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房総往還を歩くⅠ-1 (船橋~稲毛) |
歩行地図はこちら 地図 |
| 追分-谷津-鷺沼-幕張IC-子守神社-昆陽神社-検見川-花園神社-稲毛駅 11.99km | ||
| 房総往還 ⅠⅡ 房総往還は千葉県船橋市から館山市まで通じる街道で、房総半島西側を通って江戸に通じる主要な交通路でした。房総諸藩に取っては参勤交代路でもあり、近世では外国船に対する江戸内湾の警護のために重要な役割を果たしてきた。木更津までは平坦の道が通じるが、木更津から山側、海側の道に分かれ、山側の道の方が古いが、海防政策の進展により、海側の交通量が増えてきた。今回は海側を通ります。 距離115km程度 資料 「歴史の道調査報告書 房総往還 ⅠⅡ」 千葉県教育委員会 |
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| 1 船橋-稲毛 | 2 稲毛-浜野 | 3 浜野-姉崎 | 4 姉崎-木更津 |
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| 2025年7月25日 画面をクリックすると拡大します ■JR船橋駅~船橋大神宮 本日から房総往還、船橋~館山まで始めます。長いので調査報告書がⅠ、Ⅱ編に分かれているのに従い、2編に分けます。最初はⅠ編の船橋~木更津編です。 JR船橋駅を下車、南へ歩き、「本町1丁目」交差点で「成田街道」とぶつかり、そこを左折します。少し先、海老川に架かる「海老川橋」は船橋の地名の由来となった場所で、"船のモニュメント"が飾られています。昔、海老川は川幅が広く水量も多かったため、橋を架けるのが難しく、舟を数珠つなぎにして板を渡し、橋として使ったようです。 その先、●船橋大神宮下交差点が房総往還の起点になります。左側、東に直進する成田街道と分岐して、房総往還は交差点を右側、南へ進みます。●船橋大神宮本殿。大神宮は「意富比(おおひ)神社」が正式名で、式内社。創建は景行天皇40年、日本武尊の東征の折に当地で東国平定の成就を祈願したのに始まると伝わる。江戸湾に面し、境内にある●灯明台は明治13年に完成した和洋折衷の建物で、現存の中では国内最大級の民間灯台といわれる。 9:15 |
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| ■船橋大神宮~谷津駅 交差点から一つ先の信号を左折。すぐ左手石段の上に●東光寺がある。かって波除不動で知られた寺という。境内には石仏類が沢山あり、特に本堂右側にある"庚申塔"などは風格を感じる。 参道石段、右手に宝永6年(1709)の道標を兼ねた"廻国塔"が建っていて、摩滅して読めないが、「調査書」によると「右ハかつさ道 左ハさくら道」と刻まれているという。「かつさ道」は房総往還のことであり、さくら道は成田街道であるので、この道標は房総往還の起点の「船橋大神宮下交差点」にあったものと思います。 少し先、左手に●大日会館がある。元大日堂のあった所で、右隅に慶応3年の新四国塔がある。会館の中に大日如来像などがあるらしい。 そのまま直進し、「船橋競馬場駅」の先の踏切で、京成本線を横切り、国道14号(千葉街道)と合流して進むと、●「谷津駅」の駅舎下をくぐります。 9:46 |
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| ■幕張1C入口~下八坂橋 幕張陸橋をくぐった先、●左斜めに入るのが旧道で、曲がります。 500mほど進んだ左手に"庚申塔・石地蔵"がある。左右の庚申塔、地蔵は倒れて、草に埋まってしまっている。中央の笠付き庚申塔は、享保元年(1716)のもの。 そのすぐ先左手に"「大須賀山の自然と文化財」"という案内板がある。これによると、幕張町は、古くは、千葉郡大須賀荘須賀原あるいは幕張本郷と呼ばれ、江戸時代以後は馬加村(まくはりむら)と呼ばれていたという。 ●正面の石段を上ると、すぐ右手に文政11年(1828)関脇昇進した力士"荒馬大五郎(4代目年寄宮城野馬五郎)の供養塔"がある。 「首塚」の案内に従って奥に進み、左に上っていくと●馬加康胤(まくはりやすたね)の首塚と伝わる方形の塚と、その供養のために江戸時代初期の五輪塔が立っています。 11:32 |
