![]() |
七里半街道を歩く (海津~敦賀) |
歩行地図はこちら 地図 |
海津-清水の桜-道の駅-小荒路-国境-山中-駄口-疋田-道口-気比の松原 25.9km |
七里半街道 畿内から北国に抜ける街道の内、有名なものでは琵琶湖西岸を北上する西近江路があった。大津から海津を経て山中峠を越えて越前に入り、木ノ芽峠を越え今庄宿で北陸道に合流した。この街道の途中の道口からは敦賀へ向かう道が分かれ、敦賀から海津までの距離が七里半であったため敦賀・海津間は七里半街道と呼ばれた。 途中 小荒路・山中・駄口・追分・疋田の各宿場が置かれていた。またこの街道には古代の愛発関が置かれていたといわれている。現在の国道161号が相当する。 ここをマキノ駅から新疋田駅を夾んで2日で歩いた。 距離26km程度。 ゴールは敦賀市内の気比の松原付近とした。 参考資料 歴史の道調査報告書(滋賀県・福井県) |
![]() |
![]() ![]() ![]() ![]() |
林を抜けると行き止りになった。本当はもっと先に続いていると思われるが、旧道は完全に消滅している。右手に●階段があるので上がって行くと国道の●道の駅「マキノ追坂峠」へと出てきた。テラスからの琵琶湖の眺望が良いということだったが、見逃した。売店で「さば飯」を買っておいた。この先敦賀までほとんどコンビニなどがないだろうと思う。 道の駅の先で右に●旧道の「小荒路」に入る。 10:50 |
![]() ![]() ![]() |
■追坂峠~野口 ●小荒路地区を進む。国道に沿った集落だが、別に宿場とかではなく、江戸時代では海津宿を構成する10カ村の内の一つで宿の入用費用を分担していたという。右手に●長善寺という寺がある。巨大な黄金色の観音さんはなぜか、街道に背を向けて立ってる。 右手に地蔵堂がある。右手の山麓を行くと、国道へ出て、●野口交差点で右手に入る。。 11:15 |
![]() ![]() ![]() |
●野口地区の家並み。ここも海津10カ村のひとつ。途中に●伝正寺がある。右手に●剣熊の関跡という石柱が立っている。 野口御番所ともいわれ、幕府が女人の通行を改めるために関所をここに置いた。諸侯の家来筋は下馬しなければ通れず、東海道の新居関に相当する格だったという。 この先で国道に出て昔の近江国と越前国の国境へと上って行く。 11:25 |
![]() ![]() ![]() |
★国境のスキー場 国境付近だが、滋賀県側には「国境高原スノーパーク」というのがあるみたいだが、福井県側のスキー場は潰れてしまったようで、●広い駐車場跡や●「敦賀国際スキー場」という看板の架かる亡霊のような建物が建っている。かつてのにぎわいはどこへやらと・・・・・ ●リフトはまだ健在のようである。いすは取り外されカバーが掛っている。 12:25 |
![]() ![]() ![]() ![]() |
■山中~駄口 この先ずーっと●車道を下る。時々大型トラックが過ぎて行く。左手の大木の陰に●駄口の一里塚碑がある。昭和11年に福井県が設置したもの。 集落が見えてきて、●左手に入る。駄口の集落である。 13:35 |
![]() ![]() ![]() |
■駄口~追分・深坂 ●駄口地区。300m程で国道に出てしまう位の規模。駄口宿は冬季を除く下り荷の荷継場で、問屋1軒、茶屋兼宿屋1軒があった。宿場としての性格は薄く、副業的に荷馬運送を行っていた。 中程に●住吉神社がある。国道に出て、しばらく進み、●電機工場の先で右折し、追分地区に入る。 14:00 |
![]() ![]() ![]() |
■疋田~小河口 市橋地区に入り、右手に●日吉神社があり、ここの「スタジイ」の大木が有名らしい。市橋を過ぎると●小河口の集落。承応元年(1655)市橋から小河口の間の険道を開削して平坦にしたというので、昔は随分険しくアップダウンしていたようだ。 そのまま進むと前方に●小河トンネルが見えてきた。車は高架でトンネルに入って行き、歩く人間はその下をくぐって行く。 12:17 |
![]() ![]() ![]() |
■道口~木の芽川 七里半街道は●分岐点を左に取って敦賀へ向う。道の名前はよくわからない。地図を見ると北西方向にうまいこと松原へ向っているのだけど、途中●「TOYOBO」の大きな工場に邪魔されてしまっているので、国道を迂回して●木の芽川の北側の土手を進んだ。 13:22 |
![]() |
![]() |