諏 訪 道 を 歩 く
   (矢河原河岸~布施河岸)
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 矢河原河岸-加-諏訪神社-高田-南原-宿連寺-四本榎木-寺山坂下-布施弁天-七里の渡し  14.20km

 諏訪道
 利根川の布施河岸と江戸川の加村河岸を結ぶ諏訪道は、房総なま街道、木下街道と同様、鮮魚、物資などを陸路で運ぶ重要な街道でした。また途中の諏訪神社への参詣道でもあったので、この名前が付いている。陸路14km程、馬で3時間、流山の加村河岸まで運ばれ、ここから高瀬舟で江戸へ送られた。この為、流山は人馬の往来が激しく、大いに栄えました。     
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 2025年5月18日 画面をクリックすると拡大します
■流山駅~駅周辺
 本日は利根川の河岸と江戸川の河岸を結ぶ、諏訪道を歩きます。以前歩いた「なま街道」、「木下街道」と同じように生鮮物資を陸路で運ぶ街道で、重要な街道として賑わいました。 最初利根川、布施河岸から向かった方が良いかなと思ったが、最寄りの「布施観音バス停が」一日一本の本数になってしまい、向かえないので、江戸川加村河岸の方から布施へ向かうことにしました。
 9時半頃●流山鉄道、流山駅に到着。流山は江戸川船運や醤油醸造で栄えた町で、古い建物が残っている風情の良い所なので、2週間前に街歩きで撮りためた所を少し紹介しておきます。 駅前に"案内図" があるのでそれに従い、「流山5信号」あたりから大きく右回りで回っていくと、右手に●白みりんミュージアムという建物があります。今年の3月29日に開場したばかりの、流山発祥の白みりんをテーマにした体験型公共施設施設で、白みりんの歴史を学びながら、昔ながらのもろみ仕込みバーチャル体験ができます。その先、「キッコーマン工場」の塀に流山白みりんの歴史的資料を屋外展示してあり、●まちなかミュージアムと称しています。"説明板" 。現存する流山最古のみりんラベルや"明治時代の工場"などの図が掲示され興味深いものがあります。  

  その先、左手に●庚申塔と小祠が立っています。"説明板" その先を左に曲がって行くと、●近藤勇本陣跡の土蔵が建っています。流山は、近藤勇が陣営を敷き、最後に投降した地であり、ここに本陣が置かれた。現在は「秋元」という酒類問屋の住宅になっています。"説明板"。現在改修中で入れず。 その隣が●閻魔堂。右手のお堂の中に"閻魔座像"が安置され、左手には"「義賊」金子市之丞" の墓があります。"説明板" 。

  通りの突き当たりに立つ記念碑は●旧製紙業「紙平」の工場跡を示す碑です。"説明板"。寛永年間(1630)頃秩父から移住し、製紙業を営み、宝暦年間(1750)頃、醤油業に転じている。 その先右手に●浅間神社がある。 江戸時代の初めの創建で、本殿裏手に、富士登山が出来ない人の為に、富士山の溶岩を使った●富士塚が造られている。又、幕末に新政府軍が境内裏に仮本陣を敷いたという。 

  南へ少し戻ると●万華鏡ギャラリー&ミュージアムという面白い店があります。明治22年築の土蔵造りの二階建ての建物をリニューアルして使用している。 矢河原の渡しへ向かう途中、左手に●新川屋呉服店の建物が目に付きます。土蔵造りの商家で、創業は幕末の弘化3年(1846)だが、店舗は棟札から明治23年の建築という。国登録有形文化財。 その先、●あかり館@雑貨Konoconoという店舗は元々乾物屋だった築80年を超える商家を改装した建物。・・・とまあ流山街歩きをざっとしました。cafeなど寄らずに帰りましたが、半日くらいゆっくり見て回るのもおすすめです。