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| ■子守神社~甘藷試作地 街道に戻って東進すると,●旧馬加宿の中心になる。両側が鍵の手になっているが、継場であっても、小規模な感じで、問屋があったこと以外は未詳という。ゆるく右カーブへすすみ、県道57号へ出て、左折。「京成幕張駅」方面に向かうと、左手、広い砂利の広場の中に、●左手の社殿が秋葉神社、右手の社殿が昆陽神社で、青木昆陽が祀られている。境内の覆屋の中に"子安観音など"、右側に"出羽山塔群 "などが祀られている。 昆陽神社の向かいに●「青木昆陽甘藷試作地」の案内板と石碑があり、千葉県指定史跡になっている。案内板には享保二十年(1735)この地で甘藷を試作し、飢饉を救った青木昆陽の業績が書かれています。 12:30 |
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| ■甘藷試作地~検見川町2丁目 街道に戻って東進。先の分岐は左へ進み、「花見川」に架かる●新花見川橋を渡ります。花見川は、印旛沼の水位上昇による洪水防止の為の排水路として計画されたが、資金不足、洪水などで、開削に何度も失敗した歴史があり、完成したのは昭和40年代になってから。橋をわたると「検見川地区」。検見川という川があるのかと思ったが、単なる地名であり、昔は花見川が華見川と呼ばれた時代もあったという。「検見川神社南側」交差点を左へ曲がり、京成線踏切をわたると、●検見川神社があります。別名、嵯峨天皇に奉仕する蔵人が嵯峨神社を創建し、付近からスサオノの御神鏡が出土したのを合祀して、八坂神社ともいう。 元の交差点に戻って、直進(南下)していくと、●検見川宿に入ります。 明治末期、人口増加に対処するため、三間間口の土地に"二間半" の家を建てたと言われ、当時の面影を残します。 12:47 |
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| ■検見川町2丁目~花園橋 検見川陸橋をくぐった先、左へ入る細道を行くと、「大坂」と呼ばれる坂道で、左手に●庚申塔、地蔵尊、子安観音などが並びます。 街道に戻って、●東関東自動車道の下をくぐリます。 少し、国道4号(千葉街道)に沿って進み、歩道橋手前の左へ入る分岐を、左へ入って行くのが旧道で、「花園橋」へ出ます。 右手の歩道橋を上がって、左斜め前方を見ると、変わった屋根の建物が見えます。●旧千葉市庁舎で、現在は千葉トヨペットの建物になります。近くまで行こうと思ったが、暑くて面倒なので、雰囲気だけ味わいました。 ストリートビューで見ると"こんな感じ "です。 13:27 |
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| ■花園橋~JR稲毛駅 花園橋を渡って、住宅街を抜けいていくと、「稲毛公園」にぶつかるので左折。すぐ先、右手にある石段を上がると、●浅間神社があります。大同3年(808)平城天皇の時代に、富士山本宮浅間大社の分霊を勧請したのがはじまりと伝わる。現在の稲毛1丁目、2丁目は社地といわれるぐらい、広大な神域を誇っていたようです。源頼朝も参拝している。 社殿の周りを巡り、北側の参道を下りて行くと、右手に"芭蕉句碑 "がある。「涼しさやほの三日月の羽黒山 雲の峰幾つ崩て月の山 かたられぬ湯殿にぬらす袂かな」と彫られていて、出羽三山の句碑という。旧道は神社を出て、京成稲毛駅の踏切を渡り、●JR稲毛駅に向かう道で、JR線ガード手前右側に、●明治天皇御野立所の案内と記念碑が立っている。明治15年、近衛師団対抗演習をご覧になるため行幸された時、休憩を取られた場所だという。 さて、この後、「本千葉駅」まで行こうと思ったが、今年は特に酷暑らしく、熱中症にかかってもいやなので、一応「稲毛駅」でやめといた方が良いかと思いました。 14:10終了 |
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2 稲毛-浜野 |