房総往還を歩くⅡ-3 
            (大貫~竹岡
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 大貫-弁天山-佐貫町駅-高良浜-慈眼寺-上総湊-十宮-竹岡-城山-燈籠坂-竹岡駅  16.16km             

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2026年4月19日 画面をクリックすると拡大します
■大貫~弁天山古墳
 8時37分●大貫駅到着。駅から南下、踏切を渡り、岩瀬橋を渡って、内房線のガードをくぐる。その先の信号を左折すると、踏切の手前、右手に●弁天山古墳の小山がある。「小久保藩邸・藩校跡」の案内板が立っており、●中央公民館の敷地内が「藩邸、藩校跡」であることがわかります。弁天山古墳5世紀後半の築造。頂上に上ってみると、竪穴式石室跡が見られ、天井石を運ぶときに、縄をかけて引いたといわれている突起があるようだが、よくわからなかった。 ここの敷地は明治元年から4年間、小久保藩が置かれ、藩邸、藩校が置かれた。 " 説明板" 藩校の盈進館は明治3年10月に開校。その後の変遷を経て、現在の大貫小学校に至っている。
 9:17

■弁天山古墳~海老田踏切
 すぐ先、「小久保踏切」を渡る。●道なりに左に行き、左手に大貫小学校を見ながら進み、海老田の集落に入ります。右手に●東京湾観音の後ろ側が見えますね。 飯盛塚の分岐は、右側に進み、JR内房線の●「海老田踏切」を渡ります。9:42

■海老田踏切~
 すぐに粟畑バス停の所で左折して●国道465号に合流します。国道はJR内房線と並行して進み、少し先、右手に●東京湾観音表参道に出会います。ここからは東京湾観音は全く見えません。参道は車で上っていかないと無理なので、行きません。参道は「洗心坂」というようです。東京湾観音は、材木商を営む「宇佐美 政衛氏」が世界平和を祈念するため昭和36年に建立した観音像です。東京湾を一望できる南房総国定公園、大坪山に建っている。
 その先、佐貫町駅に近づき、JR内房線を花御堂跨線橋で跨いで、左手に進まないといけないが、跨線橋が長く、橋を降りてから、逆戻りして、●左手の旧道に入りました。 「旧道」というべきかどうか、佐貫町駅付近で、山側を通ってくる、「佐貫村道」と「西房総街道」が合流してくる訳だけど、駅付近について、「調査書」は何も語らないので、判然としません。 9:56

    ~八幡踏切
 国道465号を横断して、すぐ前の●あぜ道に入っていった。そしてこの端で●左手から「佐貫村道、西房総街道」が合流している。・・・・が、しかし、このあぜ道は違うようで、家に帰ってから「調査書」地図を拡大して、凝視してみると、1本右側(東側)の道と「佐貫村道」が繋っていると思われる。・・ので、1本右側の"「理髪店」(ストリートビュー) "の所を右に入るべきであったかと思います。 後日、佐貫村道は歩くので、確認します。 ま いずれにしてもこの辺りで房総往還、海側ルートと山側ルートが合流する地点となります。 合流してから、●八幡街道踏切を渡ります。 10:06

 ■八幡踏切~像法寺
 渡った先は「県道256号」。少し先で左折して、像法寺へ向かいますが、右手に●東京湾観音の表側がよく見えます。染川を渡った先、左手に●古船山像法寺があります。像法寺入口右手に"六地蔵"がある。調査書によると、元禄16年(1703)の作という。   正面には大きな●石造層塔が立っている。塔身に「武州」の名が刻まれ、鎌倉末期の作と推定される。右手の高台に千葉県下で最古の"宝篋印塔"がある。「元弘三年」(1333)の名が刻まれて、鎌倉最後の時代と解ります。  10:22  

 ■像法寺~高良浜
 街道に戻り、先に進みます。染川を渡った先、右手奥に●鶴峯八幡宮があります。創建は養老2年(718)と伝わり、源頼朝や、上総介広常から神領の寄進を受けたり、戦国時代には、上総武田氏の祈願所になりました。社殿は高台にあり、八幡造りの朱塗りで立派に見えました。  神社の先は新舞子海岸線に沿って南下します。右手は●新舞子海水浴場で、対岸の「横須賀火力発電所」あたりがうっすらと見えました。 10:52

 ■高良浜~慈眼寺
 やがて、●JR内房線「ささげ踏切」を渡ります。左手に●慈眼寺があります。この寺は14世紀の半ば頃の創建と推定されている。境内に●水向地蔵尊がある。  11:11

■慈眼寺~上総湊駅前
 相変わらず、新舞子海岸線に沿って南下しますが、海から離れてしまっているので、海は見えません。しかし、このあたりは「長浜」といい、古代の海岸線はこのあたりを走っていたといわれます。 ●交通量の少ないのどかな道が続きます。「長浜」バス停、長浜橋を越えます。その先、「長浜」信号を右折して国道127号に合流すると、途端に交通量が多くなりました。その先、●二股になっているところが旧道で、そちらに入ります。 弓状に右に曲がって、●湊郵便局横で国道127号を横切り、真っ直ぐ進みます。11:37

