筑波街道を歩く 
     (土浦一高前~筑波神社)
歩行地図はこちら 地図
 土浦一高前-常名清水-藤沢-高岡-小田-北条-つくば道分岐-神郡-臼井-筑波山神社   18.62km

筑波街道

 筑波街道は、土浦市の土浦一高前で水戸道中と分かれ、藤沢、小田、北条を経て、筑波山神社へ至る約20kmの参詣道です。北条から先の つくば道 は徳川三代将軍家光が寛永3年(1626)に筑波山神社を 造り替えるための資材運搬用に整備した道で、その後、筑波山神社への参詣道 として使われた。北条から筑波山神社までは「つくば道」として日本の道百選にも選ばれています。
 参考資料
 日本の道100選
国土交通省)
 旧水戸街道繁盛記(山本鉱太郎)
 茨城県の地名辞典    外 各HP
筑波参詣道 

2019年11月17日  ※ 写真をクリックすると拡大します
■土浦一高前~八坂通
 8時前土浦駅到着。8時5分発のバスに乗り、土浦一高前で降りました。校門前が●水戸街道と筑波街道との分岐にあたり、ここから筑波への参詣道が始まります。もとは分岐点に土浦最古の真鍋の道標というのがあったが、現在は土浦市立博物館前に移設されている。建立は享保17年(1732)年で、「左きよたきつくば 右 ふちう水戸」と彫られていた。 右手が●一高正門で、旧本館校舎はゴシック様式で、国の重要文化財となっています。毎月第二土曜日が公開日だそうです。
 では、筑波山に向かっての旅ということで、水戸街道から●八坂通りに入って行きます。  8:30

■八坂通~土浦工高前
 ほんの数分歩いた右手に●八坂神社があります。江戸時代には土浦城の鎮守として、明治以後は土浦の総鎮守として祀られてきた。●本殿が形良く、元禄13年(1700)の再興になるが、外壁や腰壁の彫刻が素晴らしい。
 少し先の十字路を左へ入った所に「皇産霊神社」というのが地図にあり、あんまり聞かない神社なので、行ってみました。右手高台に●皇産霊(たかむすび)神社がありました。拝殿はたいしたことはなく、本殿の方が形が良く、好ましかったです。 由緒など後で調べたら、創建は永承年間(1046~)。元弘3年。新田義貞の挙兵の際、小田治人一族が結城氏らと社前に戦勝を祈願し、勝利を収めたので、以来小田家の守護神として社殿を再興した・・といいます。   8:45 

■土浦工高前~常名清水
 街道に戻り進むと●国道125号に合流。右手に「つくば国際大学」、土浦工業高校などがあり、国道6号跨道橋を越えて、すぐ右手の旧道へ入ります。  10分程歩いた右側、●せきね商店の横●旧都和(つわ)村、現土浦市の「道路元標」が半分埋もれてあります。 9:02

■常名清水~藤沢下宿
 旧道はその先で国道に合流し、●常磐自動車道を越えます。その先、2km程何もなく国道を真っ直ぐ進みます。途中「武者塚古墳 左 1.5km」という看板が立っており、興味を引くのだけど、往復3kmというのはねえ・・という感じでパス。
 ●藤沢小学校の前から右手旧道へ入ります。 進むと●前方T字路の角に●背の高い道標が立っている。「皇太子殿下誕生記念」と刻まれているが、下部が道標になっており、「右 至土浦 約二里  左 至筑波 約三里」とある。又右側面に「石岡縣に通ズ」と古い字体なので、現上皇の誕生記念碑でしょう。   9:45

 ■藤沢下宿~藤沢十字路
 ここの旧道もすぐ先で国道と県道の交差点に合流し、国道を進み「藤沢下宿」に入ります。 左手、消防団がある広場の片隅に●「藤沢防空監視哨之跡」と刻まれた石碑がある。 「防空監視哨とは(Wikipedia) このような碑は初めて見ました。
 ●藤沢下宿に入ると●街道の両側に立派な門構えを持った屋敷が並んでいる。 下宿というからには宿場の様な集落が集まっていたのだろうか・・・。 藤沢十字路の角にも●背の高い道標が立てられている。 かなり摩滅して薄く、良く読めないが、都和村 並木 真鍋 土浦 小田 北条などの文字が並んでいます。 藤沢十字路を左に曲がって少し寄り道します。   10:00

