暗越奈良街道を歩く
    (玉造から奈良へ )
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 玉造駅-今里-御厨-花園-箱殿-観音寺-弘法水-暗峠-南生駒-榁木峠-尼ヶ辻-三条-南円堂    30.4km

 暗越奈良街道
  大阪と奈良を結ぶ街道は、県境に横たわる生駒山系を越えなければならないが、古くから政治・経済・文化上、重要な役割があり、主なものとしては、北から清滝越道、中垣内越道、暗越奈良街道、龍田街道、一番南を通る亀瀬峠道がある。この中でも、暗越奈良街道は、大阪から東へほぼ一直線に伸びる、奈良までの最短の街道で、奈良時代に難波と平城京を結ぶ道として設置された。また数ある伊勢参りの街道の一つでもある。
 大坂の玉造を起点として奈良の南円堂まで31kmを歩きます。いずれ上街道、初瀬街道、伊勢参宮街道など歩き終ったら、伊勢参りの道としてまとめたいと思います。

参考書
歴史の道調査報告書(暗嶺道、大阪府教育委員会)
大阪府歴史街道ウォーキングマップ
kazのホーメページ1号館(http://homepage2.nifty.com/kaz-iku/ise1.htm)など 

■玉造神社~玉造駅
 2012年3月3日 JR玉造駅8時5分到着 
●玉造稲荷神社(伊勢本街道の起点)
 JR玉造駅に到着し、これから暗峠越奈良街道を歩くわけだが、駅付近にある「二軒茶屋」が大坂方の起点とされている。しかし。、この暗峠越えの道は「伊勢詣り」の道でもあり、伊勢詣りの出発点は、駅の北方にある 「玉造神社」とされているので、最初に寄っておいた。
 玉造神社は社伝によれば、垂仁天皇18年(紀元前12年)に創建され、仏教受容問題で物部氏と争った際、聖徳太子がこの地に布陣して戦勝を祈願し、戦勝後当地に観音堂を建てたという伝承がある。位置的には難波宮跡を東に下ったところに位置し、古代に勾玉を作っていたことからその名が生まれたという。江戸時代には大阪から伊勢詣りへ旅立つ人々で大変賑わい、境内に●伊勢参宮本街道の旅起点の石碑が立っている。社務所で500円で街道地図が入手できる。

■玉造駅~玉津橋
 ●二軒茶屋跡(暗峠越奈良街道の起点)
 神社から、700m位南東に下がると玉造駅に来る。駅から国道308号を歩き始め、50m位の所に「二軒茶屋跡、石橋旧跡の石碑」が立っている。暗越奈良街道の大坂方の起点は、「摂津誌」に、「二軒茶屋」があった玉造であるとされている。明治初期のからは、大坂の道路里程元標がある、高麗橋であるとされた。今回の場合江戸時代の道を歩くので、玉造で始めるのが妥当と思う。終点については諸説あるが、南円堂、猿沢池まで行っておきたい。
 ここに「猫間川」、または「高麗川」と呼ばれていた川が流れていて、石橋が架かっていた。今は暗渠として地中に埋められてしまっている。街道の南北に明治の中頃まで、「つる屋」と「ます屋」の2軒の茶屋があった。
 道は石碑を過ぎてすぐ●レンガ色の石畳道へ入り、「玉造駅東商店街」というらしいが、日曜の為か、閑散としている。「玉津1」信号、国道308号を越えて西へ入って行くと、左手に●明治35年の暗越奈良街道道標がある。高麗橋の道路元標から1里の所に当る。  9:25

■玉津橋~大今里
 
玉津橋を渡って、すぐ右折し、道なりに進み、「東成警察署」の前を過ぎると、地下鉄「今里駅」の上に出る。市道を渡って、●レンガ色の旧道へ進む。商工会議所のビルの壁に暗峠越え街道の説明板が架かっていた。「シルクロード」の終るところなどの説明がある。
 ●大今里3丁目の家並み。今里では旧家などが見られ、落着いた雰囲気を持っている。途中左手に 熊野大神宮と妙法寺があり、聖徳太子の開創とされる妙法寺の境内には● 契沖の供養塔がある。契沖はこの寺の住職中に「万葉集代匠記」を著したという。墓は終焉の地、天王寺区の円珠庵にある。   9:50