■上総湊駅前~湊川
 交通量の激しい●国道127号に合流、右手奥に「上総湊駅」。案外と小さい。小学校の臨海学校で来たことがあるような記憶があります。消防署の前を左手に入って行くと、●湊済寺がある。慶長年間に、湊地方に疫病が流行して村民が全滅の危機に瀕したおりに、雄譽という上人の祈祷により、村民たちが悲境から救済された。その由縁により、寺名が付いたという。 「湊橋」で●湊川を渡る。湊川は、関東大震災で地盤が隆起するまでは川底も深く、薪炭や房州石を運搬する渡海船の船溜まりだったようで、明治になって架橋されるまでは渡し船だったという。  12:21

 ■湊川~十宮
 少し先の●右手に入る道が旧道で、そちらへ入ります。 房総線「海良踏切」を渡った先、左手、石積の中に半分埋め込まれた、"君津郡竹岡村」"と掘られた標柱があった。旧竹岡村の境界がここまで伸びていたようだ。右手に●住吉状神社が鎮座している。すごいのは本殿に被さっている大岩。住吉神社は海上安全と豊漁を祈願する神社と思うが、この大岩とどんな関係があるのか、全くの不明。
 神社の脇を下っていくと●薬王寺の裏手に出ました。薬王寺には「竹岡のオハツキイチョウ」がある。文化9年(1812)白河藩主松平定信が自ら白河より取り寄せて手植えしたものと伝えられる。  12:45

 ■十宮~竹岡
 その先、海沿いの道を進みます。右手に見えるのは、●三浦半島、久里浜あたり。 ここで調査書の地図を見間違えて、右手旧道と思ってしまって、●竹岡漁港の方へ入ってしまいました。旧道はすぐ国道へ合流するようです。気が付かず集落の中を進み、左手国道を越えた所に、通称十夜寺こと、●松翁院があります。ここの寺宝の「釈迦涅槃図」は菱川師宣が下絵を描いて、父の菱川吉左衛門が刺繍したといわれる大作だそうだ。 境内には竹岡義民と呼ばれる富津市指定史跡"「岩野平左衛門」の墓"がある。 "説明板"
 また、承応二年(1653)という古い年号を刻む大きな"庚申塔"がある。  13:25

 ■竹岡~城山
 集落にに戻り、先に進むと左手に●銅造地蔵菩薩座像が鎮座していた。江戸中期、この血に疫病が蔓延し、亡くなった人々の供養に延命寺住職が勧進して建立したという。道まちがえたけど、珍しいもの見つけて良かったです。
 国道に出て、その先●白狐川を千歳橋で渡る。右手奥に、延命寺、三柱神社、●城山とあり、城山に造海城跡があり、中世後期真理谷氏が居城し、後に里見氏に引き継がれた。 山を登る元気がないので、このあたりはパスします。 13:35

 城山~燈籠坂大師入口
 この先、●城山トンネルをくぐって行くのだが、右側に歩道用トンネルが掘られているので、通過は簡単。しかし、左手に入って行くと燈籠坂大師堂があるというのでそちらに行ってみました。●大師堂の赤い門をくぐって、進むと●手掘りのような隧道ができている。実はこの下を内房線のトンネルが通っているという珍しい構造になっている。その先、もう一つ"隧道"をくぐるが、こっちは切立ったような形状のトンネル。そこをバイクが何台も通過し、爆音が天井に響く。どうやらバイク族の名所のようになっているみたい。燈籠坂大師堂の下の石段に出ました。"燈籠坂大師堂縁起"  13:40

  燈籠坂大師~竹岡駅
 お堂へは長い石段の「男坂」と、ゆるやかな登坂の「女坂」が通じており、登りは「女坂」を通って見ました。頂上に●燈籠坂大師堂が鎮座している。無住のお堂ではある。お堂代わりに灯明を点じて海上安全、大漁を祈願していたが、沖で漁をする船は山上の大師堂の灯明を灯台にしたことから里人はだれ言うともなく「燈籠坂大師」というようになったという。 「男坂」の石段を降りて、そのまま先に進むと、●内房線線路に出会いました、踏切ではなく、道が向こうに続いています。
 通常、線路内立ち入り禁止なのだが、「列車が通過するので危険です・・」というだけで、通行禁止ではないので、難なく越させてもらいました。 国道へ合流し、その後、2度程左手の旧道へ入ったり、出たりで、●竹岡駅へ到着。駅はきれいだが、無人の様でした。 14:10 終了。 14:18分発木更津行に間に合いました。 次回は「佐貫村道」

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