大山道を歩く 6
      (大山ケーブル〜大山山頂)
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 大山ケーブルバス停−追分−女坂−下社−頂上−見晴台−二重滝−男坂−追分    7.6km  

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■大山ケーブルバス停〜追分
2011年11月25日 勤務の休みの木曜日、紅葉の時期なので混むのを避けて、平日に大山街道の最後の山登りを済ませてしまおうと、伊勢原駅からケーブルバス停に10時到着。結構人出があり、山ガールなどという、若い女性も目についた。
 バス停から●参道入口を通る。「阿夫利神社御神燈」という門の様な高い常夜燈が立っている。左手の道は「もみじ坂」,右手の階段道はおみやげ屋や茶店が並んだ●「こま参道」と呼ぶ。もみじ坂の方が旧道で、石段だったが、関東大震災で崩れてしまい、再建不能により右側に、こま参道を造ったとか。
 「こま参道」を進みます。店を見ながら階段道を15分ほど歩くと、「大山ケーブル 追分駅」に到着する。ケーブルなぞには乗らないので女坂を上がることにする。今回は往路を女坂、復路を男坂を使おうと思います。駅の入口の左側に「関東三六不動札所 一番霊場 雨降山 大山寺」の●大きな看板が立つ所を上がって行く。  10:35 

 階段を上がって行くと、●八意思兼神社に突き当たる。ここで、右(の写真)が●男坂。 左(の写真)が●女坂と分かれていることから追分社ともいわれている。祭神は八意思兼神で、記紀神話の高御産巣日神の子である。知恵の神様として知られている。女坂は坂もゆるく、名所が色々ある一般的坂だが、男坂は見るべき所もなく、急斜面が上まで連続して続いている難所だという。

 ■追分〜大山不動
 女坂はゆるいとはいえ、石段が多く、上るのがちとつらい。参道らしくあちこちに●石塔、石仏が沢山ある。また女坂には「女坂の七不思議」というのがあり、下から上がって行くと順にある。
 1 「弘法水」。大山寺三世弘法大師が金剛杖の先でチョンとついたら水が湧き出したといわれている。うっかりして写
   真を撮るの忘れたし、そのまま通過しただけ。
 2  ●「子育て地蔵」 初めは普通の顔をしていたが、いつの間にか童顔になったという。子供の健康な生育に御利益
     があるといわれている。
 3  ● 「爪切地蔵」  弘法大師が、一夜のうちに爪で彫ったといわれている。  10:46

  前不動の手前に 4 ●「逆さ菩提樹」  根本が細く、上に行く程太くなっている菩提樹で、逆さに生えたように見える(現在は2代目で上が太いわけではない)。
 
●前不動堂と呼ばれるお堂がある。大山は安政2年に大火にあっており、火災後ケーブルの追分駅付近にあったものが、今の位置に移築されている。相当古く、廃寺のようであり本尊も安置されていない。隣りには竜神堂と看板が立っているけど。倶利伽羅堂とも呼ぶようだが。二重滝の所傍らの、二重神社のところにあって、安政の大火で焼失を免れていたのを明治の初め、ここに移した大山最古のお堂とのこと。
 前不動を過ぎると左に大山寺への●長い石段があり、紅葉が見事で、沢山の人が撮影に興じていた。両側に多くの童子の銅像が立並ぶ石段を上がる。     10:50

 ■大山不動〜阿夫利神社下社
 石段を上がりきった所に●大山寺が建つ。天平勝宝7年(755)、奈良東大寺の別当良弁僧正が開山した。明治初年の廃仏毀釈によって破壊されていたものを明治18年に全国の 信者たちの寄進によって再建されたもの。
 本尊は願行上人が文永11年(1264)に鋳造した鉄の不動明王である。その霊力の強さと 御利益の大きさに家康、家光などの将軍家はもとより、関東一円の武士や庶民に広く信仰された。
 本堂の右側を通り、七不思議のその 5 ● 無明橋 を渡る。 橋の途中で口をきくと後で必ず落とし物や忘れ物をするという伝説がある。
 6  潮音洞  岩の洞に近づいて耳を澄ますと、遠くの海の潮騒が聞こえてくるといわれている
 7  眼形石  人の目の形をしたこの石に手を触れて祈ると目の病気が治るといわれている。
この二つは気づかず通過してしまった。  女坂は急に角度がきつくなり、上るのが大変になってくる。やっとこら登ると●男坂との合流地点に着いた。   11:10

 ■阿夫利神社下社〜15丁目
 合流地点からすぐ先に階段があり、上がると玉砂利を敷いた広大な境内が広がり、正面に●阿夫利神社への石段がうんざりするくらいの長さがある。右手に茶屋があって、呼込みの声がかしましい。お昼を持ってこなかったので、おにぎりなどにありついた。
 上がらないとしょうがないので、階段を上がり●阿夫利神社下社に到着する。阿夫利神社は延喜式内社で、関東総鎮護の神として広く信仰されている。下社は拝殿ともいい、頂上の本社に祭る三神をここで礼拝する。
 阿夫利は「雨降り」を意味するといわれ、水神、山神、航海守護神などとして参拝する人が多い。変ったものでは社殿左側に文化集団、天狗講が昭和32年に建てた、平和を祈願する●大天狗の碑というのがある。 11:20

