鎌倉街道上道を歩く 6 
         (武蔵嵐山駅~小前田まで)
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 武蔵嵐山駅-嵐山小川-奈良梨-能増-今市-塚田-荒川-花園橋-小前田           17.36 km


2014年2月11日 ※ 写真をクリックすると拡大します
■武蔵嵐山駅~嵐山三差路
 ●武蔵嵐山駅9時頃到着。 本日は嵐山駅から奈良梨、今市、荒川と経て秩父鉄道小前田駅あたりまで行く予定にしている。但し消滅した旧道が沢山あるようで残念である。歩き始める前に前回撮り忘れた所など回るために1時間ほど嵐山の回りを歩き回った。
 武蔵嵐山は京都の嵐山に似た景勝地として名付けられた。ここへは駅から西南約2kmほどの槻川の渓谷沿いにある。また嵐山の地は木曾義仲の父の源義賢が勢力を張っていた地域でもある。武蔵嵐山の駅前から真っすぐにしばらく行くと広い道にぶつかる。ここを右折して行くと、左手に●本陣のような大きな旧家があった。やがて●嵐山三差路に着く。ここから先北倉庄一氏の本の付属地図では左手斜め、西北の方向へ旧道が描かれるが、農地や住宅地を通っており通行できない。この消滅した旧道は今市手前まで7kmほど長く続く。この為この先しばらくは旧道に沿った道を進んでいかざるを得ない。 三差路を右へ行き県道296号に入り踏切を渡る。    10:30

■嵐山三差路~嵐山小川
 線路をくぐると、志賀小学校の先左手に●志賀堂池があり、右手に●老朽した無住の志賀の観音堂がある。真中には石造りの多宝塔が立ち、庚申塔、地蔵や供養塔などが並び、裏は墓地になっている。
 県道をどんどん進むと、右手の丘陵がせまってきて、小高い丘が●杉山城跡である。杉山城は国の指定史蹟だが、詳しいことは不明で、山内上杉氏時代の城であるらしいということである。寄って行くにはちょっときつくパスしておく。    11:00

■嵐山小川~奈良梨
 関越道を接続する県道11号線の「嵐山小川IC」交差点を過ぎて、新川に架かる高橋手前の左手奥、農道の傍らに●馬頭尊と刻まれた大きな石碑が目に入った。隣に馬頭観音の石仏もある。
 新川に架かる高橋を渡るとやがて●奈良梨の交差点である。この地はかつての鎌倉街道上道の拠点として、戦国時代には平時に馬3頭、戦時に馬10頭を置く伝馬宿であったという(wikipedia)。右前方に鳥居が立っていて、ここに●八和田神社がある。長い参道を行くと社殿が立っている。もとは諏訪神社といっていたものが、明治22年に上横田・下横田・中爪・奈良梨・能増・高見・伊勢根・高谷の八か村が合併して八和田村を作ったので、村社八和田神社と改まった。案内板には・・・・「こに懸けられている鰐回は、延徳、弘治の銘を刻したもので~ 」 という鰐口の説明があるのだが、社殿眺め回してもそれらしき鰐口が架かっていない。由緒あるものらしいがなんだがわからず。また右手奥に大きな杉の木があって、天正18年(1590)に奈良梨に入った諏訪頼水が所領を決める際に信州諏訪から投げたスギがこの地に刺さったという伝説がある。地図には「陣屋跡」の記述があるが、確認できなかった。   12:00

■奈良梨~能増
 奈良梨を過ぎると●能増に入る。交通量も少なくなり、前方に森などの緑も濃くなってきた。左手に鎌倉街道上通跡の案内板があった。説明にある・・・「能増の門跡跡・・・」という説明が良くわからず、写真の感じと現地の状況が少し違うので理解に苦しんだが、案内に従って●左手奥に踏み込んでみた。 奥には道もありそうになく、民家の敷地らしいので入り込むこともはばかれ、ちょっと行った所で引き返してきた。
 ところが後で調べてみると県道東側には実際に旧道が残っていたようで、竹林の中を通る道は街道の息吹を感じさせてくれる絶好の散策路ですとか堀割の遺構が残るとかのことだった。このあたりから上段の馬頭尊のある高橋付近まで歩けるようなので、残念ながら見過ごしたと思わざるを得ない。その内再訪してみようかと思う。 ●能増の交差点を過ぎる。   12:40
■能増~今市
 この先県道は能増を過ぎ、市野川を渡ると右へ大きく曲がる坂道となる。芳賀氏本では●手前の左へ入る市野川沿いののが旧道だという。ただここはあまり面白そうではないので、そのまま進み、右手へ曲がる坂を上って行くことにした。上がり切ると今市地蔵前交差点。正面に●地蔵堂がある。無住の感じだが本堂に●像髙3.14m、室町時代の作の地蔵像が祀られている。
 堂の左の道を行くと今市の集落である。真っすぐな道の両側に家並みが並んでいる。今市は奈良梨と同様天正の頃には宿駅となっていたたそうだが、鎌倉時代まで遡れるかどうかは定かでないという。集落の中ほどに高蔵寺があり、境内を通り抜けて行くと●兒泉神社(こいずみじんじゃ)がある。今市村の鎮守で、この西側を芳賀善氏は鎌倉街道が通っていたとしている。たしかに境内の西隣に旧道らしい堀割道があったが、車の轍があって農地に繋がっており、農道だと思った。    13:15

