鎌倉街道下道を歩く 4 
       (大手町~松戸まで)
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 大手町-浅草橋-蔵前-浅草-東白鬚公園-荒川土手-堀切-中川-新宿-金町-松戸         21.53km


2014年9月20日
  ■大手町~常磐橋
 本日は下道の最終日として、当面のゴールの松戸まで行きたい。今日のコースは浅草までが旧日光街道と同じコースであり、葛飾を通過して中川を越えると旧水戸街道と同じコースとなる。両方とも一度歩いているのでさーと通りすぎて行きたい。
 大手町から浅草橋、鳥越を経て浅草、白髭橋までのコースは古代から中世にかけて東京湾の海が深く入込み、現在の中央区や台東区の大部分け海であったとする説が有力だそうで、下道は海岸縁を歩いていたと思われる。
 大手町交差点を左折して1本先の信号を左に行った三井物産ビル脇に●「将門首塚」がある。全く場違いな感じで存在しているのだが、古来よりこの地に首塚が存在しており、破壊した大蔵省やら戦後GHQに事故死や病人が出て、たたりだとされて改めて祀られた。またここは江戸時代には酒井雅楽頭家の屋敷があった所で、仙台萩で有名な伊達騒動の伊達安芸と原田甲斐はここで殺害されたという。 逓信博物館を過ぎてJRのガードを潜るとその先左側に●常盤橋公園がある。渋沢栄一の銅像が立っていた。この先に架かる●常盤橋は以前は木橋であったが、明治10年に西洋式石橋に架け替えられた。現在は補修工事中。    9:55

■常磐橋~浅草橋
 常盤橋を渡るとすぐ前は●日本銀行。江戸時代にはここに金座があった。銀行前を回り込み三井別館の所を右折して進む。この通りは室町3丁目から●大伝馬本町通りとなり、旧日光街道の経路と同じとなる。首都高速にぶつかり、地下道をくぐると小伝馬町となり、左手奥の十思公園には時の鐘がある。日光街道の折に見学済み。その先 ●横山町は江戸最大の繊維問屋街として名をはせ、現在でも多数の繊維関連問屋などが集中している。浅草橋の交差点を地下道で越えると●浅草橋。浅草御門があった所で、左手一帯には郡代屋敷があった。   10:32

■浅草橋~蔵前2丁目
 JR浅草橋駅の北、左手に●銀杏岡八幡という小さな神社がある。ここは源頼義、義家にかかわりがある神社で、安倍氏討伐の為東北へ下向の際一休みをしたという場所にあたる。そんなことが鎌倉街道であったということを物語っている。
 浅草橋の駅からの江戸通りには、「人形の久月」などの人形店やおもちゃの店などが並んでいる。しばらく歩くと蔵前。江戸時代幕府の米蔵立ち並んでいた所である。蔵前一丁目の交差点の左手は●幕府の天文台があった所。案内によると・・・通りを1本隔てた区画には幕府の天文・暦術・測量・地誌編纂・洋書翻訳などを行う施設として、天文台がおかれていた。伊能忠敬は、全国の測量を開始する以前に、深川の自宅からこの天文台までの方位と距離を測り、緯度一分の長さを求めようとしたという・・・
 交差点から西へ少し入ると●鳥越神社がある。小さくて境内もせまいが、創建は古く白維2年(646)日本武尊を祀って白鳥神社と称したのに始まるとされ、前九年の役のおり源義家がこの地を訪れ鳥越大明神と改めたと伝わる。  10:52 

■蔵前2丁目~浅草
 さらに北へ進み駒形2丁目角にどじょう料理で有名な●「駒形どせう」がある。お客さんが数名腰掛けて待っている。「駒形橋西詰」交差点右手に●駒形堂がある。浅草寺の伽藍の一つで、浅草寺本尊の聖観世音菩薩が隅田川から発見された場所にあたる。建物は新しい。 この交差点は五差路になっていて、その一つが浅草観音の雷門に真っすぐ伸びている。●東武浅草駅、松屋の前から道は二つに分かれるが、右手の道を行く。 11:20

