塩の道・秋葉街道を歩く 1
    ( 相良から掛川)
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 相良-園坂-北原-塩買坂-磯部-平田-髙田-内田-応声教院-板沢-陣場峠-掛川   25.17km

   塩の道・秋葉街道
 塩の道とは、人が生きていく為に必要だが、内陸では産出しない塩や海産物を、内陸に運ぶのに使われた道のことをいう。また反対に、山の産物を沿岸地方へ運ぶ道でもあった。ルートは様々だが、代表的な道としては日本海側の千国街道、北国街道があり、太平洋側の三州街道(岡崎 - 塩尻)、秋葉街道(相良 - 塩尻)などがあった。道の沿線には今でも宿場や史跡が残っていたりして、興味深い場所でもあります。ここでは、太平洋側の相良を起点とした「塩の道・秋葉街道」を、秋葉山頂まで歩いてみました 
資料
 「静岡県歴史の道 秋葉街道」 (静岡県教育委員会 )
 「塩の道ウ-ク 太平洋-日本海横断430キロ(井上 如 )
 「塩の道         」 (宮本 常一)

 2023年10月15日  ※ 写真をクリックすると拡大します
■相良~大沢IC
 東京駅を「こだま号始発」で出発。静岡駅下車。「しずてつジャストライン」の特急バスで「大沢公園」に着いたのが9時半頃。 朝から小雨が降っている。 以前の人で、「相良営業所」で下車している例が見られるが、営業所は移転しているので、「大沢公園」が最寄りのバス停になります。 静岡県の太平洋に面した「牧之原市相良町」は、田沼意次の城下町でもあり、また信州への「塩の道」の起点がある所として知られています。本日は掛川まで歩きます。 掛川では、秋葉山へ向かう「秋葉街道」が東海道と分岐しているが、秋葉街道は「塩の道」でもありました。 ●見付交差点角に秋葉山常夜燈があり、ここが「塩の道」起点になります。ここには"「「起点 塩の道 相良町→須々木原」" の路標がある。内陸に入る塩には、南の太平洋岸からの「南塩」と、日本海岸からの「北塩」の各ルートがあり、相良起点のルートは南塩ルートの一つ。相良から掛川、森町、秋葉山を経て、青崩峠を越え、諏訪方面に送られていた。 西の「大沢IC」へ向かいます。右手に●小田宮神社がある。その脇に「塩の道相良案内所」と書かれた建物もあったが、無人なので特に寄らずに通過。 「大沢IC」で国道150号と国道473号とが立体交差して、旧道は消滅している。 高架の下をくぐって行くと●南塩ルートの案内板が立っていて、ここから本格的に始まります。 10:06


 ■大沢IC~御前崎市境
 その先は、●「園坂」という上り坂となる。最初の難所といわれ、結構、鬱そうとした、切り通しの坂だった。上り終わると「須々木原」。牧ノ原台地の●美しい茶畑が広がっている。 雨はやんできた。 坂の入口にも「秋葉道・塩の道踏査研究会」が作成した案内板が立っていたが、これから先、この "案内板"(一例に要所要所お世話になることになります。ただ小さくて、見落としがちになるし、矢印の方向の理解に苦しむことがありました。 左手から道が合流してくる角に、●「馬頭観音」を祀るお堂がある。脇に「塩の道 相良町→小笠町」の路標も立っている。 10:25

 ■御前崎市境~北原
 茶畑の一本道を行く。 三叉路手前に「御前崎市」の標識があって、御前崎市へ入りました。●左手角の家は「ばんじだな(伴次郎店)」という茶店の跡地に建っている。「ばんじだな」は須々木原から新野原へ進む途中の茶店で、相良方面からの送り荷(塩・魚)の荷継場であったという。宝暦から文政の頃まで伴次郎と名乗り、「伴次店」と呼ばれていたという。 左へ曲がる道はバス道で、鬼女新田へ抜ける。10m程先の右手に●秋葉山常夜燈がある。「秋葉堂京松原」の額が架かっている。 10分ほど先、左手に大きな木のお堂があり、●2基の庚申塔が安置されている。 10:59 

 ■北原~新野原
左手、朝比奈村横舟方面へ抜ける三叉路の角に●「明治九子三月」という「三夜燈」と、「慶応二」年の庚申塔がある。「新野原」交差点を越える。左手に●「相良町-小笠町」の路標がある。その先の●二股は「踏査研究会」の案内板に従い、左を行きます。右手は県道「相良大須賀線」で、これから行くことになる「正林寺」の南側を通っています。11:23

