秩父三十四ヵ所参詣道 2 
      
(一番・四萬部寺~九番・真福寺
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 西武秩父駅-四萬部寺-二番-光明寺-三番-四番-五番-長興寺-六番-七番-八番-九番-横瀬駅  14.6km

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2018年3月18日 ※ 写真をクリックすると拡大します
■四萬部寺~
 西武秩父駅に特急にて到着。8時32分発の定峰行きのバスに乗った。乗客は4人だけで途中で自分だけになりました。栃谷で下りて、徒歩で●第1番四萬部寺まで400m 5分程。 9:07出発。相変わらず、腰痛の調子が悪く、月1回のペースになってます。 一番から二番へ行くには寺前に建つ●旅籠一番の左手から向かいます。 直ぐに●分岐に出合い、左角に道標が立っている。 二番へは右へ坂を下る。 ●道標には木製の案内板が立っていて、 「巡礼古道 道しるべ石 ”心求”(高橋㐂(喜の旧字)兵衛) 心求は法名 を願主として元禄15年に建てられた 刻字「右 大たな道 左 志加う道」 とあり、右は二番の真福寺、左は慈光寺を指す。
 この「”心求”と”はま”(妻又は家族?)を願主とするしるべ石」は元禄、宝永の頃に建てられ、この先何ヶ所も出合います。 ほぼ正確に置いてあり、現在でも役に立つものだと思う。  9:08   

 右手の道を下り、清水橋で定峰川を渡ります。 少し行くと左手に「心求 はま」が設置した「巡礼みち」と刻んだ道標がある。 更に行くと三つ叉にぶつかり、真ん中に●如意輪堂があり、如意輪観音が安置されている。 お堂の下手に「右 三ばん 左 二番」の道標がある。 道標に従い左手の道を進みます。  県道を越えて100m程進むと●T字路に突き当たる。 ここにも右手に道標があった。 左へ曲がって1本道を進むので間違えることはありません。 高篠山への上りとなって、● 馬頭観音のあるあたりから●傾斜がきつくなってくる。 山道ではなく普通の舗装路。  9:23

    ~二番・真福寺
 ●傾斜のきつい山間路になって、息が上がります。 山登り姿の参詣者さんが数名いました。 ハーハーいいながら上がって行くと●第二番・真福寺に到着。  ここは無住の寺で納経所は山を下りた先の光明寺となっています。 お寺は万延元年(1860)の焼失前は、諸堂のある大伽藍であったという。 現在の観音堂は、明治41年(1908)に再建されたもの。  長享(1487~1489)の番付では三十三ヶ所からはずされていたが、その後三十四ヶ所になった時点で新たに加えられた札所です。 ●大きな絵画が奉納されていて、「・・・大棚禅師が岩屋に籠もって読経していると老婆が現れ、ざんげして去った、禅師が哀れんで堂宇を建立したと・・・」と伝えられる。   9:40

■二番・真福寺~光明寺(納経所
 参拝後はクネクネした車道を下って行きます。 途中、農家の所で樹木が切れ、●秩父市内西部方面が見渡せます。前方の山の名前がわからないのが残念。 車道の途中で●江戸巡礼古道の案内板に従い山道に入って行く。 ●山間の古道を下って行きます。 途中、「 岩棚のキンモクセイ」、樹齢500年以上という案内板が立っていたが、どれがキンモクセイの木だかよくわからなかった。 車道に合流する前に巡礼宿だった町田家があるはずというところ、普通の建物があったが、そこがそうなのだろうか?。
 その後は川沿いの道を緩やかに下って、●弁天橋を渡ると、納経所の●光明寺へ到着しました。  10:10

 ■光明寺~三番・常泉寺
 三番・常泉寺へは1km程。 光明寺参道を南へ下って行くと、角に●「右三番 正面納経所、左二番」という道標が置いてある。 道標に従い、右に曲がり、少し行くと右手に薬師堂。 直進すると●山田橋へ出ます。 昔は橋は無かったので、旧巡礼道は左側の細い道を下って川を渡ったといいます。 それでちょっと行ってみました。 少々の藪こぎをしながら進むと●横瀬川岸へたどり着き、 このあたりで対岸に渡ったと云われます。 対岸のビルは「ホテル美やま」。 こちら側には「秩父茶屋」があり、川岸までの階段が設置されていて茶屋から下りてくることができるようです。  山田橋を渡って左折すると右手に●三番道の道標がある。 更に行った角を右に曲がると第三番常泉寺になります。  10:40

 ★三番・常泉寺
 ●第三番常泉寺は永正年間(1504~)の建立で、弘化4年(1847)に焼失したが、安政5年(1858)に再建された。 本尊の聖観音は行基の作と伝えられ、長命水、子持石、不睡石の伝説が残る。 本堂左手の●観音堂は、明治3年(1870)に秩父神社境内にあった蔵福寺が神仏分離で廃され、その薬師堂を移築したもの。 軒には向拝を結ぶ●海老虹梁のみごとな透かし彫りの龍の籠彫を見ることができ、しばらく見入ってしまいました。   10:45