 ■藤沢十字路~藤沢城跡~藤沢十字路
 左に曲がって、途中右手へ細い坂道を上がると、右手奥に●神宮寺があります。参道に多数の五輪塔が並んでいるのが珍しい。神宮寺先左手一帯が地図上では「藤沢城跡」だと思うけど、案内板など見当たらないのでわからず、ただ民家脇に土塁跡らしき痕跡が認められ、公道とも私道ともわからない細道を下がって行くと、一帯、畑地であって、高台にもなっているので、ここ一帯が●藤沢城跡であろうと思います。城は小田氏の居城である小田城の支城として築かれ、小田城が豊臣秀吉軍に攻められ落ちると、藤沢城も廃城となっている。 その先に●藤原藤房卿遺跡というのがあります。 説明板 後醍醐天皇の側近であった藤房は討幕運動に参加したことにより、北条高時によってこの地に配流。京都に帰るも、僧侶となって諸国を遍歴したという。  10:20

 ■藤沢十字路~高岡の旧道
 城の周りをぐるっと一回りして、県道から藤沢十字路まで戻って先に進むと、相変わらず●立派な門を備えた屋敷が続きます。左手の●八坂神社は地元の人による草焼きで煙りモウモウで入れる状態ではありません。  神社脇から●右手の旧道へ折れます。
  10:30

■高岡の旧道~県道125号
 旧道を入って行くと、右手に●二十三夜塔堂があります。 説明板 祠の中に2基の●二十三夜塔が安置されているが、手前の二十三夜塔の方が指定文化財らしいけど、堂内で近すぎ、暗すぎでフラッシュ焚いたら、後ろしか写っていなかった。
 そのすぐ先、●十字路の角に●指差道標があります。「→ 藤沢 並木 真鍋 土浦 ← 大島 大形 小田 北条 筑波方面」などと彫られています。この先は国道125号に合流します。 10:40

■国道125~梶の宮神社~国道125
 国道に合流したら又少々の寄り道をします。北に向かって700程道なりに行くと●梶ノ宮神社というのがあります。室町時代、高岡にある法雲寺を開山した復庵(ふくあん)和尚の創建と伝えられている。  拝殿の覆い屋からは全く見えなかったが、中に本殿が2棟 梶宮社本殿と八坂社本殿が並んでいるそうで、伊勢神宮の20年毎の式年遷宮の形式が残っているのだそうだ。神社の裏には市指定考古資料の●寛永2年(1625)に造られた湯殿山時念仏供養板碑がある。
 帰りがけの右手に●大きな二十三夜塔や石仏がならんでいます。 ●国道125号を真っ直ぐ下って行きます。 11:20

 ■県道125号~西大形
 下大島バス停の近くに、●多数の 石仏が置かれ、背後の崩れかかった茅葺建物は鹿島神社。 その先右手にひっそりと一基 立っているのが馬頭観音で、●馬頭観音の先から旧道に入ります。 西大形の集落は特徴的な丸まった集落で、かなり大きな●長屋門が2棟。手前の長屋門には実際に人が居住していて、珍しい。  11:45

 ■西大形~小田入口
 ここはすぐに国道に合流します。その先、「西大形バス停」の所で再び●右手の旧道へ。ここは水田の中を通っており、右手に●大きな馬頭観音が2基。右側の石碑は倒れてしまっている。 国道に合流したら、●「小田入口バス停」先で左手に入ります。小田の集落で、小田城の城下町に相当するのでしょう。 12:00

 ■小田入口~
 入口の脇に●庚申塔と名号塔があります。名号塔は道標を兼ねているようだが、摩滅して全く読めません。後ろに松がぽつんと一本。●小田の集落に入りますが、左手の門構えの屋敷は●高瀬醤油。煙突が立って今でも醤油醸造をやっているのでしょうか。その先左手に●解脱寺。正面に「二十三夜堂」が見えます。 

