房総木下街道  歩行地図はこちら  地図
    1 行徳河岸から鎌ヶ谷まで
   行徳駅-行徳河岸-本八幡駅-鬼越-馬込沢-鎌ヶ谷-白井-十余一-鹿黒-大森-木下河岸  33.4  km

木下街道 
 まず(きおろし)と読む。「木颪」と書く例も見られる
(五街道細見)。木下周辺で伐採された材木を積み下ろした場所からついた名前という説などがある。市川市の行徳から八幡、鎌ヶ谷、白井、を経て利根川沿いの印西市、木下へ至る約36キロの道を木下街道という。江戸の昔から銚子からの物資輸送や、香取、鹿島、成田詣での参詣道として大いに利用された。松尾芭蕉も歩いて「鹿島詣」を著している。江戸川と利根川を結ぶ陸路として、両河川交通の補完的な役割をもつ街道であった。鮮魚街道と一部重複しており、木下街道も鮮魚街道と言われたが、距離的に不利で商用、観光が主となっていた

●2008年5月5日地下鉄東西線行徳駅下車10:25
地下鉄なのに地上を走る、●東西線の行徳駅やってきた。昔は東西線の電車の中から見ると、泥田の中に舟を浮かべ、ハスを収穫する姿が見られたとか、行徳駅からこの地域までの間には、建物がほとんど無く、夏は、蛙の声がうるさいほどでしたとか聞くこともあった、行徳だけど、もちろん現在はそんなことはありえず、繁華街の様相。駅前に「行徳塩浜のみち」というタイル絵があるので、昔の姿などをしばし、想像したりする

■行徳街道~  
駅前から北へ向かい、「押切」という所を右折して、行徳街道へ入る。街道に入るとあちこちに古い●町屋造りの建物が散在していて、いい雰囲気であります。地図を見ると伊勢宿地区と行徳4丁目でほぼ直角に曲がっているので、いわゆる枡形というものであろうか。左手にまず1軒目に付、右手の●「後藤御輿店」は壁に浮き彫りがしてある建物である。行徳は御輿店が3店あったそうですが、そのうち「浅子御輿店は」廃業してしまったらしい。行徳4丁目の枡形を曲がり左折して街道一有名な常夜燈を見に行く。すると・・・・・・

  常夜燈が無くなっていた! 
・・河岸整備のため仮置き場へ移動してますと・・元に戻るのは来年秋だそうだ。護岸も高く川が見えない。もともと行徳一帯はかつて塩の産地として有名な場所で、この塩を江戸まで輸送するために小名木川・新川が開かれ、旧江戸川のここまで水路が開かれた。そこでこの地域に常夜燈が置かれたという。話の展開上常夜燈がなくてはどうもならないので、どっかで写真を借りることにした。(市川市行徳支所のHP http://www.city.ichikawa.lg.jp/gyo01/1111000010.html#05-3
 ・・・高さ4.31メートル、石造り、文化9年(1812)に建てられました。小名木川、新川が整備され、途中江戸川、中川、隅田川を通り江戸城内と本行徳は、直接船で結ばれることになった。そこで常夜燈がいくつも立てられたが、震災などで倒壊し最後に残っていたもの

「笹屋うどん店」跡   10:50
 行徳街道に出たところに「笹屋うどん」の店跡がある。日本橋小網町を出発した旅人は行徳河岸で上陸すると、まずはここのうどんで腹ごしらえをするのが常であったという。安政元年(1854)の建物がそのまま残っているというけど、そんなに古いようには見えないが・・。うどん店は明治になって廃業され、現在は個人宅。
 続いてその先左手が、陣風な屋根のある玄関を持つ民家も個人の家

 街道を進むと左手に松戸の青木家同様、街道の荷問屋であり、塩田の所有者だったという●「田中家」の建物がある。黒瓦の二階建てで、細かい格子戸がはまり、くぐり戸もあり、昔の雰囲気をよく残している。軒先に●芭蕉の句碑があった

   ・・・月はやし 梢は雨を 持ちながら・・・・

 行徳での句ではなく、鹿島での句だそうだ

●澤本酒店     11:11
 歴史を感じる「塩専売」の看板が掛かる古い店。その先に
●神明(豊受神社)がある。社殿は改修中でした。16世紀前半のころ金海法印という山伏が建立したといわれている小さな神社だ。この山伏は徳が高く行いが正しくて人々から「行徳さま」と崇められたという。山伏の愛称がそのまま地名になった。案内看板がすり減ってほとんど読めないので、看板も改修してほしい。

行徳は寺の多い街で、俗に「行徳千軒、寺百軒」と言われるくらい沢山のお寺が並んでいる。有名なのが
●徳願寺(浄土宗)
明治時代に印旛県庁が一時本堂に置かれたことがあるという名刹。また宮本武蔵に由来のある寺だが、ここも改修中でろくに見ることができない。運慶作という本尊阿弥陀如来はお勤め中で見学できず。●袴腰の付いた鐘楼は特にめずらしい。武蔵の供養塔である石の地蔵菩薩は改修のためか外に出ていた。

■江戸川~千葉街道へ
 江戸川に掛かる行徳橋を渡るが、昔は橋があるわけではなく、江戸時代には存在していなかった。大正時代になって放水路が開削されて、現在の江戸川があるわけで、旅人は行徳河岸で船を下りるとずっと陸地を行けたのでした。対岸は稲荷木(とうかぎ)地区という地名。
●稲荷神社   11:55
ここの狛犬ならぬ、狛きつねの片方が親子きつねでほほえましいので撮っておいた。

