秩父三十四ヵ所参詣道 3 
            (第九番~第十七番)
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 横瀬駅-9番-10番-ふるさと歩道-11番-12番-西武秩父駅-13番-今宮神社-14番-15番-秩父神社-16番-17番 11.4km

1 小川町駅~1番四萬部寺  2 四萬部寺~9明智寺 3 明智寺~17定林寺 4 定林寺~25久昌寺 5 久昌寺~30法雲寺 6 法雲寺~31観音院 7 観音院~34水潜寺

2018年4月8日
■横瀬駅~町民会館前
 8時40分着の急行で●横瀬駅到着。暖かくなってきたせいかハイキングの人達で満員で、立ちっぱなしでいささか疲れました。早速前回終了した第九番明智寺へ向かいますが、途中●武甲山がすぐ間近に見えました。
 ●明智寺は前回来ているので門前を通過するだけ。 通過して広い道を左折すると下り坂になり、左方向へ折れて行くと●町民会館前交差点に出ます。左方向へ曲がる地点から旧道が直進していると調査書に書いてあるが、それはわかりませんでした。 旧道は国道の手前を左へ入ります。    10:14 

■町民会館前~横瀬中先
 左へ入る旧道は右円弧状に曲がり、再び国道に合流します。 正面は「 横瀬小学校」で、校庭に沿って進むと、校庭の門脇に●薬師堂があります。 普段学校は閉鎖されていますが、お堂の所だけカギを空けて参拝できるみたいです。
 その先は兎沢川が流れ、国道に架かる兎沢橋を渡りますが、昔は橋の下を通り、「申橋」という橋を渡った様ですが、小学校や国道で旧道は残っていない。橋の途中で下へ行く石段があり、下りると●二叉になっています。正面に「 みぎ 十番 ひだり 大宮」という元禄15年(1702)の道標と)、文化14年(1817)の大きな馬頭観音が立っていました。
 道標に従い右へ道を取り、途中の案内板に従って進むと、正面に横瀬中学校にぶつかり、右手に●子育地蔵堂があります。中に文政11年の子育地蔵と宝暦4年の廻国順礼供養塔が祀られ、外の堂脇には「ひだり 十番 右 九番」の道標があります。  
 中学校の南側を直進して一つ目の角、左手に●上部の欠損した「た里 九番」の●道標のある角を右へ曲がります。  10:35

■横瀬中先~十番・大慈寺
 右に曲がってすぐ左へ折れる民家の間を抜けて行くと●田んぼの中を行く巡礼道に出会います。すると水路に出るので、そこを直進すると 県道11号に出て、直ぐ先を左斜めに入ると、●十番・大慈寺です。入口左側に面白顔の延命地蔵が迎えてくれ、急な石段の先に立派な仁王門が建っている。その先が●本堂。延徳2年(1490)開創。本尊は聖観音(恵心僧都作)。
 十一番へ行くには左右両方あって、石段右に宝永元年(1704)、例の「はま」願主による●「みぎ 十一番」の道標。 石段左下には ●宝永2年年の「ひだり 十一番」の道標がある。 左へ行く方が楽で、右へ行く方は山道を登るので大変ということだったが、ここは山道を行く方が面白そうなので、右への道を行くことにしました。   10:55

■大慈寺~十一番へのふるさと歩道
 寺を出て案内に従うと●山へ向かう細い道が続いている。 さっと、山道に入ると訳も無く尾根道になった。 ここは●ふるさと歩道と呼ばれているようだ。 左側は●武甲山がよく見える眺望がすばらしく、 右側下は秩父セメントの工場で樹木でよく見えない。 15分も行くと●稲荷神社に着いた。    11:15

 ■ふるさと歩道~十一番・常楽寺
 ●参道の幟の間を曲がりながら下って行くと、●十一番・常楽寺の参道に出ます。 ●常楽寺は秩父市街を見下ろす斜面に位置し、観音堂をはじめ仁王門、庫裡が揃い栄えたというが、明治11年(1878)の秩父大火で焼失して、その後再建された。 現在、観音堂と庫裡のみでこじんまりとしている。 十二番へは参道を下りて●信号を直進する細道へ入っていく。   11:35

