初瀬街道(青越え伊勢街道)を歩く 5 
         ( 大三駅~ 六軒町 )
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 大三-中徳田-大仰橋-八太-中村川- 嬉野中川町-権現前-津屋城町-三渡橋-六軒町            17.7km


 ■大三駅~旧二本木宿 ※ 写真をクリックすると拡大します
 2012年8月4日 青越え初瀬街道5回目 近鉄大三(おおみつ)駅へ到着。
 ゴールの六軒町までそう大した距離ではないのでさっと済ましてしまおうと思う。駅から降りたのが2人で、外へ出たら、住民の人に「どこへ行く?」と聞かれ、初瀬街道を六軒まで行くと答えたら、ヒエ~~暑いのに大変だーーーと云われた。日曜の朝、駅から降りてくる人などいないから珍しかったのかもしれない。大三駅の南側あたりが昔の二本木宿で、昔の旅籠の建物が残っていたりした、古い宿場の面影が残っている。 前回ちゃんと見ないで通過してしまったので、●宿入口まで戻って来た。街道は左へ進み、正面角に、「上いせみち」と彫られている道標がある。すぐ右折して行くと、左手に「東明寺」がある。が、廃寺になっていて、敷地が公民館となっている。敷地内に●宝形の建物があり、木製薬師如来像が納められているような説明書だけが立っている。左折して街道に出たら、左の脇道を少しばかり通り、また元の道に出て、進む。右手に●大きな常夜燈が建ち、天保4年(1833)のもの。      10:43

  ■旧二本木宿~中徳田
 駅前の道路とぶつかる所を「中徳田」というようだが、左角に●軒うだつのある民家が建つが、このあたり駒屋という旅籠があった。道を越して、左手の大きな建物が、二本木宿が賑わった江戸時代から明治期にかけて繁盛した旅籠の●「角屋」。角屋は上下の2軒あり、これは下の角屋。現在は無人のようだが、現在も往時のたたずまいをそのまま残している。向いは●「丁子屋」。江戸時代は旅籠屋で、今は醤油屋を営んでいる。   10:50

 ■中徳田~楠太橋
 古い家を見ながら進んで行くと●二叉の地点に来る。このあたりで宿は終る。旧道は左側のようだが、ここから先、鉄道建設で消滅してしまっている。それでも様子はどうなのかと思って、●旧道を進んでみた。100mも行くと草原になり、民家の畑の脇を通ってしまっている。 ここで戻って、右側を進んで行くしかない。●右側の道は杉が並木のように続いている、気持の良い道だった。「楠太橋」手前で竹藪の中に旧道が残っているというので、藪の中を入って見たりしたが、下草が多くわからなかった。  11:07 


 ■楠太橋~笠着地蔵
 「楠木橋」手前で旧道は復活してきて、県道を進み、「亀ケ広」へ来ると、「史跡 亀ケ広古墳群」という看板が立っている。何だろうと左手奥へ行ってみると、何の説明もないのでよくわからないのだが、三ヵ所ばかり●こんもりとしている場所があるので、これだろうかと思った。小さな古墳群だということ以外特に説明がない。
 街道に戻って、先に進む。「亀ケ広の桜」の案内板が立っている。このあたりは、●「亀ヶ広の桜」として桜の名所のようで、沿道に沿ってアーチのように桜並木になっており、春はさぞきれいであろうと思う。 右手は●雲出川の景観が広がっている。
 11:30

 ■笠着地蔵~誕生寺
 15分ほど歩くと、左手に巨岩に刻まれた磨崖仏が見えてくる。●「笠着地蔵(かさつきじぞう)」といって、天台真盛宗開祖「真盛上人」の幼児の奇跡にちなんで刻まれたものである。上人が故あって雲出川に捨てられたとき、この幼児を乗せた笠が流れをさかのぼり、この渕に流れ着いたという。その奇跡にちなんで刻まれたもの。流れに逆らって着いたので、「笠着き」または「逆着き」とも呼ばれる。
 笠着地蔵の前の川岸の巨岩の下にもさかさになった地蔵が刻まれている。安政の大地震の際、道路脇の巨岩が二つに割れて転げ落ち、刻まれていた地蔵が逆さまになったのだという。よって●さかさ地蔵と呼ばれている。
 その真盛上人の誕生した寺というのが、この先の街道を左に入って行った所にあるというので、寄道して行ってみた。街道の途中に「県史跡 真盛上人誕生地」という看板が立っているので、看板に沿って左手に入った。看板から650m行くと、「誕生寺」があり、門前に上人が産湯を使ったという●真盛上人産湯井戸館というのがある。このあたり上人にまつわる史跡が点在している。  12:00

 ■誕生寺~大仰橋
 街道に戻って、先に進む。右手に大仰橋があるが、昔は雲出川を板橋や渡舟で渡っており、渡場は少し先になるので、そのまま通過して行く。
 橋から200mくらいの所に●常夜燈が立ち、大仰有料橋跡の石碑の立っている。明治以前まではこのあたりから、対岸へ板橋がかかり、洪水の時は板を引上げ、舟渡しに切替えていたという。
 ななめ左に●成福寺がある。真盛上人慈父母の菩提所である。 現在の大仰橋を渡って、対岸へ渡り●川沿いの集落を行く。ここが大仰の宿があった所。関西方面からの参拝者達が板橋を渡ると、藤屋など土地の女将や女中が迎えて、宿に誘ったものだという。 ここで突然の大雨。傘がないので学校脇でしばし雨宿り。      12:42