 ■常泉寺~四番・金昌寺
 四番金昌寺へは1.4km程。 参道を少し戻り左折すると二叉に別れ、「四番道」という道標があるので、左へ進みます。 道なりに進んでいくと広い道へ出て、右折、左折すると●横瀬川に架かる歩道橋に出た。このあたり、案内板に沿って進めば良い。 
 橋の左手に「露天風呂ご案内」という看板の架かる建物があって人気が無い。その奥にヤブに覆われそうな●古びた建物があった。これが今は営業を止めた「山田温泉」の建物と思います。
 橋の右手に「民話 お止め橋」という看板がある。 これを書いたのが山田温泉の女将。 昔は当然としてこの歩道橋はなく、巡礼道は川岸に下り、小さな橋を渡って、右岸を上ったという。 今でもこの小さな橋の橋脚台が残っているらしいが、下りていけずわからなかった。
 橋を渡って行くと左手に●如意輪観音の納まるお堂がある。 更に県道を越えて行くと●「左 四番道」の道標がある二叉に出るので、ここを左へ進むと、四番金昌寺に到着します。 11:05

★四番・金昌寺
 第四番金昌寺。 ●仁王門と●大草鞋● 境内に石仏が並ぶことで有名なお寺。 石仏は1,300体余という。 江戸時代にはもっと沢山あったようだが、廃仏毀釈で大部破棄されたようです。 ●本堂は正面から撮るスペースがなく、脇から撮るしかありません。  11:15

■金昌寺~五番・語歌堂
 五番語歌堂へは1.3km。  金昌寺の参道を少し戻り、二叉の所で道標があるので、道標に従いそのまま真っ直ぐ道なりに進む。 左手に●「右 五番」の道標を見ながら進むと右にカーブしながら特養ホームの角へ達する。 角を左に曲がり、そのまま●舗装路を900m程行くと右手に仁王門とお堂が見えてくる。これが五番語歌堂の建物。
 五番語歌堂の周囲には塀も何もなく平坦地にポツンと●仁王門と●本堂が立っていて、普通の寺の感じとは大部違う。  語歌堂は長興寺の壇徒であった本間孫八が慈覚大師の作と伝えられている准胝観音を安置するために建立した。  寺名の由来としては・・・ある時、観音堂で旅の僧と本間孫八が和歌の奥義を語り合っていたが、明け方に僧はかき消すようにいなくなってしまった。孫八は旅の僧が聖徳太子の化身と悟り、語歌堂と名付けた・・・・という。 納経は手前を左に入った奥にある長興寺が取り扱っている。
  11:35 

 ■長興寺~町民グランド
 ●長興寺。五番語歌堂の納経所。 六番卜雲寺へ2.7km。
 参道の途中を左に折れ、農道を進むと、真正面は●武甲山(1304m)。日本武尊が自分の兜を岩室へ奉納したので武甲山と呼ぶようになったという山も、セメントの原料の石灰岩を採掘のため削られ山肌が段々になって痛々しい感じ。
 真っ直ぐ南下すると町民グラウンドにぶつかり、グランドに沿って右へ曲がって、左へ折れると●二叉になり、正面に田端商店がある。 商店の左側を進んで行くと、●町道と交差します。 正面は集落センター。石柱の前に「中みち 六番 七番」の道標があります。 右脇を進むと横瀬川に突当たるので川に沿って左折して行く。   11:58

 ■町民グランド~萩原商店
 川に沿って行くと●住宅の前に出るので、ここを右に川沿いの細道に入ります。 ここは●「ヨコッピキ」と地元では呼ばれていて、 川東地区と苅米地区を結ぶ道として古くから利用されていたという。 右下に横瀬川を見ながら行くと直角に左に折れ、車道を横断して行き、苅米橋を渡り上がって行く。 その先、平沼建設の裏あたりが●旧六番荻野堂の跡地とされる所。 宝暦10年(1760)に火災で焼失し、現在地の卜雲寺に移転したと伝わります。 その先を右折して●萩原商店の所を左へ入ります。 商店の角に読みにくい道標があります。 12:27

 ■萩原商店~六番・卜雲寺参道
 左へ曲がった突き当たりのビニールハウスの前に●「右 六ばんみち」と彫られた道標を兼ねた墓石が建っています。 道標に従い右に曲がると、●「柏屋」と呼ばれた巡礼宿だった大野家の建物があります。 その先突き当たるので左に曲がると●かどや商店が建つ交差点となり、その角にも道標があります。 商店の前を通過して行くと、穏やかな右下がりの道となり、沢に出会うようになる。 その先が卜雲寺の参道で●常夜燈を兼ねた供養塔と道標などがあります。  12:40

