足助街道(中馬街道)
江戸時代、五街道などでは馬による物資運搬は宿場毎に馬及び荷物の付け替えが必要で、能率が悪かった。一方、信州、飯田を中心に乗り継ぎをせず、付け通して運搬する「中馬」と呼ばれる方式が発達して、信州と尾張、三河、遠州などの町を通しで運び、その通る道を「中馬街道」などと呼んだ。又三河、遠州などからは主として塩が運ばれたので「塩の道」とも呼ばれていた。
代表的な道としては
1 名古屋から根羽を経由して飯田方面へ行く
「飯田街道。飯田からは三州街道と呼ばれた。
2 根羽で分岐して南に向かい、上津具、新城を経由して
豊橋へ至る「伊那街道」。
新城から豊川の舟運を利用して豊橋へ至る。
3 飯田から新野峠を越えて東栄町を経て新城に至り
さらに浜松へ至る 別所街道。金指街道とも呼ばれる
その外遠州から信州へ至る道など多数あります。
特に岡崎から足助に至る道は「足助街道」
と呼ばれ、今回は「足助街道」を歩きます。
資料 「愛知歴史の道調査報告書 8 飯田 足助街道」
愛知県教育委員会 |
|