下妻街道を歩く 2
         (吉川~利根川・小山の渡し)
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 吉川駅-前新田-玉葉橋-山崎-梅郷-上町-清水橋-船形-小山の渡し跡    18.4km

2015年12月28日  ※ 写真をクリックすると拡大します
■吉川駅~さくら通
 9時吉川駅着。吉川を通過する下妻街道は
 A 吉川の中央部を東西に横断し、玉葉橋で江戸川を渡り、野田の山崎宿へ向かうコース。
 B 吉川交番前交差点を左折、中川沿いに北上。県道67、19号を進み野田橋を渡って、野田郵便局へ繫がるコース がある。
 今回はAのコースを取ることにした。JR武蔵野線吉川駅を降り立つと、南口駅前に●ナマズ像のモニュメントがある。吉川は中川と江戸川にはさまれ、水が豊かなのでナマズ料理が名物なのである。 吉川は16世紀頃に「吉川郷、彦成郷」の二郷と半郷合わせて二郷半領と呼ばれていた。近世は天領で早稲米の産地として発展、米は中川を利用して舟で江戸に運ばれ、平沼河岸は物資の集積地として栄えたという。
 駅から吉川交番前交差点まで旧家が点在しているので県道67号を歩いて行く。左手に 川魚料理で有名な●糀屋がある。 創業から400年の老舗料亭。近藤勇、勝海舟、板垣退助らも訪れたいわれる。 その右斜めに●芳川神社がある。吉川の総鎮守。1187年に土着神を氏神に、諏訪神社として吉川氏が再興した。「吉川」ではなく「芳川」の名前が使われている。糀屋の北側にある●米屋さん。こちらもかなり風格ある建物である。 9:20

■さくら通~前新田橋
 ●二郷半領用水の所を左折して用水沿いの●「さくら通り」を行く。桜並木が続き、春の季節はさぞやきれいだろうと思う。右手には大きな吉川団地がある。●前新田橋交差点で右折して県道326号に出て東北方向に真っ直ぐ進む。   9:45

■前新田橋~玉葉橋
 ●県道326は特に何もなく、車の通行量もそう多くないが、歩道がないので気をつけないといけない。 途中左手に●明治23年の洪水による防水記念碑がポツンと立っていた。明治23年8月、大洪水に見舞われ、 利根川、荒川堤防が決壊、橋梁流失多数、 被災町村326に及び、死亡者16人の甚大な災害を出した。そこで中川などの堤防補強などの大工事が行われ、その当時の取組みが記念碑に記されている。  鍋小路交差点を左折し、玉葉橋へ向かう。江戸川に架かる橋で埼玉県と千葉県の県境。昭和59年に架けられ埼玉と千葉の両県から一文字ずつ取って名前が付けられた。 このあたりは「すさきの渡し」といって、橋の上流の所を渡っていたようである。●玉葉橋を渡る。  10:30

■玉葉橋~さくら並木通
 橋の上から●筑波山がよく見えた。江戸川の真ん中が千葉との境界で●千葉県野田市に入った。今上交差点の角に「緑の風のモニュメント」があり、それを見て進み、UR都市機構が開発した●「野田みずきの街」を通過して行く。
 「とんとんみずき橋」バス停の所で、●左に入る旧道が残り、庚申塔など4基が立つ。   11:00

■さくら並木通~山崎
  旧道入口に●庚申塔などが立つ。皆古くて庚申塔の文字くらいしか読めない。この旧道は500m位で終わり、●山崎交差点で右から来る日光東往還道と合流する。正面に●石塀に組み込まれた地蔵尊があった。ここを左折すると●旧日光東往還道の山崎宿に出た    11:11   

 ■山崎宿~梅郷駅入口
 現在の山崎宿には宿場の面影は残っていない。右手に大きな屋敷が見えるが庄屋さんであったのだろうか。宿の名残は●山崎宿バス停」とその先に古ぼけた木造の常夜灯に残っているくらいである。・・・と思っていたが、以前東往還を歩いたときに見た常夜燈がなくなっていた。古くてとうとう無くなったか・・・と感慨にふけっていたら、福寿院入口の角に真新しい●石造の常夜燈が設置されていた。裏面に東往還の説明板が貼ってあり、古い常夜燈は老朽化のた南部梅郷公民館に移転。保存されているそうだ。 またこのあたりに高札場があった。 左手奥に●福寿院がある。●梅郷駅入口交差点で日光東往還は右斜めに進み、下妻街道は左手の流山街道を進む。   11:20

■梅郷駅入口~下町交差点
 流山街道も普通の2車線道路で片側にしか歩道がついていない。20分程先の左手に●神明神社がある。延宝元年(1673創建。敷地が広く上花輪の鎮守で本殿は正調神明造り。神社の向側に民家の敷地を割り込んで●大きな庚申塔があった。
 その先右手に●長命寺がある。承久2年(1220)、親鸞の高弟二十四輩の第七番の西念によると伝えられている。二十四輩とは、親鸞の関東時代の高弟24人と、その24人を開基とする寺院のことをいい、茨城県を中心に関東に広く分布している。境内の太子堂に納まる「太子堂句額」は、野田地方最古の俳諧資料として市指定文化財に登録されている。
  下町交差点の左角に●須賀神社がある。現在の社殿は平成25年のもので真新しいが、向拝は明治期のもので対比が面白い。境内奥にある●猿田彦の像は、文政6年(1823)造立の立像で、2mの高さがあり、彫刻、形容、大きさ共に優れ、市の有形文化財に指定されている。   12:42

