柳生街道を歩く  歩行地図はこちら  地図
 柳生−芳徳寺−一刀石−徳政碑−南明寺−大柳生−円成寺−誓多林−石切峠−地獄谷−滝坂道入口   19.8km

柳生街道
 奈良、高畑から石切峠を越え、忍辱山から柳生に至る道を柳生街道という。平安時代から修験者道としてすでにあり、江戸時代は柳生一族をはじめ荒木又右衛門、沢庵和尚など歴史上に名を残す人たちが使用した道といわれる。
 柳生街道を二つに分けると前半は奈良〜円成寺までの「滝坂道」というコース。後半は円成寺〜柳生までの「剣豪コース」とがある。全体が「東海道自然歩道」に指定され、道標に従って歩く事ができる。
  参考資料
 「近鉄てくてくまっぷ柳生街道剣豪の里コース・滝坂の道コース」
 「街道・古道を歩く 西日本編」(山と渓谷社)
 尚 今回は帰りの柳生発のバスに間に合うか不安に思い、朝柳生までバスで行き、帰着を奈良にしたので、柳生から奈良へ向って歩きました。こちらの方が少々
 ハードと言われている。


■柳生〜家老屋敷
 2011年4月17日 大津市に単身移住してから初めての街道歩きは以前から歩いてみたかった、柳生街道を選びました。柳生を出発し、奈良市到着ということにした。近鉄奈良駅8時18分発月ヶ瀬行バス乗車。柳生到着は9時過ぎでした。バスは6月までの臨時で、10人乗って柳生で下りたのは2人だけだった。
 バス停の所に●柳生焼の店がある。柳生十兵衛の祖母「春桃御前」が馬頭観音を焼いたのが始まりといわれているそうで、窯元が何軒かあるみたい。続いて柳生橋を渡って右斜め方向に●十兵衛杉の枯れた姿が見える。 柳生十兵衛が諸国漫遊に旅立つ時、植えていったといわれている、樹齢約350年。昭和48年夏、二度の落雷により枯れてしまっている。

 道標に従い、(今回は道標が完備していて地図が無くても歩けるくらい)●旧柳生藩家老屋敷へ向かう。見事な石垣の上に建っており、柳生藩家老小山田主鈴の屋敷で、主鈴は柳生藩財政の立て直しに功績があった。昭和31年人の手に渡ったが、昭和39年作家山岡荘八氏の所有となり、昭和46年放映のNHK大河ドラマ「春の坂道」もここで構想が練られたという。
 昭和55年山岡荘八氏の遺志により遺族山岡賢二氏夫妻から奈良市へ寄贈された。奈良市はこれを修復し、一般に公開している。見学料が350円で、見ることもないと思ってパスした。 9:27

■家老屋敷〜陣屋跡
 次に、柳生藩の陣屋跡へ向かう。途中のこれも又立派な石垣の上にある大きな家は●小山田家分家という建物。ここは個人の家なので非公開。
 左手の上がった所に●「摩利支天のレリーフ」というのが立っている。柳生新陰流で知られる「柳生家」の一族飛騨守宗冬は徳川家綱の兵法指南役となり、「柳生八坂神社」を造成し、鳥居を寄進してその横の山に武道の守神である摩利支天を祀った。その記念のレリーフ。その「八坂神社」は陣屋へ行く途中にあった。  9:40

■陣屋跡〜芳徳寺
 ●柳生陣屋跡は階段を上った先にある。公園になっており、桜がまだ咲いていたけど、説明が立っているだけで、特になにもない。ただ高台に位置して、ここから柳生の里が一望することができる。
 階段を下って、芳徳寺へ向う。正木坂という坂を上らないといけない。●芳徳寺は、寛永15年(1638)柳生宗矩宗矩が父の石舟斎宗厳の菩提を弔うため創建されたと伝えられる。

 歩いている時いやに人出が多く、警備の人も要所に立っているので、何だろうと進んで行くと、門前横の●柳生正木坂剣禅道場で「流祖 柳生石舟斉奉納剣道大会」というのをやっていた。その昔、柳生十兵衛が1万3600人の門弟を鍛えた道場で陣屋内にあったものを、この寺の境内に移築したものだそうである。
 本堂裏手に●柳生家藩主・柳生氏一族代々の墓が80基ほど並んでいる。  10:05 