   ~小田城跡
 板壁が特徴的な民家の先の●十字路へ出ますが、右手に小田家の家系図や 小田の案内図 などが掲示してある、割と重要な地点なのだけど、名前がない十字路なので、一応「小田の十字路」と名付けておきます。 左に曲がった角に●大きめの庚申塔道標が建てられているが、「庚申塔」の文字だけ読めて、あとは読めません。
 十字路を左へ折れて、小田城跡を見る為に寄り道します。 十字路を横断して●突き当りに見えるのは●三寶大荒神塔。仏法僧の三宝を守護し、不浄を忌避するという日本独特の神を祀る塔だけど、あまり見たことありません。 荒神塔の前を右に曲がって道なりに進みます。 12:20

 ★小田城跡
 進んで行くと●小田城の復元された堀跡が見えます。 小田城は源頼朝挙兵に早くから参加した八田 知家を祖とする小田氏の居城で、南北1km、東西700mという広大な平山城であった。南北朝時代には東国における南朝の中心になり、北畠親房を迎え入れ、城内で「神皇正統記」を著したのは有名。 その後佐竹氏などにより敗退、慶長年間に廃城となった。 ●本丸跡が復元されて、公園として整備されている様です。国の指定史蹟。案内所脇に●「神皇正統記起稿の之地」という石碑が立っています。  12:55

 ■八坂神社~
 元の小田の十字路へ戻り、右手へ行くと●八坂神社があります。毎年7月の第3土曜日に小田祇園祭が行われるそうです。
街道を先に進むと、右手が広い駐車場になっており、旧名主・長島家の跡地。 一角に●石燈籠、犬矢来、築地塀などが一部だけ保存されています。その対面に●立派な塀と門を備えた屋敷が一軒。「梟カフェ」という看板が出ているので、カフェらしい。ちょっと入るのに躊躇しますね。 13:16  

   ~北条新田交差点
 その先右手の奥にあるのが●延寿院薬師堂。 延寿院石上寺は廃寺となったが、残された薬師堂は享保14年(1729)の建立。隣の公民館敷地はは小田村旧役場の跡。
 その先左手に変わった石塔が。背の高い石塔を中程をくりぬいて、小さな石でできた車を取り付けた、●後生車とその後ろに石塔群があります。後生車とは、丸い石車を一回転させると経を一回読んだことになるという、まあ安直なお祈りのやり方。明治33年(1900)に建立の文字が彫られている。前方に筑波山が見えてきました。その先●両側に旧家が続く道を行きます。 
 13:40  

 ■北条新田交差点~平沢官衙跡
 ●北条新田交差点を真っ直ぐ渡ります。「平沢官衙遺跡→」の看板があるので、看板に従い右手へ折れます。坂道を上っていくと右手は「北条大池」で、●大きな馬頭観音碑があるので一緒に撮っておきます。少し先、左手に草原の様な広場が広がり、●平沢官衙跡です。 説明板 奈良・平安時代の常陸国筑波郡の郡役所跡で、その頃の税であった稲や麻布を保管する高床式の正倉が復元されている。  14:06

  ■官衙跡~北条入口
 北条の町に入ると枡形らしき跡が2箇所残っている。まず最初の●枡形道があって、その左側側に●二十三夜塔などが立ちます。枡形を曲がると●北条の町並に入ります。町並と云うのにはひっそりとしている。道路右手にひっそりと立って いるのは●東の市の神。 14:22

 ■北条入口~
 次に●第2の枡形を通過しますが、右手の高台に建つのが●北条八坂神社。由緒板などないのだけど、「つくばと筑波山の総合情報サイト つくば新聞」によると・・・天喜年間(1053~58年)あるいは康平年間(1058~65年)、源義義の創建という。本殿は、1733(天保18)年の再建。・・・。
 境内左手の●五輪塔は天文6年(1537)の銘があり、茨城県内では2番目に古く、納経塔として作られたのは珍しいという。
 ●北条の町は寛永3年(1626)に三代将軍徳川家光が、筑波山神社再建のための資材運搬路を整備したことに由来し、北条仲町を起点に、筑波への参詣道として賑わった。おのずと商品の流通も活発となり、酒や醤油の醸造、油の製造、木綿の取引きなどが活発に行われ、経済・政治の中心地として発展していくようになった。 昭和62年まで筑波鉄道が開通していて、北条駅が置かれていた。「駅入口」というバス停があるのもその名残でしょう。 14:25