 ■新野原~塩買坂
 右手に●薬師を祀る小さな社があり、ここは「「馬茶屋」跡にあたり、相良からの塩・魚、掛川方面からの米・茶を運ぶ人馬が休憩した所という。 道なりに左に弓状に曲がると、左手に●「慶応四」年の「三夜燈」が立っている。 ●塩買坂を下ります。相良からの塩・魚の運搬の道として名付けられたという。 ここは今川義忠が文明11年(1476)、横地氏の残党により討たれた場所であり、徳川・武田の戦跡でもあった。 しかし道路拡張で道幅は3倍となり、掘り下げられて古戦場の面影は失われています。11:31

 ■塩買坂~
 左手にコンクリート製の貯水池があり、"武田陣場跡"の案内板が立つ。そのすぐ右手が●細い下り坂になっていて、「塩の道踏査研究会」の案内板が右を指しているので、右に下りて行く。 県道に向かう●ジグザグ道であるが、「調査報告書」の地図ではゆるやかに曲がりながら、西北方向へ一筋書かれているだけで、この道は旧道ではないようだ。 いずれにしてもこのあたり旧道は消滅していると思います。 県道へ下りて、●家屋の建っている前を右へ折れて行く。正面の建物は「松の茶屋」と呼ばれる茶屋跡に建っているそうだ。 旧道はこの家の裏手を通っていたと説明されている。 右角に"小さな社"があった。 11:47

     ~磯部
  旧道は「松の茶屋」の裏手を通っていると説明されるが、あたりを巡っても、そのような道は見当たらず、正林寺に向かって坂を上がり、突き当たりの「踏査研究会」の案内板に従って、鋭角的に左折する。 ちょうど右手に●「今川義忠公の墓」があった。
"説明板" 正林寺には寄らなかった。 ●左右に茶畑が広がる、県道と平行する道を西へ向かいます。 左手に「小笠配水池」がある所で、●右手に下る道があり、「研究会」の案内板に従って下って行きます。 12:05

  ■磯部~ 川上橋
 県道に下り、「研究会」の案内板に従って右折します。 その先に●分岐があるので、ここも案内に従って、左へ曲がり、坂を下ります。 左手に池があり、右手に工場。 左手に正覚寺があるが、寄らずにすませた。 突き当たって左に曲がる。 右手に●秋葉御神燈がある。その前に「13いちんば(市場)」の案内板が立つ。川上地区川中にある秋葉山常夜燈です。川上でも川中は中心で「川上市場」と呼ばれた。水路沿いにあるため、台座が3段。高さ107㎝もある。 「川上橋」の手前、●「くすりん」という看板の前"「研究会」の案内板と「左 塩の道」の道標 "があるので、左折します。 12:20

 ■川上橋~猿渡
 しばらく●丹野川の土手沿いを進み、二瀬川橋を渡ります。 渡って、右手の土手下に「15川中のお地蔵様」の表示と●お堂の中に4体の石仏がある。左脇の石柱に「秋葉山常夜燈川原組」と刻まれているので、お堂は常夜燈らしいが、とてもそうとは見えなかった。 橋を渡って、そのまま直進。県道にぶつかり、左折する。 右手に●亥之宮神社があり、隣に秋葉山常夜燈もありました。12:34

■猿渡~平田
  右手に「鶴堂霊社参道入口」石標があるが、社殿はどこだかわからない。 その先、●大きな石碑が立つ角にある「研究会」の案内板が左を指しているし、「左 塩の道」の標柱も立つしで、曲がる必要があるのかどうか、疑問で、黒田代官所へ向かうのかと思ったが、一応左に曲がった。 右手に水路が流れている。 最初の四つ角に来ると、又々「研究会の」案内板が右を指しているので、右へ曲がった。このあたり意味がよく解らない。 そのまま県道へ出て、「下平川」交差点を過ぎ、●左手に郵便局のある十字路を右折した。 すぐ先、●十字路右角の案内に従い左折します。正面の森に「太子堂」、「好運寺」があり、旧道は消滅して、左へ迂回するようだ。 13:05