■芳徳寺〜一刀石
 寺を出て、天乃石立(あまのいわだて)神社と一刀石に向かう。片道約650m程の距離にある。進んで行くと、大きな石がごろごろしている地域に出て、傍らに●天乃石立神社が建っている。巨石がご神体の神社で、小さいが式内社である。手力男之命が天之岩戸の扉を開いたとき、扉が舞い降りたという伝説が残る。
 その奥に真っ二つに裂けている大きな石がある。柳生宗厳天狗と思って一刀のもとに切ったといわれ、●一刀石と呼ばれている。   10:25

■一刀石〜柳生徳政碑
 そのまま寺の方へは戻らず、途中で左折して、疱瘡地蔵がある方向へ向った。途中に●炭焼小屋があり、珍しいと思って撮っておいた。
 その先で国道へ出たが、方向がちょっとわからなくなって、川の向うの民家の横に道標があった。良く確認すると、民家の裏側を行く細い道が柳生街道と書いてあった。そこからがいよいよ柳生街道らしい。しかし民家の裏道が街道とは驚いた。  10:40

■柳生徳政碑〜南明寺
 裏道から本格的な山道に入っていく。
 少し行くと右手に自然石に彫られた●疱瘡地蔵というのががある。横に「正長元年柳生徳政碑」という説明板があり。それによると・・・元応元年 (1319)の銘をもつ疱瘡地蔵の向って右下、長方形の枠取りの中に、「正長元年ヨリ/サキ者カンヘ四カン カウニ ヲヰメアル/ヘカラス」と刻まれていて、これは正長徳政一揆を表すものだそうだ。ということで地蔵をじっくり眺めたが、どこに刻まれているのやら、さっぱりわからなかった。地蔵の先はずっと上り坂で、石畳などがあり、気持のよい山道だった。突然展望が開けて前方に集落が見える。地図で探すと●阪原という集落ではないかと思う。  11:15

南明寺〜大柳生
 集落の中の道はわかりにくいが、案内標識が完備しているのでわかりやすい
 左手に●「おふじの井戸」がある。「この道が大柳生と柳生を結ぶ旧道で、柳生の城主、但馬守宗矩が、この井戸の付近を通りがかり、洗濯をしていたおふじという娘に「桶の波はいくつあるか」とたずねると娘は「お殿さんがここまで来られた馬の歩数はいくつ」とたずねかえした。但馬守はその器量と才気を見そめ、のちに妻に迎えたとの伝説がある。
 井戸の先を左折したすぐの所に●南明寺がある。創建は宝亀2年(771)と古く、本堂は鎌倉時代のもの。一重寄棟造で重要文化財。本堂には木造の釈迦如来(平安後期)、薬師如来(平安初期)、阿弥陀如来(平安後期)が安置されている。

 大柳生〜円成寺
 やがて、青少年野外活動センターの脇に出て、そこから再び●山道に入って行く。
 また視界が開け、前方に大柳生の集落が開けている。
集落の中を歩くけど、道が時々わからなくなり、道標を探すが、あたりになかったりすることがあり、ちょと右往左往することがあった。
 ●民家の脇を通るのが街道で、これなど地図ではわからないでしょう。  11:50

 更に進み、「柳生街道は石段方向」という標識がある。上がって行くと●夜支布(やぎう)山口神社がある。大柳生の氏神で平安時代の延喜式にもあらわれている古い社で、境内にある●摂社立磐神社の本殿は、春日大社の第四殿を延享4年(1747年)にここに移したもの。
 この先の街道は石段を半分下りた所から続いている。
そこから上りが続いて、このあたりでお腹もすいてきたし、一番つらく感じた。30分弱歩いて、やっと国道へ出て円成寺へ着いた。  

■円成寺〜誓多林
 ●忍辱山(にんにくせん)円成寺(えんじょうじ)
 街道きっての古刹で、、天平勝宝8年(756)の創建といわれるが確かではなさそう。仏師・運慶のもっとも初期の作品である国宝・大日如来像を所蔵する。大日如来像は多宝塔に安置されており、撮影禁止。
 桧皮葺きの楼門、舞台付寝殿造りの阿弥陀堂(本堂)は共に重要文化財の遺構であり、妻入の形は珍しい。
 江戸時代は子院23か寺を有するほどであったが、明治の廃仏毀釈による混乱により衰え、現在に至る。  12:45

