大山道を歩く 3
              (青葉台〜さがみ野まで)
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 青葉台−片町−長津田−町田市辻−鶴間−さがみ野               12.7km

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2010年9月20日  10時20分
 ■青葉台〜「片町」の信号
  
前回青葉台駅に着いたのが7月19日。それから2ヶ月が経った。今夏、歴史的な猛暑で熱中症で死者が出るくらいであったので、8月は歩くのをやめていた。今日、暑いのも少し収まってきたと思って、大山街道再開することにしました。今日の目標は海老名駅くらいまで。
 まず前回まで歩いた●青葉台交差点まで来て、右折したら、すぐ間違えたことに気がついて、246号の陸橋手前まで行き、そこを右折して行く。すぐに榎田橋を渡ることになっていたけど、小さい橋らしく気がつかないで通り過ぎてしまった。道なりに少しジグザグしながら行くと、左側に塀で囲まれた●日本料理「青柿」の脇を通り過ぎる。但しここあたりの旧道は消滅していて、246号を真っ直ぐ行っても別にかまわないとおもうが、本の案内の沿って歩いている。
 「青柿」の角を左折して、右に「恩田配水池」を見ながら、信号を渡り、「ブックオフ」の裏を246号と並行に少し行くと、左側に墓地が見えるのでそっちへ向う。墓地の前がわずかに残った旧道らしい。
 墓地に中に元亀4年(1573)宝筐印塔があるというので見に行ったが、どれだかわからないでうろうろしていたら、草取り中のおじさんが教えてくれた。
 ●宝筐印塔は2基あり、恩田郷に居住した後北條氏所縁の武士・糟屋清印が父母の十三回忌供養に建立。2基同寸で総高180.5cm。傍らに風化した五輪塔もある・・・・(現地に説明板はなく、川崎国道事務所の案内文による)  10:55

  墓地を出て左へ行くと246号にぶつかるが、手前右側に道標を兼ねた●供養塔がある。文化五年と「上がり 江戸道と下り 大山道」の文字は読める。
 国道に出て右折して,少し行き「恩田大橋」を渡る。下を流れるのは●「恩田川」という。改修前は暴れ川でしばしば洪水を起していたとか。
 ●「片町」信号で右側へ入ります。ここから本来の旧道に入るようだ。    11:22 

 「片町」の信号〜大石神社
 
JR横浜線のガードを越えた先の左側に●片町地蔵堂がある。3体の地蔵が立っていて、みんな前掛が掛けてある。道標を兼ねていて、台石に文字が彫られている。
 少し先の左手に●長津田宿下宿常夜燈が新しく再建されたらしいく、庚申塔、馬頭観音像などと並んで建てられている。このあたりから長津田宿に入って来た。
  長津田宿・・・・・
    江戸から9里荏田宿から2里、下宿、中宿、上宿とならんでおり、養蚕が盛んであったという。
・・・・
 「駅南口入口」交差点を右折すると「長津田駅」へ行くが、ここを左へ行くと左側に●大林寺がある。
山門は新しく、仁王が鎮座している。境内には領主である、旗本、岡野家代々の墓所がある。また墓地には初代・引田天功の墓もあるということだったが、墓地には入らなかった。  11:50

  寺の先右側のマンションの玄関の脇に、道に背を向けている?があって、なんと●八百屋お七を祀っている稲荷神社という話だ。火あぶりにされた人間を祀るとは不思議なことだと思ったら、この地の柳田家は先祖が幕府盗賊追補使役の家来であり、お七の処刑に馬の手綱を引いた人物でで、その冥福を祈ったというためということだった。(これも国道事務所の説明による。)。お七の墓は八千代市の長命寺にあり、成田街道を歩いた際に見ている。
 街道にもどり真っ直ぐ進み、コンビニの脇を上がって行くと●大石神社がある。
 祭神は在原業平であり、神体はだ円形の大石で、その不思議な伝説について拝殿の前に長い説明がある。
上がって行った坂は女坂というようで,途中左手に天保14年(1843)宿内の秋葉講中が建立した●上宿常夜燈が建つ。隣の地神塔は同13年の建立。神社から長い急な階段を下りて行く。  12:15

  ■大石神社〜長津田交差点
 神社の急な階段を下りて、先へ進み、長津田小学校手前から「森村学園」に通じる●山道の様な道が昔の矢倉沢往還という案内があるのでそこを下って行く。この道は一度大きい道を横断して又下へ続いており、下ってから右折すると●「大雅庵」というそば屋さんへ来る。この店の脇を通ってしばらく進みます。左手に「田園都市病院」というのがある。
 やがて●「長津田」信号で246号に合流する。先ほどの「片町の信号」で分れた246号とまたここで会うわけだ。このあたりの旧道は消滅しており、川崎国道事務所の地図では、手前から146号を横断して円形に「長津田信号の先で246と合流するようになっている。 12:35 

