浜街道(絹の道) 1  1 八王子から町田まで  歩行地図
 八王子-片倉台-遣水峠-御殿橋-田端-町田街道-常磐-木曽-町田駅-小鶴橋-南町田駅  22.9km (全体 44.6km)  

浜街道(絹の道)・・・・・八王子から横浜まで

  安政6年(1859)横浜港が開港され、輸出が始ると日本の生糸が横浜から大量に欧米へ送られるようになった。八王子は関東周辺、多摩地域の生糸の集積地であったが、直接八王子から横浜へ生糸が送られるようになる。このとき八王子市「遣水」地区の商人が仲買として、大きな利益を上げ「遣水商人」として名前を挙げることになった。生糸は馬、人力により八王子から南下し、「遣水峠」を越え、田端、小山を抜け、境川沿いに原町田に出て横浜港へと向った。このことにより「遣水」の人々は大いに栄える事になるが、長くは続かず、鉄道の開通などにより、「遣水商人」達にも繁栄は終りが告げられる。この道は「浜街道」と呼ばれていたが、昭和20年代に研究者により「絹の道」と名付けられた。現在開発により大部分道は失なわれてしまったが、一部「遣水峠」に「絹の道」として古道が整備されている。 ここを2009年5月2.3日歩きました。45km弱の行程です
参考書・・・・・「多摩の街道」(けやき出版)外
        地図について、
                  東京の部分は「歴史の道報告書・絹の道(東京都教育委員会)」
        神奈川県の部分は確実なものが入手できず、各ネットで検索
        (http://kkg.jp/walk-route1.html#08-02-11 )   
        (http://homepage2.nifty.com/sa-osamu/hama.htm)

 浜街道 1  八王子から町田   浜街道 2   町田から横浜

 2009年5月2日。JR武蔵野線経由で八王子駅へ到着した。これから八王子を南方へ向い、町田街道を通って横浜シルクセンターへ向います。幕末から明治にかけて、生糸が運ばれ「日本のシルクロード」といわれた道である。
■八日町交差点~JR片倉駅
●八日町交差点(浜街道起点)    9:40
 ここは東西に走る甲州街道と南へ行く国道16号線が交差する交通の要衡で、昔は「高札場」があった。甲州街道を歩いた時に来ている。左折して16号線を南に向うが、万町、黄金橋を渡った先に旧道が残っている。「八王子医療刑務所」の高い壁を見ながら、「子安町」交差点を通過し、●京王線のガードをくぐる。5連休の初日で車が多い

■JR片倉駅~片倉台小学校西
 「片倉町」で北野街道を交差して、「住吉橋」を渡る。この橋からこの先の「遣水峠」までの道は区画整理やら、住宅地で旧道は消滅したそうで、この先は適当に歩けばよいのだけど、できるだけ旧道をなぞるため、「歴史の道報告書」に付属した地図を参考に、橋の先のマンションの所を左折して、「市民センター」を左に見ながら、●JRの高架の方向へ進む。   高架のすぐ左に「片倉駅」がある。くぐると「兵衛川」にぶつかり進めない。正面に大きな●「旧家」が建つ。左側の「釜貫橋」を渡ってさっきの「旧家」が建つ場所まで戻った。「日本文化大学」が近いので、学生らしき人達がちらほら通っていた。 10:25

 「旧家」前を左折して行くと、奥に●「慈眼寺」が見える。
 赤い山門には両脇に仁王もいる。山門は鐘楼も兼ねており、「遣水商人」の名も刻まれているというけど、閉じられていて見ることは出来ない。寺は文安2年(1445)頃起ったといわれる歴史を持つ。山門脇に天保2年(1831)の六地蔵と寛政11年(1799)の百万遍供養塔が立っている。
 寺の先は「東急片倉台団地」の住宅が建並び、街道は全く消えている。「報告書」の地図を見ると、住宅の上を円弧を書くように蛇行して進み、●「市立片倉台小学校」の西の角に至っている。
   ここはどうにもならず、学校の西角をめざして適当に進んだ。団地内を「はちバス」というのが走っているのだけど、本数は10時から19時まで5本しかなく、こんなんで役に立つのだろうか。  10:50