 大今里~布施柳通
 妙法寺を過ぎると、国道308に出る。その右角に●文化3年の常夜燈を兼ねた道標がある。説明板では「道標」の「上部を四角にくりぬいて火袋にし、その上に笠石を載せた珍しい形」ということになっている。
 国道を東に進むと「深江」になる。深江は菅笠の生産地で有名だそうで、伊勢神宮式年遷宮に使用する菅笠は、この地区で作り奉納されているとか。
  新深江の交差点から、府道に入り、200m程で府道は北東へ向うが、旧道はそのまま真っ直ぐ進んで、細い道に入る。そうすると、アーケードのある●布施商店街にぶつかる。左折して商店街に入ってもいいのだろうけど、旧道は左折して、アーケードより東側の細い道を進んで行く。
 府道へ出て右折して行くと、●布施柳通交差点へ着いた。旧道はその左斜めの道へ続いている。左手角に「歴史の道 暗峠越え 旧奈良街道」の石碑が建っている。   10:25

 ■布施柳通~御厨
 左手に市立産業技術支援センターなどがあり、やがて、JRおおさか東線の高架にぶつかるので、右折、左折して高架を越える。越えたらすぐ南方00m位の所に大きそうな●長栄寺があるので寄ってみた。
 長栄寺は百済山という山号をを持つように、歴史が古く、聖徳太子が自ら本尊の十一面観世音菩薩を刻み安置、百済系渡来僧の入法をもって開山・創建としその後、中世の幾度もの戦火で荒廃したが、江戸中期の1744年(延享元年)正法律(真言律)中興の高僧慈雲尊者が再興、当寺をその道場としたが、1825年(文政8年)正月、本堂が全焼し、同年に再建されている。慈雲尊者が1758年(宝暦8)生駒山中の長尾の滝の上流に隠棲。修行のために建てた●「雙龍庵」の遺構が境内に移築されている。入母屋造り、茅葺きのこじんまりとした建屋で、尊者は41歳から54歳まで、この「雙龍庵」に寓したという。
 街道に戻って、東へ進む。「小阪北口」信号で府道へ合流。●御厨栄町信号の手前を右折して、脇道へ入る。 11:10  

 「御厨西」信号で府道へ出て、府道を斜めに渡って、北東へ少し入る。左手奥に「法観寺」があり、その奥に●天神社がある。このあたりの地名は御厨(みくりや)といい、朝廷にお供えする魚介類を取るため、延喜5年(905)付近一帯に広がる湖沼一帯を「大江御厨」と定めたことに由来する。この神社は古くは御厨神社と呼ばれている。境内には八角形の大型燈籠や、東大阪市の天然記念物の大クスがある。
 府道2号の出る右手角の●植田家住宅は街道の本陣の役を務めた家柄で、「松平甲斐守様御本陣」と「片桐石見守様御本陣」と書かれた木札が残されているとか。現在も家族で居住しながら保存されているので、一般公開はされていない。
 街道は「第二寝屋川」を越え、府道15号に合流し、●近畿自動車道の高架をくぐって行く。  11:50

 ■御厨~花園ラグビー場
 
●いすず自動車の先で右折して少々の脇道へそれる。途中に道標があり、「すぐ 石切 瓢箪山 奈良 左 住道 四条畷」などとある。奈良街道と河内街道の分岐点を示している。右手に●八剣(やつるぎ)神社がある。道標が何点か立っている。
 菱江交差点少し西側の所で、府道に出て、斜めに横断して、菱江公民館に向ってぐるっと間道を進み、菱江北で東へ向う。右手に「もちの木地蔵尊」があって、隣に●天保2年のおかげ燈籠が立っている。慶応3年11月、ここでも「おかげ札」が降ってきて、翌月には幟、三味線、笛、太鼓をそろえて「ええじゃないか ええじゃないか」とはやし踊ったと書いてある。
 400m程で、また府道15号線に合流する。向う側は河内警察署   12:25

 花園ラグビー場~箱殿東
 
●花園ラグビー場西の交差点を横断した先の陸橋の所の細道を北東に道なりに進み、「英田北小学校」の東隣を北上する。右折して小学校の北側の道を東へ直進して行くと前方にこれから登る●生駒山が近づいてきた
水走橋を渡り、●国道170号線をまたぐ陸橋を渡る。   13:00

 ■箱殿東~平岡神社
 
宝町を過ぎ、●「箱殿東」の交差点が東高野街道との交差地点となる。昨年8月に東高野街道を通った時は左から右へ通過している。暗越街道は直進してビルの左側を進む。
 交差点の左角に地蔵堂があり、脇に●道標「東江 すぐなら いせ道」というのがある。
 街道を生駒山へ向かって進むと段々勾配がついてきた。豊浦郵便局の見える辻を右方向へ曲がり、●宝幢寺のお堂 の横から国道308号線へ出た。寺の地蔵堂には行基ゆかりの子安地蔵が安置されている      13:25

