房総往還を歩くⅡ-6
      (保田~那古船形
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 保田駅-吉浜-大穴-安房勝山-市部瀬-岩井駅-木の根隧道-丹生-福沢-那古船形駅  15.5km          

1 木更津-青堀 2 青堀-大貫 3 大貫-竹岡 4 桜井-佐貫町 
5 竹岡-保田  6 保田-那古船形  7 那古船形-館山   

2026年5月31日  画面をクリックすると拡大します
■保田駅~別願院
 今回は●保田駅から。駅から西へ、国道右手に●別願院がある。絵師、菱川師宣の菩提寺ということで、その●師宣の墓が境内にある。"説明板 " 。また、ここには元禄地震の津波の犠牲者311人を供養する、"元禄海嘯菩薩地蔵尊"がある。説明板が立つが、汚れて読めません。9:30

■別願院~吉浜
 その先、道は、左に曲がり、すぐ右手に●「浮世絵の開祖 菱川師宣誕生地」(県指定史跡)がある。"説明板" 。菱川師宣は、安房国保田村で縫箔刺繍を業とする菱川吉左衛門の長男として生まれた。俗称は吉兵衛、晩年は剃髪して友竹と号した。生年は不詳だが寛永中頃(1630年頃)と推定されている。 「保田」信号を右折し、「保田橋」を渡った先、少々の左に入る旧道がある。 ここはすぐ国道127号に合流し、すぐ先右、に入る旧道もあり、国道に合流しつつ、その先は●保田港が見えます。 その先、線路を越えた所に●吉浜神社がある。祭神は、天照大神と八幡神。この先の、妙本寺の守護神としてきた神社で、建武2年(1335)に第六天神社と共に創建されという。 9:50

■吉浜~大穴
 右手に●「菱川師宣記念館」があります。線路の右手「妙本寺」は通り過ぎました。 ●亀ヶ崎のあたりは「鱚ヶ浦海岸」と呼ばれ、かつて砂浜で多くのキス(鱚)が獲れたことに由来する美しい海岸で、歩道も整備されて、眺めも良い。 何でも先端の島は「真珠島」というらしく、現在は通行止めになっているということでした。●大穴バス停あたりの切通を通過します。 10:05

■大穴~頼朝上陸地
「竜島バス停」の先を右折して、回り込んで行くと、●神明神社がある。"説明板" ごく普通の神社だが、源平合戦の初め、三浦半島から逃げてきた源頼朝が安房の竜島に上陸し、滞在して、村人にもてなしを受けて再起したという歴史ある神社でした。様々な伝説が残ります。 神社の西が●頼朝上陸の地
竜島海岸で、傍らに●上陸記念碑が建っています。"説明板" 。・・・治承4年(1180)八月伊豆で挙兵した源頼朝は、石橋山の戦いに敗れ、真鶴より小舟で脱出し、安房国、鋸南町竜島へ上陸。味方を募り、兵力を加えつつ房総を北上、鎌倉へ入った。平家を滅ぼし、鎌倉幕府を樹立した源頼朝の再起の一歩はここから始まったわけです。 10:15

 ■頼朝上陸地~安房勝山駅
 街道に戻って、右手に●極楽寺があります。境内に大きな●ビャクシンの木がある。文化3年(1806)の竜島村大火の際の焼け跡が残っているとのことだが、よくわからず。 その先、左手奥に●安房勝山駅。きれいな駅だが、相変わらずの無人駅。10:27

