秩父三十四ヵ所参詣道 5 
           (26番~30番
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  影森駅-26番-岩井堂-護国観音-27番-28番-浦山-29番-武州中山駅-荒川中学校-白久駅-30番-栃の木坂  15.13km

1 小川町駅~1番四萬部寺  2 四萬部寺~9明智寺 3 明智寺~17定林寺 4 定林寺~25久昌寺 5 久昌寺~30法雲寺 6 法雲寺~31観音院 7 観音院~34水潜寺

2018年6月3日 ※ 写真をクリックすると拡大します
■影森駅~26番円融寺
 西武線直通電車で9時に●影森駅に到着。駅北側の踏切を越えると、前方に●長福寺の墓地前に出ます。正面に元禄15年の道標があるらしいけど,確認できません。調査書では右に曲がると書いてあるが、案内板では左に曲がれとある。どっちか迷ったが、案内に従い左に曲がり、すぐ先を右に曲がります。 結果的に 『遊暦雑記』などの道中記による、元巡礼宿浅見家などに出会わず残念なことになりました。 右に曲がって先に進むと山裾にぶつかり、左に曲がると●山道のような感じになりました。その先で●二十六番円融寺の横に入り、正面に向かいました。26番岩井堂(奥の院)の納経寺であり、岩井堂の本尊聖観音像はこちらにあります。  9:25

■26番円融寺~琴平神社
 岩井堂は南方1.5kmの山地にあり、 昭和電工の工場敷地内にある。 先ほどの山道を電工の方へ行くと、●電工体育館の脇を通っていくようになります。 体育館を過ぎると●昭和電工正門で、警備所に声がけするだけで入ることができます。 工場内はグリーンベルトを通行するようになっており、正門から3、4分進むと●琴平神社があります。 ●本殿は150段ほどの石段を上がった上に鎮座します。 急激な直登の石段で気後れしますが、上がって見ました。 上がり終えて境内に入ると、土俵があります。10月の例大祭でちびっこ大相撲が開催されるといいます。  9:40

■琴平神社~奥の院・岩井堂
 岩井堂へは本殿から山道を通って行ける様だけど、一応石段を下り、脇から上がって行きます。 入口右手に●太子堂が建ち、この先320段ほどの石段を上ります。左手に●「心求、はま」の道標があります。 最初は緩やかな山道で、やがて●直登の石段が続いてきます。 ちょっときついが、まだ一日の初めなのでチャッチャと上がりました。  やがて目の前に●岩井堂が姿を現します。 ここは無住で納経所は先程の円融寺。本堂は岩壁に懸崖造りつくられ、この様式は札所中では外に32番だけである。よくもまあこのような岩壁に造った物だと感心させられます。
 本堂背面の岩窪に石仏が数体祀られ、その奥、岩壁を両手を使って登った先に●高さ2mの鋳造大仏座像、その先に秩父修験道が使っていたという社が建っていました。  10:00

■岩井堂~27番大渕寺
 27番へは●琴平ハイキングコースを使って行くことになります。石段を少し下り、● 尾根道を道なりに迷うことなしに進むと、●護国観音(百衣観音)というのが建っています。  コンクリート製、高さ16m、昭和10年建立で高崎・大船と共に関東三大観音像の一つというらしい。但し高崎、大船と違って平地から樹木に遮られ見えそうにもないけど、上からの眺望は大変素晴らしい。
  27番はこの下で、どんどん下ると●●第二十七番大渕寺に出ました。説明板  10:40

 ■大渕寺~鍾乳洞入口
 大渕寺門前が秩父鉄道踏切なので、踏切を渡りすぐ左折。●線路に沿った細道を行くと、三叉路に出て正面の古風な建物は●黒沢家長屋門 。三叉路右角にあるという道標、標柱は見当たりません。
  三叉路を左に進むと秩父鉄道を高架橋で越えます。すぐ右に折れ沢を越える。●山裾に沿った道を行くと県道73号に合流します。県道を左折して4分も行くと、●二股になるので、28番橋立堂へは右に折れます。   10:55

 ■鍾乳洞入口~第二十八番橋立寺
 ●県道の高架をくぐり、進むと左手に切り立った岩崖を背景に●第二十八番橋立堂があります。 お堂の横には橋立鍾乳洞があり、昔から胎内くぐりの霊場として有名。本堂は江戸中期の建築といわれ、秩父札所で唯一の馬頭観世音を本尊としています。その関係からか、境内右手に●馬堂、その奥に●馬の銅像などがありました。又鍾乳洞見物の人も多いのでカフェや食堂があって、休憩には便利と思います。11:04