 ●平岡神社
 国道を上って近鉄のガードをくぐると平岡神社への案内板が架かっているので、右折して神社に寄っておく。
 平岡神社は河内国一宮で、旧社格は官幣大社。近鉄線に沿って行くと、出会う大きな鳥居が「一の鳥居」。左折して少し石段を登ったところにある木の鳥居は●二の鳥居である。●拝殿に続く石段を上がって行く。●本殿は春日様式のものが、4つ連続しており、第一殿に天児屋根大神、大和朝廷の祭祀をつかさどった中臣氏の祖神にあたる。外に比売大神、、武甕槌大神、経津主神を祀る。天児屋根大神・比売大神が元々の祭神で、春日大社に当社から勧請されたので「元春日社」と称される。伝えられる創建はとても古くて、神武天皇が大和の地で即位される3年前。すなわちBC663年であるという。 

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 ■平岡神社~観音寺
 
神社から戻って、街道を上がって行く。近鉄のガードをくぐってから、暗越街道すなわち●国道308号は、細い道となって暗峠へ急坂を上って行く。途中左手にある「勧成院」には芭蕉句碑が立っているとの案内板があるのだが、門が閉っている上に、犬が吠えるので入れなかった。
 その代り、少し上がった右手に●芭蕉句碑があった。元禄9年(1694)病を押して、伊賀を発った芭蕉は奈良から大坂へ向う際、暗峠を越えた。その時の句 「菊の香に くらがり登る 節句かな 」 芭蕉はこの道を下って大坂に入り没している。
  さらに●坂を上がる。コンクリート舗装に滑り止めに○印が彫ってある。しかし一方通行ではなく対面交通なのには驚くね。
 14:00

 右手に●禊行場という石碑が立っている。街道に沿って川が流れており、滝に打たれる修行場であろうと思い、滝があるのか右手を下りて行くと、小さな寺のような建物があり、読経がわずかに聞える。さらに進んで、右手に下りる坂を下ると●観音寺がある。寺の前を通過ぎて、突き当って行くと、かわいらしい●龍の口から水が落ちて滝の気分が味わえる。  14:15

 ■観音寺~なるかわ園地ゲート
 
国道をさらにわんわん上っていくと、気温が低いのに汗が噴き出てきた。車が時折下って来たりするけど、ブレーキの使い方が難しいのではないかと思える。途中右手に●石碑が沢山置いてあり、「お玉大神」とか色々神名が彫ってある。
 その先右手に●「弘法の井戸」がある。ここには山腹から湧きだしている「弘法の水」があり、昔は「銘水」としてこの水を汲みに来る人の姿が毎朝見られ、また、山道を通る人の喉を潤したことでしょうという。ただ現在では生水なので飲まないようにと注意がしてある。
 さらに登ると、●なるかわ園地のゲート付近にくる。左側の幅の狭い道が実は国道308号線で、1車線の坂道で、全くすれ違いが不可能な道。   14:35

■なるかわ園地ゲート~暗峠
 
しばらくすると●暗峠に着いた。峠の名前は樹木が鬱蒼と生い茂り、昼なお暗いことが由来という。今はこの一部分だけが石畳となっていて、「日本の道百選」に選ばれた。石畳は江戸時代に郡山藩により敷設されたとかいう。標高は455m、登り始めて約50分位かかった。峠には●数軒の集落があり、色々と道標やら●地蔵堂などが建っている。お堂手前の道標は、「矢田山二里」など。
 茶店も営業していたのだけど、どこかのおじい、おばあの団体が愉快に宴会していて、うるさいので入れなかった・・・・
  14:40

           ●峠から臨む生駒市遠景と、その向うに矢田丘陵。さらに向うは奈良市

  ■暗峠~南生駒駅
 
生駒スカイラインをくぐって下り始めます。峠付近の国道は広くなっていて、左側に集落が存在している。集落の中を通って行く。しばらく下ると左手に大阪大学教授、犬養先生の●万葉歌碑があり、後ろには燈籠、石塔、石仏、道標などが並ぶ。
 この先、徐々に●民家が増えてくる。時折車の通りすぎていくが、道の幅も適当で、街道らしい雰囲気が感じられる。生駒南小学校の前を通過し、しばらく歩いて●竜田川を越えると、南生駒駅に到着した。この先適当な電車がなく、時間も適当なのでここで今日は打切りとしました。      15:45

 ■南生駒駅~やすらぎの杜
 
2012年3月11日 南生駒駅 11時25分。先週に引き続き暗峠奈良街道2回目です。今日は猿沢池まで、距離もないのでゆっくり出てきました。
 駅から踏切を渡り、二つ目の踏切を渡り返して、しばらく●民家の中を上がって行く。木造の家が残り、やや街道風情を感じるところ。公園の脇を通った後、国道は広くなり、大瀬中学校の隣の高台に、同じく犬養先生の●万葉歌碑がある。
 信号で左折して学校を回り込んで、●南山手台住宅地の中へ入っていくのだが、宅地開発のため、街道は消滅してしまっている。
 住宅の中を適当に抜けて、国道脇の階段を登ると、「やすらぎの杜」という施設があって、庭に「足湯」がありました。左手には生駒山を見渡す事ができ、先週下って来た暗峠道が見えた。   11:55

