品川街道を歩く 2 歩行地図はこちら  
  東府中-調布市境-布田-中和泉-狛江-喜多見-瀬田-等々力-東玉川-洗足池-馬込-大井-品川   28.7km

 2021年5月16日
■瀬田~等々力通り   画像をクリックすると拡大します
 前回から一週間おいて、再び品川街道の歩きです。今日は梅雨の初めらしく、曇り、一時雨という空模様。半蔵門線「用賀駅」から歩いて●瀬田交差点に来ました。環八通りをしばらく南下します。「多摩美術大学」先の●セブンイレブンの先を左に折れ、●等々力通りに入ります。  11:06

 ■等々力通り~等々力渓谷
 そのまま真っ直ぐ等々力通りを進み、「矢沢川」を斜めに通過してしまったが、旧道の方がカクカクと曲がっており、上方の「中之橋」を直角に渡って、等々力通りへ戻ってきているようです。●等々力駅前交差点を右に曲がり、「東急大井町線」の踏切を越える。 右手に大きな旧家があって、敷地内に●鈴木家住宅穀倉が建っています。 説明板 明治8年建設の穀物用倉で茅葺き、世田谷区内で確認出来る唯一の穀倉といいます。 左側のポストの脇に●逆川の標柱が立っており、何も説明がないが、●路地の様な暗渠部分が逆川の跡でしょう。現在暗渠になって、地図ではわからないのだが、九品仏浄真寺の方から「九品仏川」が流れてきて、等々力渓谷に至っていた。その跡地です。 11:25 

 ★等々力渓谷
 等々力まで来たからには、渓谷まで行かねばいけないでしょう。3度目ですけど、一応往復だけしてみました。入口に案内板があって、階段を下りていきます。右手に●ゴルフ橋が架かります。 昭和の初めに渓谷の西側一帯になゴルフ場があったことに由来しています。●●等々力渓谷は谷沢川で構成された渓谷で、東京23区唯一の渓谷でもあります。渓谷は、武蔵野台地の南端に位置しており、この台地面を削って形成された谷です。都会の雑踏を忘れさせてくれるような自然あふれる空間が広がります。渓谷内では横穴古墳が6基以上発見されていて、中でも昭和48年に発見された●3号横穴は、典型的な横穴墓の形態を留め、人骨が発見されたりで保存整備がされている。入口から横穴まで片道400m程度。

 ■等々力渓谷~
 街道に戻って、●すぐ先を左折すると、目黒通りが高架で遮断される。 左へ迂回して、等々力2丁目の住宅街を進みます。「ハッピーロード」にぶつかったら、●右折して環八を渡り、またすぐ左折。●尾山台2丁目、環八の裏通りを進みます。
 このような曲がって歩くのは、旧道が消滅していて、旧道跡になるべく近い道を歩く場合が多い。 この先、環八と奥沢の品川道との分岐まで旧道が消滅したり、玉川浄水場で遮断されたりするので、現在の道はカクカクと迂回するような感じになります。 関東平野迅速測図で推定した旧道をグーグルマップに入力しておきました。 12:11 

                 ~尾山台2丁目
 尾山台2丁目の中程からちょっと寄り道。 傳乗寺の西側に下る坂を下って行くと、寺の手前に●宇佐神社がある。 源頼義が、前九年の役で奥州出征の際、尾山の地に陣を張り勝利を誓い、勝利したので、ここに八幡社を建て神に感謝したというのが由緒。 後ろの小山は5世紀頃の八幡塚古墳。 そのまま下がって行くと、「北原橋」が架かる小川は●丸子川。六郷用水の下流部分を整備した川になる。 戻って来て● 傳乗寺は新しいながら五重の塔を持つ。 傳乗寺の右手を上がって行くと、「寮の坂」という坂になり、●振り返った後ろが分岐になって、正面の石碑には「左 籠谷戸、右 多摩川」とある。 往時、傳乗寺の僧侶の寮が坂の東側に建てられていたので、坂名の由来になったという。 12:30

 ■尾山台2~奥沢・環八分岐
 品川道はこの先、玉川浄水場により分断され、環八へ迂回します。玉川浄水場の上部は●「ぽかぽか広場」という公園になっていて、気持ちが良い。 浄水場の隣を右折して、「玉川田園調布1」交差点で、旧道に戻り左折すると、その先、また「東急東横線線路」で分断されます。 分断ついでに●田園調布駅を撮りに寄ってみました。我々庶民にはあまり縁がないところですね。  再び環八に出て、●前方の歩道橋を渡るが、環八は右へ、旧道は真っ直ぐ進み、環八との分岐「奥沢4丁目」に入ります。往時、ここに道標を兼ねた庚申供養塔が立っていて、今は東玉川神社に移設してあるというので、後で確認します。 13:05

