県道4号は車が多く、歩きづらい。歩道も右側にしかついていない。県道の左側は梨畑が広がる。右側は工事中の原野である。左右両方とも千葉ニュータウンの用地らしい。「房総の街道繁盛記」(山本鉱太郎)の地図では、●右地図の赤字の線を行くような感じで、集会所前に石碑があるように書いてある。しかし梨畑でなんにもなく、工事中の柵はあるしで、迷っても何なので、県道を北上することとした。(地図の青線)。他のホームページ見ると、両方通っている例があるようだ。 |
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県道途中の左手に不思議な●トタン製の4階位の塔の様な物が3つ立っている。パチンコ店のものだけど、なんでトタンが張ってあるのか、よくわからない。左側から●旧道らしき道が合流してくる。集会所方向へ行ってみようかとは思った。所内に石仏や道標があるらしい。 |
■鹿黒~大森
鹿黒橋を渡って、坂を上がった所が大森坂上。大森宿の中心部だったというが、宿場らしい雰囲気はない。 「大森坂上」のバス停の先は大森陣屋跡と伝えられている。佐倉藩主稲葉氏が享保8年山城国の淀に国替えになるが、このあたりの地は淀藩の飛び地で残り、その淀藩の陣屋があった所。 大森坂下付近、右手に歩道の真ん中に、大きな●馬頭観世音碑がある。歩道の中にある石碑は始めて見た。古い物ではなかった。 14:58 |