 この寺で見たかったのは、●春日堂、白山堂の方で、春日造りの社殿として、現存最古の社殿として国宝に指定されている。本家の春日大社は式年遷宮が行われ、遷宮後の建物は興福寺の領地に下げ渡すという習慣があり、円成寺には13世紀初めに移築されている。春日大社では社殿を見ることができないので、ここのは貴重なものになっている。
 明治初期の神仏分離令による破壊をまぬがれるため、仏堂風に「堂」と称したという 。
 円成寺から国道へ出て、すぐ左手の●山道に入って行く。

 ゆるやかな舗装された●山道が続いている。やがて、下り坂となって、茶畑が見えてきた。
 大慈仙(だいじせん)へ至る三叉路へ来た。このあたり大慈仙とか誓多林とか仏教の聖地に基づく地名がある。誓多林とは祇園精舎が建てられた場所という意味らしいが。ここを左折、しばらくすると、突き当たりになる。柳生街道は、ここを右折するが、左折してすぐの左手に江戸時代の●石燈籠がある。「太神宮」と刻まれ、後ろは道標を兼ねている。14:13 

■誓多林〜石切峠
 茶畑の上のほうに「五尺地蔵」というのがあるが、ちらっとだけ眺めた。
 左手にま新しいトイレがあって、なかなか良い。
その先、楽しみにしていた●峠の茶屋が見えてきた。行って見たら名物「草餅」が売れ切れでがっかり。400円の生姜湯をいただく。建物は江戸時代当時のままだそうだ。
 その先で道は、●二股に分かれる。直進してもいいのだけど、地獄谷石仏を見る為、左折して地獄谷方向の道を選んだ。  14:35

■石切峠〜首切地蔵
 こちらの方が道が細く雨の時は危険ということだが、今日は晴天でそう危険を感じなかった。が 石段やら、両側が切立った細い道が延々と続き、目指す石仏に中々出会えず、いい加減いやになった頃やっと●「地獄谷石窟仏」が見えた。 凝灰岩をくり抜いた石窟で、線刻の仏像が彩色されている。「聖」が住んでいたという伝承があり「聖人窟」とも呼ばれる。釈迦如来、薬師如来、一面観音などが刻まれている。
 奥山ドライブウエイ、地獄谷新池と過ぎて行くと右手に大きな●首切地蔵があった。首に切れ目があって、荒木又右衛門が試し斬りしたという伝説がある。15:15

■首切地蔵〜滝坂道入口
 地蔵の所を通る石畳が敷かれた道は、●「滝坂道」と呼ばれ、江戸時代中期に奈良奉行により敷かれた。昭和のはじめまで柳生方面から奈良へ米や薪炭を牛馬の背にくくりつけて下り、日用品を積んで帰っていくのに使われたという。
 ここを左折して奈良方面へ向う。もうすぐゴールとなる。この石畳の道は案外滑りやすく危険で下を向いて歩かないと、踏外して捻挫しやすい。やがて●朝日観音が川の向うに見えて来る。中央の仏は観音ではなく弥靭仏 左右は地蔵仏でだそう。この石窟には文永二年(1265)の銘があり、鎌倉時代の石彫の代表的なもので、この下の夕日観音と同じ作者と思われています。「寝仏」というものもあったけど、「標識」の目の前の石と思えど、いくら凝視しても仏が刻まれているとは思えなかった。仏は裏側に彫られているそうで、わからなかったはず。  15:21

 左右に●石灯籠のある所へ出た。両側が石垣で狭まっており、いかにも街道の入口といった感じ。ここが滝坂道の入口ではないかと思われるが、この先に「「柳生街道入口」と書かれた標識があったので、どうも違うらしく、標識の所が入口であろうか。やがて奈良市街へ入って来た。
 飛鳥中学校の前に●分岐点があり、「右瀧坂 左大杉の木山鶯の瀧」と刻まれた大きな石の道標が立っている。ここが滝坂道の入口かとも思う。この先左手に「新薬師寺」があったりするが、一応ここが柳生街道のゴールとしたいと思います。奈良から始めると朝方、ここから出発ということになります。この先春日大社など見ながら、近鉄奈良駅へ向いました。
15:55