 ■安房勝山~
 安房勝山の町は駅西側、海岸べりに広がっており、勝山藩12000石、酒井氏の陣屋があり、醍醐家による捕鯨の基地として広がった町という。町には多くの寺、史跡などがあるのだが、そうこまめに見て歩く余裕はなく、ざっと見て回りました。
 佐久間川を渡って、二本めの道を右折して行くと●加知山神社がある。牛頭天王といい、祭神はスサノオ命。明治2年に加知山神社に改めた。本殿の左奥の石段を上った山腹に、"浅間神社と古峰神社"が祀られている。 石段下の鳥居の脇に"鯨塚"の案内板があって、後ろに石の祠が沢山放置してある。鯨塚とはどれだろうと、思ったがよくわからず、写真を撮っておいたら、後で確認したら、放置してある石の祠がそれらしいです。 その先、右手に●妙典寺。入口付近に"「勝山藩義士の碑」"がある。 "説明板" 幕末戊辰戦争で勝山を戦火から救うため、犠牲となった勝山藩義士の碑です。 また妙典寺は地域の捕鯨業発展に貢献した醍醐新兵衛家の菩提寺で、代々の墓がある。そしてその西隣に●浄蓮寺がある。小林一茶が文化3年(1806)醍醐新兵衛家を訪れて、クジラ見物をして、浄蓮寺に8泊している。 その他、法福寺、最誓寺、勝山藩陣屋跡、などが残るのだが、割愛して先に進みます。 10:40

    ~市部瀬
 ●「下佐久間」信号手前を右折して、細い道が旧道であるので、そちらに入り、ここは">真っ直ぐの静かな道 が続く。街道は突き当りの大乗院の手前の十字路を左折するが、その前に突き当りの大乗院に大乗院の手前の十字路に戻り、山裾を回り込むようにして進む。> が続きます。突き当りは●大乗院で、中世は平群郡の豪族、安西氏の居館があった所と伝わる。旧道は手前の十字路を左折して、山裾を回り込むようにして進み、堤ケ谷堰の脇を通ると、広い道に出会い、旧道は山裾に沿った細い道で、通行注意の看板が立っている。●市部瀬の農道の中を進みます。  11:07 

■市部瀬~
 右手の「持福寺」は建物が新しく、入りにくい。奥の石段の上に●八幡神社がある。扁額に「應神廟」と書かれていが、普通、神社名が書かれると思うので、珍しい。  その先、国道127へ出るので、横断して、●JR内房線の市部瀬踏切を渡ります。踏切を渡って道なりに右へ行くが、すぐ先で二股になる。地図上は左へ回り込む道しか乗っていないが、右方向へ行って、「飯ノ坂垰」を越えることになり、入口に地蔵があるという。右へ進むと、なるほど、左手に"小さな地蔵"があった。その先、深い山道になって、竹藪に突っ込んだ。ここが●飯之坂というのだろう。竹が邪魔して歩きにくいが、どうにか通過し、下って行くと細道へ出て、右折する。
11:30

  ~岩井駅
 右折すると、正面に●県道89号のトンネルになる。旧道はここをくぐり、県道に沿って、線路を渡るようである。 くぐって県道に沿っていくと、わかりにくいが、民家脇を通り抜ける細道があり、進んで行くと、●大五郎踏切というのがあった。人と二輪車専用の踏切でした。 渡ると国道に合流。 その先、●岩井駅前を通過。 11:52

 ■岩井駅~
 ●市部の交差点。ここから先の房総往還は、館山までには3本の ルートがあります
 1 真っ直ぐ進んで、ほぼ国道127号を行くルート。「南無谷道」というようであるが、海沿いの道で歩道のないトンネルが
   多く、恐怖を感じるので、通る気がしないルート。
 2 少し進んで左折し、木の根峠へ上り、南下するルート。江戸時代からの本道ではあるが、明治時代に峠の東側に林道が開通し
   本道のほうが廃道同様になり、調査書でも通行不能という。遭難の恐れもあり、通行できないと思われます。
 3 この交差点を左折して、内陸に入り、滝田から北条へ抜ける「滝田通り」という、 南総里見八犬伝ゆかりというコース。
   面白そうがだ、20kmほどあり、館山到着が夜になってしまうので、難しいです。  
    思案の結果、途中まで木の根峠ルートを行き、途中で分岐し、明治にできた「木の根隧道」をくぐって、林道を進む、ちょ
   うど、木の根峠を迂回するようなルートがあるので、そこを利用することにしました。  
  国道左手、●「ツクダヤ酒店」の角を左折する。 細い旧道を行き、消防団の角の十字路は、直進し、その先、内房線のガードを
  くぐり、●十字路を直進して、木の根隧道へ向かいます。右へ曲がるのは「木の根峠」へ向かうコースです。 