 ■常楽寺~十二番・野坂寺
 細道の先で右折して進むと、●吉田歯科の脇に「十二番みち」の道標があって、ここを左へ曲がります。 ●住宅街の中を700mも行くと、左手に●巳待塔、地蔵などが立つ四つ辻へ来て、右は野坂町公会堂へ続いている。 巳待塔は文化15年(1818)の建立で、台座は道標になっている。 巳待塔とは庚申塔と似た感じで、弁財天を祀り、福を願って己巳(つちのとみ)の日の前日から寝ないで飲み明かすという行事の祈念碑のことでしょう。 西武線のガードをくぐった先左手奥に●十二番・野坂寺山門があります。  立派な山門をくぐった本堂は明治39年に火災で焼失し、その後昭和49年再建されている。 ちょうど花祭りが行われていて、甘茶の接待にあずかった。  11:50

 ■野坂寺~秩父市役所
 十三番へは先ほどの●巳待塔の立つ四つ辻まで戻り、ここを左へ曲がります。 その先右手に●野坂町公会堂があって、公会堂といっても普通の家の感じだが、対面は以前駐車場で 十二番観音堂の旧地だったという。 現在はアパートが建ってました。
 公会堂を通りすぎると国道へ出て、「五方の辻」と呼ばれる五叉路となる。ここを渡って斜め右へと入って行くと●西武秩父駅前広場へ到着となりました。  巡礼道は駅付近を横切って十三番慈眼寺へと続いていたらしいが、駅舎で寸断されて消滅している。 駅前の先は●秩父市役所。なにやらイベントの最中というところ。  12:30

■秩父市役所~十三番・慈眼寺
 ●西武秩父駅と御花畑駅との間の踏切を通りますが、当然ここは旧道ではありません。 十三番はもう目の前だけど、旧道の跡を訪ねて、少し秩父駅の方へ戻って、右に曲がると●「秩父札所十三番入口」という石柱の立つ細道があり、ここが十三番への参道と思うのでここを入って行きます。 すると正面が●十三番・慈眼寺になります。本堂は明治11年の秩父大火で焼失したが、明治34年に一番札所の本堂を模して再建されたものという。 本尊は聖観音で別に薬師堂があり目の病気に御利益があるというので有名。
 山門を出て左へ曲がり14番へ向かいます。 角に●子育地蔵堂などが立って、●端正な地蔵が祀られる。   12:55

■慈眼寺~新寺横丁
 地蔵堂の先を左に曲がりますが、右へ行くとお花畑駅。 左へ曲がると●新寺横丁という商店街が続きます。途中に●惣円寺があって横丁の名前はこの寺に因むという。  その先●古民家風の民家があって、カフェとして使われている。 県道にぶつかる●左手角の家は風情があり、かって巡礼宿を営んでいたという。    13:05

 ■新寺横丁~十四番・今宮坊
 県道を渡り直進して行く。坂を下ると右手に●今宮神社という石柱が立っていて、「八大龍王神」という派手なノボリも立っている。ここは少々複雑な事情があるようで、元々今宮神社としては大宝年間(701~)に八大龍王など祀ったことに始まったといわれ、明治時代に神仏分離が行われて、現在の今宮神社と今宮坊(現在の札所14番)に分かれた。 その後平成5年まで児童公園として開放されていた。 その為か大きな社殿がなく、武甲山の伏流水が湧き出ている「龍神池」と、推定樹齢千年以上の●大欅「龍神木」が敷地の中央にドンと祀られている。
 神社のすぐ先に●十四番・今宮坊があります。  神仏分離をする以前は京都聖護院の直末の修験道場として栄え、今宮神社の別当を兼ねていた。●観音堂はその昔の遺構の一つであるという。  13:15
 ■今宮坊~十五番・小林寺
 次の十五番は秩父鉄道の線路の向側にあります。 今宮坊の裏手から真っ直ぐ北上して内田医院の所を右折して、又直進したら県道にぶつかり、適当に進むと●秩父神社参道にぶつかります。 十五番への案内の所を入って行くと、●秩父鉄道の踏切に出ます。ちょうど青いストライプの入った電車に出会いました。 踏切を越えると●十五番小林寺の石段が見えます。
 十五番札所は元々秩父神社の内にあった蔵福寺だったが、 明治の神仏分離で廃寺となったので、近くの少林寺が札所を受け継いだ。
明治11年の秩父大火で焼け、木造のから漆喰塗りの●耐火構造の土蔵造りで再建された。 境内に明治17年の秩父事件で殉職した窪田、青木両警部補の墓もあります。   13:40