 ■矢河原の渡し~
 さて、本題の「諏訪道歩き」の起点は●江戸川矢河原の渡し跡から。加村の渡しとも呼ばれ、昭和35年頃まで存続しました。近藤勇はここから江戸川を渡り、板橋で斬首されている。"説明板" 。 渡しから市道へ出て、右折すると「加6丁目」の三差路に出る。 そこの左手角に●呉服ましやがある。ここも古く、創業安政6年(1859)、店舗・土蔵は、明治3年建築という。
 三差路を左に曲がって●流山1丁目交差点。左右に通過する県道は「流山街道」。諏訪道は正面を進み、すぐ右手脇道に入ります。右手は流山市役所があります。 諏訪道はしばらく県道278に沿っています。 9:20

   ~加交差点
 脇道から本道へ戻ると●急な坂になり、江戸川が作る段丘を下りて行きます。 右手奥に●本行寺。鎌倉時代創建の日蓮宗の寺院。流山人形供養発祥の地ともいいます。 その先、右手、脇道へ入りますが、途中で切れ、直角に本道へ戻り、右手奥にあるのが、●光照寺。天正年間の創建で当時は時宗。現在は浄土宗のお寺。入って左側に彰義隊に参加した"須藤力五郎の墓"がある。 須藤は駿河田中藩の飛地船戸領(千葉県柏市)の代官をしていたが、上司と衝突して浪人となった。須藤は佐幕派であったが、田中藩は新政府側となったため、慶応4年(1668)に田中藩士によって暗殺された。墓石は山岡鉄舟によって書かれたものという。 9:40

 ■加交差点~総合運動公園
 寺からちょうど県道に戻った正面信号をそのまま進み、右折左折を繰り返し、県道5号を渡ると、●地蔵坂という下り坂に入ります。かって道脇に地蔵尊が祀られていたことに由来するというが、地蔵は見当たりません。ここは草地に挟まれた旧道で、そのまま県道に合流します。 ●つくば高速鉄道手前に来ました。これから先、右手は流山総合公園が広がっていて、道は真っ直ぐ通過している。 旧道はというと、関東迅速速図を見ると少し左右にくねっており、現在の地図の「旧字境界線」というのに沿っているらしい。だが今ではほとんど消滅している。わずかにその名残が、矢印の所に残っており、左斜めに入ります。ここはほんのちょっぴりで、ガードを越え、●流山総合公園を右手に見ながら進みます。旧道は左にくねっているのだけど住宅の中に消えています。 10:08 

 ■総合公園~稲荷神社
 浄蓮寺先で、●くね道の最後の名残で、左手に入ります。ここも200m位で県道に合流します。 柏市に入り●真っ直ぐな道が続きます。諏訪道全体でも真っ直ぐな道はこのあたりだけです。 左手に●稲荷神社"開拓碑と木釘記念碑" というのが立っている。 ここは柏市豊四季地区で、明治時代、旧士族の授産事業による開墾団が4番目に入植した所。開墾事業だけでは生計が立たず、木釘や蓑を作る副業がさかんに行われた。木釘というのは鉄製でなく、木製で桐箪笥などに使われた。木釘はこのあたりの特産品となっている。 10:28

 ■稲荷神社~諏訪神社
 神社の隣にあるのが●山崎帝国堂本社。「毒掃丸」でおなじみですね。あんまりお世話になったことはありません。 その先の交差点は●日光東街道との交差地点で、左右に通過するのが東街道。諏訪道は真っ直ぐ進みます。東街道は2013年10月に通過しています。先の稲荷神社にはこの時立寄りしています。 東武野田線を越えると左手一帯が●諏訪道の由来になった諏訪神社です。
 10:45

 ★諏訪神社
 いかにも由緒を感じさせる鬱蒼とした、林の中を抜けると●随神門が現れる。 創建は平安の初め、天武天皇の皇子・高市皇子の後裔の一部が移住し、この地を永住の地と定め、農業の守護神として、信州の諏訪大社から分祀・創建されたとされる。よって祭神は健御名方神。 また源義家が後三年の役に向かう際に立ち寄り、軍馬の調達をし、戦勝後献馬をしたという伝承もある。付近は馬の放牧地でもあるので、馬に関する伝承が多い。 元の社殿は火災により焼失して●拝殿などは後の再建になる。 珍しいのは●狛犬で、「長崎平和祈念像」で有名な北村西望の作による。