■下町交差点~上町
 下町交差点を過ぎるとキッコーマン関連会社の施設が並び、野田がキッコーマンの城下町であるかのような雰囲気を感じる。野田は江戸時代になると江戸に出荷する醤油産業が興り、恵まれた水運を利用して栄えていった。大正時代には茂木家と髙梨家などの合同による「野田醤油株式会社」が設立され、後にキッコーマン株式会社となった。
  右手にあるロマネスク風なビルは●(財)興風会のビル。 茂木家と髙梨家の寄付により設立された財団で教育育英事業を展開している。その隣はキッコーマン本社ビルが建っている。
 本社の裏手は古風な●木造の建物、重厚な倉庫群が立ち並び、茂木本家美術館などという建物があり、昔の風情が大いに感じられる区域となっている。またその奥にも重厚な●長屋門を持つ建物もあった。
 本社の北隣の●千秋社ビルは旧野田商誘銀行で、大正末期に完成された。「商誘」の名は「醤油」の語呂合わせによるという。建物は2階建ての鉄筋コンクリート構造で、外観は大正年代に流行のアール・デコ様式であるという。
 その先の野田郵便局手前で吉川から県道19号を抜けて野田橋を越えてきた、もう一つの下妻街道と合流する。   12:56

■上町~愛宕神社
 「上町バス停」を左に入ると●キノエネ醤油の工場がある。天保元年(1830)創業の老舗の醤油醸造元。野田の多くの醤油会社がキッコーマンに集約されたが、独立を守ってきた唯一の会社である。こちらの本社建物も古い風情を残した建物となっている。
 街道に戻って進むと●愛宕神社が見える。野田の総鎮守で規模が大きい。創建は延長元年(923年)で、京都の愛宕神社の分霊を祀って氏神とした。社殿様式は権現造りで木造銅板葺。境内には●元禄元年(1694)建立の鳥居●文政11年(1828)の芭蕉句碑などがある。  13:11

■愛宕神社~清水橋
 愛宕神社の先、右手にかなりの旧家とお見受けした家には●長屋門が備わっていたのだが、惜しいかなかなり傷んでいる。今の時代ではこのような門の維持が大変なのではないかと思う。
 そのさき右手に大きな空き地があり、奥に古ぼけた倉庫のような建物だけ建っている。なんだろうと思ったら、「専売公社前」というバス停があり、●専売公社の工場跡らしかった。愛宕駅にも近いのでマンション用地にでもならないのかなと思った。バス便もよくないので売れないのかも。 その先右手に「市民の森」公園があり、左手奥には「清水公園」がある、アスレチックに子供をよく連れてきた所だ。 その先●東武野田線をくぐって行く。  13:33

■清水橋~日光東街道合流地点
  野田市吉春に入り、といってもこのあたり、吉春と谷津という地名がお互いに飛び地したり、絡み合ったりで、整理されていない。左手に●香取大神社がある。「大」がつくだけあって、結構な規模を持っている。●本殿が簡素で印象的。
 その先「交差点を右に入った所に●菅原神社がある。大きな庚申塔が立っていた。 ●蕃昌交差点で山崎宿で分れた日光東往還が右から合流して来る。 ここを左折する。   14:00

 ■日光東街道合流地点~田端バス停
 ●550mほど先で右折する。そして●船形南交差点を横切った。 渡った先●二俣の所に●天明2年(1782)と刻む道標があった。左側面に「右 むしろうち つくば道」、右側面に「左 きまがせ道」 とあるが、莚打は北東方向の利根川を渡った先に地名があるので、道標の向きがおかしいのではないかと思う。   14:25

 ■田端バス停~船形交差点
 船形交差点を右に行くと●船形香取神社がある。案内板によると「船形香取神社御社擅御膳献上式」という船形地区で行われている「オビシャ」と呼ばれる民俗行事を残しているという。具体的にどんなものかイメージが涌かないが、古式に則って20種以上の山野菜や魚などを神饌として、神前に供えるというものらしい。
 神社の奥は●富蔵院(ふぞういん)という長谷寺を本山とする真言宗豊山派のお寺。 寺を過ぎると利根川の河川敷で●正面に利根川の土手が見えてくる。   14:50

 ■船形交差点~小山の渡し跡・芽吹大橋
 途中に小船橋水辺公園がある。●関宿落堀を利用した水辺公園で、関宿落堀とは江戸時代末期にできた農業用水路ことで、関宿江戸町から利根川まで20kmの用水である。
 さらに土手に近づくと今日のゴールの●小山バス停に着いた。ここは小山の渡し跡にあたり、●「海から107.0km」地点である、河川敷が広がって川の流れはほとんど見えない。残念ながら橋が架かっていないので対岸へ渡ることができない。 小山バス停から市内へ戻ることができるのだが、1日2本、おまけに平日のみで、今日は日曜日なので運行していない。よって土手を2.5kmほど下った● 芽吹大橋へ迂回して帰ることしか方法がない。15:15   ゴールしてから2.5kmも余計でかなりきつかった。・・・●芽吹橋南詰バス停から東武野田線愛宕駅へ戻り、帰宅した。次回は芽吹橋北詰へバスで行き、利根川対岸を2.5kmさかのぼることになる。    15:55

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