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古代東海道跡を歩く | 歩行地図はこちら |
墨堤通-四つ木橋-奥戸-立石-京成小岩-江戸川土手-国府台-国分寺-京成市川 16.4km |
古代東海道 延喜式における武蔵最後の駅である豊島駅は谷中墓地に比定される。(続日本紀では浅草附近とされているが別物であるという)そこから真っ直ぐ下総国最初の駅である井上駅まで明瞭に道路が残っている。それが古代東海道の痕跡とされているのでここを歩いてみる。 谷中から墨田区内、都立産業技術高専附近までは交通混雑地帯で真っ直ぐな道が残っておらず歩くことは不可能である。隅田川を渡った、墨堤通からは江戸川までかなり明瞭に残っているので歩くことができます。 |
![]() ![]() ■出発点 最初は墨堤通の、墨田区墨田2-7、附近です。入口は5m程度の道でわかりにくい。通りの向い側にはえらく長大な団地群が広がっている。ここは団地を都の防火地帯代わりするというすごい設備で屋上には水タンクと消火銃が乗っている。道を少し入ると墨田第二郵便局が見える。そこを目印に入ってゆく。 |
![]() ![]() ![]() 3分程で東武線鐘淵駅を通過する。踏切を渡り真っ直ぐ進むと荒川土手に出る。荒川は大正、昭和にかけて掘られた人工河川であるので、昔は当然存在しない。今はすぐ下流の四つ木橋を渡るしかない。土手の上を歩く。河原敷では草野球が盛ん。 |
![]() ![]() ![]() 橋を渡りすぐ左折しする。すぐ見える右折方向の細い道が古代の東海道である。ここを歩くが一車線もない全くの生活道路である。ほぼ東方向へ真っ直ぐ伸びている。途中で12m程度の幅となるが交通量も増えてくる |
![]() ![]() ![]() 京成押上線踏切を渡り、奥戸街道となる。京成立石駅を過ぎる。手前に立石仲見世などという横町もある。最近はあまりこういう横町もあまり見ない。やがて中川の本奥戸橋へぶつかる。中川も江戸幕府の利根川東漸事業に源を発して川筋を変えてきた川なので古代ではあっても小川程度ではないと考えられます。(古代は多摩川は河瀬川、隅田川は住田川、江戸川は太日川と呼ばれ渡船によった。) |
![]() ![]() 奥戸橋を渡り、環状7号線交差点をまっすぐ通過する。新中川に掛る三和橋を渡るが、この川も昔には存在しない。道は普通の道路で真っ直ぐ進む。9月というのにえらく暑くライフストアで少し涼む。 |
![]() ![]() ![]() 踏切をすぎ住宅街をすぎていくと住宅街となり、やがて真光院に突き当たる。すぐ裏は江戸川土手である。ここで東海道の痕跡はなくなるので歩き旅も終りとなる。墨堤通から9km位。 江戸川の対岸は市川市国府台である。下総国府のあった場所で史跡の多い所である。対岸に渡り国府台を歩いてみる。 |
![]() 下流の市川橋を渡り左側土手の上には市川関所跡碑があり、ここらあたりが井上駅があったらしいと説明板にあった。(写真は回りに数人の人がおり、弁当など食べていて撮れなかったので市川市観光協会のもの) 国衙は野球場付近に、土器類などは和洋学園、千葉商科大内から出たと言われるが大学構内なので立入ることができない。 |