房総木下街道を歩く  2
                     鎌ヶ谷から木下河岸まで
  歩行地図はこちら  地図
   行徳駅-行徳河岸-本八幡駅-鬼越-馬込沢-鎌ヶ谷-白井-十余一-鹿黒-大森-木下河岸  33.4  km

■鎌ヶ谷~白井
2008年5月6日新京成鎌ヶ谷駅下車
10:25
●鎌ヶ谷八幡宮
 」鎌ヶ谷大仏駅を降りてすぐ右手に鎌ヶ谷八幡宮がある。ここは百庚申塔があるので有名。参道左手にずらり並んでいる。鮮魚街道にも天保十年の百庚申があった。ここのは天保12年(1841)から13年にかけて建てられたもので、青面金剛像を彫った10基と庚申塔と刻まれた文字塔90基からなっている。江戸時代後期におこり、数量によってより多くの功徳を願うという数量信仰が盛んとなり、この百庚申はその影響を受けたものと考えられ、下総地方を中心に流行したという。

●鎌ヶ谷大仏  
 大仏とはいえ、想像以上に小さく、高さ1.8mほど。青銅製で、安永5年(1776)宿の富豪、福田文左衛門が先祖の冥福を祈るために、江戸神田の鋳物師、多川主膳を招いて鋳造させたもの。大仏開眼の際は福田家から大仏までの約3町に琉球表を敷き詰め、僧侶50余名を請じて練り供養が行われた。
●官軍兵士の墓  
 福田八郎右衛門率いる旧幕府陸軍主力の撒兵隊と新政府軍が房総各地で戦闘を続け、東葛地方では「市川・船橋戦争」と呼ばれる激しい戦闘を繰り広げ、その際戦死した佐土原藩士・蓑毛次右衛門と同巳之助2名の墓が建つ。

 大仏の先で道は二股に分かれる。その分岐点に●「魚文の句」を刻んだ道標が建っている。  
   ひとつ家へ 人を吹込む 枯野かな
 魚文という人は、松尾芭蕉の高弟、服部嵐雪の直系の弟子、大島寥太の高弟にあたる人だそうで、句碑は道標を兼ねており、正面に句が、右面に「右 木おろし道」、左面に「左 中木戸道」とある。ここを過ぎると白井市に入り、ここのバス停の名前が●「関牧場」だとかで、このあたりは江戸時代まで小金牧という江戸幕府直轄の馬の放牧場だった所であった名残と思う。  10:45

 この先はしばらく何もなく、淡々と歩いていく。 やっとこんもりと●天神社を左手に見た。ここでは珍しい石碑を見た。「白井新田迄400年記念碑」というもので、西暦1603 徳川の年号 先代 住所などというもので、特に住所が 徳川直轄地名主管所根上393とか、根念拂塚446など見慣れない地名が興味を引いた。
 ここの狛犬は片方は普通のものだけど、●片方が寝ている狛犬であるという話もあって、よく見たけれど、まあ寝ていると言えば寝ているようにも見え、よくわからなかった。  11:15

 天神社のお隣はかの武豊もここで学んだという●JRA日本中央競馬会の競馬学校の入口になっている。実際の学校や馬場はこのずっと先のようで、かつ自由に入れるわけでもないと思うので、横目で見るだけ。学校の裏手の地名は「」一字だった。埼玉の吉川市には「」という一字地名があるけど、どういう意味だろう。
 やがて、●北総開発鉄道の上の鉄橋を渡って行くけど、下の鉄道用地はなんで、こんなに幅が広いのか疑問が湧く。真っ直ぐ掘ってあるけれども、線路の隣はは草が生えているだけ。道路でも造る予定があったのかどうか、千葉ニュータウンが売れないので、資金計画が狂ったのかもしれない。  11:30

■白井~神々廻
 白井市役所前の交差点を枡形の様に進むと白井第一小学校の向かい側に●墓石のような石碑が何基か建っている。道標のようでもあったが、文字はよく読めなかった。
 国道16号を過ぎ、左手に秋本寺、その先に鳥見神社がある。ここの●石造鳥居は、正徳3年(1713)建立の明神鳥居で、白井市最古であり、指定有形文化財。不動堂があって、不動明王を祀り、神仏混交の神社である。

 白井郵便局のあたりりが、かつての白井宿の中心部だったらしいが、旧宿場を感じさせるような建物は1,2軒、冠木門を構えた古い家や右手に●商家のような建物もある。
白井橋
 左脇に●伊勢宇橋と彫られた小さな石碑が建っている。江戸・浅草花川戸で醤油屋を営む伊勢屋宇兵衛という人が、亡くなった父への供養を兼ねて故郷の常陸国江戸崎から江戸日本橋に通じる道筋に百の石橋を架けた。この白井橋の元々は86番目にあたる橋だった。 
 12:45

 橋を越えると「神々廻」という地名になる、が、この読み方がまた難しい。「ししば」と読むのでであって、普通には読めないが、ATOKで入力すると、一発で出てきた。
 左手の道路脇に●石碑が3基並んでいる。「馬頭観音」以外はよく読めないが。草をよけて見ると、右側の方に「左 ひらつかみち」「右 うらべみち」と書いてある。「平塚」「浦部」は北方の鮮魚街道に存在していて、前回歩いている。
 清戸道信号で、県道は左に曲がり、旧道は右に入っていく。角に●「南無阿弥陀仏」と彫られた石碑が建っている。右側面に「大も里むらみち」、左側に「ふさむらみち」と彫ってあるのが読めるが、方角的には反対にあるので、移動されている。 旧道はここで途切れてしまっているので、復活地点めざして千葉ニュータウンを突っ切ることとなる。  13:25

