千人同心街道歩き旅 1
     (八王子千人町~入間川市駅)

    歩行地図はこちら  地図
 千人町-追分-浅川-拝島-日光橋-青梅街道-富士山-二本木-入間IC-扇町屋-入閒川駅    26.7km
 

 1 八王子~入間市駅  2 入間市駅~高坂駅  3 高坂駅~行田駅  4 行田駅~茂林寺駅  5 茂林寺駅~佐野駅

 日光千人同心街道

 八王子千人同心が日光東照宮火番勤務のために往来した街道で、 八王子市の千人町から日光東照宮まで の街道である。
  佐野(天明宿)で例幣使道と合流し、楡木で壬生道、今市で日光本道と合流、その後東照宮へ向かった。街道としては八王子から佐野までの約90kmが該当する。街道名は千人同心街道の他に日光脇往還、日光火之番街道、 日光裏街道などとも呼ばれた。
 宿場は天明まで以下の15宿が置かれた。               
1 拝島
2 根ヶ崎
3 二本木
4 扇町屋
5 根岸
 6 高萩
 7 坂戸
 8 高坂
 9 松山
10 吹上
11 忍
12 新郷
13 川俣
14 館林
15 天明(佐野市)

  参考資料
「歴史の道調査報告書 第四集 日光脇往還」 埼玉県教育委員会
 「千人同心日光街道 電子版  」  中山高安
  その他 各ホームページ

 2015年8月23日
■八王子千人町~追分町
 JR武蔵野線から中央線に乗り換え、西八王子に8時15分頃到着。西口を出て●甲州街道に出た。このあたりは千人同心ゆかりの「千人町」という場所なので、今日のスタートはここに決めた。
 「西八王子駅西交差点」の角に石碑が立つ。●馬場横町と刻まれている。江戸時代、千人隊拝領の馬場が近くの宗格院の北側にあって、ここより宗格院までの道を馬場横丁と呼んでいたことから「馬場横町」と呼ばれるようになったという。。
 甲州街道を新宿方面に向かう。間もなく追分町交差点で、交差点手前に●大きな道標が立っている。「右 あんげ道 左甲州道中高尾山道」と刻まれている。江戸に向かって歩いて来たのだが、江戸側から見ると、甲州街道はここで左へ曲がり、逆に真っ直ぐ延びているのがあんげ(陣場)道となる。この道標は江戸方面から見るようになっているわけだ。道標は文化8年(1818)江戸の清八という足袋屋が高尾山に銅製五重塔を奉納する記念に、甲州道中の新宿、八王子追分、高尾山麓小名路の3ヶ所に立てたもの。先の戦災で四つに折れて、補修された跡が痛々しい感じ。
 交差点から陣馬街道にちょっと入ると●千人同心屋敷跡記念碑がある。説明板には千人同心についての説明が詳しく書かれていて参考になる。8:50

 
 ■追分町~浅川橋
 更に東に向かうと、右手に古い2階建ての商屋さんが建っている。●こんにゃく屋の「中野屋商店」という。創業が明治で、間口が狭く奥行きが長い昔の建て方が感じられる。
 更に街道を進むと今度は左手に●蔵造の見世蔵がある。日曜日で閉まっていたが、城所莊蔵商店という雑貨店らしい。甲州道中八王子宿の趣が残るところである。
 本郷横丁東交差点を右へ行くと、産千代稲荷神社があるのだが、ここは大久保長安の陣屋跡である。 その先の●八幡町交差点で左へ曲がるのが旧道になる。10分ほど歩くと●極楽寺がある。創建は永正元年(1504)。天正18年(1590)の八王子城落城の際に戦火で伽藍を焼失したが、翌年、大久保長安らの助力で現在地に再建された。  9:15

