小金井街道を歩く 歩行地図はこちら  
 八幡宿交差点-浅間町-質屋坂-前原坂上-武蔵小金井駅-小金井橋-花小金井駅-前沢-清瀬駅-志木街道  13.24km

   小金井街道
 小金井街道は、府中市宮町の旧甲州街道の八幡宿交差点から清瀬市中里の埼玉県境に至る道で、多摩地方の人たちが、農産物を新河岸まで運んで、帰りに新河岸川の舟運を利用した干鰯・糠などの肥料や農具を買って運んだ道でした。府中付近から始まり、清瀬市で志木街道に合流する約14kmの街道です。

 資料
「武蔵野古道ロマンの旅」 (芳賀善次郎)
   府中市、小平市、小金井市、東久留米市外
 HP等
小金井街道

 2023年12月17日 ※ 写真をクリックすると拡大します
■府中市八幡宿交差点~北南建前 
 小金井街道の出発点は諸説あるのだけど、一応●八幡宿交差点を起点とします。北東角には"鍋屋横丁"の案内碑がある。この名前は、旧甲州街道から北へ入る角の家の屋号「 鍋屋」 に由来します。 北に進むと、京王線の高架下を通って、その先、●「小金井街道入口」信号を横切る。昔の「小金井街道」の起点ではなく、現在の都道の小金井街道のもの。その先●北南建前交差点は右へまがります。明治迅速図では、「宮前2丁目」から入って来る斜めの道がここまで通じていたのがわかるが、今は消滅している。 右手に「北多摩南部建設事務所」があり、「北南建前」というのはその省略名による。 10:26

■北南建前~浅間町2丁目
 右手に「武蔵野の森」が見えてきて、その奥に「浅間山」があるが、見えません。浅間山には「大宮街道」を歩いた際、登りました。●「府中の森公園西角」交差点に来ました。この北西角に"小金井街道碑"がある。「小金井街道」の名は、この道が小金井へ通じることに由来します。・・この道のうち、旧甲州街道から京王線までの間を「菊屋横丁」と呼びます。・・と書かれている。
 右手の●府中の森公園入口が見え、中心部まで長く参道のように続いている。角に「府中市美術館」もあります。その先●都道5号が真っ直ぐ進み、右手は広大な原野のような空き地。「米軍府中基地跡」と云うらしく、国有地になっている。 10:48

 ■浅間町2丁目~前原町
 小金井市へ入るが、地図を見るとこのあたりの市境が複雑に入り組んでいる。「前原交番西」で新小金井街道を横切り。 続いて、●東八道路を横切ります。"「前原小入口」信号"で左へ曲がりますが、左手に墓地があり、入口の小祠の中に、●地蔵、青面金剛塔などが安置されている。 左に曲がり「質屋坂通り」に入ります。すぐ先に●野川があるが、付け替え前の野川で、本流はその先です。
11:16

■前原町~質屋坂
 ●野川本流を、「大城堀橋」で渡ります。野川は武蔵野を歩くと、あちこちで出会います。●「質屋坂通り」のゆるやかな上り坂を宛って行き、左手に「神明宮」の石標があるので、左手の参道に入って行くと"神明宮鳥居"、奥に●神明宮があります。天照大神を祀るが。明治以前、左手に、聖護院を本山とする修験「光明院」があり、その支配下にあったという。 11:21

 ■質屋坂~前原坂上
  街道に戻って、少し先を左折し「薬師道」に入ると、右手は「なそい坂」といい、坂の左手は広大な敷地を持つ●幡随院が建っている。江戸時代の侠客「幡随院長兵衛」で有名な幡随院だが、慶長8年(1603)神田駿河台に創建。「明暦の大火」などで移転を繰り返し、現在地に移ったのは昭和15年から。格式が高いらしく門が閉ざされて、入れません。 又街道に戻って先に進みます。急坂をジグザグに繰り返し行くと、右手屋敷の門前に、「質屋坂」の標柱があり、●質屋坂という。・・この坂道は志木から府中へ商人が往来した小金井街道の旧道で、街道で最も険しい坂であった。この坂に沿って星野家が質屋を営業していたことからこの名が付いた・・という。 坂を上がりきると、●「前原坂上」交差点で、右手からの現在の小金井街道に合流します。 11:42