■片倉台小学校西~遣水峠
 学校の西の角に至る。ここから「遣水峠」入口を目指すのだけど、ここも旧道が消えてしまっているので、適当に進んで、右折すると高台にぶつかり、左折して行くと、前方に「八王子バイパス」の消音壁が見えてきて、その奥に階段がある。
   消音壁に沿って行くと●長~い階段があって、ここが「遣水峠」の入口となっている。当然昔は階段ではなく、上がり坂であっただろうし、バイパスの為に削られたので階段になってしまったのだと思う。
   登り終え、後ろを見ると、●八王子の市街が眼下に広がって眺めが良い。「富士山」が見えるらしいが、今日はもやって見えなかった。11:05

●遣水峠
 階段を上がり終ると雑木林が続く山道になります。ほどよい散歩道になっているので、中年の女性が数人ぶらぶらと歩いていた。
 やがて左手に高さ約2m程の「絹の道』」と刻まれた、石柱が1基立っている。左に続く階段を上がるとそこは鬱蒼とした樹林で囲まれた平らな土地で、「大塚山公園」という。 ●道了堂という寺があった場所で境内をそっくり公園としている。
  道了堂は「遣水永泉寺」の別院として明治6年鑓水商人により、東京花川戸から堂宇を移築して創建された。最盛期は満開の桜の下、お茶屋も数軒軒を並べ賑わったという。しかし絹の道の衰退に伴い道了堂も衰え、昭和38年堂守婆の殺人事件があったりして、昭和58年ついに解体撤去された。今では中程に道了堂の礎石だけがひっそり残されているだけだが、左手には明治14年の延命児育地蔵や石燈籠などが残っている。

■遣水峠~資料館
●絹の道(八王子市指定史跡)

 道了堂の階段を下ってから峠道が続き、遣水の中心部、大栗川に架かる御殿橋までの区間が呼ばれる。前半の峠道は「浜街道」のかっての景観をもっともよくとどめている、今回のメインの区間になります。
 椀状に窪んで、石が少しゴロゴロして、靴に突っかかるけど、落葉がほどよくクッションになり歩きやすい道であります。車は通行止のはずと思いつつ、1台の車に追抜かれた。おかしくはないか。・・・・ 
  この道は1km程の短い距離で、ここを生糸をかついで駆抜けたのかと感慨に浸るうち、やがて舗装道路が現れ、「史跡・絹の道」もあっけなく終ってしまう。  11:25

 ■資料館~御殿橋
 舗装道路の合流点だけど、本当はここが●「絹の道」の入口らしく、案内板が立つ。ゴールから逆に来たわけである。   ここには3基の石塔があり、真ん中が「秋葉大権現の石塔」、左が庚申塔、右は観音像の下に「供養」と刻まれた供養塔。舗装道路をずーと下って行きます。結構車が多くわずらわしい。
  左手の石垣の上に風格のある黒塀で囲まれたな建物が●「絹の道資料館」です。敷地は鑓水の豪商「八木下要右衛門」の屋敷跡で、平成2年の開館になる。「石垣大尽」と呼ばれた石垣が残り、建物は同家の母屋を模した物。館内には鑓水の歴史や絹の道の解説展示がされている。 

資料館の前からちょっと下ると、すぐ右手のガードレールの奥の崖にせりだした所がある。そこに1本の榎が植わっていて、●一里塚の跡といわれている。八王子から4km来たわけだ。
  更に坂道を200m程下って行くと、大栗川に架かる●御殿橋が見えてくる。ここまでが「史跡・絹の道」で、指定ではこの地が起点とされている。御殿橋のすぐ手前左手に●「八王子道標」が立つ。もとは大栗川右岸にあったが、移転して来たもの。道標の裏面に説明板が埋込められていた。御殿橋で注目は欄干に埋込まれた一枚のレリーフで、あの道了堂の『武蔵国南多摩郡由木村鑓水 大塚山道了堂境内之図』がはめ込まれている。往時の浜街道の賑わいの様子が感じられてくる。  11:45 

