初瀬街道(青越え伊勢街道)を歩く 2 
         榛原・札の辻~名張(六軒町)
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 榛原-長峰-山辺三-大野-元三-三本松-鹿髙-丈六-新町-榊町-名張駅         18.6  km

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■榛原・札の辻~長峰
2012年5月20日 京都から近鉄線で榛原 9時15分到着。早速前回終了した札の辻へ向った。
 ●札の辻には●大きな道標がたっており、「右 いせ本かい道 左 あをこ江みち」と彫られている。正面の洋館風建物は「旧南都銀行」の建物といわれているが、見回したところ、特に説明板など立っていなかった。伊勢本街道は真っ直ぐ進み、青越え伊勢街道は左へ曲って行く。今回は青越えを行きます。この街道は初瀬街道、伊勢北街道、伊勢表街道などとも呼ばれている。信号を越えると●青街道入口になる。榛原は旧名が「萩原」といい、●旧萩原宿の雰囲気が残っている。連子格子を持った、民家が結構あるが、旅籠を改造しているのが多いと聞いている。       9:30

 右手の●「奥田家住宅」は登録古民家といい、明治初期の建設。登録番号が「第零零零零壱壱号」というすごい表現でびっくり。
 更に東へ行くと●「椋下(むくもと)神社」が街道脇に鎮座している。神武天皇東征の折り、皇軍が熊野で敵の毒気に当って気を失った時、高倉下命の霊顕ある剣により皇軍が生き返ったという伝説が由来の神社である。
 ●旧宿場が終りになる角●道標が立っていて 「右 いせ 左 は山 道」と彫ってある。ここは道標通り、右手を行くことにする。         9:50

■長峰~山辺三
 国道369号の高架をくぐって行くと、国道165号に合流した。脇を近鉄「大阪線」が走っている。国道から線路を渡ったところに●天満神社がある。本殿が3棟建ち、きれいな春日様式のもの。
 ●山辺口バス停手前の信号の所を右手に入っていく。室生ダムによりせき止められて、室生湖ができている所である。旧街道はもっと手前から右折しており、旧道も大部分消えてしまっているわけだけど、奈良県のマップに従い、できるだけ旧道の雰囲気を味わって進みたい。
 途中「濡れ地蔵」の説明板だけが立っており、肝心の地蔵がどこにも見あたらない。調べたらこの地蔵は室生湖の水が増大すると、湖水に沈んでしまうそうで、●前方の小さい山の裾にあるらしい。途中室生ダム方面の道は落石により交通止めになっている。この道は山道を通りながら、国道へ出て行く。     10:30

 ■山辺三~緑川 
 国道へ出てから、すぐ榛原区から室生区へ入り、●看板が出ていた。緑川の左手に●歴史街道計画による「緑の道標」という休憩地があって、宇陀路緑川の周辺案内図がある。案内図を見てみると、この先大野寺に磨崖仏があり、三本松手前に宿場町が残っていそうである。
 ここの角で右折して「はんしょうばし」を渡り、すぐ左の●近鉄線に沿った細い道を下って行く。山間の道をくねくね行くと、近鉄線はトンネルでくぐり、国道もトンネルでくぐって行くと、前方に今度は●近鉄が鉄橋になっている所へ出た。 11:15

 ■緑川~大野
 鉄橋の左脇をすり抜けて行くと、●室生村の集落へやって来た。●室生寺へ向う地点で右折をする。近鉄のガードをくぐり、すぐ左折すると右手に●安政6年の太神宮の常夜燈がある。宝珠がなく、入母屋風の笠が特徴という。そのまま坂を下ると、交差点の角に「石佛彌勒」の道しるべがあるので、そこを右折して「大野寺」へ寄ってみた。少々の寄道。  11:37

  ●大野寺
  寺伝よると、白鳳9年(681)に役行者が開き、天長元年(824)空海が室生寺を再興する時、この地を西の大門と定め、弥勒菩薩を安置、「慈尊院弥勒寺」と称したと伝える。
 宇陀川をはさんだ対岸にある●弥勒磨崖仏は、興福寺の僧、雅縁の発願により、承元元年(1207)から制作が開始され、同3年に後鳥羽上皇臨席のもと開眼供養が行われたものといわれる。 総高13.8mに及ぶが、写真ではよくわからない。
 街道に戻って、駅前へ行くと、右手奥にまる●海神社があります。こんな山奥に、海神社とはこれいかに?と思えば、祭神は豊玉姫命で、いわゆる「山幸彦」の奥さんで、本身は八尋和邇(わに)である。海神社の祭神にふさわしいと思うが、詳しい由来はわからなかった。本殿は三間社流造檜皮葺であるが、一間社2棟を、相の間で並列に接続した形のもので、非常に美しい形をしている。     12:10