  さて、これから山頂を目指すことにするわけだが、山頂を目指すには拝殿の左手に、頂上本社登り口があって、●片開きの「登拝門」というのがある。昔は新暦の7月17日〜8月17日しか登山が許されなかったので、登山期間以外は閉じられていた。現在では常時登れるが、昔を偲び片開きにしてある。
 ここで初穂料100円を納め、自分でお祓いをしてから石段を上がる 。左手に伸びる山道は●「かごや道」といって、昔は籠に乗って登ったそうである。坂を登り切った所に、女人禁制の碑が立っていて、女性は先に進むことができなかった。登り口の鳥居をくぐると「本坂」と呼ばれる急階段が続いて、登ると白山神社という札が立っているが、墓石のような物が立っているだけで、どれが神社だかよくわからなかった。
 下社の高度が700mで山頂が1,252mなので高度差約550m、90分程度かかるといわれている。山頂まで28丁に分れ、1丁毎に石柱が立っていて、数えて行くと山頂までの目安になる。
 ●登り道は相変らず石を利用した階段状の道で、大石が転がっていたりして歩きにくい道が続いている。  11:30

 8丁目には●夫婦杉があります。左右同形の巨木で、樹齢5,600年を経ている縁起の良い巨木である。 14丁目には●ぼたん岩というのがある。岩が牡丹のように見えるということから、らしいけど。中央の丸い岩なのか?って感じ。
 15丁目には●天狗の鼻突き岩。左側に丸く穴が開いていて、天狗が鼻を突いた跡といわれている。  11:50

 ■15丁目〜ヤビツ峠分岐
 16丁目には高い石柱が立っていて●追分けの碑といい、享保元年(1716)年に初建され、総高3m68pもあり、江戸期の大山信仰の深さをしめしている。この石は麓から強力(ごうりき)たちが担ぎあげたという。
 20丁目の●富士見台。富士山が見える絶景の場所で、来迎谷とも呼ばれている。茶屋が置かれ、広重の浮世絵にも描かれた。富士山は雲がかかってうっすら見えるだけ。
 ●ヤビツ峠との分岐があり、ヤビツ峠まで2.1km 大山まで200mの標識。「頂上まであと10分 頂上売店あり ビール、ジュース、軽食」の看板あり。  12:10  

■ヤビツ峠分岐〜本社
 27丁目の東京銅器職講の建てた、銅製の鳥居をくぐる。 いよいよ最後の28八丁目の谷の文字を○で囲んだ、●「れ組の鳥居が見えた。
 ■山頂
 最後の鳥居をくぐると目の前に●石段が現れ、「阿夫利神社本社」の石柱が立つ。石段を登ると左手に拝殿と売店があります。紙コップのコーヒーを注文した。300円暖かくてうまかった。 時間は12時20分。登拝門が11時30分だったので、90分かかるところ、50分で上がって来た。結構早いペースだ。
 拝殿の後ろに●奥の院がある。平日のせいか、あまり人は多くない。特に食べるものは持ってないので、休憩もせず、あたりをウロウロしてみた。

 ■本社〜見晴台
 ●山頂からの眺めは、天気は良いものの、雲がかかり、もやってあまりいいとはいえない。帰り道は来た道を下っても面白くないので、見晴台経由にした。
 見晴台への●下山道は石段というわけではなく、赤土の道が多かったが、階段状になっていて、歩幅が広く、高さもあり、なんとも歩きにくい。登りは駆上がってしまうのだけど、下りは膝にくるので、あまり好きではない。おかげで帰ってから、筋肉痛で3,4日、駅の階段を手すりにつかまり、ヨロヨロと下る羽目になった。  12:45

 ■見晴台〜二重滝
 ●見晴台に着いた。休憩用のテーブルと奥に東屋があります。下界の眺めは相変らずもやってうっすらという感じ。
下社まであと1.4km。どんどん進むと●二重社に到着。二重社は阿夫利神社の摂社で、祭神は高?(タカオカ 雨かんむりに龍)神という水神。殖産、灌漑、雨乞いの守護神で、霊験のあらたかさは、よく知られている・・・と。
 脇に落ちている滝は●二重の瀧という(瀧の文字を使う)。神聖にして清浄なる所から浄めの瀧とも呼ばれ、修験者の禊の行場でありました。又、江戸時代には、新年早々大工、鳶、左官職等の代表者が数日間下社に篭り二重の瀧に打たれ、心身を浄めてその年の賃金を決議したといわれています・・・・・案内文より    13:40

 ■二重滝〜追分
  ●下社の下に到着しました。この石段を登ると下社の境内に出ます。登ったら茶屋の脇に出たので、思わずふらふらと入って、おしるこを注文。一杯500円。割と普通の値段だった。
 また来たときと同じ●女坂と男坂の追分に来て、今度は左手の道を取り、男坂へ向う。
 途中に●「八大坊 上屋敷跡」というのがあったが、大山を治めていた別当(長官)の住居跡だそうだ。  14:05

 さて●男坂を下り始める。相当の急石段。油断すると踏外しそうで登山靴だとかえって危険かも知れない。手すりもないのでゆったりと下を見ながら下りないといけない。前に仲の良さそうなお2人さんが行くので、邪魔したら悪いと思ってしばし待ってやり過ごす。男坂は名所の類はまったくなく、途中の●紅葉の風景など楽しみながらだらだらろ下りるのみ。 14時30分、八意思兼神社の●追分地点に到着した。下りは2時間くらいかかった。
 以上で皇居「赤坂門」からの大山街道歩き旅も終了です。     14:30

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