御殿橋~田端坂
 御殿橋を渡らず、手前で左折して、左側の「嫁入橋」を渡ると柚木街道に出る。柚木街道を渡ってから先、南へ高台のわずかな谷間の「板木谷戸」と呼ばれる地へ入っていくが、全く昔の面影は無くて、多摩ニュータウンとして造成されて旧道はすっかり埋ってしまっている。
  板木谷戸道に入るとすぐ沿道右手に茅葺入母屋造りの大きな民家が目に入る。鑓水商人だった●小泉家屋敷である。明治11年の入母屋造り茅葺で、田の字型4間取りで多摩南西部丘陵地帯に旧来から見られる典型的な民家建築の様式である。東京都の有形民族文化財として指定されており、現在も個人の住宅として使用されている。
  遣水中学」に沿って坂を上がって行くと『穂成田歩道橋』という歩道橋があるので、渡って行く。ここから先の●歩道はきれいな高台にある歩道で、昔はそこから横浜の海が望めたという「浜見場」に向うが、結局「浜見場」という所はよくわからなかった。奥に見える「鑓水小山給水所」あたりがそうだという。給水所の脇を通ったけど、横浜の海なぞ見えなかった。 12:16

■田端坂~町田街道
 給水塔の脇を通って町田街道に向って坂を下りて行く。
この坂を●「田端坂」というようだ。旧道は地形に従い細かな屈曲を描いてたというけど、昭和前期に改修されてなだらかな坂になったという。
 下って行くと町田街道に出るが、すぐ手前を左折していく道が旧道というので、左折して細い道に入る。
 入ってすぐ左へ行くと●「田端遺跡」という、環状積石遺構があるというので行ってみた。縄文後期から晩期にかけての代表的な祭祀遺跡とされ自然石を楕円状に積み、長軸上に富士山を望むので、山岳信仰の遺構であろうと推定される。  12:42

■町田街道~小山駐在所
 浜街道は「京王相模原線」の高架をくぐり、「片所」バス停手前で、町田街道に合流する。
旧道は県境を流れる、「境川」に併行するように進んでおり、現在の町田街道はその道筋をほぼ踏襲しているというので●町田街道を南東へ進んで行きます。しかし所々で新道の町田街道と外れて右に左へ入る所もあるので、そういう所ではこだわって折れて行くことにした。前の左折する細い道も旧道の跡だった。
 次に折れて行く場所は「御嶽堂」バス停の先、小山駐在所の先を左斜めに入るが、その手前左奥に●重厚な長屋門が目につく。「萩原家」の屋敷といい、敷地も広く、有名な旧家であろう。 

■小山駐在所~小山郵便局前
 小山駐在所先を左斜めに入り、広い道を渡ると、すぐ先に四つ辻がある。右角には慶応元年の大きな石燈籠が立ち、左角には供養塔、太子塔が立つ。
  旧道を歩いていて久しぶりの懐かしい風景が残っている。
 この四つ辻を進んで行くと、左奥の階段を上って行った上に●長泉寺がある。今回あまりお寺に出会わないので、階段を上るのがおっくうだったけど行ってみた。門前の「禁葷酒」の文字を深々と彫込んだ石塔が重々しい。13:35