 ■橋立寺~浦山口駅
 29番へは同じ道を県道高架橋あたりまで引き返し、正面に●「ひだり二十九番」の道標のある●左へ下りて行く道を下りて行きます。 この道は橋立川に沿った●秩父鉄道「裏山口駅」へ続く山道で気持良く歩けました。
 やがて西光寺が見えてきて、脇を抜けて行くと集会所の前に出ます。右手に●心求、はまの道標がありました。  11:15

■浦山口駅~浦山
 道は浦山口駅までは行かず、手前を左へ折れ、駐車場の中を抜けて行くと、車道に出ます。 車道を左へ行って、「諸下橋」で橋立川を渡ります。旧道は橋よりも下側を通っていたようで、古い橋脚の土台が残っているのが見えました。
 橋を渡ったすぐ先で、●左へ上がる脇道を上がります。 上がって右へ曲がった先に●諸の高札場跡があります。無粋にも物干しが立ててあるの惜しいところ。  道の前方に●浦山ダムが聳えていました。  この先については調査書の記述とだいぶ違っており、調査書では右へ折れて浦山渓谷キャンプ場へ下りて行き、バンガローの前に永代橋供養塔があるとなっている。 実際は右へ下りて行く道がみあたらず、渓谷へ下りて行くことができない。 それで真っ直ぐ進むと●左手に「諸の翁塚、芭蕉句碑」がありました。説明板では肝心の句が消されているので、調べた結果  ・・・・・草臥(くたびれ)て宿か留比(るころ)や藤の花・・・という句でありました。  11:35

■浦山~第二十九番長泉院
 ●諸山橋を渡ります。下を流れるのは●浦山川。旧道は川下へ下りて行き、川を渡ってこのあたりから上がって来るようです。橋を渡ると程なく●●第二十九番長泉院にたどり着きます。 開山は正暦元年(990)といわれ、何度も火災に遭い、現在の本堂は場所を 移し、天保4年(1833)に建てらたという。又別名「石札堂」と呼ばれ、文暦元年(1234)に性空上人が秩父を巡錫した折り、石札を納めたことに由来している。  11:57

 ■長泉院~武州中川駅
 29番から先は札所間の距離が長くなり、旧両神村、小鹿野町、皆野町と秩父外周を巡るようになります。 30番へは山門を左に出て西へ向かいます。 約800m進んだ「左 青雲寺、若獅子神社」への参道となっている十字路、左角に●安政5年(1858)の念仏塔がある。 大部苔むしているけど文字は大きく彫られている。 その●すぐ先を右折して行く。このあたりは廃寺跡であり、周辺に●明和7年(1770)の地蔵菩薩などいくつかの石仏がまとめてあります。
 右折してすぐ先を左に折れていくと、●二分岐にぶつかり、正面に●宝暦3年(1753)の巳待塔、並んで「三十番道」の道標がありました。     12:30

 ■武州中川駅~荒川総合支所裏
 真っ直ぐ進むと●武州中川駅にぶつかりますが、旧道はこのまま駅構内を突っ切って行っていたと云われます。現在では駅西側の踏切を渡るしかありません。 駅の反対側の広場に,●地蔵菩薩座像が真新しい土台の上に移設されています。
 国道140号に出て左折し、300m進むと●荒川東小交差点があり、国道は左へ曲がっていくが、ここを真っ直ぐに進みます。 ●「歴史の道 秩父甲州往還道」という標柱が立つので、旧道に入るのだなとわかります。
 少し行くと、●三叉路になり、左手に●享保20年(1735)の巳待弁財天供養塔があり、その向い側の民家は「三上家」といい、明治の初期まで「坂口屋」の屋号で宿屋を営んでいたという。   12:50

 ■荒川総合支所裏~荒川中学校
 三叉路を右に折れ、●坂を下って行くが、途中に安政2年(1855)の芭蕉句碑がある。 句碑には・・「むかし機計(きけ) 秩父殿さへ すまふとり」・・・・と刻まれている。
 坂を下って行くと安谷川に出る案内があって、そこへ入って行くとうまい具合に●木橋が架けてあった。 橋を渡って●少々山道を登ると●荒川中学校の裏手に出ました。  13:00