 ■大野寺~元三
 近鉄の室生口大野駅の脇を通って行くと、右手に●えび坂という急な山道の上り坂があり、そこが旧道なので、上って進むと、右手に●北向の地蔵がある。小さな切妻のお堂の中に、高さ1.3m、横幅67cmの一枚石が立っていて、そこに高さ98cmの地蔵尊が厚肉に陽刻されています。
 坂を上がって進むと、前方に高架になった、地方動が現れて、そこをくぐって行く。やがて数軒の集落になるので、そこをまっすぐ進んでしまうと間違いであり、途中●民家の脇を右折して行く必要がある。ここはわかりにくく、右手はすぐ山裾で、雑草の中に細い一本の舗装路がついているのが確認できる。   12:37

 元三の宿場町
 雑草の中を歩いて行き、相馬醤油店の中を過ぎて、右手に旧家らしい大きな屋敷が見られる。元三の宿場跡に入ってきた。この屋敷は元本陣だったという●西澤家。現在は医院となっている。となりに●元三の宿場の道標がある。江戸期には伊勢街道の宿場町として旅籠や茶屋があったいわれている。
 道標の隣の建物は●元旅籠の「ますや」。その隣は●登録古民家の「西岡家住宅」。道標の文字によりこの地は、榛原と名張の中間であることがわかる。   12:47

 元三~三本松
 室生東小学校の手前で右折して、近鉄線を越えると前方に●長命寺が見える。その境内には「琴彈峠跡」の碑が建てられている。ここは琴引峠といい、青越伊勢街道の大和から伊賀へ越える最初の峠で、茶屋があり、また、伊賀国境への標石、制札場、藤堂藩の倉屋敷もあったという。現在は鉄道開設のため往時の姿は全く残っていない。長命寺は義経と静の逃避行の
●近鉄線に沿った右手の間道を下りていくと、国道に出てしまう。旧道は国道と近鉄線の間を通っており、国道から適当な民家の間をぬって行き、旧道である、舗装路へ出る必要がある。この道は室生東小学校の手前で右折しないでまっすぐ進んできている道と同じもの。
右手の●大きな常夜燈には 「日露記念」とある。明治時代のもであろう。三本松駅の手前の国道沿いに●道の駅・宇陀路室生があった。    13:20

  ■三本松~三重県境
 そのまま進むと、「三本松駅」の前を通過して行き、●坂を下った先の交差点を右折して、宇陀川よりの道へと入る。
 宿場のような雰囲気のある、集落の中程に●「女人高野室生山」の石標のあるお堂があり、室生寺の道標がありました。軒下に「室生山の絵図」が架けてある。ここで室生への参拝者にお茶湯を出して接待をしていたとか。
 奈良と三重の県境手前の●近鉄の鉄橋をくぐる。左手に六宝地蔵という六地蔵さんがあり、この先より三重県名張市に入る。この先から歩道が無くなってきて、車が多く危険な道が続きます。
 ここから「みえの歴史街道マップ 初瀬街道」が役に立ってくるが、このマップは六軒町から始っているので、奈良県側からだと、最後の頁から逆にたどらないといけない。   13:41

  ■三重県境~鹿髙
 奈良県から歩いてきて、ここは伊賀国にあたる。左手に●「ようこそ伊賀の国」という歓迎看板が立っている。
しばらく行くと、在手に明治14年の●唐崖修路碑という石碑が立っている。現在コンクリートで固められている崖は「唐崖」と呼ばれ、番取山から宇陀川へ大きな岩が張り出し、明治時代になっても大変危険な場所であったという。
 その先、国道から山側へ旧道が分岐し、集落が形成されているのだが、写真を撮るのを忘れてしまい、国道に合流する、最後の坂●権現坂だけ後ろ向きに撮っておいた。車道は国道165号線。街道は権現坂から国道を渡り、直進する 14:10

■鹿髙~鹿髙神社
 工藤に合流する右手高台に●鹿高智護神社がある。思兼神を祀っていた。「鹿高智護大神」の碑が立っている。かつて、初瀬街道を通る人は、たとえ高貴な身分であっても乗り物から降りて一礼したという。
 旧道内の集落に入ると●連子格子の家がありこちに見られる。●右手の宇陀川の景観。川底が巨大な岩盤になっており、「兵頭瀬」と呼ばれている。    14:22

