房総往還を歩くⅡ-7
      (那古船形~館山
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 那古船形駅-崖観音-那古寺-那古宿-平久里川-鶴谷八幡宮-安房高校-南町-長須賀-館山城-館山駅  10.5km

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2026年7月12日  画面をクリックすると拡大します
■那古船形駅~崖観音
 ●那古船形駅10時半到着。本日で房総往還の後半部最後になります。ここまで電車で片道3時間かかるので、結構回数が多くなりました。街道歩き再開する前に、崖の観音で知られる大福寺を見たいと思って、駅の北側から回り込みましした。20分程で●本堂に到着。境内の本堂前には2本の巨大なソテツがある。大福寺は真言宗智山派の寺で、本尊は十一面観世音菩薩で、船形山の崖の中腹にある●観音堂に刻まれている。崖の観音堂に立つと、" "館山湾が一望に収まり、眺めが良いです。本堂や観音堂は、火災、大豪雨、関東大震災などで何回も倒壊しで倒壊し、再建されたものになる。"説明板" 。ちなみに南房総に来ると、ソテツを多く目にするが、 温暖な気候で、冬でも比較的暖かいため、熱帯・亜熱帯原産の植物が根付く環境が整い、江戸時代以前から、観賞用として植えられ、今に至っているそうです。 11:06

■崖観音~房総往還合流地点
 崖観音から下って、●県道302。ここは房総往還のうちの「南無谷通」でもあります。「船形漁港」信号を左折して、すぐ左手に●山田神神社があります。特に由緒などはわからず。 東へしばらく進み、JR内房線のガードをくぐると、「木の根峠」から進んでくる●房総往還本道と合流します。左手に道標が見えます。正面の酒屋は「勤王屋」といい、明治維新と関係あるのか、名前の由来が知りたいですねえ。 11:27 

■房総往還合流地点~那古寺
 その先、左手、高台に今回のハイライト、那古寺があります。早速石段を上がっていくと、●仁王門に遭遇。くぐって進むと、右手に●阿弥陀堂、多宝塔などが並びます。●観音堂は本尊の千手観音立像を安置し、平成の大改修が行われた。那古寺は真言宗智山派の寺院で、本尊は千手観世音菩薩。坂東三十三観音第33番、結願寺にあたる。養老年間に行基が創建し、のち慈覚大師が再興した。この寺は元禄十六年の地震で堂宇が倒壊、宝暦十一年に再建されたりしている。"案内図" 観音堂の左奥は工事中で、"山腹が壊されて"いて、「大黒堂」という案内柱が立っているが、何も無い。調べると、がけ崩れで竜王堂などと一緒に倒壊してしまったということでした。(https://www.dai-naka-oha.com/nagoji-temple/。 裏山の中腹に「和泉式部」の供養塚があるらしいが、式部の供養塚は京都や、山城、などいろんな所で見ており、ここでの由来は不明。上るのおっくうで行かなかった。また房総往還は観音堂の崖下にあるが、元禄地震で隆起した所で、それまでは海だったという。昔の山道は裏山から越えてくるらしいです。 11:45

■那古寺~那古宿
 仁王門を越えて真っ直ぐ行くと、●本坊というのがある。本堂ではないかと思ったが、 法事、施餓鬼法要などを行う所という。玄関横に●大ソテツが植わっており、樹高は6m、幹は12本に枝分かれしており、樹令は不詳。囲石は嘉永7年(1854)に力士の一力長五郎が奉納したという。 その先の「那古観音前」信号の十字路で、房総往還は、二手に分かれ、左折する道は、安房国庁の存在する府中へ向かう道で、那古の町並は大体この道の両側に並んでいるという。「那古宿」というバス停もある。●那古宿の町並。ただしこの道は正木の先で消滅しているとのこと。そこでこのまま直進しました。 11:54

■那古宿~平久里川 
 県道302を南下中、両側●高生け垣の家が続いており、なんだろうと考えて、ハッと気がついた。館山で海が近く、風が強いので、防風林の代わりかなと思いました。調べると・・館山市の「マキの高生け垣」は「ちば文化的景観」にも選定されている地域固有の伝統的な防風・防災システムです。  冬に房総半島へ吹き付ける「大西(オオニシ)」と呼ばれる台風並みの激しい西風や、塩害、火災から家屋を守るために、先人たちの知恵として築かれました・・・ということでした。 ●「市民運動場」バス停の所、旧道は左斜めに入って行きます。しかし、この道は●平久里川で途絶えてしまい」、旧道自体は正面から先へ続いています。 12:17

 ■平久里川~鶴谷八幡宮
 そこで元の県道にり、湊橋で平久里川を渡り、左手の対岸から延びてきている旧道に入り、ちょっとで県道302号に合流しました。 その先「湊区バス停」の先、右手、お茶屋さんの対面、ブロック塀の脇に「デカンショ節発祥の地 江戸屋旅館跡」という大きな石碑があるはずのところ、見当たらないのでウロウロし、ブロック塀もなく、この辺、"宅地開発"でこんな感じになっており、移設でもしたかなと思いました。ストリートビューで"確認した碑 。 ●鶴谷八幡宮前信号で「岡往還」と「浜往還」と二手に分かれます。 真っ直ぐ行くのが海辺を通る「浜往還」で、館山に直結します。左に曲がるのが、「岡往還」で東側の砂丘の上を通り、北条、館山に向かっている。「岡往還」の方が史跡が多いので、「岡往還」の方を通って見ることにしました。 その前に左手に●鶴谷八幡宮の鳥居が聳えているので、参拝して行きます。 鶴谷八幡宮は安房国総社にして、平安時代に創建された。戦国大名「里見氏」の崇敬を受け、毎年9月には壮大な「鶴谷八幡宮例大祭 安房国司祭 やわたんまち」が行われ、豪華な神輿や山車、御船が市内を練り歩きという。●拝殿向拝、格天井に彫られた"龍の彫刻は見事なもので、安房を代表する木彫師、後藤利兵衛橘義光の作品。完成は慶応二年(1866)。 12:55