■小山郵便局前~常磐・上宿
  脇道は小山郵便局あたりで、町田街道と合流する。街道の右手に石仏が沢山集っており、●中村地蔵尊という石仏群という。宝暦6年(1756)創立というが比較的新しい石仏も並んでいる。屋根が架けられているが、昔の写真では架けられてはいない。外に古そうな道祖神塔や庚申塔なども並ぶ。
 地蔵尊から「常磐」バス停までは特に何もなく、町田街道をずーっと進み、バス停手前から又右斜めに旧道が続いている。「中常磐」で町田街道と合流して、「常磐駐在所北」信号で右手へぐーと曲って行くと、両側に●「桜美林大学」キャンパスが広がっている。14:35

■上宿~滝の沢
●木曽町(旧木曽宿)
  「上宿」バス停から一時町田街道と別れ、右折して行く。この道は木曽町を通過している。この区間は最も良く浜街道の道筋を残しているといわれ、道幅約6m、明治初期の集落はおよそ600m程の長さであったという。
 しばらく歩いていくと右手に●秋葉神社がある。貞亨2年(1685)遠州秋葉山三尺坊より勧請したといいう。隣に「福昌寺」の山門が建ち、奥に境内が広がっている。境内には入れなかっが、家康の遺骸が駿河久能山から日光へ移送された折り、休息所となった歴史を持つ。  15:05

 旧道をずっと行くと、やがて●四つ辻へ出る。ここで交差する道はかっての矢倉沢往還で、奥州古道とも呼ばれ、奥州へ通じる大道で、江戸表を通つより近道で安全であったといわれる。。家康の遺骸もこの道筋を進んでいる。
 この四つ辻を右折して30mほどの右手に、●木曽一里塚跡残っている。かっては道の両側にあったという。家康の遺骸がここを通過した際、「大久保長安」により造られた」と伝わる。
 四つ辻には「覚円坊」というお堂があり、木曽の観音様として古くから親しまれてきましたというけど、境内は公園風となっていていたずら防止のためか、敷地内は立入禁止であった。 15:20

■滝の沢~町田駅
 旧木曽宿の道筋は木曽交番あたりで、また町田街道と合流する。
  木曽を過ぎ、また●滝の沢信号で現在の町田街道は左へ分れていく。右へ行く道は往時の浜街道のあとをとどめるものといわれる。道の東側は区画がきれいに並び、区画整理が行われたことがよくわかる。
  森野交差点で、現代の●「鎌倉街道」と交差する。これはいわゆる、鎌倉時代の街道ではなくて、現代の名称にすぎない    鎌倉街道を過ぎて真っ直ぐ、町田駅方向へ進んでいく。段々賑やかになってきて、やがて「小田急線」の踏切を渡る。   15:55

町田駅~町田南駅
 踏切を渡るとすぐ、町田駅前の小広場があり、ここに昭和58年、●「絹乃道」の石碑が立てられた。両」側面に「此の方よこはま」、「此の方はちおゝじ」と刻まれ、裏面に「原町田誕生四百年記念」とある。原町田とはこのあたりから、成瀬街道が分岐する三塚辺りまでが明治初期には原町田村といって、浜街道沿いの集落としては最大のものであった。
 現在は●原町田中央通と呼ぶ通を行くが、駅前は小田
急駅ビル、東急ツインズビルやらで大変な騒ぎで、普通に歩くのが大変だった    16:10

大変な人出という中にも、史跡というようなものはあるわけ
で、その一つが左側の町田市商工会館の前に●「二・六の市に碑」が立つ。いわゆる六歳市が行われていた記念碑で、市が成立したのは文政・天保年間の頃(1818~)。昭和19年まで360年間続き、今日の町田の発展の基となった。
  駅前をさらに進み、「三塚」で町田街道と合流し、JR横浜線を陸橋で渡る。「金森4丁目」でまた、右斜めに細い旧道を入って行き、「小川」で合流している。
  本日の最後は「小鶴橋」で下を東急線が通っているので、線路に沿って右折をして●「町田南駅」で帰ることにした。自宅まで半蔵門線経由で乗換えなしの一本で帰る事ができた。
   浜街道2へ続く。  17:20

      浜街道 1  浜街道 2