 
 ■浅川橋~稲荷坂
 ●浅川を浅川橋で渡り、更に川口川橋を渡る。旧道は川口川橋の手前で円弧状に左へ折れているところなので、大中通り入口交差点で左斜めに入り、旧道らしき跡をたぐって行くと、左手に●真っ白な前掛けを下げた2つの地蔵が立っている。 このあたりが旧道らしき道かと思う。地蔵の前は2本の道が分岐しており、旧道は左の道へ進む。左の旧道進むと●キリスト教会の脇を通って、国道16号に合流する。合流した国道16号は坂道で、「稲荷坂」と呼ばれている。国道を少し上がり、右側の●ひよどり山に向かうのだが、このあたりの旧道は国道により寸断されてしまったようだ。 9:30

 
■稲荷坂~左入橋
  この先は●ひよどり公園の前を通って、登山道の様に坂道をうねうねと上っていく。  道なりに行くと三叉路になっているが、ここは左へ行くことが正しい。坂を下ると中央高速道の●ひよどり第一橋に出る。橋を渡り、右へカーブしながら坂道を下って行き、中央高速のICをくぐり抜けると、石材店の前に●庚申塔や石仏が並んでいる。左側の青面金剛像は享保16年(1731)のもの。
 街道はその先で国道16号に合流する。 その先の●左入橋交差点を真っ直ぐ進むが、右折するのは国道16号線八王子バイパスである。10:07

 
 ■左入橋~拝島大師前
 ●切通しの国道を進まなければならないが、旧道は崖の上を通っていることになる。  国道沿いに歩いて行くと、左は滝山城址という案内板が立っていた。また左斜めに戻るような道かある。 滝山城は多摩川の丘陵上にあったようで、永正18年(1521)山内上杉氏の重臣で、武蔵国の守護代大石定重が築城し、後に北条氏照の入城している。見たいところだが今日は30キロ近く歩かないといけないので断念。
 ほどなく下り坂になり●拝島橋を渡る。江戸時代の渡しの場所は橋の上流100mほどの所にあったそうだ。●多摩川は水の流れよりも樹木の茂みの方が多いくらいで、河原に下りると対岸が見えないのではないかと思うくらい。
 橋を渡った先の左側、児童公園の中に「拝島の渡し説明碑」があり、それによると、拝島の渡しは明治時代も盛んに利用され、なんと、川越ー八王子間の定期バスもこの渡しを利用していたという。ここに本格的な橋が架けられたのは昭和30年というから比較的最近のこと。
 橋を渡り終えて、旧道をたどる為佐川急便先で左へ入る。民家の中をジグザクに進み、比較的広い道へ出て最後の右折をすると、●奥多摩街道大日堂の石柱の所へ出た。このあたりが拝島宿の入口の東の枡形跡かな?と思う。  10:45

 
   拝島宿
 拝島は元々は多摩川対岸に築城された滝山城の城下町的な存在であったが、奥多摩街道と日光脇往還が交差して宿場として栄えていた。東西1kmの中に上宿、中宿、下宿の三宿があり、旅籠6軒の ほか荒物屋、鍛冶屋など56軒もの商店が並んでおり大変賑わっていた。拝島という地名は多摩川の中州に大日如来像が流れ着き、村人が尊像を御堂に安置し拝んだこと から起こったと云われている
 ★拝島宿周辺
 宿内は普通のバス通りなのだが、北側には由緒ある寺社が集まっている。北条氏照の家臣石川土佐守により滝山城の鬼門よけとして大日堂が再建され、大日八坊と呼ばれる8つの寺院が建てられた。そのいくつかが現存している。
 街道を東へちょっと行った左手にある●拝島大師の山門は素晴らしい。左手奥に入ると、拝島大師がある。大日八坊の一つで、元三大師が本尊である。正面に本堂があり、左に大師の池と●多宝塔がある。
 左手の広場は大日堂の境内で、石段を上がると●大日堂がある。寺伝によると天暦6年(952)創建で、滝山城の鬼門除けとして現在地に移され、天正19年(1592)には徳川氏より朱印地十石を賜っている。左隣りに●日吉神社がある。大日堂の守護社として建立されたといわれいる。明治以降の神仏分離により独立して、社号も「山王大権現」から日吉神社に改められた。特に本殿は絢爛豪華に彩色されておりすばらしいもの。11:00