 ■鶴谷八幡宮~安房高校
 「岡往還」は二の鳥居の前の信号を真っ直ぐ南下する。 両側、●マキの高生け垣が見事な静かな通りで、左手角に●墓地があり、「旧長尾藩八幡共同墓地」の表示がある。 「県立安房高校」の手前を左折し、高校の東北角で右折するが、本来の街道は安房高校の敷地の中を左折し、その先で右折南下するようだが、安房高校付近は、明治3年に長尾藩庁、士族邸が建設され、それ以前にも忍藩の海防のための役所が置かれたりで、旧道はわからなくなっているようである。●安房高校は長尾藩庁跡。 13:11

■安房高校~南町交差点
 安房高校の東側を南下するが、その先は不明とのこと。調査書の記述に従い、その先の十字路を左折して、館山市役所を右に見て、"不動院"横に出ました。ここは「北条」の地で、館山市の中心地です。嘉永3年頃で戸数230軒。●海雲寺を過ぎたあたりから新宿、長須賀まで1.5kmに渡り北町、仲町、南町、長須賀と町並が続いていた。現在、●安房合同庁舎、北条病院などがある辺りは「北条陣屋」の跡になります。 寛永15年(1638)に、徳川忠長の家老だった屋代忠正が、一万石で北条藩を立藩。仲町に陣屋を築きます。享保10年(1725)から水野氏が支配。文久元年(1861)からは近江国三上藩の遠藤氏が、明治元年まで飛地支配のための役所として利用し、現在の官庁街へ続きます。 右手に●神明神社、旧北条村の総鎮守です。  13:30

■南町交差点~
 「南町」交差点を過ぎ、すぐ先、左手から●伊南房総通往還が合流して来ます。鉄道が敷設されるまでは北条の商家はこのあたりに密集していたという。●右手に金台寺がある。浄土宗寺院で、浄土宗の房州一国の触頭として、安房国内の浄土宗寺院の行政的な管理をおこなうほどに隆盛したといいます。歴史の道調査書によると、墓地に寛文二年(1662)建立の津波による溺死者の供養塔があると書かれているが、見つけられなかった。また、●地代官行貝弥五兵衞国定・弾七郎恒興父子の墓という案内柱が立つ墓を見つけた。正徳元年(1711)に安房北条藩領27か村の総百姓が、過酷な課税に抗して立ち上がった万石騒動のとき、義憤を抑えがたく百姓方を援助したため、三義民処刑と同じく処刑された地代官親子だそうだ。 13:42

   ~長須賀
 その先、JR内房線踏切手前、右手に●神明神社がある。樫尾儀が5本乗った、端正な形をしていて、好ましい。内房線踏切」を渡、カギ型の様に曲がって進むと、右手に●来福寺がある。 その先の●「長須賀」交差点を右折する。 調査報告書によると、この角に宝暦8年(1758)の道標があり、現在、市立博物館に保管・展示されているとのこと。廻国巡礼の六部の姿を彫り出してあり、「北国分寺道 南一之宮道」と刻まれているそうだ。 交差点左角の"べにや"は、大正13年建築の蔵造りで、金物を扱い、国登録有形文化財に指定されている。  14:02

 ■長須賀~館山公園
 「長須賀」信号を右折し、真っ直ぐ進むと、●潮留橋に出ました。右手の県道横の細い道が鶴谷八幡宮交差点から南下してくる●「浜往還」で、昔は海辺を通っていたのだと思われます。「岡往還」との合流典でもあり、潮留橋を渡ると、「館山」の町で、近世では「下町」、「仲町」、「上町」の町並と、新井浦、楠見浦、浜上須賀、岡上須賀の3町4浦などで成る、町で嘉永3年で戸数434でした。左前方の山の上に●館山城が見えてきた。  14:18

 ★館山公園
 左手に城山公園があるので入ってみます。頂上に●館山城が聳え、江戸初期に里見氏が居城とした所。館山はその城下町として形成されました。館山藩は慶長19年(1614)に廃藩となり、天明元年(1781)稲葉氏が館山藩1万石を立藩し、寛政3年(1791)城山の東南麓に陣屋が置かれた。現在の館山城はもちろん、本物ではなく天守閣形式の「館山市八犬伝博物館」になっています。●城山公園からの眺めは素晴らしく、館山市街、鋸山まで見えます。 14:35

 ■館山公園~館山駅
 西側前方は●海上自衛隊館山基地。日曜日なので、航空機は一機も見えませんね。さて房総往還のゴールだけども、調査報告書の地図では自衛隊前、「宮城バス停」あたりまで書かれているが、帰りのJRの時間も考えて、この城山公園で終わりとすることにしました。 館山駅に向かう途中、潮留橋から左手の●浜往還の方へ入って見ました。特に変わった点はありません。●館山駅に到着。流石に無人駅でなく、特急の始発駅でもあります。 15:15終了。

    Ⅱ-6 保田-那古船形