 ■六番・卜雲寺~七番・法長寺
 ●六番・卜雲寺。 寺名はこの寺の開基とされる嶋田与左衛門の法号が卜雲源心庵主であったことに由来する。 札所の開創時に武甲山山頂の蔵王権現から荻野堂に移されたものであることから別名荻野堂ともいう。 寺宝に「山姥の歯」というのがあり、・・・・行基菩薩によって捕らえられた武甲山の山姥が、解き放たれた時に神仏に背かぬと誓いを立て歯を三本抜いて差し出したので、行基はそれに本尊を刻んで安置した・・・・という伝説残っている。
 七番へは700m。 先ほどの萩原商店の所まで戻りますが、途中●武甲山が眺め良く見える場所があった。
 萩原商店の所へ来たら左へ曲がると直ぐ七番・法長寺が見えます。  山門をくぐると正面に平賀源内の設計といわれる堂々とした●本堂が建っている。 本堂前に●牛が伏せっている像があり、一名「 牛伏堂」といわれる。 名前の由来は、一説には牛が伏して動かなくなり、去った後から十一面観音像が現れたということかららしい。 13:15

 ■法長寺~ケンムシ坂
 八番へは1.2km 法長寺の裏手の石段を下ると車道に出る。 目の前に●右にカーブして行く坂があるので、そこを下って行く。 下って行くと横瀬保育所の前に●寺久保地蔵尊を中心に石碑、「みぎ 七ばん ひだり八番」 と刻む道標があります。
 その先 国道299号に合流して「武光橋」を渡り、すぐ●左へ折れ、柳生橋を渡り、「根古屋橋」のガード下をくぐると、六番・卜雲寺からやってくる八番への近道(●近道の道標がある)と合流して、通称「けんむし坂」と呼ばれる上りとなる。
 左手に●馬頭観音と地蔵の小祠が見える。    13:35

 ■ケンムシ坂~八番・西善寺
 坂を上ったら●富田商店の所を右折します。角に●「みぎ 六番 ひだり九番」の道標がある。 西武線のガードをくぐった先、左手に●御嶽神社里宮があります。神社の奥に● 城谷沢の井というのがあって、 秩父絹発祥地とされる。・・・根古屋城主浅見伊賀守が農民に絹布の製織を奨励し、絹糸を染めるのに水質のよいこの井戸の水を使った・・・という。丈夫で堅牢で根古屋絹と呼ばれていた。  13:50

 ■西善寺~川久保橋
 里宮橋を渡って左折するとすぐ●八番・西善寺に到着。 開創は文暦元年(1234)。 本堂には阿弥陀三尊像が安置されている。寺のシンボルは樹齢500年を越える●コミネモミジが枝を大きく広げている。さすがに冬なので葉っぱが落ちてしまっている。さぞや紅葉の頃は見事なのでしょう。九番へは山門を出て右へ行くと、電柱の下に小さな●「右 九番」という道標があるので、本堂と墓地を間を抜け、生川へ向かって●畑の間の道を下って行く。 その先は調査書の地図では生川に沿った道を行くようになっているが、護岸工事の為無くなってので、しかたなく車道を右へ行き、途中で左に折れ、●川久保橋を渡ります。   14:20

 ■川久保橋~西武線沿い
 橋を渡って急な坂道を上がる正面は●西武線の石垣。 左手に「みき 九番 ひたり 八番」の道標があります。 道標に向かって「右」とは線路に沿って行くことなので、ここを左に曲がって進み、●産業道路に突き当たるので、ここを上がります。 すると、線路脇に●延命地蔵尊が祀られるお堂がありました。 地蔵から●西武秩父線沿いに下って行きます。このあたりは線路などにより旧道は消滅しているようです。     14:28

 ■西武線沿い~九番・明智寺
 地蔵から600m程で鉄道のトンネルをくぐります。 その先道は●二股になって、九番へは左の道。 右はセメント工場の方へ上って行く道になっています。 左手の道標はおなじみ「心求、はまが願主」のもの。
 道なりに行くと又●「心求、はまが願主」の道標があり、ここは右へ道を取ります。 その先少しで●九番・明智寺に到着。
 寺は建久二年(1191)明智禅師の開創と伝えられる。● 観音堂は札所五番語歌堂と同時代同形式で建立されたが、明治16年に落雷で焼失して以来仮堂のままだったが、近年再建された。 このお寺は安産子育ての観音菩薩として有名で、毎年1月16日の縁日には各地より女性参拝者でにぎわうという。 14:45    と・・・九番まで来て、まだ時間があるので十番へと思ったが、横瀬駅に近いのでここで止めておくことにしました。 5分ほど歩いて横瀬駅から帰りました。

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