 ■平田~城下橋
 道なりに右に曲がる右手に、「塩の道」の石標がある。「下平川」の集落を真っ直ぐ進み、突き当たりを円弧状に左へと曲がると、民家に突き当たる。そこを左折して道なりに行くと、●春日神社鳥居前に来た。前に「塩の道」石標があります。春日神社の北方は「堤城跡」で、大きく迂回している。 神社の隣の駐車場のある民家の間の細い道を入って行く。 神社森に沿って行き、突き当たって左折。 右手に"「堤城趾」の標柱" が立っています。そのまま市道へ出て、右折。右手の小山は●「堤城出丸」跡。 その先、牛渕川の城下橋に突き当る。が、橋の手前に「研究会」の案内板が右を指すので、橋を渡らず右折します。 右折すると右手、草むらに「左 塩の道」の道標があったので、●左の土手脇の細い道に入って行きます。このあたりは少しごちゃごちゃしています。
 13:28

 ■城下橋~髙田
 左に牛渕川の土手を見ながら歩き、県道に出て右折、少し先の右手カーブミラーに「研究会」の案内板が左を指すので左折します。細い道に入って、右手奥に●春日神社があります。延喜式神名帳の「奈良神社」で、奈良春日と唱えていたのを、奈良を省略して春日大明神と称したという。 "案内板"。 旧道へ戻って西進。突き当たりを左折、右折すると県道に戻りました。ここは春日神社の為に曲がって行く様な感じです。 菊川に架かる高田橋を渡ります。橋を渡った左手に「菊川改修記念碑」と「内田名所人物100選 高田橋からの富士山」という標柱が立っている。富士山は見えなかった。更に奥に●「太郎坊大権現 従是凡一町」の石標と、大正5年の道標があります。100m程南に「太郎坊大権現」の看板が見えるのだけど、パスした。●「髙田バス停」の先を右折して、「ひかり団地」の中に入ります。14:00

 ■髙田~内田
「ひかり団地」は髙田の渡船場にあり、荷継ぎ場の跡と云われ、相良方面からの塩・魚、掛川方面からの米・茶を積み替えたという。 この先ジグザグに県道に沿って進みます。「研究会」の道案内に従って、「団地の中を進んでいくと●古川神社に出ました。ちょうど祭礼の準備中で、人が出ていたので邪魔しないよう注意しときました。 "由緒" 。 神社右隣の●草地一帯は「国指定史跡 髙田大屋敷遺跡」といって、鎌倉時代の御家人内田氏の居館と考えられている遺跡です。堀割の跡が残っているらしいが、わかりませんでした。案内板も摩滅して全く読めません。
 神社の●西隣の細道を道なりにジグザグに進みます。神社の西隣の街道に、高田屋(ばくちまん)という飲食店と、おきく茶屋があった。髙田屋は県道に移転し、おきく茶屋は、相良からの塩や魚を板沢の継ぎ場まで運んだ人夫の休憩所になっていたが、畑、茶畑に変わっている。 14:15 

 ■内田~応声教院
 道は「内田保育園」にぶつかるので、左へ曲がり県道79号へ出て右折。そのまま進み「籠田橋」で上小笠川を渡ります。「応声教院」へ向かう県道に、どこかの神社の祭礼か、●山車が盛大に練り歩いていました。
 ★応声教院
 右手、前方の高台に「応声教院」の朱塗りの山門が見えた。応声教院は、斉衡2年(855)、慈覚大師が勅願により創建し、天台宗天岳院と称した。その後法然によりが浄土宗に改められた。●山門は国の重要文化財だが、痛みが激しい。強風で倒壊する恐れがあるということで、寄付を募っている。●本堂は工事中 14:35

 ■応声教院~掛川市境
 県道に戻って、右手に「←掛川市 塩の道 →菊川町」の路標があり、更に「櫻池真蹟應聲教院」の大きな石柱が立っています。「中内田」交差点を過ぎ、二つ目の角を右へ入ります。 ●二股の正面"「みかど歴史マップ」 "という案内板が立っている。ここにあるという秋葉山常夜燈は無くなっていた。 裏手の民家が「問屋」跡らしい。森町方面の椎茸などと塩・魚を交換していたという。 二股は左手を取り、突き当たって左折、すぐ先を右折、左折しながら「上小笠川」の土手へ出て、●土手沿いを進み、「矢崎橋」を渡り、県道386号を先に進みます。 ●掛川市に入ります。左手に「エレガント」という会社がある前の「道踏査研究会」の案内に従い右折します。 15:00