          ~北条仲町
 左手に国登録有形文化財の●宮本家住宅。  文化遺産オンライン 宮本家は昭和30年代でで醤油醸造を止めているそうだが、この建物は江戸末期の弘化4年(1847)建築と伝わる。
 すぐ先のT字路から「つくば道」が始まるのだけど、素通りしてすぐ先に北条町の情報発信基地●北条ふれあい館があります。この建物は旧田村呉服店の店舗で大正末期に建てられたもの。開いていたけどチラ見するだけ。
 ちょっと戻って●仲町丁字路に建てられた●道標に太く「これより つくは道」と彫られています。高さ3mを越える。最初に建てられたのは正徳5年(1715)で、現在のは寛政10年(1798)に再建されたもの。 14:35 

 ■つくば道分岐~普門寺
 ●つくば参詣道が始まります。筑波神社まで4km。 左手に案内板が架かります。家光の時代に開かれ、筑波山への参詣道として多くの人々が行き交い、昭和61年「日本の道100選」に選ばれています。 大体登り道で最初はゆるやかだが、最後急坂になることは、ここの時点ではわからなかったです。
 歩き始めて数分、左に入る細い道があるが、旧道であろうと思い、入って行くと左手に●庚申塔と二十三夜塔がありました。
その先、一度広い道へ出て、左折、200m程で右手へ折れます。 左手に「つくば田井郵便局」があり、その先で●つくば山が大きく見えました。  14:52

 ■普門寺~神郡上町
 ほどなく右手奥へ●普門寺の長い参道が続く。 その先●変形十字路の脇に●道標が一つ。摩滅して読めないが、神郡マップという資料では、昭和天皇即位記念として昭和3年に建てられた道標で、北条、下妻、筑波、蚕影山、などの文字がかろうじて読めるそうだ。 神郡上町に入ると●街道の両側に蔵、黒壁などを備えた古民家が何軒も並んで、筑波山を背景にして美しい風景に出会うことができます。日本の道100選にふさわしい景色といえましょう。  15:03

 ■石蔵璃厨~一の鳥居
 神郡十字路手前に特徴的な石蔵があります。●石倉璃厨(RIZ)といって、田井産の米を収納する米倉であったが、役目を終え、現在はオープンカフェやライブハウスとして利用されている。
 この先は少し両側が水田、畑の平坦な道が続き、やがて●結構きつい上り坂になり、15分位歩くと●筑波山神社一の鳥居に着きました。この鳥居は宝暦9年(1759)に建立されたもので、ここから先、昔は石段が続いていたそうだが、昭和40年代に舗装されたという。 15:21

 ■一の鳥居~旧筑波山郵便局
 とは言ってもこの先の●参道はほぼ直登の道で、これはこれでふくらはぎが伸びっぱなしになるので結構きつい。車も通れるようだが、上りも下りもブレーキは大丈夫かって感じ。 ほどなく三叉路となるが、歩行者は右へ曲がって行く。
やがて●昔の石段に出会いました。鳥居からこんな感じの石段が続いていたとは大変だ。 階段を上がって見えた建物は●旧筑波山郵便局。白壁と赤い屋根で何ともレトロ。 昭和14年に建てられ、昭和50年に現役引退となった。筑波山麓秋祭りの時は公開されるらしい。その先も石段が続き、大汗かいて一気に上がると県道42号、バス道となってホテル、土産物屋さんが並ぶ人通りの多い筑波山神社境内に入りました。 15:36

 ★筑波山神社
 境内、社殿が多いのだけど、ゆっくり見て回るのは次回、筑波山登山の時にしようと思って、本殿参拝だけに留めます。●随神門をくぐって、階段を上がると●筑波山神社があります。由緒その他は神社HPにてご覧下さい。 筑波山そのものが御神体となって、男体山頂に伊弉諾尊、女体山頂に伊弉冉尊 が祀られている。
 帰りは4時5分発「神社入口バス停」から臨時バスが出て、座って帰れました。 16:40終了