稲荷神社の先が●一本松で、すぐ脇を京葉道路の高架が通っている。徳川家康の時代、伊奈忠次が上総道の改修にあたったさい、新たに八幡と行徳を結ぶ八幡新道をつくって、その分岐点に松を植えたと伝えられている。その一本松は枯れてしまって、伐採された。切株だけが今も残っている。脇に千葉街道にあった、道標を兼ねた●「延命地蔵」が移されている。そばの庚申塔には「これより右やわたみち これより左市川国分寺みち」と刻まれている。高速をくぐると、左手に将門の兜を祀るとも源義家の兜を祀るともいう●甲大(かぶと)神社がある。街道はJR総武本線のガードをくぐり、国道14号線の千葉街道に合流し、そこを右折して行く。

●葛飾八幡宮   12:50
 京成線の踏切を越えると、奥に朱色の随神門があらわれる。寛平年間(889~898)に宇多天皇の勅願により勧請された下総国総鎮守という由緒正しい神社である。伊豆から安房に上陸して下総国府に入った源頼朝も参詣にきている。その折頼朝公の馬が足を掛け、蹄の跡を残したという「駒どめの石」なるものもある。又、神社には珍しい、鐘楼(廃仏毀釈以前に天台宗の八幡山法漸寺が別当寺として管理していたもの)が境内にある。

●「千本公孫樹(せんぼんいちょう)」
 社殿右側には、多数の幹が寄り集まり、まるで一本の大樹のように見える「千本公孫樹」と呼ばれる大きな公孫樹の木があります。古くから有名で、江戸名所図絵にも載っており、推定樹齢1200年、樹高22m、水戸光圀も立ち寄ったと言われています。国指定天然記念物となっています。
●「八幡藪知らず」
 千葉街道を挟んだ向かい側に、竹藪の一画がある。今は20m平方ほどの竹藪だが、昔は広大な森になっていて、ここの迷い込んだら二度と出て来られないと恐れられていた。これには、高貴な人を葬ってあるからとか、平将門の乱の時の平貞盛の陣の死門であったとか、水戸黄門が入って行ったら出てこれなくなったとかのいろいろな説がある。

■鬼越~船橋法典へ
 先に進み鬼腰2丁目のT字路を左に曲がって行く。交差点右手に煉瓦造りの蔵をかまえる古い屋敷が見えるが、味噌醸造元だった●「中村屋」。左折すると、やがて●深町の坂にさしかかる。この坂で有名だったのは、明治から大正にかけて、東葛人車鉄道という、小さい客車を人力で押すという鉄道が、鎌ヶ谷大仏駅付近から木下街道を通って行徳河原付近まで走ってた。この坂では人力では間に合わず、馬二匹が引いたというそうだ。人車鉄道というのは昔はあちこちにあり、金町~高砂間の京成金町線も、柴又までの帝釈人車鉄道というのが起源となっている。

●中山法華経寺    13:40
 坂の途中から右折して中山法華経寺へ寄ってみることにした。ここは高校生の時、自転車で来て以来なので、数十年ぶり。当時の記憶は全くなかった。八大竜王池の方から入って行った。
 ・・・・ここは日蓮宗の霊跡寺院、大本山です。鎌倉時代文応元年(1260)創立で、日蓮聖人の安らぎの地であり、説法の地でもあります。鬼子母神の信仰厚く、子育安産、病気平癒の祈祷、社運隆盛のための参詣の人も多く訪れます。・・・・・・ お寺のHP
●五重塔
 元和8年(1622)18世正教院日慈上人代 本阿弥光室の本願によって加賀(石川県)前田公の寄進により建立。軒の出が外と比べて少ないのがわかる。弁柄塗りが施されたそうで、くすんだ感じを受ける。
●祖師堂
 屋根が非常に珍しい比翼入母屋造りのお堂である。この形式は岡山の吉備津神社だけで、ここにもあるとはびっくりしました。一度巨大な破風を持つ入母屋造りに改造され、平成9年、創建当時の比翼入母屋造りの祖師堂になったそうです。

●東山魁夷記念館
 右手に協会風の洒落た建物が見える。東山魁夷記念館です。東山魁夷画伯は横浜の生まれだそうだが、太平洋戦争直後から亡くなるまでのほぼ50年に渡り市川市に在住したという。唐招提寺の障壁画で有名ですね。
 道は北方十字路にやって来ました。この読み方が不可解で、これが「ほっぽう」でもなければ「きたがた」でもなく、「ぼっけ」と読む。なんでこんな読み方をするのだろうか。千葉は難読地名が多い

 ■船橋法典~鎌ヶ谷へ  
右手に中山競馬場があり、中に入れないので特に撮影ができない。東武野田線、●馬込沢駅黄色の保線車があったので、元鉄っちゃんとしての血が騒いだので寄ってみた。
 マルティプルタイタンパーという、レールの上下左右のずれを検出して修正したり、道床の突き固めなどを走行しながら行う車両です。 道は鎌ヶ谷に入りますが、鎌ヶ谷新田郵便局の手前にあるという道標地蔵を探したけど、わからずじまい。
 鎌ヶ谷の宿場に入ってきて、右手の●「丸屋」だけが、宿の雰囲気を残している。本日はここでおしまい。鎌ヶ谷駅から帰宅する

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