 ■諏訪神社~
 境内に●義家献馬の像がある。これも北村西望の製作によるもの。 参道右手に●「義家鞍掛の松記念碑」というのが立つが、義家が献馬をした際、鞍をかけた松が昔、境内だった50m南側に立っていたそうだが、明治初期に枯れてしまって、今は碑だけが残っている。 神社参拝が終わり、●流山市と柏市の境界にそった細道を進みます。 11:05

    ~高田
 住宅街を抜け、県道278を渡ると、"大堀川"に架かる●駒木橋を渡ります。旧道は橋のすぐ先を右に曲がるのだが、曲がらずそのまま少し行くと、右手に●野馬土手の旧跡がほんの少し残っています。説明板がないと通り過ぎてしまう位なのだけど、放牧地から馬が脱走しないように造られた土手の跡だそうです。"説明板" 元に戻って先に進むと、ぐるっと●右回りにカーブする頂点の様な地点に来ます。そこに"うなぎ道高田の水切り場"という説明板が立っている。諏訪道は利根川、手賀沼などウナギを運ぶ輸送路でもあった訳で、この付近の湧水にひたし、生気を取り戻させて運んでいったといいます。 11:35

 ■高田~国道16号
 ドラッグストアの先、道路、左手角に●道祖神や常夜燈が置かれている。由縁などはわからず。 道路を左折した先、●高田熊野神社が鎮座している。 案内板によると・・・厳密な創建の時代は特定できないものの、この高田の地が江戸時代から野馬土手によって囲まれていたことからして当時既にこの地に鎮守様として祀られていた・・・と書いてあります。 そこから先は、大堀川に沿って・・と云っても、川縁ではないが、くねったり、まっすぐだったり・・で進むと、●国道16号、柏警察署入口交差点に来ました。
 12:26

 ■国道16号~南原
 交差点は歩道橋でなく、そのまま青信号で渡り、●坂を上がります。右手に「柏中央高校」があったりします。 進んだ先、下り坂が始まる手前で、左折をして行くと、三差路、左手に●石仏群が並んでいる。隣に"地蔵堂と覆い屋" が立ち、「石仏・小堂移設記念碑」という案内板も立っていたのだが、これが反射して見にくかったけど、突き当たりにある「覚王寺」により、散在していた石仏群をまとめて、ここに祀ったということらしい。 三差路を北上します。やがて見えてくるのが、●「松ヶ崎の一本杉」。名物だった一本杉だったが,枯れて、切り倒されてしまい、現在はその切り株と、2代目らしい木が寄り添うように立っている。 「山本鉱太郎 房総の街道繁盛記」によると、杉の前の神楽蔵の前に二抱えもある大きな力石があった・・とあり、なるほど蔵のまえに"それらしき、卵形の石が" おいてありました。 12:45

 ■南原~宿連寺
 その先、地金堀という大堀川の支流が作る谷に向かって、●急坂を下ります。 下ったら今度は坂を上がる訳で、上って行き、右に曲がった、左手に●大クスの木が一本立っている。(振り返り撮影)根元は池になっていて、「宿連寺の湧水」という看板がある。ここには「ダイダラボッチ」伝説がある。ダイダラボッチとは「巨人」のことで、遙か後方の「諏訪神社」の近くでころんだ、ボッチがこのあたりで、手を突いたという。そこが池になったという大げさな伝説です。 すぐ先、簡易郵便局の先の石垣の脇に"馬頭観音、道祖神など8基" 並べられている。 右手に●須賀神社が鎮座。 13:10

