西近江路を歩く 2
       (大津市~海津町)
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 2 堅田駅-小野-真野-和邇中浜(上街道)-北浜-南船道-木戸-南比良-南小松-近江舞子駅      16.1 km


■堅田駅~小野駅 ※ 写真をクリックすると拡大します
2013年1月27日 9時40分堅田駅到着 西近江路2回目  小雪が舞い、いささか寒い感じ。
 まずは駅前ロータリーの●「湖族の郷」碑から。2人の少年の銅像が立つ。かたわらに湖族についての詳しい説明がある。
 駅前をJR湖西線に沿って歩いて行くと、コンビニの先の●パチンコ店の所●「旧北国海道一里塚 一本松跡」と書かれた石柱が立っている。説明によるとこの先和邇の今宿から1里あることから一里塚の役割を果していたと考えられるとあり、そうすると堅田入口の「仰木道の榎木」は一里塚ではないことになるが・・・・はて?
 街道は国道に合流して、真野川をわたり「真野」に入る。しばらく国道を進む。前方に●小野駅が見えてきた。小野駅は京阪電鉄が開発した「びわこローズタウン」の最寄り駅として、京阪電鉄の全額負担で設置された。         10:20

 ■小野~真野
 小野駅の先から「歴史の道調査報告書」では湖岸の方向に右折して●農道を円弧状に行くことになっている。が・・ここは民有地で入ることができないので、そのまま国道を進む。
 円弧状の道が国道と合流する所に●庚申塔がいくつか立っている。かってはここに「庚申松」と呼ばれる松が生えていて、「庚申さんの社」があったと伝えられている。 ここの●「小野」の信号の所で、左の旧道へ入って行く。   10:30

   ■真野~和邇中浜(上街道)
  湖西線高架手前で●道は二つに分岐することになっている。真っ直ぐ行ってガードをくぐる方向が「上街道」。右折して湖岸へ向う道が「下街道」というようだ
 まず、先に真っ直ぐ進んで、「上街道」を行く。(ただし上街道は先週下見を兼ねて歩いておいた)。「上街道」と「下街道」は和邇駅の先で合流している。 ガードをくぐると小野妹子の墓への道標があるので、左へ行って小野妹子の墓をたずねてみた。住宅街の真ん中に「唐臼山古墳公園」があり、古墳の頂上に妹子の墓があるという。雪が積る階段を滑らないように注意して上がって行くと、頂上に●妹子神社がある。後ろの小山の石の残骸が石室跡らしい。しかし竹内街道を歩くと、太子町に小野妹子墓があるのがわかるけど、あちらの方が立派で本物らしい。野妹子は我国最初の遣隋使と知られているが、小野の地は小野氏由来の地であって、妹子の外、小野篁、小野道風らの人物を生んでいる。  街道にもどり小●小野の町中を進んで行く。町屋風の家が見受けられた。

  ★小野~小野神社
 小野の町には「小野氏」のまつわる旧蹟が多い。先に進むと左手に●道風神社がある。この先北方にある小野神社の飛地境内摂社にあたり、小野道風(894~966)を祀っている。道風は小野篁の甥にあたり、藤原佐理・藤原行成とともに三蹟といわれた書家である。本殿は全国的にも希な切り妻造で平入の構造になっている。
 さらに北に進んで行くと●小野神社と小野篁神社が並んで建っている。境内の奥に鎮座するのが小野神社で、祭神が天足彦国押人命と米餅搗大使主命。二神はなんと餅及び菓子の匠、司の始祖のあたるだそうで、小野道風が菓子の匠、司の称号を授与する勅許を持っていたそうである。 手前に篁神社があって、本殿の構造は道風神社と同じと思われる。
 境内に●小野小町の塔と称する五輪塔風な塔が立っていた。小町は篁の孫とも娘ともいわれるが、真偽の程は全く不明。説明文ではなんの塔であるかよくわからない。