   ~木の根隧道
 ●木の根林道へ入ります。この林道は明治19年に開削されたときのもので、これ以降、峠道は利用されなくなりました。上り道であるが、車道であり、大したことはありません。やがて、●木の根隧道入口に到着。明治19年開削で、ネットでは心霊スポットという話もあり、不気味に思い、強力ライトを持ってきました。 向こう側が見えているので、大したことないなと、入っていきます。ライトを点けると"こんな感じ。対向車が1台来ましたが、道幅も広いし、問題ありません。長さ200mであっけなく通過。●出口の様子。 12:40

 ■木の根隧道~木の根峠合流地?
 隧道から出ると道は●やや下り坂になり、左手に「原田山隧道」というのが、開いている。"原田山さわやか街道マップ"という看板が立っていて、左へ行くと「岩婦湖」に出るようだ。 やがて左手から●「富津館山道路道がせまってきて、しばらく並行して歩きます。 やがて地形図上で、●木の根峠から合流してくる地点に達し、右手から山道が来ているので、これが例の峠から来る廃道同然の道かと思って、少し入り込んでみましたが、付近の農道のようで、この先消滅しているかは確認はしていません。木の根峠道はこのあたりに出てきて、林道を越え、「丹生川」まで下りる。ここに「平川地蔵」と称する6体の地蔵があるという。しかし川へ下りる道は見当たりません。 12:56

 ■木の根峠合流地?~岩崎地蔵
 丹生バス停の所から林道は川を越えて行くが、旧道は●右斜めに入るのが旧道のようで、そちらに曲がります。200m位で林道に合流するのだが、途中で犬に吠えかけられ、かなりびっくりしました。その先、丹生の集落に入り、●広めの市道を横断します。丹生と深名の境まで来ると、右手、山裾に●岩崎地蔵があり、文化4年の廻国塔や寛政11年の庚申等などがあるようです。 13:27

 ■岩崎地蔵~福沢交差点
 左手に「特養老人ホーム」があり、真瀬口の十字路右手、草むらの中に●享和元年(1801)出羽三山碑がある。 その先、●富津館山道路の高架下を通ります。この先岡本川に架かる、「千部川橋」を渡るが、旧道はその手前、「旧矢束小学校」、「現富浦子ども園」の中を通って、現在の橋の上流100mの所へ来て、川沿いに現在の橋の位置まで来ていた。そしてこの橋の手前の旧道に「千部川地蔵」があるという。わかりませんでした。 その先の●福沢交差点。道の駅「とみうら」があって、かなり交通量があって、賑わってます。14:10

 ■福沢交差点~
 交差点を直進し、「白塚橋」を渡り、すぐ左折した所に、●義民忍足佐内殉難の碑が立っています。"説明板" 左内は、金尾谷村の名主で、明和7年(1770)の旱魃の際、越訴を試みて勝山藩御国奉行稲葉重左衛門らに処刑された人物。 旧道は碑の右手から奥に●山道のように続いており、不気味な感じもするが、入って行きます。旧道の100m先のカーブ下に佐内が処刑された白塚河原があり、石地蔵が祀られているというがよくわからず。 出口付近の、"切り割り"は、明治40年に切り下げたそうで、そのときの寄附者碑が右手にあったらしいが、見落としました。 切り割りを抜けると、●「船形」に出ました。見晴らしが良いです。 14:25

    ~那古船形駅
 緩やかな下り坂を下りて行き、左手奥に「船形藩陣屋跡」があったという。その先、●県道302号とぶつかり、川名の町並になります。ここの左角に●古い道路元標が立っていて、調査報告書のいう、「今は館山市立博物館に保管、展示されている。」とあるものだろうか、そうであれば、「明治26年」の建立で「千葉県庁 廿三里、安房郡北條町 一里八町などへの里程が刻まれている。 本日はこのあたりで終わりにして、●那古船形駅へ向かいました。 次回、館山までで房総往還は終わります 14:50

     Ⅱ-5竹岡-保田  Ⅱ-7那古船形-館 山