青梅街道歩き旅 2   2 新高円寺から武蔵関 まで  歩行地図
 新宿追分-中野坂上-荻窪-上井草-関町-田無-小平-桜街道-榎-中原-箱根ヶ崎-青梅新町-青梅  44.9km   
 
1 新宿追分~新高円寺  2 新高円寺~武蔵関  3 武蔵関~新小平  4 新小平~青梅

2009年3月15日 新高円寺駅到着。青梅街道2回目始めます。非常に天気がよく、写真には逆光がきつい。
 ■新高円寺~杉並区役所
 街道を西に進んですぐ左側、●清見寺には「瑞雲山製薬所」の門柱が立ち、馬橋の灸寺で知られるそうだ。昔はお灸なぞで知られていたのだろうか。創建は寛永初年で。当寺は元禄年間(1688~)火災にあい、現本堂は昭和11年に改築されたもの。
 文化財としては、馬橋村・阿佐谷村の村民の奉納した●地蔵石像がある。現在の杉並第一小学校の前身「桃園小学校第一番分校」が置かれた。杉並区の学校発祥の地でもある。     10:55 

 先の街道の左に入った所に領主岡部氏の菩提寺である●天桂寺がある。巨大な標石の立つ寺で、開創は慶長年間(1596~)
氏祖岡部六弥太忠澄を勧請開基として一庵を建てたのが始まりといわれています。以来、岡部家の葬地となりました.また杉並の地名は、この岡部氏が青梅街道沿いに植えた杉並木に由央するといわれている。
  街道に戻り、杉並区役所の玄関前に●さいかちの木が植っている。一里塚道標にちなんだもので、一代目は枯れて、二代目の「さいかちの木」になる。  11:40

 杉並区役所~荻窪駅
 都バスの「天沼」バス停を左に曲ると 荻窪体育館がある。前庭に, ●「オーロラの碑というものが立っている。
 原水禁運動の発祥の地を記念する碑である。1954年 ビキニ環礁での水爆実験で被爆した、マグロ漁船“第五福竜丸”の久保山愛吉氏が死亡した。これをきっかけに, 原水禁運動は 全国に広がっていった。
 旧道はJR中央線を越さないで、手前で分岐して「荻窪駅」の方へ向う。左手の藤沢ビルの南側に●古い馬屋門が残り「明治天皇荻窪御小休所」の碑が立っている。説明がないのでどういうものかわからないが、旧道を示す遺物には違いない。

 ■荻窪駅~荻窪八幡
 「荻窪駅」手前の「地下道」をくぐり、青梅街道を行くと、●「四面道」に出る。「環状8号線」との合流点です。ここにはむかし秋葉神社があり、この境内に高さ2mほどの常夜燈が建立された。下荻窪村・上荻窪村・天沼村・下井草村の四か村の境にあるから「四面道」と呼ばれるとも、また、常夜燈が四か村を照らすので「四面燈」と呼ばれ、やがて四面道の名に転じたのだとも言われています。
  「八丁」信号を渡り、荻窪郵便局の先に●薬王院がある。「観泉寺」の境外仏堂で、無住職らしく、通用門を開けて入ると、境内は案外広い。左側に多数の石仏や石塔が鎮座している。 13:00

■荻窪八幡~井草八幡
 荻窪警察の向かい側のケヤキの森が●荻窪八幡神社。寛平年間(889~)に創建されたものと伝えられ、治承6年に、源頼義が奥州東征の途中、ここに戦勝を祈願、のちに凱旋するにあた って社殿を改修している。 その後、大田道灌が石神井城を攻略するにあたり軍神祭を行い、社前に「槙の樹」1株を植えた。これが 今なお残る「道灌槙」である。 「道灌槙」は神木になっている。夏であれば、もっと葉が茂るのだろうけど、今の季節は養生中だった。社殿は皆新しいものだけど、堂々として好ましい。

■井草八幡~関口1丁目・千川用水
 1キロほど歩くと井草八幡宮がある。案内図を見ると長い参道があって、歩いていくと堂々とした●楼門が見えてくる。しかしコンクリート造りではあった。当初春日社であったが、源頼朝が奥州遠征の際に戦勝祈願に立ち寄って以来八幡宮となった。境内に頼朝が手植えしたという●「頼朝公お手植えの松」が伝わる。(現在は、2代目)。神社の参道は北参道というのもあり、こちらの入口には左右に大きな燈籠が立っている。
13:30

■千川用水~関町4丁目
  八幡宮を過ぎると、街路樹が●ケヤキに変わり、武蔵野らしさが漂ってくる。「上石神井駅入口」の信号の先左手に稲荷神社がある。  この辺りは江戸時代中頃に開発された竹下新田と呼ばれる場所だったそうだ。「関町1丁目」交差点の所を、左から千川上水が暗渠で横断している。●千川上水は、元禄9年(1696)、白山御殿や寛永寺など将軍家関係へ給水する目的で、武蔵野市と西東京市の境橋で玉川上水から分水した。交差点を越すと暗渠の上が散歩道道となっている。14:00

■関町4丁目~若宮八幡
 歩道橋の先右手に●「関のかんかん地蔵」がある。腹痛の時、地蔵の腹を石でカンカンとたたけば回復したというのでこうう名付けられた。たたけば願い事がかなうというので、あまりに多くの人がたたいたので、穴が開き最近補修されたという。
 さて、今回も時間も半端で、どこから帰るか考え、「関町4丁目」から青梅街道から離れ、北上して「本立寺」を見て、「武蔵関」から帰ることとした。途中●「天祖若宮八幡宮」に立寄る。天祖神社と若宮神社の両方祀った神社で、本立寺持ちであったが、明治の神仏分離により独立した。若宮八幡の方は創建は奈良時代にさかのぼり、慶長年間、関村の鎮守とされたという。14:40

■若宮八幡~本立寺・武蔵関駅
 八幡宮から「武蔵関駅」へ向いう左側に、●稲荷神社がある。
見過しそうな小さい神社であるが、由緒正しく、関町を開拓した井口氏が、代々祀ってきたもの。毎年二月の初午は、関町付近の各井口家、その関係者、地元商店街の諸家、一般参詣者で賑わうという。
 西武線の踏切の向うに●「本立寺」がある。創建は寛永年間(1623~)関村名主「井口忠兵衛」による。日蓮宗の寺で、お会式の法要にあわせて開かれる「関のボロ市」で有名だそうだ。
  その後、寺を出ると「武蔵関駅」がすぐ前にあるので、西武線「高田の馬場」経由で帰りました。15:20

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