■千葉ニュータウン
 ニュータウンは木刈地区が一般住宅、●小倉台が集合住宅●大塚地区が高層のビジネス街と区分けされているようだが、商店やコンビニなども見あたらず、買い物には不便だ。 フコク生命のビルを越えると道がなくなり、歩道上には歩行者・自転車の方はこの先通行できません」などと看板が出ている。旧道はこの先で復活するので、ガードレールを越し、草の中を強行突破することにした。迂回路は左折すればその先にあるようだ。

 ■旧道~鹿黒
 ●復活した旧道
 旧道に出て、「泉新田大木戸野馬堀遺跡」という案内板が立って。このあたりは江戸時代の馬の放牧場だった所で、印西牧というのがこの付近にあたる。野馬土手というのが巡らしてあったというが、土手らしきものはよくわからなかった。鈴木梨園の前を通り、その先左手に●庚申塔や十五夜供養塔などが並んでいる。この地区では有名だった新泉寺跡だということだ。このあたり左手はずーと石造り塀が続く、大きな農家が続いていいる。

 旧道はこの先県道4号手前で左折し、県道と合流する。右手角のガードレール下に、草にまぎれて●道標がある。小さくてなかなか読みづらいが、しゃがみ込んで、じっと眺めると、「北 大森 六軒 木下 布佐 道」と彫ってある。大体曲がり角には道標があるものだが、道路工事などで、移動されてしまう事が多い。これも左手にないとおかしいと思うのだが。 14:15

  県道4号は車が多く、歩きづらい。歩道も右側にしかついていない。県道の左側は梨畑が広がる。右側は工事中の原野である。左右両方とも千葉ニュータウンの用地らしい。「房総の街道繁盛記」(山本鉱太郎)の地図では、右地図の赤字の線を行くような感じで、集会所前に石碑があるように書いてある。しかし梨畑でなんにもなく、工事中の柵はあるしで、迷っても何なので、県道を北上することとした。(地図の青線)他のホームページ見ると、両方通っている例があるようだ。
 ―――――――――――――――――――
 
 県道途中の左手に不思議な●トタン製の4階位の塔の様な物が3つ立っている。パチンコ店のものだけど、なんでトタンが張ってあるのかなんだaかよくわからない。左側から●旧道らしき道が合流してくる。集会所方向へ行ってみようかとは思った。所内に石仏や道標があるらしい ―――――――――――――――――――
 ■鹿黒~大森
 鹿黒橋を渡って、坂を上がった所が大森坂上。大森宿の中心部だったというが、宿場らしい雰囲気はない。 「大森坂上」のバス停の先は大森陣屋跡と伝えられている。佐倉藩主稲葉氏が享保8年山城国の淀に国替えになるが、このあたりの地は淀藩の飛び地で残り、その淀藩の陣屋があった所。
 大森坂下付近、右手に歩道の真ん中に、大きな●馬頭観世音碑がある。歩道の中にある石碑は始めて見た。古い物ではなかった。   14:58

■木下河岸まで
 木下の町に入ってきた。旧道はその先の日本デキシー千葉工場という広い工場に遮られて消滅しているということだったので、工場の南側を迂回して旧道に出る。工場の角を右折すると、●「観音堂」がある。一画にたくさんの石碑・石像が集められており、中には道標を兼ねているものもある。
●柏屋というソバ屋さん
 旧宿場らしい建物。この先川魚料理の看板をあげた「銚子屋」の前に、この界隈きっての豪商「吉岡家」がある

●「吉岡まちかど博物館
 吉岡家の土蔵が博物館になっており、残念ながら開館は毎月第一土曜日だけというので開いておらず、見ることはできなかった。吉岡家は江戸期から問屋を営んできた家で、明治20年代には「銚港丸」という蒸気船を4隻も持った船問屋であったという。
 庭先に、「木下貝層」の貝化石で造られたという燈籠が立っていた。三足で貝化石で造られた燈籠は県下随一だそうだ。    15:50

 ●木下河岸
 銚子屋の裏手の土手に木下河岸跡の案内板が立っている。案内板によると木下河岸は江戸から明治にかけ、利根川水運の要衡の地として栄えた。文化、文政期には利根川を下って、香取、鹿島、息栖の三社を参拝し銚子の磯を楽しむ、「木下茶船」の旅が流行した。最盛期には50軒あまりの旅籠や飲食店が軒を連ねていた。しかしその後の成田鉄道の開通による木下駅などの開業と、利根川の河川改修に伴い、木下河岸周辺の家々が木下駅周辺に移転し、木下河岸はその役割を終えましたという。江戸期の事情は赤松宗旦の「利根川図志」が詳しい。さて木下街道の旅もここで終わります。5月の連休を使って、2日で終えました。寄り道して37km程になりました。成田線「木下」駅から帰りましたが、駅は工事中で高架駅となり、成田線も便利になるのでしょう。 
 2008.5.6 16:25

      木下街道1