 ★小野神社~和邇小学校
 和邇川をわたって●和邇中にはいる。和邇は京都へ向う竜華道が分岐する交通の要所であったので、今宿宿が置かれていた歴史のある町である。十字路の中心に●榎木の顕彰碑というものが立っている。注連縄がめぐらされ「榎」の一字が大きく刻まれた自然石碑で、昔は榎木の大木が神木として立っていたがは枯れてしまい、その顕彰碑が昭和43年に建立された。
 商店街を過ぎ、和邇小学校をすぎると二股に分岐し、旧道は左の方を行く。●細い十字路があり、かたわらに●常夜燈と道標がある。道標の文字はよく見えないが、大津と白髭神社との距離を示すとされる。

  ★和邇小学校~和邇中浜
 常夜燈から先の旧道は消滅したか、よくわかっていない。和邇駅前に架かる案内板では、常夜燈から少し北に向い、ほぼ直角に右折して、和邇駅の南側を通り、駅東口を斜めに横ぎり、国道161号との合流手前で湖岸側から下街道と合流するように書いてある。
 和邇駅東口の公園内に先ほどの顕彰碑の榎木を記念して●一里塚の榎木が植樹してある。斜めの道の下街道との合流点を●出口辻と呼ばれるらしいが、そのような雰囲気は残っていなかった。

 ■真野~和邇中浜(下街道)・・・小野からの続き
 ★小野~和邇今宿
 小野駅の先、●湖西線手前の分岐点を右折して湖岸へ向う「下街道」を歩いてみた。下街道は今宿、南浜を弓なりに通って出口辻で上街道と合流している。 国道を横断して湖岸へ向って行くと、徒歩10分位の所の●右へ折れる道の角に●「右 かいとう」と書かれる道標がある。 その斜め左側には地蔵堂が建つ。右へ行った先は昔、「島」という村があったそうである。
 そのまま過ぎて行くと●今宿の集落に出た。古そうな家が並んでいて、歴史を感じる所だ。歴史の道調査報告書をじっくり読んでみたのだけど、今宿はその名前の通り、「新しい宿」として機能していたとある。そうなると上街道の和邇中の榎木の顕彰碑あたりにあたる、和邇宿との関係はどうなるのか、今宿の栄えた時代はいつ頃なのかなどよくわからなかった。10:55

 ★和邇今宿~中浜
 南浜に入ると左手に●木元神社がある。由来などはわからないが、「和邇祭」が行われているようだ。
真っ直ぐ北上すると湖岸沿いに、●樹木が鬱蒼となって茂っており、その途中に●石垣堰堤があった。明治年間には琵琶湖も水害を起していた為、その防水堤である。  11:15 

■和邇中浜~北浜
  右手に地蔵堂がある所で左折し、国道を渡って出口辻で上街道と合流した。大将軍神社を右手に見ながら、●田んぼの脇を北西方向へ向う。右手奥に●大将軍神社がある。案内板がないので大将軍とは何を指すのかなど由来わからない。
 神社を過ぎたところで右に折れて国道に出てしばらく国道を進んだ。
 喜撰川を渡りそのまま国道を進み、右手に真光寺がある左手に●住吉神社への大きな常夜燈形の標石が立っている。
 12:10 

 ■北浜~南船道
 真光寺を少し過ぎたあたりから旧道は右折して湖岸沿いに行っているのであるが、湖岸添いの道は色々施設ができた関係か消滅してしまっているので、そのまま国道を進んだ。それでも一応湖岸に出られる場所を見つけて、●湖岸に出てみた。ボート等が滑り出てくるレールなどが敷かれていた。前方の山には琵琶湖バレイに上がるロープウエイが見える。
 南船道の信号の所から右折して湖岸に行ってみると、●大きな道標が立っている。消滅してしまった旧道から左側にある八所神社への参道に向う所に位置している。二つに折れたものを鉄枠で固定してある。
 その●八所神社が湖西線のガードを越えた所にある。信長が比叡山を焼討ちした際、日吉神社の神官が類焼をさけて、日吉七社のご神体をこの地に遷して日吉再興までこの地で祀っていたと伝える。 12:35

