山辺の道を歩く・北行 歩行地図はこちら   地図
 天理駅-石上神宮-高橋橋-白川ダム-弘仁寺-円照寺-白豪寺-新薬師寺-滝坂道      14.3km

 山辺の道

 日本書紀にも記されている、わが国最古の道であり、箸墓や景行天皇陵、崇神天皇陵など遺跡の豊かな地域を南北に通る。桜井市の海柘榴市から奈良市、新薬師寺までの全長約27kmほどの道であります。
 普通、天理駅が最寄りの、石上神社から新薬師寺方面へ行くのを北行き、桜井駅から大神神社を経由して石神神社まで行くのを南行きという。
 南行きの方が盛んで歩く人も多い。
 全体が東海自然歩道となっており、道しるべも整備され迷うことのない道です。前回は南行きを歩いたので、今回は北行です。
 
 参考資料
「近鉄てくてくまっぷ 北・山の辺の道コース1,2」
 (近鉄発行)

2011年4月29日 ※ 写真をクリックすると拡大します
 
■石上神社~高橋橋
 近鉄天理駅8時頃到着。駅前からアーケードを通って、●天理教神殿を拝見。信者でないのでお参りはしないが、建物の大きさに毎回感動してしまう。あたりは「おやさとやかた」と呼ばれる、千鳥破風の大屋根を持つ、コンクリート建築が並び、天理教独特の風景を醸し出している。
 30分ほどで●石上神社に到着。天理教の人たちが、沢山神社の清掃奉仕をしていた。GPSの準備をしたり、軽い体操など行っておいた。 9:15

 これから山辺の道・北行の旅が始るわけだが、北行は南行ほど有名ではなく、歩く人も少ないので、静かな古寺巡りを楽しむことができる。
 神社から東へ進むと●山道のようになってきて、なかなか良い雰囲気である。少し進むと橋を渡る。なんでもない橋であるけども、●布留(ふる)の高橋といって、その昔 武烈天皇が影姫という女性に横恋慕して、彼女の恋人である平群鮪(へぐりのしび)を殺した時、影姫がその悲しみを読んだ歌に登場する由緒ある橋。 9:20

■高橋橋~国道分岐
 橋を渡るとバス通へ出る。あたりに沢山建つ建物は●天理教の詰所といって、例祭日などに各県から来る人々を泊める宿泊所である。なんでも3食付で、3千円以下で泊れて、信者でなくても宿泊可能とか。
 右折して山道へ入り、すぐの所に●豊日神社がある。
祭神が「菅原道真・大山祇命」で燈籠などには天満宮と刻まれている。カミナリである火雷神を祀っていたのが、道真の怨霊がカミナリと信じられていたので天満宮になったようだ。

■国道分岐~白川ダム
  山道を歩いていると、左手には●天理市内が良く眺められ、天理教の建物群が沢山建っているのがわかる。
 山道の途中では信者の若い人たちが盛んに草刈を行っていて、挨拶してくるので、こちらも盛んに返しておく。山道は途中で終りになってしまい、広い道を左折して下っていくことになる。
 県道へ出て、右折をして北上をしていくと、途中で●左手に分れる地点が山辺の道である。旧道は大体このように折れて行くことが多い。  9:50

 山道を上がって行くが、左手にため池が一つあり、「天理高校、農事部」というのが作っている、花菖蒲園があった。見頃は6月上中旬だそうで、ちょっと早かった。
 途中でまた細い●ハイキングコースがあり、ここを上っていく。竹林の中を歩いて行って、突き当ったら左折をする。右折すると「ウワナリ塚古墳」というのが畑の中にあるようだが、そのまま左折した。 配水タンクを回って行くと、大きなため池の●大将軍。鏡池というのがある。  10:05

■白川ダム~弘仁寺
 前方に「名阪国道」が見え、高架の下のトンネルをくぐる。
くぐって上がって行くと、前方は●白川ダムが見えた。白川ダムは楢川をせき止めた農業用ため池の堤を高く改修して作った、アースダムである。土を台形に盛り上げて造ったダムで、いわゆるダムを想像したら違っていた。
 ダムをぐるっと回り込み、管理事務所の所から下りて行く。運動場の脇を通り、細い道へ入ったら、●数軒の集落がある