 ■大仰橋~谷戸
 旧道は県道にぶつかると、県道は右へ円弧状に曲っているが、旧道は直進していたようで、ぶつかった先は消滅している。そのため県道に沿っていくことになる。雲出川の段丘を半円状に上って行き、曲り終ったあたりで、●左へ入る細道があり、ここから旧道が復活している。坂を上がった所が谷戸峠で、付近でボタン石がでることから「ボタン峠」とも言われた。明治頃までは沢蟹焼きの露店が並んでいたという。下り坂を谷戸坂という。下った所の県道側に●明治時代の常夜燈と万燈さんと呼ばれる祠が建っている。また坂の右手にも●明治時代の常夜燈が立っている。   13:12

 ■谷戸~八太橋
 谷戸を過ぎて、井関の交差点を過ぎると、波瀬川がずっと県道に寄ってくる。次の信号をすぎた先で、●県道との分岐点がある。右へ入るのが旧道で、入った先は田尻の宿があった所。波瀬川の堤防に沿って宿が軒を並べ、ちしょうの頃まで芸者置屋などがあったそうである。現在は南側をJR名松線が通り、宿が分断され、旧道も残っていない。宿を入った右手に●弘法茶屋
というのがあり、弘法大師の石像が祀られている。
 旧道はこのあたりすっかり消滅しているので、適当に無人の「一志駅」を覗いたりして、JRの鉄橋脇の●八太橋を渡った。この橋は菅笠日記に出てくる橋で、坂橋であったという。   14:07

 ■八太橋~中屋敷
 橋を渡って進むと、●「一志町八太」で、左手に古い土塀の家があったりする。橋から450m程の所で、左折して、八太の中心集落へと入って行く。このあたりには、旧八太宿があった所で武蔵屋・朝日屋・まる屋などの旅寵があり、今も屋号が残るといわれるが、そこらへんはよくわからず。  左回りに円を描いて進むと、●川合小学校グランド脇の所に、●斑光寺跡石柱と横に頭部のみが残った道標がある。その先は「八太の七曲がり」といって、左右に曲がりくねった道幅の狭い街道が続いている。やがて●伊勢自動車道の高架をくぐった。   14:26

  ■中屋敷~中村川
 自動車道を越すと、ほぼ真っ直ぐな道が続く。一志町片野。明治頃までは茶の産地で、遠く江戸間で舟で積出されていたという。県道を58号を越して、右折して●「嬉野宮古町」へ入る。水路の中に「斎王のみち」の看板が立っている。ここを通って伊勢へ向っていたのだろう。 ●三差路に突き当った。正面に●道標が立ち、「斎宮御道蹟 忘丼 従是右凡二丁左参宮道」と刻まれている。道は近鉄大阪線の際まで近寄り、左手に●看板が立って「初瀬街道 みわたり迄やく6km」と書いてある。ゴールの三度まで2時間程度になった。線路の所でぐっと右へターンし、●中村川土手にぶつかった。現在の県道に架かる小川橋は右手200m程の所にあるが、昔はここに架かっていた。   15:10

  ■中村川~須賀神社
 橋を渡って土手沿いに少し左折をして、弓状になった●町屋と呼ばれて旅籠があった、旧道を通り、嬉野中川町へ入る。旧名が小川というので、橋の名前とか神社の名前とかに「小川」の旧名が残っている。町屋を出る右手に●昭和7年の常夜燈が立つ。小川神社を過ぎて、5分も歩いた左手にも●昭和6年の常夜燈が立っている。   15:37

■須賀神社~近鉄踏切
 嬉野権現前町に入り、左手グランド奥に●須賀神社がある。須賀の産土神で、延喜式にも記載された由緒ある神社。須賀権現ともいい、地名の由来ともなっている。
 名松線「権現前駅」手前で左に折れ、東南方向へ進んでいく。左手に●中原神社がある。昔は龍王神社ともいわれた。旅
人憩いの場所であった。毎年大晦日には付近の神々が集まり、夜中に大小の火の玉が舞うという伝説がある。
 さて、旧道はこの神社から2コースに分れる。ひとつはこのまま進み、近鉄線の踏切を越えて、六軒へ向うコース。もう一つは神社から南下して、三渡川北岸を東進して進むコースである。しかしこのコースでは、もともと旧道は川の南岸を通っており、大部分旧道を通らないことになるので、このまま近鉄線へ向うコースを取ることにした やがて●近鉄の踏切を越える。すぐ右手に「伊勢中川駅」がある。    16:20

 ■近鉄踏切~嬉野津屋城町 
 嬉野津屋城町へ入った。●踏切から200m弱の所を右へ進む。道の左向こうに●明治28年の常夜燈がある。頭部が無くなってしまっている。●津屋城の集落の中をクネクネ進むと、前方に●三渡川の土手が見えた。旧道はこのまま斜めに「巡見橋」まで延びているが、消滅しているので、左折をして、田んぼの中を進み。巡見橋を渡って、土手沿いに進んだ。 16:25

 ■嬉野津屋城町~六軒町追分
 三渡川沿いに進み、紀勢本線の踏切を越えると、伊勢参宮街道を進んでくる●三渡橋が見える。ついに●三渡橋袂に到着した。参宮街道との合流地点である。三渡というのは、潮の干満により三ヵ所の渡しがあったことによる。橋の袂に●道標が立っている。「いがごへ追分」「右いせみち」「やまとめぐりかうや道」と刻まれている。伊勢神宮には三渡橋を渡って来て、そのまま真っ直ぐ、初瀬街道からは右折して進むわけである。右折すると●六軒の宿が続いている。       16:40
 さて長かった青越え初瀬街道はここでゴールとなった。六軒から神宮までの参宮街道は歩き終っているので、この先は参宮編の参照をお願いします。 帰りは「伊勢中原駅」まで戻って、1駅乗り、伊勢中川駅より特急を乗り継いで、京都まで特急を利用して帰った