 ★秩父神社
 十六番へは一度秩父神社参道に出ます。 すると左手に風格ある旧家が一軒。●薗田家表門(秩父神社宮司)が見えた。さすがと云うべきか。表門は天保年間建築のケヤキの四脚門という格式の高い様式で、主屋は明治の建築。
 そのまま突き当たると●秩父神社があります。創建は第十代崇神天皇の時に知知夫国の初代国造「知知夫彦命」が祖神である「八意思兼命」をお祀りしたことに始まるとされており、秩父の総鎮守である。 毎年12月行われる「秩父夜祭」は京都の祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大曳山祭のひとつに数えられています。 ●本殿には華麗な彫刻が施されており、●お元気三猿という彫刻が面白い。  13:55

 ■秩父神社~
 神社を出て右折すると●本町交差点に来る。左手角の旧家風の建物は●秩父ふるさと館という建物。もとは大正時代に繁栄した銘仙問屋の店舗。  ここと中央薬局の間を直進します。 右手に●旅籠風な旧家がありました。 更に進むと●二股になり、突き当たりの家の玄関前に「右 十六番」の道標があるので右手に入って行きます。  14:08

     ~十六番・西光寺
 更に進むと●右角に「十六番入口」の銘のある道標が立つ十字路に達し、ここを進んで行くと●十六番・西光寺の山門に到着します。  山門右手に●四国八十八所霊場の本尊を模した木像が並ぶ回廊があって、 一巡すれば四国遍路を果たしたと同じ功徳を得るという・・あちこちにあるスタイルだけど、安直すぎてあまり好きではない。 本堂右横に秩父札所内最古の建造物と云われる●札堂というのがある。 巡礼の際に木製の納札を釘で打ちつ付ける・・・というのが本来の納経の姿らしく、 柱に札を打った釘穴が沢山残っている。  14:30

 ■西光寺~十七番・定林寺
 十七番へは先ほどの「十六番入口」の銘のある道標まで戻り、ここを左へ曲がり、真っ直ぐ進むと●秩父駅前通りへ出ます。 ここを右折して行くと、「市立病院入口」交差点手前を左折するようにという案内板があるので、ここを左に曲がります。
 5分ほど行き、●保健所の先を右へ入ります。 曲がったら直ぐ左手に●「江戸巡礼道」、「十七番道」の道標がある所を左へ曲がります。 ここは民家の中を行く細い道で、広い道へ出たら、案内通りに進んで行くと●十七番・定林寺に到着します。
 この寺は林家の持ち寺として開創され、別名を「林寺」という。 室町時代の「長享2年(1488)秩父札所番付」では定林寺が札所一番で秩父札所は三十三ヶ所であったと記されている。   15:00

■ 定林寺~相生町交差点
 十八番へは国道に出て、左へ行けば●相生町交差点に達します。正面に大正4年の道標がありますが、・・・うっかりしたことに17番あたりでデジカメの電源警告ランプが点滅し始め、写真を撮ることがあやしくなってきました。・・・18番までもたないかも知れず、スマホも持ってきていないので、やむを得ずここで本日は終ることにしました。 秩父駅まで約15分戻って、西武秩父経由で帰りました。
  15:20

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