 ■浅草~今戸
 東武のガードを越え、左手に入った花川戸公園がある(2箇所あって北側の方)。ここに●姥ヶ池舊跡」の石碑と小さな池がある。このあたり一面の荒野で、昔一軒家で、娘が連れ込む旅人の頭を石枕で叩き殺す老婆がおり、ある夜、娘が旅人の身代わりになって、天井から吊るした大石の下敷になって死ぬ。それを悲しんで悪業を悔やみ、老婆は池に身を投げて果てたので、里人はこれを蛯ヶ池と呼んだ。・・という伝説がある。姥ヶ池は大池だったが明治24年に埋め立てられた。
 「言問橋西」交差点でまた道は二又に分かれる。左への道は旧日光街道で、鎌倉街道は右の道を取る。すぐ左側に小高い丘があり、●待乳山聖天がある。ここは台地になっていて昔はかなりの眺望の良い名所になっていた。現在はビルや高速道路などで眺望はよろしくない。 聖天の北側は●山谷堀公園」が700m程続く。堀は江戸初期に荒川の氾濫を防ぐため三ノ輪から今戸まで造られた。吉原への水上路として利用され、界隈には船宿や料理屋などが建ち並びかなり賑わったらしい。
 山谷堀を越えると今戸である    11:50

 ■今戸~白鬚橋
 右手はリバーサイドスポーツセンターがあり、スポーツ施設が続く。この先、少しわかりにくいが、橋場一丁目バス停の西側を入って行った、橋場1丁目28番3号に●「妙亀塚」というのがある。妙亀塚は人買い伝説で有名な「梅若丸伝説」にちなむもので、梅若の死を知った母親の斑女は自ら髪をおろして妙亀尼と称し、仏門に入ったという.
 橋場を過ぎた右手は●白髭橋である。「橋場の渡し」があった。伊勢物語の在原業平が渡った渡しであるという。橋を渡る前に交差点の北側にある●石浜神社に寄っておく。頼朝の奥州征討に際しての社殿の寄進、蒙古襲来の折の必勝祈願などを経て、中世初めには大社としての発展を見たという歴史のある神社である。   12:25

 ■白鬚橋~木母寺
 白髭橋を渡ってすぐ左折して●東白髭公園の中を通って行く。右手の団地は都の防災計画の沿って建てられたもので壁のように連なり、一種の防火壁の役割を果たすようになっている。隅田川の東側は下総国葛飾郡で、古代東海道が西から東へ真っ直ぐ通っていて、立石から市川へ繋がる。頼朝が挙兵時に通った道という。
 これから歩く下道は後の水戸街道の基になった道である。 公園をしばらく歩くと、左手に●隅田川神社がある。神社南側は平安時代に「隅田宿」が成立していた地域で、治承4年(1180)頼朝が布陣した所と伝わる。この神社は隅田川宿の鎮守で、源頼朝がこの地に着いて社殿を造営させたと伝えられており、この川へ橋をかけた時大きな亀が現れたという伝説かおる。社殿の前にこの伝説の石の亀の像が狛犬の代わりに並んでいる。 神社の先に木母寺がある。建物は新しく、元は団地の東側の地にあったものが地域再開発で現在地に移転したものである。寺は梅若伝説で有名で境内に●梅若塚があるが、ガラスに囲われていている。   13:00

■木母寺~堀切小橋
 公園を出て防災団地の下をくぐって東に向かう。団地の9号棟の前の梅若公園に移転前の梅若塚の碑があり史跡となっている。墨堤通りを横断して●郵便局が見える細い通りを入っていって、「墨田2丁目信号」を左に曲がる。右手に円徳寺がある。さらに進むと左手に●多門寺があり、ここの山門は都内では珍しい茅葺きの山門であった。
 寺を過ぎると荒川土手にぶつかった。荒川は元々荒川放水路といい明治から昭和にかけて掘られた人工河川なので、当然昔は存在していない。●首都高向島線新荒川大橋たもとまで斜めに続いている訳になる。土手脇を東武線が通っているので土手には上がれない。左に曲がって「堀切駅」手前の高架橋を渡ると土手上に出られた。そのまま土手上を進み、堀切橋を渡り、綾瀬川は渡らないで手前で右折し、堀切小橋を渡る。    13:40