 ■前原坂上~前原坂下付近
 このあたりから前原坂下あたりまで、旧跡が散在するので少々寄り道します。 野川の北側には高低差が15~20mの高低差がある斜面(崖)が東西に走っていて、このことを、「はけ」と呼んでいる。 少し下りた所にある●「金蔵院」の前から、"はけの道"という道が崖下に伸び、風情ある坂や階段が幾つも走っており、"古い民家"や武蔵野の雑木林が広がる景観となっています。
 金蔵院の南の西念寺の墓地の中に●「小金井小次郎」の墓があり、高い追悼碑が立っています。小次郎は小金井の名主の子で、新門辰五郎の弟分となり、後に子分が3000人を数える大親分となったという。賭博罪で三宅島に流刑にされた際、島の水不足を救うため井戸を造るなど尽力しました。なるほど "墓を囲む石材"に歴代総長の名前が刻んであります。  「前原坂下」交差点に●金井原古戦場碑があります。・・南北朝時代に起こった武蔵野合戦の際、起こった合戦場の一つで、新田義貞の子・善興が足利尊氏と戦った。義宗尊氏を破り、尊氏は石浜まで敗走している。12:10

 ■前原坂上~武蔵小金井駅
 「前原坂上」交差点からは現在の都道15号、「小金井街道」を北進しますが、その前に、交差点を渡り、1本東側の角を左折すると、●六地蔵が刻まれた六面石幢●「六地蔵のめぐみ黄金(こがね)の水」という井戸があります。六面石幢は、宝永四年(1707)に建立されたもの。"説明板"。 左側にある井戸は商店街によって掘られたもので、小金井市は「黄金(こがね)の水」が湧き出る井戸が多くあることに由来するそうです。●武蔵小金井駅ガードをくぐります。 12:40

 ■武蔵小金井駅~小金井橋
 北上して、「本町二丁目」交差点付近は仙川の暗渠になっているので、土地が低くなっている。左右に少し行くと、流れが姿を現します。 交差点の右角に●「大松木下の稲荷」というのがあり、境内に"五基の石造物"があります。 "説明板" 
 真っ直ぐ進み、●小金井橋に来ました。下を●玉川上水が流れ、樹木が繁茂して流れはあまり良く見えません。「小金井橋」は、承応2年(1653)玉川上水が開かれた時に架橋され、花見の名所として、多くの錦絵や挿絵に描かれました。"説明板" 。13:05

 ■小金井橋~花小金井駅
 小金井橋の先、●右手は「小金井公園」が広がっていますが、広すぎて一枚の写真に納まりません。公園の中に「江戸東京たてもの園」があり、ここは以前、「武蔵野郷土館」があって、江戸時代からの由緒ある建物を復元展示していた。 長らく「郷土館友の会」会員であったものでした。 その先、左右に●小金井カントリー倶楽部のコースが広がっている。 多摩湖から境浄水場までの導水管が下を通る、「多摩湖自転車歩行者道」を横切ろうと思ったが、久しぶりの歩きでくたびれてしまったので、右折して●花小金井駅から一旦帰ることにしました。 13:30

 2023年12月24日
■花小金井駅~青梅街道
 小金井街道を再開します。●花小金井駅西の踏切を越えて、すぐ先の信号を左に入って行くのが●小金井街道の旧道です。真っ直ぐ進んで青梅街道にぶつかり右折します。明治迅速測図を見てもその様になっています。 途中左手にある"大きな旧家" はこのあたりで、漬け物工場を持っていたという「中島家」。その北隣に●野中用水があり、水は流れていないが、玉川用水から分水された「用水」で、各家の生活用水として使われたという。 その先、青梅街道にぶつかって右折します。 11:50 

