、すぐさま江戸経営に着手した。まっ先に行ったのが日本橋川の整備と架橋といわれます。慶長8年(1603)日本橋が架けられ、翌年には日本の街道の起点として決められていく。以来、何度も架け替えられてきた日本橋ですが、現在の石造りの日本橋は1911年に建造されたもので重要文化財に指定されています。広重の絵では銀座方面から見ており、左側奥が三越、右奥は魚市場であった。七つ立ち(朝4時頃)の大名行列が出発している

広重の日本橋■日本橋〜新橋   2006年4月2日
●日本橋 
 
 日本橋10時40分出発、江戸人は朝4時には出発していた。界隈では桜祭りでした。今年は桜の開花も数日早く、満開の今日この頃、東海道の街道歩き記念すべき第1日、これから1日20qを目処に歩くことにしたいと思います。街道は銀座方面へ延びていきます。

京橋の擬宝珠歌舞伎発祥の碑● 京 橋     
  東海道に入って初めての橋であった。本来京橋川に掛けられたものであったが、埋め立てられて,上は高速道路が通ります。警察博物館脇に擬宝珠が記念碑として残されている。その道路向こうには江戸歌舞伎発祥の記念碑がある。京橋大根河岸跡などというの碑もある。皇居附近では鍛冶橋とか、呉服橋とか橋の名前が多いが江戸城の堀に掛っていたもので埋立てられて名前しか残っていない。

銀座のやなぎ銀座柳の碑 ● 銀座通り                     銀座煉瓦街記念碑など眺め、銀座に入る。2丁目ティファニー前には銀座役所発祥の碑が銀座通り連合会により作られている。銀座というのは銀貨を作る役所があったので、銀座と称した。4丁目を過ぎる。ここらへんは日曜日で人通りが多い。8丁目には銀座蛯フ碑がある。「♪♪昔恋しい銀座の柳〜〜」。ここを過ぎ新橋へ入る。
          西条八十作詞、中山晋平作曲。       

旧新橋駅汐留高層ビル ■新橋〜田町
● 新橋、浜松町

 汽笛一声〜と歌われた新橋も再開発され、いつ行っても工事中である。旧新橋駅が復元されている。カレッタ汐留など高層ビルが建並び、海からの風をさえぎってしまい、品川のビル街と共にヒートアイランド現象の元凶と言われている 。浜松町をすぎ右手に芝増上寺が見えてくるが、徳川家の菩提寺である。道は右へ折れてゆく。

大木戸説明碑大木戸跡 ■田町〜品川
● 高輪・田町
国史跡の高輪大木戸跡が見えてくる。江戸時代は町ごとに木戸を設け、自身番をおいて警固させた。江戸の入口であるため高輪は大木戸と呼ばる。旅人が送り迎えされるのもここまでであった。ここら辺は昔は牛町といい、牛飼いが多い。ここから荷物運搬用の牛を派遣した。江戸時代のトラックターミナルというような町であった。泉岳寺も右手にあるが、おなじみなので通過する。やがて品川駅の高層ビルが見えてくる。

品川入口  ● 八山橋
 品川駅をすぎ、左の八つ山橋を渡り掛かるが、このあたりからは昔は江戸湾が見えたはずで、高縄手といった高台の場所である。右手は八つ山という山があった。「むかし大日堂ありしゆゑ大日山ともいふ」(図会)。ところ。今は削られてなくなってしまった。右手前方奥は御殿山ヒルズといって、高層マンション群となっている。ここの京浜急行踏み切りの渡り方に注意を要する。真っ直ぐ広い道を行くとまちがいで、京浜線の右手前側が品川宿入口です。

スーパーマップルV7
     の略図使用

● 品川入り口
 ここはいつも工事中であるが、このあたり平成20年まで交差工事中であるという。踏切の向こうに宿入り口の看板が掛っている。。渡るといよいよ品川宿になります。
 

 1品川宿へ