■堀切小橋~お花茶屋
 小橋を下りて●堀切小橋通りに入る。多門寺からの旧道はここへ繋がっていた。次の信号は三つ叉になっており、真ん中の●ラッキー通りを進む。お花茶屋駅まで真っ直ぐな通りである。宝町に入ると左手に●宝木塚八幡がある。小さい神社だが、元宝木塚村といっていたこの地域の鎮守であった。  14:05

 ■お花茶屋~中川
 間もなく●京成電車のお花茶屋駅の線路を越えて、旧曳舟川(葛西用水のこと)を越える。現在は埋め立てられて「曳舟川親水公園」として整備された。線路の北側を左斜めに行く道をたどるが、白鳥二丁目と四丁目の境目で一度消える。すぐ右は国道6号線(水戸街道)である。一旦国道に出て一つ目の角を左に曲がると●国道と平行する細い道が旧道の続きと思われる。この道は真っすぐに青戸8丁目あたりまで続き、8丁目に入りやや左に曲がりながら進み、左に修徳高校があり、亀青小学校の先で右折、国道の「亀青小東」信号を越えると中川の上手に突き当たる。中川は船で渡るが、その地点は●現在の西念寺のあたりだっただろうと云われる。
 14:50
 ■中川~金町3丁目
 ここは土手沿いに迂回するしかなく、迂回して中川大橋を渡り、信号を右折して●旧水戸街道の新宿宿に入った。ここから松戸まで水戸街道と同じ経路を取って進むことになる。
 宿を突き当たった奥に日枝神社がある。この神社の石の鳥居は●「山王鳥居」といって桁の上に三角の屋根が乗っている。日枝神社特有の形式である。 宿内のT字路を左折し、国道に出る手前を左折して、次の信号を右に進む。貨物線の線路を越え、国道に沿って真っ直ぐ進み、国道と合流して●京成金町線の踏切を渡った。    15:35

 ■金町3丁目~東金町8丁
 国道を別れて左手を進み、JRのガードをくぐり横断歩道橋を渡ると、右へ斜めに行く道がある。これが旧道の続きである。ここへ入って少し歩くと●葛西神社が見えてきた。元暦元年(1184)葛西三十三郷(現在の区部の東部の大半)の総鎮守として葛西三郎清重が下総国香取大神宮の分霊を祀ったもの。中世には香取神宮領である葛西御厨の中心地に置かれた。祭神は経津主命
 葛西神社を過ぎると道は間もなく江戸川の土手に出る。
 この先しばらく●江戸川土手を歩いた。江戸川は船で渡った。その場所は葛飾大橋と過ぎた先、ポンプ所の所に●金町の関所跡の碑があり、ここに江戸時代江戸川の渡場があったので同じ場所だろうと思われる。対岸は松戸  16:10   

 ■東金町8丁目~旧松戸宿
 葛飾大橋を渡る。●対岸の渡し場あたりを眺める。今日は隅田川、荒川、中川そしてこの江戸川と4本の渡し場を迂回してきた。ヤレヤレであるね。松戸に入り土手づたいに行くと 、天領松戸宿の入口を示す●「是より御料松戸宿碑」が立っている。ここから松戸宿へ入って行く訳。このあたりは渡船場河岸(下河岸)とよばれ、銚子から利根川をさかのぼってきた鮮魚をあつかう魚市場で賑わった。●松戸宿は松戸駅西側に線に沿って存在している。本陣跡は松戸郵便局らしいが案内板などはないので確証はなし 16:40

 ■旧松戸宿~松戸駅
 郵便局をすぎて右手に●松戸神社がある。日本武尊が東征の際に従者と待ち合わせた地に建てられた祠がその発祥だという。待つ土(地)から松戸の名が出たという伝えもある。.左手に●宿場らしい旧家が建つ。
 その先右手に入った●JR松戸駅にて本日の歩きは終了する。 と同時に鎌倉街道下道の当面のゴールとした。 旧道は頼朝の東北征伐の際に使われて、この後水戸を経て海岸に沿いに北上を続け、奥州へ向かう訳である。     17:00   

     3 丸子橋~大手町