 ■荒川中学校~
 左手に●庚申塔や地蔵尊が置かれています。 ●荒川公民館や歴史民俗資料館が並ぶ道を進んでいくと、国道に出ます。出たら右折してすぐ先の●分岐を左に入るのが旧道で、入口脇に●三峰講中によって建てられた大きな道標があり、右側面に「三峰新道」、左側面に「左 旧道」とあります。   13:15

    ■~白久駅手前
 しばらく●国道に沿った旧道を行きます。300m先左側に道標を兼ねた宝暦14年の延命地蔵があるらしいが、確認できず。 旧道は更に100m先の馬頭観音と所を右に荒川方向へ下り、沢を渡って現在の将軍橋の袂に上がって来たといいます。 現在その道は消滅してわかりません。 
 ●「道の駅 あらかわ」へ向かう交差点を左斜めに入ります。 ここから先は道なりではなく、線路渡ったり、渡り返したりしているようですが、消滅しているようなので道なりに進みます。 左手高台に●薬師堂があり、木造薬師如来が祀られている。 
 途中、一部線路沿いへ向かう旧道も見受けられたけど、線路は越えられないのでそのまま進みます。 左手に●薬師堂と書かれた廃屋のようなお堂が一つ。中はカラ。 やがて●白久駅手前の三叉路に来ました。  13:50

 ■白久駅手前~
 三叉路を左に折れると●秩父鉄道の踏切を越えます。 旧道は越えたらすぐ左へ折れるので、左手脇に●大正15年の道標や●馬頭観音があります。 左へ折れると●民家の庭先に入り込むような感じなので、一瞬たじろきますが、奥に続く道が見えるので、入り込んで行きます。 民家の裏手を抜けると●山道になります。左手に赤い鳥居が立ちます。  13:55

     ■~第三十番法雲寺
 上がり終えて平地に出ると左手に●双体道祖神があります。 近年移設されたものらしい。 ●30番へ続く舗装路を数分歩くと右に上る分岐の所に来て、その先で●第三十番法雲寺入口に到着します。 ●朱塗りの観音堂は古めかしく風格が感じられ、本尊の如意輪観世音は 唐の玄宗皇帝が楊貴妃の菩提を弔うため自ら彫刻し不空三蔵が開眼したといわれるもので、開基の道隠禅師が唐よりもたらしたものと伝わる。 14:10

 ■法雲寺~
   本日の予定は30番までなので白久駅まで戻って帰ってもいいのだけど、31番まで18kmあり、三峰駅を経由することになるので、三峰駅を目指すことにします。
 元来た道を引き返すと途中に●左へ折れる案内板があるので、ここを左折して行きます。入って行くと●山裾を通る気持ちの良さそうな道になり、途中に●巡礼が喉を潤したであろうと思われる井戸跡があったりします。 この先を右に折れると●秩父往還道に出て、角に●安永9年(1780)の庚申塔と二十三夜供養塔があります。  14:37

       ■~栃の木坂
 往還道を左へ曲がって進むと●31番への案内があり、線路の下をくぐるようになります。 くぐって行くと●二股になって、歴史の道の案内標柱と●文化6年(1809)の大きな道標が立っています。道標には「東国高野 大日向山入口」とあって、左は大日向、右は往還道とあり、巡礼道は右へ行きます。
 六所橋を渡り、道なりに行くと●三叉路にぶつかります。 右角に●「三峰山道」とある道標と良く読めない道標と二つあります。
 現在の31番への案内はここを左に行くように指示されている。 しかし江戸時代の参詣道はここを右へ行って、荒川河岸へ出て「栃の木坂の渡し」で荒川を渡ったので、一応様子見で右へ曲がってみました。  14:50

 ■栃の木坂~栃の木坂の渡し
 この先は●「栃の木坂」と呼ばれる急な坂道となり、途中に●地蔵尊、馬頭観音などがあったりします。 下りきると●荒川河岸に出ました。栃の木坂の渡し跡あたりです。 この渡船場は荒川最上流の渡し場で、昭和4年に白川橋ができるまで続いていたという。 巡礼道はここを渡り、対岸の八幡神社脇を上っていたと云われるので、渡ろうかとも思いました。 川岸を見ると砂利ばかりで水量もそんなにではなさそうなのですが、一見急流風で渡れなさそうでもあり、止めておきました。  15:00
 本日はここで終わり、元来た道を引き返し、三峰駅へ出て、西武線直通で帰りました。 

     4 定林寺~25久昌寺  6 法雲寺~31番観音院