 ■やすらぎの杜~榁木峠
 
坂を登りきると、途端に●国道が細くなってしまったが、歩く分にはちょうどよい。しばらく行くと●榁木峠に到着した。数軒の建物、弘法大師堂や標柱などがある。またこのあたりは、生駒市、奈良市、大和郡山市の境界が集っている。
 坂を下って行くと、右手に●郡山警察犬訓練所があった。      12:20

 榁木峠~第二阪奈道道路
 
訓練所の先は二叉になっており、「右 やたさん」という道標がある。ここは左へ行く。所々、伊勢本街道保存会が作成した、「おいせまいり」と書かれた白い木札が木に架かっている。この札を追いかけていけばいいわけだ。
 しばらく進むと左手に●追分神社があった。その先に●追分本陣、村井家住宅がある。茅葺と桟瓦を組合わせた、大きな家で、奈良から暗峠を越えて大阪にいたる街道沿いに位置し、大和郡山との分岐点であるために追分の本陣と呼ばれます。
 追分本陣の先は三差路になっており、真ん中の梅林の道を進みます。途中から国道は左へ分岐していくのだが、どうも旧道はまっすぐ行って、第二阪奈道路の下を通り抜けて行くのらしい。しかしこのところの道がよくわからないし、例の本街道の札が国道の方に下がっていたので、国道の方へ回ることにした。
 ●国道は旧道のような感じを残して、第二阪奈道路の上を渡って行きます。    12:45

 ■第二阪奈道道路~垂仁天皇陵
 
阪奈道路を越えて行くと、●民家の中へ入っていく。ここの集落には白壁の藏造の家があったりして、中々面白い。
 「富雄川」を越え、「砂茶屋」の手前左手に●地蔵堂がある。砂茶屋を過ぎ、「藤ノ台」に入ると、「赤膚焼窯元」がある。
 東坂下池を左に見て、第二阪奈道路をくぐった。「五条」を過ぎ、●「新池」の五差路へ来た。ここはすぐ右手の細い道を右折して行く。    13:35

 ■垂仁天皇陵~尼ヶ辻
 
民家の中を通っていくとやがて●垂仁天皇菅原伏見東陵が右手に大きく見える。
 垂仁天皇の皇女倭姫命は天照大神の御杖代として大和から伊賀、尾張などを経て伊勢に入り、神託により現在の伊勢神宮内宮を創建したとされる。
 国道に合流して東へ進むと●「近鉄橿原線」の踏切を越える。尼ヶ辻駅はすぐ南側。駅の南側には「唐招提寺」、「薬師寺」が広がっている。尼ヶ辻の地名の由来は曲辻にアの接頭語を付したとか、鑑真が唐招提寺建立の地を決めるとき、土の味見をした時、この地の土が甘かったので建立を決めたとかの説がある。  13:50

 ■尼ヶ辻~三条栄町
 
秋篠川あたりから。、国道の幅が増え、国道は●三条大路となってまっすぐ奈良市内へ進んでいる。交通量が増えてきた。右手に地蔵堂がいくつかあるが、その中の一つ●石造地蔵菩薩立像が納るお堂。右手に錫杖を持たない古式の姿の地蔵を刻んでいるというが、覗くと顔しか見えず、光がじゃましてどうにも撮れなかった。
 国道308号は三条大路2丁目交差点で終ってしまい、その先は県道1号が続いている。●三条栄町で県道を右へ分け、尚真っ直ぐ進む。     14:40

 ■三条栄町~南円堂
 
右手に寺院風の●JR奈良駅を通過。駅前で集会をやっていて、近づけるのはここまで。駅から東側が通常●三条通りと呼ぶようだが。奈良漬の老舗やお土産屋さん。左手に観光案内所があり、観光客が多い。
 やがて左手に●奈良県道路元標が立つ。大きい木柱の右隣の小さな石柱のものが本来の道路元標。京都、大阪などここから東西南北へ向かう奈良県内の諸街道の起点となっている。 暗峠越奈良街道もここで終点とした。    

 ■猿沢池と南円堂
  南側に広がるのは●猿沢池。興福寺が行う「放生会」の放生池として、天平21年(749)に造られた人工の池。「澄まず濁らず ・・とかの七不思議とか色々伝説がある。北側は●興福寺南円堂。西国三十三所第九番札所としてお参りで賑わっていた。
 さてこの次は猿沢池から一路南下して、桜井まで向う。古代街道の一つ上ツ道を基礎とした上街道を行きます。2回に分けることになるかと思います。伊勢本街道を兼ねています。    15:10