■今市~塚田
 ●芳賀氏の説く旧道らしき跡をたどる。今市の県道と市野川の中間あたりの道である。鉄塔の所を直角に右折すると今市道にぶつかり、そのまま直進する。右手角に●薬師堂がある。脇に●百万遍供養塔など石仏群がある。このあたり鎌倉道の遺構が残っているというが、林の中でわからないという。
 北へ進むと塚田という地名で、古い集落で鎌倉時代にはここに街道が通り、宿駅があったという。現在ではごく普通の農地が広がっている。 途中で右手に如意輪観音の石像がある所を左折して進むと●塚田三島神社がある。ここにも鰐口の説明があり、・・・「銘にある応永二年三月二十七日・・・・・・」とあるが、本堂には鰐口がぶら下がっていない。おそらく盗難でもおそれてしまわれているのだろうと思われる。銘により塚田に宿が形成されていたことがわかるそうだ。    13:50

■塚田~荒川
 三島神社の前を経て●農道のあぜ道を通り、小川を渡り普光寺前に出る。このカクカク曲がる道は芳賀本では貴重な凹道であるという写真も載っているわけだが、そんなことはなくて普通の砂利道であった。普光寺には板碑が沢山置かれていることを忘れて通過してしまった。 普光寺東側の道は鎌倉街道上道の跡であると伝わる。ここを通過すると●県道にぶつかった。前面にアイイスオーヤマの大きな工場が建っていた。旧道はこの先に繋がって、山王坂と呼ばれる坂を下り荒川岸へ至っていたらしいが、消滅してしまっている。現在は深い薮と林で通ることはできない。左折して200mも行くと右手に林の中にはいる道があるので、そこへ入る。●下り道で荒川に下りて行く様である。右手に●鎌倉街道上通の標柱があるので旧道に間違いないところ。   14:08

■荒川~花園橋
 途中で左手を眺めると●正面に花園橋が伸び、遠くの山々は秩父山系であろう。結構雄大な眺めを楽しめる。川岸に降り、左折して荒川沿いを進む。●衛生センター前の荒川の川岸に出る。ほんの少し進むと川岸に●川越岩とか獅子岩とか云われる大石がある。この大石の所が「赤浜の渡し」と呼ばれる場所であった。対岸にも大石があり現在でも楽に渡れると云われる。川越岩は川の流れの水量の目安にもされていて、岩の一定の高さまで水面が上がると川止めされたという。対岸は砂利取り場のようで、重機がうるさく動き回っているのが見える。
 赤浜の渡しを越えた後の鎌倉街道は西と北へ二手に分かれる。西へは上道の本道といわれる道で、荒川の北岸をしばらく西に向かいお茶々の井戸へと続く道。もう一つの北方向のは渡岸点からそのまま北へ進み、関越道花園IC付近を通り本庄方面に向かう道で、「榛沢瀬」(はんざわぜ)と呼ばれた道である。「赤浜の渡し」を渡河することは不可能なので●花園橋を渡って西に向かう本道を通ることにした。花園橋を渡るには川岸道から簡単に上げって行けず、取り付け道路を大回りに回って行かないとならないのでちょっと面倒である。   14:25

■花園橋~川端
 花園橋を渡り切り、すぐ左折して荒川の河岸へ向かう。川岸を右折して進むが辺りは●川端といい、宝篋印塔や室町時代頃と思われる板碑なども残っている由緒ある集落という。
 道は右回りの道となり、荒川の段丘を上がるようになる。左手は●荒川。水量はそんなに多くない。右へ曲がる所に●沢山の石仏があった。摩滅しているものが多くていかにも時代を感じさせる。国道140号に合流する手前で左折し、国道と河岸の中間の道が鎌倉街道といわれる。  14:50

■川端~お茶々が井戸
 ●国道140号と川岸の間の舗装路を延々と西へ進んで行く。西日がきつい。
 20分も歩いて水路を越えると●道は細くなり、ようやく一息つけるようになってきた。寄居町との境あたりで右回りのみちとなる。この左側、荒川岸に案内板が立って、傍らに古ぼけた井戸がある。●「お茶々が井戸」と呼ばれ、昔一軒の茶屋があり、「茶々」と呼ばれる美しい娘がいて、お茶の接待をしたので「お茶々が井戸」といわれるようになったとある。しかし古文書によれば、この茶店には「ちょう」という客あしらいの上手な美しい娘がいて、街道筋で大評判となり繁盛したので、「お茶屋の井戸」と呼ばれたとの記録もあるという。井戸はどんな干天でも枯渇したことがなく、この水を汲みほすと雨を招くといわれ、干害に苦しむ年には雨乞いのために村人が総出で水を汲み出したとのこと。   15:15

■お茶々が井戸~小前田駅
 道は井戸の所から北へ向かう。ここは寄居町と花園町(現深谷市)との境で、鎌倉街道の定石通りの境界を通っている。芳賀氏は国道を抜けると桑畑の農道となると言っているが、なにしろ30年くらい前の話であるので、現代では●ごく普通の舗装路。この辺りの伝承として日蓮上人が佐渡に配流された時にここを通ったと伝えられている道でもある。 まもなく●秩父鉄道の踏切にぶつかる。
 ここで本日の行程は終わりとして線路沿いの道を東に向かい、●小前田駅から羽生経由で帰宅した。   15:40

5 狭山市駅~武蔵嵐山駅 7 小前田駅~丹荘駅