 道標に従い、集落の先を右折して行くと●石段になっている。弘仁寺の参道であった。石段をトントンと上がると弘仁寺に出た。
 ●弘仁寺はその名の通り、弘仁5年(814)嵯峨天皇の勅願により、空海が創建したと伝えられる。山号は虚空蔵山、本尊は虚空蔵菩薩。建っている山も虚空蔵山である。毎年4月13日の十三詣りで有名。十三詣りとは、十三歳の厄を払い、知恵を授けていただけるように虚空蔵菩薩に お参りをする行事の事で、 虚空蔵菩薩を参拝する事で智恵や知識、記憶といった面での利益があるという。現在の建物は江戸時代のもの。重厚でどっしりと美しい。
 10:47

■弘仁寺~円照寺参道
 弘仁寺の境内を通過して、石段を下って、虚空蔵山を下りて行く。
 ●「髙樋町」のバス通りになって、消防団倉庫のあたりから●左手に見る風景は「大和郡山」あたりであろうか、遠方には「生駒山系」が広がって気持がいい眺めであった。
 精華学院前バス停では右手の道を取り、途中で珈琲工場があって、ほのかに香りが漂っている。  11:05

 「納戸原」バス停の先で、標識に従い、右折をして、のどかな田園風景の中を下って行くと、●右手にため池、左に鳥居がある地点へやって来た。円照寺の近くのはず。 実はこのあたり、「てくてくまっぷ」では頁の切替え部分で、マップでは空白になっている。
 右手に案内図があって、それによると、鳥居を越えて行くようになっているが、鳥居をくぐっていくのがお寺の参道とも思えず、少し躊躇してしまったが、他に道がないのでくぐって行ったら、左手に●小さなお堂が建っていて、境内に、「慈照院法眼直心碑」というものが立ち、西国三十三所の御詠歌を刻んだ33本の石柱や、36体のお地蔵が並んでいる。(後で調べたら、ため池は「竜王池」といい、池の中の島に社が建ち、そこの鳥居らしい。通常のコースの逆を通ったのでなんの鳥居なのかわからなかった)。  11:50

■円照寺参道~崇道天皇陵
 そのまま●円照寺の参道へ出た。円照寺は格式高い門跡寺院であり、斑鳩の中宮寺、佐保路の法華寺と共に大和三門跡と呼ばれる。華道の「山村御流」の家元でもある。非公開なので山門までしか行かれない。
 参道の途中、右手から山道へ行くようになっており、上がって行くと、●向山地蔵というのが立っている。あたりには石仏が沢山ある。   11:58

 また山道を進み●前池の脇を通ると、前方からどこやらのウオーキンググループとすれ違った。池の前に●崇道天皇陵がある。
 崇道天皇は事実上の天皇ではなく、「早良親王(さわらしんおう)」の追号である。早良親王は、兄である桓武天皇の皇太子となったが、藤原種継暗殺事件に連座して、淡路に流される途中、絶食して悲憤のうちに絶命した。桓武天皇は早良親王の祟りを恐れ、その怨霊を鎮めるため崇道天皇として追尊したわけである。そんな訳で宮内庁管理であるけど、どことなく規模が小さく感じる。  12:05

■崇道天皇陵~八坂神社
 崇道天皇陵から300mほど東に歩くと●「島田神社」がある崇道天皇を祀ってあるというので、崇道天皇の霊を慰めるためのものらしい。本殿は春日神社の遷宮の際の払下げによる貴重なものであるというが、新しいものなので、覆堂になっているのだろう。
 その先に●「白山比咩神社」がある。石川県白山市の白山比咩神社を総本社とする。祭神は菊理比咩命 12:30