  ■長津田交差点〜町田市辻
 国道246号を歩いて行くと、左側に●フィールドアスレチックがあり、親子連れが楽しそうに遊んでいた。
 やがて左手に「マック」が見えてきて、脇を左回りに入るようになっていると事前に学習していたが、・・・・マックは閉店している。・・・・左へ入る道はあった。・・・ちょうどこの道が横浜市と町田市との境界にあたる。左手に「陸軍殉職に碑」があるというので付近を探してみたがどうしても見つけられなかった。あたり工事用のフェンスで囲ってあったので移動したのかもしれない。
 マック跡の所の歩道橋を渡り、国道の向うへ出ると。音楽スタジオのような建物があり、そこを●右へ入って行く道がある。ちょっと上がると見晴しの良い尾根道に出る。ここは●「馬の背」といって、馬の背に似て、右手の町田方面の眺めがすばらしい。  13:05

  「馬の背」はすぐ国道へぶつかってしまい、国道沿いへ行くと右下に●「すずかけ台駅」が見える。左側には「東京工業大学」へ続く道が国道下に作られている。
 駅前から国道へ続く坂道を上がって行くと、右側に「こうま公園」がある。●白い馬の親子の彫刻が3体置かれている。
 また少し国道を歩く。先で国道16号との陸橋になっているが、陸橋の下、「旅荘 ふか草」という看板の所を左に折れていくと左手に●地蔵堂の小さな祠が建っている。念仏供養や諸願成就を願って、元文5年(1740)に建てられたもの。

  ■町田市辻〜鶴瀬橋
 
246に戻り、陸橋の下●「町田市辻」交差点を交差している道は「町田街道」という。明治初期、八王子から絹を運ぶ、シルクロードと呼ばれた道である。ここは以前「浜街道(絹の道)」として歩いたことがある。
 246を左に折れて行き、国道16号を●「東名入口」で横断して行く。横断した先はゆるい右回りの円弧を描いて進んでいる。途中のコンビニの前の角に●大ヶ谷庚申塔が立っている。正面に「つるま」と彫られ、注連縄が張られている。後ろの石碑は「供養塚」といって天明の大飢饉の犠牲者を供養したものという。  13:42

  道は、その先右斜めへ進み、境川の鶴瀬橋を渡ろうとするけど、246号に分断されてしまっているので、少し先で陸橋をくぐることになる。くぐる地点の左手に●「五貫目道祖神」がある。江戸期に300m西方に祀られ、三方分離点の道標としての役目を果した。五貫目というのはこのあたりの地名にだそうだ。
 境川の鶴瀬橋を渡るとすぐ右手に●観音寺がある。武相観音第1番札所である。
 観音寺の前を横断するともう下鶴間宿に入って来る。右手に●大山阿夫利神社御分霊社というのが建っている。ここは由緒ある家の様な感じで、南朝忠臣新田氏縁の家などの碑も立ち、「南朝忠臣新田氏高下宗家は、鎌倉時代以前から在住した鶴間村最古の歴史を誇る・・」などと書かれている長い石碑も立っている。なんかよくわからない家だった。
  14:10

 ■鶴瀬橋〜鶴間
 ●下鶴間宿

 神社の前の道は下鶴間宿にあたり、江戸よりおよそ11里。紺屋、げんこく屋、居酒屋、餅屋などの商屋、山本屋、松屋、などの旅篭があった。現在は宿場の面影はないが、大きな屋敷が点在していて、昔の雰囲気は感じる。ただ道がせまくバスもやっとという感じで通り過ぎていく。
 中程の左手に旧家小倉家を利用した●「下鶴間ふるさと館」がある。館の前に昔の宿の案内図があって、昔の様子がわかる。
 右手にある●大きな家は伊能忠敬測量隊が、測量の途中、宿泊した家といわれる。 14:20

  ■鶴間〜さがみ野
 右手、石段の上り口に●上半分が欠けた不動尊の石像が立つ。階段の上には「鶴林寺」が建っている。
 右手の道標の立つ所は●「まんじゅう屋跡」で、渡辺崋山が藩主の命により、藩主の生母「お銀」の消息を訪ねるために江戸を立って、1泊目にここに宿泊している。
 先の滝山街道が交わる地点に日枝神社があり、境内入口に●矢倉沢往還の説明碑、庚申塔や青面金剛立像が配置されている。  14:50

  町中の道をどんどん進み●小田急江ノ島線の鶴間駅付近の踏切を越える。●大和斎場入口信号で道は二叉に分岐しており、ここは右側を行く。
 すぐ右に●西鶴寺という寺がある。   15:24

 やがて又●246号に突き当り、向うに道は続いているのが見えるけど、陸橋が邪魔をして渡れない。右の信号まで行くか。左で陸橋の下をくぐるか、迷うところだか、一応右へ行って、「ひばりが丘高校」信号を渡ってから元の位置まで戻って来た。この先は●真っ直ぐな道が続いている。
 ●さがみ野駅入口の地点まで来て、本日は終ることにした。左折すると「さがみ野」駅。帰りは相鉄本線、小田急、地下鉄千代田線経由で埼玉へ帰った。   15:45

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