 ■青梅街道~前沢南公園
  ●現在の小金井街道を北進します。●新青梅街道を横断。新青梅街道は「北原西」から「野口橋」まで直進している。その先を左に曲がると●前沢南公園があり、ここは「東久留米市指定旧跡北多摩陸軍通信所跡」にあたります。"説明板" 北縁にうっすらと残っている丸い防火水槽跡が通信所があったあたりのようです。 12:10

 ■前沢南公園~前沢北
 その先 ダイソーの所を左に入った所に●つばき公園があり、「東久留米名木百選 エノキ」があるというので、行って見たら、見事に伐採されていました。 https://seko1240.sakura.ne.jp/mae4/?p=3509)(前沢4丁目自治会hp) 往時の様子は"こんな感じ" 。
 ●前沢交差点で「所沢街道」を横断。次の●「前沢北」の分岐を左へ入り、「前沢宿」に向かいます。 12:36

 ■前沢北~前沢宿交差点
 すぐ右角に珍しく、"提灯屋さん"が建っていました。 次の信号で左手を見ると、石仏らしいものがあったので寄って見ると、●庚申塔であり、寛政四年のものでした。最近回りが整備されたらしいです。 その先、三叉路の真ん中に、●石造地蔵菩薩があります。(振り返って撮影)。 "説明板"  "地蔵像"明和5年(1768)の造立。道標を兼ね、「右 大山道」、「左 江戸道」と刻まれている。 江戸道とは小金井街道にあたります。 落合川に架かる弁天橋を渡り、●「前沢宿」交差点に出ました。ここで街道は右に折れます。明治迅速惻図では真っ直ぐ北へ抜ける道は存在せず、北へ抜けるのは昭和に入ってからと云います。 12:45

  ■前沢御殿跡~米津禅寺
 交差点から左へ行った、突き当たりにある●前沢御殿跡から、東へ進み、●前沢宿の町並を過ぎて、一つ目の信号を左へ曲がった所の●米津禅寺付近まで東西に延びる道は「前沢宿」と呼ばれます。街道にある、正式の宿場ではないのだが、両側に家が建ち並び、宿場の形態を見せています。前沢の所在する「旧前沢村」は東久留米市の中央にあたり、東西に「所沢街道」、「江戸街道」、南に「小金井街道」などが通り、交通の要衝で、旅人や商人が泊まれる施設が必要だったと云われる。 「前沢宿」交差点は宿の真ん中にあたります。「前沢御殿」とは江戸時代、尾張藩の鷹場の施設として、宿泊所などが置かれました。"説明板" 。「米津禅寺」は前沢村領主だった「久喜藩主 米津家」の菩提寺です。13:00

 ■米津禅寺~野火止橋
  寺の奥の墓地に●米津家の墓が並び、二代田盛、四代政矩、六代政崇、八代政容の墓標、供養塔などが並んでいます。"説明板" 都内の多摩地域で唯一残る大名家の墓所という。 寺の右側の「東久留米総合高校通り」を北上。左手に「都立留米総合高等学校」があり、黒目川に架かる●落馬(おちば)橋がある。「落馬橋」という変な名前は・・旧鎌倉街道をやって来た武者がここで落馬して果てたために付いたという・・説があるそうだ。 橋を越すと、「大円寺通り」という急坂になります。 「小山」の住宅街を抜けると、●野火止橋があります。橋の下には当然"野火止用水"が流れ、用水は東へ流れて平林寺内に入ります。 13:30

  ■野火止橋~ 
 「清瀬駅」に近づき、●駅前商店街を過ぎ、踏切を越えます。すぐ●左へ分岐する細道が旧街道であるので、左へ曲がります。この区間はごくわずかの区間で、すぐに、●都道15号、現在の小金井街道を横切って、先に進みます。 14:23

   ~志木街道合流地点
 ●都道40号、に合流しました。左手角に●石仏群があります。志木街道を通った際にも撮影してあります。江戸から大正にかけての庚申塔、馬頭観音などが並び、右から2つめの庚申塔は享保10年(1725のもので、道標を兼ねており、「右 青梅道」「左 八王子道」と刻まれている。●都道40号は志木街道で、新河岸川、引又河岸へ続きます。 小金井街道はここまで。 志木街道  
 14:30