 ■奥沢分岐~東玉川
 ●奥沢4丁目の品川道。 途中で右折して●東玉川神社へ寄ります。境内左隅に、●庚申供養塔道標が立っていて、読みにくいのだけど、「左新田道・右品川道」と彫られています。 新田道とは環八を南下した先、矢口にある「新田神社」のことで、鎌倉時代、新田義興が謀略により、「矢口の渡」で殺害されたことにちなむ神社。環八と奥沢の分岐で品川道と別れます。 道標を探すことが目的で、神社本体には眼がいかなかったのだけど、向拝天井絵の「火焰龍神図」で有名なのでした。 13:20

 ■東玉川~洗足池
 真っ直ぐ進み「石川台」交差点で●中原街道に合流します。 しばらく進むと●洗足池。いうまでもなく「日蓮聖人」が池で脚を洗ったという故事にちなむ池です。中原街道で歩いているので2度目になります。もう一度、辺りを散策。 池東側の妙福寺境内に●「日蓮聖人袈裟掛けの松」というのがある。 説明板  14:02

 ■洗足池~洗足坂上
 「洗足池公園」に●勝海舟夫妻の墓がある。海舟は洗足池畔の風景にうたれ、ここに別荘を構え、遺言により屋敷裏の台地に葬られたと伝えられます。近くに●西郷隆盛(南州)留魂詩碑というものもあって、海舟と親交のあった隆盛が三回忌にあたる明治12年に自費で建てたもの。 街道は「洗足坂上」で右折し●長原商店街に入ります。 14:20

 ■洗足坂上~荏原町駅入口
 ●長原商店街を抜け、環七通りを渡ると、●北馬込本通り商店街になるが、まっすぐ進みます。品川区と大田区の境にあたる。「荏原町駅前バス停」手前に、品川区が建てた「品川道」の案内板が立っている。 その先、入口交差点脇に● 天保二年銘道標がある。 説明板 品川道と中通りの交差する地点に立てられたものだけど、案内板に行き先が書かれておらず、読み取りに苦労したが、「東 品川道」、「北 めくろみち」、「南 いけかみミち」、「西 せんそく おくさハ 道」と彫られる。 もう一つ
 ここを左に駅の方に行った三叉路角にも●天明3年の道標がある。中通りと、平間へ続く平間道との分岐点に立てられた。こちらはきちんと、説明板に「右 うの木光明寺道 左 池かミ道」と刻まれている・・と書いてあった。 説明板  14:45

 ■荏原町駅入口~大井三つ叉
 元に戻って先に進みます。●中延6丁目と北馬込2丁目の境目の細い道。 国道1号を横断し、しばらく行くと左手に●伊藤博文公墓所があります。通常は非公開だが、毎年秋に公開される日があるようです。 JR横須賀線踏切を渡り、「西大井駅」前のマックで少し休憩。 「ニコン」の工場があるので「光学通り」と名前が付く通りを進みます。但し、現在のニコンの工場は取り壊され、広大な空き地となっています。「大井三つ叉」交差点で「池上通り」にぶつかり、左折して、●三ツ又通りに入る。 入口に「三ツ又地蔵堂」があります。  15:36

 ■大井三つ叉~仙台坂
  ●三つ叉商店街の中を通って、●JR東海道線、品川道」踏切を越える。仙台坂上交差点に来ると、右手に風情のある木造の建物が見えます。●仙台味噌醸造所といって、仙台藩江戸屋敷内にあった味噌蔵に由来を持つ会社です。江戸の味噌は甘くて、仙台藩士の口に合わず、自前で味噌を造っていたそうです。 15:50

 ■仙台坂~荏原神社
 仙台坂を下りていき、第一京浜国道を渡り、「京浜線青物横丁駅」脇をくぐる。東海道南品川交差点を 左に曲がり、●旧東海道品川宿に入りました。 一応、府中から品川宿まで歩いて来たけど、ゴールはどこにしようかと考え、大國魂神社のくらやみ祭の際、神職は「荏原神社」に参詣して禊を行うらしいので、ゴ-ルを目黒川に面する●荏原神社としました。 その後品川駅まで歩いて行き、帰りました。  16:10