 ■宿連寺~四本榎
 神社の先で左折して、右手に小さな「宿連寺公園」があり、少し筋違状になっている●柏高校入口交差点は真っ直ぐ進みます。しばらくすると、長く緩い下り坂にが続き、右手は広い畑地で、新しい住宅が並ぶという感じ。やがてゆるやかな上り坂となり、右手は「かしわ青光苑」という霊園が広がっています。 ●「善照寺」の脇を右折します。正面に"道標が2基" 立っていて、右側は古くて文字が全く読ません。左側は「向テ左 野田町方面 向テ右 布施弁天」と読むようだ(房総繁盛記)。 右折した右手に●香取神社がある。境内に庚申塔などが沢山置いてあり、"本堂の彫刻"が見事ですね。 13:38

 ■四本榎~寺山坂下
 県道47号手前の左手、民家のと隣に"お堂と多数の馬頭観音や石仏が置いてある。 県道を越していくと●布施街道との分岐点に出ました。左側が以前、柏から歩いてきた、「布施街道」。右側が今歩いて来た「諏訪道」。正面に"道標が2基"。こちらは読みやすく、右が「新四國大師道」、左は「左 江戸道 右 流山道」とあり、「流山道」が今回の諏訪道にあたります。 この先は布施街道と同一で、以前通りました。 これから先は利根川に向かってかなりな下り坂を下ります。左手の恐竜やらゴルフボールのモニュメントを飾った、面白い建物は●「オリエント企画」という看板を扱う会社です。昔の写真と比べると、ゴルフボールが増えている。 諏訪道は真っ直ぐ利根川土手へ進むが、布施弁天へ寄るので、●弁天への分岐を右に曲がります。 14:00

 ■寺山坂下~布施弁天・東海寺
 右に曲がると左手に●薬師堂など。安産不動明王、弘法大師、大日如来、薬師如来など4つのお堂が集まっている。 そして突き当たりに小山の上に●布施弁天楼門が建ちます。正式には正式には「紅龍山布施弁天東海寺」という。大同2年(807)、空海作といわれる弁財天像を本尊として開山された。関東三大弁天の一つ。明らかに古墳の上に建っているのだろうと思うが、どうだろう。  布施街道を歩いたときは上がっていないので、今回は上ってみます。●本堂。。何度か焼失して、享保2年(1717)の再建。

 ■布施弁天~
 右手に●鐘楼が建っている。一見、多宝塔と思ったが、多宝塔形式の鐘楼という。総欅造り、文化15年(1818)の建立。設計にあたったのは、谷田部の名主飯塚伊賀七、大工棟梁は今関嶺蔵。伊賀七は谷田部で庄屋を務めるかたわら、建築・和算・蘭学などを学び、からくりや和時計、建築設計など多方面で活躍し、「からくり伊賀」といわれる人物です。 楼門横に●三重の塔。これは新しくて、昭和48年の建立。さて、布施弁天を一通り見て回り、●利根川河川敷の旧道へ出て、七里の渡し跡に向かいます 14:25

     ~利根川布施河岸・七里の渡跡
 利根川の河川敷はさすがに広く、土手も二重に作られている。七里の渡しは●新利根川橋の中間あたりの、内側の土手下にあるので、ちょっと距離があります。 河川敷旧道に少し入ると●庚申塔が3基並んでいます。以前来たときは道端に"こんな感じ" であったが、河川敷整備で整理されてしまったようだ。 せっせと歩いて、内側の土手を越し、渡し跡らしき跡に向かうも、川沿いは灌木だらけで、見通しがきかず、改修工事のバリケードも張られている。 隙間を探して、入り込むと新利根川橋の真下あたりに、"案内板"があって、それによる正面に見える、水神様の石塔付近だとされるとのこと。あたりは灌木で対岸さえみえませんでした。ここ布施河岸には4軒の問屋があり、銚子からの物資をここでさばき、諏訪道を通って流山から江戸へ運ばれたのでした。 14:45終了
 帰りは「あけぼの山公園」を通り、「あけぼの山公園入口バス停」から「JR我孫子駅」を経て帰りました。