 その後「藤原台」の住宅地を抜け、自衛隊の官舎の脇を行ったらしいのだが、官舎とは気がつかず抜けた。
 「平尾池」を回り込んで行ったら、途中で金網で両側が仕切られた道が「白毫寺」方面で、そこを行くと、●山辺の脇道という標識が立っている地点へ来た。「てくてくマップ」には載っていないし、脇道とはなんぞや?と思いつつ、本道と合流するのだろうかとも思いつつ脇へ入って見たら、これが上りの山道で、途中●不動明王の祠があった。  12:50

■八阪神社~白豪寺
 ほどなく「新池」の所で本道と合流して、一安心。●「八阪神社」に到着した。
 ここの「阪」は「坂」ではなく「阪」が使われている。理由はよくわからない。現在大阪市など「阪」が使われ「坂」は明治以前というのでそう古くはない神社であろうか。
 神社を過ぎて、岩井川を渡り、「奈良春日病院」を右手に見つつ、「奈良奥山ドライブウエイ」に続く、大きな道路を横断して●細い道へ行く。  13:10

 次の白毫寺を目指すが、「寺山霊園」の所の燈籠の立つ地点へ来て、標識を見てハタと困った。標識は真っ直ぐ進むようになっている。てくてくマップはどう見ても左折するように書いてある。しばし思案して、ここは標識の通り、行って見ようと真っ直ぐ行ってみたら、霊園を過ぎ、左折して、ぐるっと回って「東山緑地」を通過して白毫寺の石段の所へ出た。
 これは明らかに遠回りと思って、最初の●燈籠の所へ戻ってマップの通り、左折して見たら、円弧を描いて●白毫寺の石段へ出た。マップの方が正しかった。  14:15

■白豪寺~新薬師寺
 ●白毫寺
 白毫とは仏の眉間にある白い巻毛のことである。寺域はそんなに大きくはないが、境内から奈良盆地が一望でき、眺めがすばらしい。
 715年天智天皇の第7皇子である志貴皇子の山荘跡を寺としたのに始まると伝えられる。関西花の寺第18番というくらいで椿や萩で有名。 次の●新薬師寺までの道は「歴史の道」と名前が付いて、古都奈良らしい古びた趣のある感じでのどかで良い。しかしこんな所にも車が通る・・・非常にわずらわしい。 14:35

 「歴史の道」の途中に●宅春日神社がある。春日大社の末社。祭神の天児屋根命が河内の枚岡から御蓋山にお遷りになるとき、高円山下のこの地でしばらくお休みになったとの信仰伝承を伝えている。20年目ごとに造営を重ねているということで社殿が新しい。
 新薬師寺隣に「鏡神社」がある。大同元年(806年)に新薬師寺の鎮守として境内南側にて創建された。現在の●本殿は、延享3年(1746年)の造替の際の、春日大社の第三殿を移築したものである。  14:50

■新薬師寺~滝坂道への道
 ★新薬師寺
 新という意味は、霊験「あらたかな」という意味で、西の京の「薬師寺」に比べて新しいとか古いとかの意味ではない。
 「天平19年(747)、光明皇后が夫聖武天皇の病気平癒のため新薬師寺を建て、七仏薬師像を造った」とある。現在の寺域は小さいが、東塔、西塔を備えた南都十大寺の1つに数えられた大寺院であった。●本堂は平ったい感じがするが、奈良時代の建造物として貴重である。堂内中央に本尊薬師如来像を安置、これを囲んで十二神将像が外向きに立つ。この十二神将像の大半が国宝となっている。撮影禁止で撮ることができなかった。他の●南門などは鎌倉時代のものである。  14:55

 新薬師寺を出て、また雰囲気のある「歴史の道」を行くが、途中「万葉集」の歌が書いてある歌碑板などが立っている。
 程なく●滝坂道への分岐に来る。右折して真っ直ぐ行くと「滝坂道」の入口があり、柳生街道へ続いている。「山辺の道・北行」はこのあたりで終りとしたい。これで桜井からここまで歴史的な「山辺の道」は歩き終えたことになる。  15:25 

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