  左手の崖の中に●石碑群がある。大峰山参拝記念碑、地蔵、供養碑、阿部田村義民碑などが並んでいる。阿部田村義民
とはいかなる人か調べてみたが、全くわからず、あまり有名ではないようだ。
 宇陀川の景観をみながら歩くと左側に●鹿高神社鳥居が立っており、左側に「本居宣長」が吉野への帰路の紀行文、「菅笠日記の碑」もある。
 左手奥、国道の渡った所に●鹿髙神社があった。壬申の乱の際、このあたりを通りかかった大海人皇子が、折からの大水で宇陀川を渡れずに困っていると、どこからともなく白鹿が現れ、皇子を乗せて川を渡ったという故事に由来する神社 14:36

 ■鹿髙神社~丈六寺
 街道はこのまま真っ直ぐ、国道に沿ったルートと、この先で右折して丈六の方を通るルートに別れる。二つのルートは名張市内手前の「新町橋」で合流するので、どちらを取ってもかまわないのだが、国道沿いに行っても面白くなさそうなので、丈六コースを歩くことにした。鳥居の先で「高橋」を渡り、水田の途中を左折すると●まっすぐな農道になる。右寄りに変ってから行くと、「丈六橋」へ出る。渡った右手には●水神碑が立つ。安政6年(1859)の水害で村は大被害を被り、水神を鎮めるように建立されたもの。●赤目町の集落を通過して行く。街道の集落らしい、格子を備えた旧家が目に付く。  15:03

 ■丈六寺~新町橋
 左手に●丈六寺がある。「女人高野北門」の石標が立っている。境内の石造五輪塔は俗に良弁僧正の供養塔と称されているもので、正応2年(1289)と刻まれている鎌倉時代のもの。寺を過ぎて右手に鉄柵に囲まれた道標がある。「右はせむろう道」、「左 あめかだき」と刻まれている。その先●長屋集落は大正の頃まで和紙つくりが盛んに行われていたとか。
 「赤目中学」を右手に見て、宇陀川沿いに進み、●新町橋を渡り名張市街へ入る。手前の黒田橋の角に●大きな道標が建っている。 天保15年(1844)のもので。黒田橋南詰めから東詰めに移設された。「右 はせならみち 左 あめがたき 是より六十丁」と刻まれている。   15:40

  ■新町橋~新町
 橋を渡り、北村酒造が見える道を右折すると、●名張宿の風情ある風景が続いている。道の中程、案内板に沿って左へ入って行くと、●江戸川乱歩誕生の地があって、「乱歩生誕地碑広場」という公園になっている。乱歩は、明治27年、名張の生れで、生家があったところに、石碑が建てられ、「江戸川乱歩生誕地」という文字のほかに、「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」という言葉が刻まれている。
 街道に戻って先に進むと、右手に●旧細川邸「やなせ宿」というのがある。江戸時代から明治初年に、薬商細川家(奈良県宇陀市大宇陀区)の支店として建てられたというもの。虫籠窓や袖卯達を備える典型的な町屋であり、現在は観光交流センターとなっている。   15:52

  ■新町~榊町
 さらに左折して行くと、左手に●創業文政元年( 1818年)の蔵元 木屋正酒造 販売や見学も受けていないそうなので、ひっそりとしている。
 家具店の所を左折して行くと、●一の鳥居が立つ。安永7年(1778)に寄進された宇流富志禰神社一の鳥居。おかげ参りの盛んな頃、鳥居の下で名物の焼き餅やお茶などを出してもてなしたという。この位置は参道の中で、本殿は後方にある。
 鳥居の隣は、●街道名残の一本松という松の木が一本立っている。  16:05

  ■榊町~松崎町~名張駅
 街道はこの先北東の方向へ真っ直ぐ続いている。時間も無くなってきて、最後藤堂家の屋敷跡を見ておきたいので、街道歩きは●上八町へ入る所で終りにしておきたいと思う。上八町は街道風景の名残が更に感じられる所だそうだ。
 最後に南東へ少し行って、藤堂家邸跡を見ておいた。正門(通称太鼓門)は屋敷の西南に移築されており、●現在の門から入ると、●壮大な屋敷の一部分、「中奥」「祝間」などの私的な生活を送る建物だけが現存している。時間が無いの中には入らず、表から見るだけ。名張藤堂家は藤堂高虎の養子の高吉から始まり、1636年以来名張に屋敷を構えていた。11代続いて明治を迎えている。
  この後名張駅から近鉄で京都へ戻った。    16:35

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