 ■掛川市境~上内田
 この先は又、住宅街の中をごちゃごちゃと進みます。 まず、2番目の角を左折して、住宅の間を抜けて行くと、●両側が田んぼの真っ直ぐな道が続く所へ出ました。かなり見通しが効きます。左手は「掛川中央茶業」という工場で、尚真っ直ぐ進むと、右手に、"「森町←塩の道→菊川町」の路標と、「研究会」の案内板"があります。右手の橋は渡らず直進。●左角には「屋台蔵 壱の組」という建物がある。祭りに使う山車の倉庫でしょうか。間を抜けます。住宅の中を「研究会」の案内板に従って、右折、左折を繰り返し、●「上内田橋」を渡ります。 15:20

 ■上内田~下板沢
 すぐ先を左へ入って、道なりに行くと右手に●「秋葉山遥拝所」の扁額の架かるお堂がある。右手には庚申像。常夜燈であろうと思う。前に「研究会」の案内板もある。 その先右手に●天神社があり、その隣に常夜燈らしきものが壊れかけている。 その先は「上内田小学校」に突き当たるので、左折、右折して回り込みます。 校庭前に●「塩の道 掛川市」の路標があるが、左右の「森町←」と「→菊川町という案内板が取れている。「研究会」の案内板もありました。 15:30

 ■下板沢~上板沢
 小学校の北側に、塩屋という下板沢の街道沿いの唯一の店で、塩、米、魚など商い、塩だけは昭和54年まで売っていたという店があったらしい。 右手に●福田寺。寺の前の坂は「暗闇坂」といい、樹木が覆い茂っていたという。しかし道が拡幅され、現在は全く普通の道路となっている。 その先の二股は案内板に従い、左へ坂を下ります。 次の角を右に曲がって、坂をクネクネと上がって行きます。右手、「下板沢公会堂」から上がって来る広めの道と合流しました。合流して少し進んだ右手角に●自然石の道標があって、「右 相良道に通ズ」、「左 五百済ニ至ル」と刻まれているらしいが、良く読めなかった。 その先前方の林の中に入って行く。●分かれ道の前方に常夜燈が建ち、正面に自然石の道標がある。この"常夜燈" は燈明施設がなく、電球が点いている。 15:50

 ■上板沢~陣場峠
 自然石の道標には「左 秋葉道」とあるようで、左の道を取り、坂を下りていきます。 県道に下りて、「青田バス停」の手前の●細い坂道を上がり、陣場峠に向かいます。 登り口に●秋葉山常夜燈がある。ここも燈明施設がなく、電球が点いていて、「秋葉山正一位秋葉神社」としてお札が祀ってある。 陣場峠へ向かって登っていきます。山道は舗装され、左右には茶畑が広がっている。やがて、●陣場峠に到着した。 16:15

 ★陣場峠
 陣場峠は家康の掛川城攻略の拠点となった所で、 "案内板" 。相良・秋葉道の最後の難所であった所。●峠からの眺めはすばらしく、家康が拠点にしたことが良くわかる。真っ直ぐ下る旧道は廃道になったらしく、樹木が繁茂してして通れそうもない。●「菊川市←塩の道 掛川市→掛川市」の路標に従い、病院の方へ下りて行く迂回路があるので、そこを下りて行きました。但し、ここは木の階段が急で高さもマチマチで、下りるのにも、上がって来るにもきついだろうと思った。  

 ■陣場峠~掛川市街
 下り終わってから西へ向かい、「上張南」交差点で右折して北へ向かい、●東名高速のガードをくぐります。ここから先は「調査書」の地図と「塩の道ウーク」の地図では全く違っていて、「調査書」では普通に真っ直ぐ北上しているが、「ウーク」の方は素掘りのトンネルをくぐり、東海道線「新町踏切」を渡っている。トンネルの上を旧道が通っているのだそうだ。ここは「ウーク」の方が正しかろうと、素掘りのトンネルを探してみた。ラーメン店の脇に●そのトンネルの口が開いていた。小さくてとても潜れそうになく、午前中の雨でぐちゃぐちゃだろうしで、潜るのあきらめた。 結局、真っ直ぐ進み、左手の●挙張神社に寄ってから、駅へ向かいました。ホテルは駅前「くれたけイン」。開始が遅かったので結構ハードな歩きとなりました。 16:55終了