北国脇往還
江戸時代、二つの道が北国街道と呼ばれた
1 長野県追分で中山道から分離し、善光寺を経て直江津で北陸街道 に
合流した道。
2 滋賀県の鳥居本から北上、木ノ本を経由し福井県今庄で北陸街道 に
合流した道。
しかし、近世、江戸への参勤交代で越前の諸大名は今庄から 木之本
を経由し関ヶ原で中山道に合流する北国脇往還を利用する ことが多
かっ たといわれる。
戦国時代、秀吉が大垣から52Kmを5時間で駆け抜けた「秀吉の
大返し」の経路でもあり、歴史的にも興味ある道でもあり ます。
宿場は藤川、春照、小谷の各宿が置かれていたここを2回に分けて
歩いた。 全長 35km程度
参考資料
「歴史の道調査報告書 北国脇街道」 滋賀県 |
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