■南船道~びわ湖バレイ口
 蓬莱駅を右手に見て八屋戸信号の所、創業明治三年という大きな看板の架かる石材店の脇を●左に入っていく。  十字路の真ん中に●「左 京大津」と彫られた自然石の道標があった。 このみちはすぐ国道に合流してしまうが、合流点に●3体の地蔵、その裏に文政2年道標と新しい道標があった。国道に出たらすぐまた●旧道は左へ入る。   12:55

  ■びわ湖バレイ口~木戸
 
左に入った道はちょっと鬱蒼とした森のようになっていて、左側は墓地があり、墓石が沢山並んでいる。そのうち左手に●志賀清林の墓というのがある。志賀青林は奈良時代の力士・行司であって、神亀3年(726)近江国から朝廷に出仕し、相撲の四十八手と礼法と「突く・殴る・蹴る」の三手の禁じ手を制定する事を聖武天皇に奏上して、相撲確立の第一人者であるされる
 旧道は清林パークの手前から国道を斜めによこぎって、民家の裏を弧をえがくように進み、再び国道に出て木戸川につきあたる。(国道と言ってきたが堅田先で県道に変っていたのに地図を見て気がついた)旧道には橋がなく、県道側に迂回して、その先の西近江路の宿の一つであった●旧木戸宿の町並に入った。宿場があったように狭い道の両側に家が建並び、宿場の雰囲気が感じられる。
 しばらく行くと左手奥に●樹下神社がある。このあたり同名の神社がいくつかある。木戸宿の鎮守社と思う。 13:35

 ■木戸~南比良
 旧道に戻って先に進むと、宿場によくある●鍵の手のように道が屈折して、正面に白髭大明神への道標が立っている。
またしばらく進み、国道に合流する。そのまま国道を歩いて行く。右手うしろの方に志賀駅がみえた。
 大谷川を渡ると、国道右に大きな●天保7年の白髭大明神の道標が立っている。道標を右に見ながらまた●左脇への旧道へ入って行く。 ●南比良の信号にやって来るが、ここは湖岸への道が分岐しており、右折すると湖岸へ達する。湖岸へ達すると左折して北上し、また左折して「びわこ成蹊スポーツ大学」手前で消滅している。この道は「北国海道下道」とされているそうである。分岐点で右折せず、真っ直ぐ進む道は「北国海道上道」と呼ばれる。下道も歩いて見たいものと思うけど、今回は余裕も無く、一部消滅したりしているので真っ直ぐ「上通」を進むことにした。    14:25

 ■南比良~南小松
 分岐点を過ぎてすぐ、アンティーク店の建物の裏を通るのが旧道らしい。しかしこの道はすぐに消滅してしまうので、国道に戻って進む。 その先の左手の●「変電所」前の農道が旧道というので、そちらに回り、農道を進んで行くと●樹下神社参道へ出た。ここにも樹下神社がある。このあたり比良城があったらしいようである。
 神社から国道へ出てしばらく進む。右手に「びわこ成蹊スポーツ大学」が見える。手前に湖岸から来る「下道」が合流している。その先で●左手のサラダ館の所を左へ入り、南小松の集落へ入って行く。   15:05

 ■南小松~近江舞子駅
 ●南小松の集落へ入ると、民家の庭先に常夜燈が立っていたり、八幡神社の常夜燈が立っている。前方に●二股の所があり、正面に常夜燈を兼ねた白鬚大明神の道標が立っている。旧道は左手に進んで行くのであるが、本日はここまでとして、右手を進んで●近江舞子駅に到着した。近江舞子駅は快速の停車する主要駅であるのに、駅前には何も無く無人駅みたいな駅だった。
 15:25