 
 ■拝島大師~拝島三差路
  街道に戻り西へ向かう。●旧拝島宿の町並みを歩くのだが、宿場時代の面影は全く感じられない。右手奥にある●普明寺も大日八坊のひとつ。 創建当時は8寺であったが、現在残っているのは普明寺、拝島大師である本覚院、円福寺の3寺のみである。 
 しばらく進んだ右側の路地を入った突き当りに●拝島天神社がある。文禄年間(1592~96)に谷保天満宮から分霊されたと伝えられ、宿と同じくらいの由緒を持つ。
 街道に戻るとすぐ先が右に曲がる西の枡形道。右に曲がってすぐに左へ入る細い道が旧道である。旧道を出た所は●拝島三叉路という名の交差点。 ここで奥多摩街道は左に曲がっていくが、千人同心街道は真っ直ぐ進んで行く。   11:37

 
 ■拝島三差路~日光橋
 ほどなく●小荷田の交差点に到着するが、その先は3車線の広くなった国道16号を行く。 左手には多摩工高がある。やがて●武蔵野橋南交差点まで来る。16号は鉄道高架橋を渡っていくが、旧道は右へ曲がる。200mも進むと、JR線に突き当たり、進行不可能になってしまう。その手前左側の高台に見えるのは●共光稲荷神社という小さい神社が鎮座している。
 突き当たりを右に進み拝島駅の自由通路を通って駅の向側へ出た。線路に沿って分断されたあたりまで戻ってくると●日光橋があるので渡ることになる。日光橋というので日光へ向かう街道ということがわかる訳だが、下を流れる川は玉川上水である。  12:10

 ■日光橋~新青梅街道
 次の信号を左に曲がって●国道16号を進む。もうこの辺りから右側に長い塀が続き、横田基地が現れる。青梅街道や五日市街道を歩くと、いつも横田基地で分断され、迂回する羽目になる訳だが、この日光脇街道も同様に寸断され先に進めなくなる。旧道は●第五ゲート交差点辺りから横田基地の中に消えている。国道を進むわけなのだが、味気ないので左に曲がって線路脇を北上している「わらつけ道」というのを歩くことにしてみた。「わらつけ道」については面白い伝説がある。(福生市観光協会サイト http://www.fussakanko.jp/pa0121_17.html 街道は普通の道で何にもなかった。
 八高線「東福生駅」先で国道16号に合流し、先に進む。入国管理局分室隣に「ドンキホーテ 多摩瑞穂店」があって、トイレを借りようと入ったら、トイレは4階で、しかたなく上がって行ったら、4階はトイレと休憩所だけで、なんと●横田基地が見渡せるのであった。ご丁寧に望遠鏡まで設置してある。そこで写真を1枚ポチっと撮っておいた。基地を見る為に4階をトイレと休憩所だけにしてあるみたいで、結構な見学スポットて感じ。
 ドンキから15分程歩くと●新青梅街道の交差点に着いた。交差点の名前が付いていない。  13:40

 ■新青梅街道~青梅街道交差点
 国道の向うに 加藤神社が見えるが、その後ろにある塚は●加藤塚という。天正10年(1582)、武田氏滅亡後、その家臣であった加藤影忠は妻子と数名の家来を連れて当地まで逃げてきたがこの地で果てた。その死を憐れんだ村民が塚を築き弔ったという。
 交差点まで戻り300m程南下すると●●旧道復活地点に達する。横田基地の金網が続いていて、旧道は基地から続いて来て、この地点で復活している。この地点でV字型に反転して北に向かうのが旧道である。
 北に向かうと「旧箱根ヶ崎宿の町並み」に入るが、宿場時代の面影は全く感じられない。ほどなく青梅街道との交差点に来る。その角にあるのが●漢方の會田という漢方薬店。明治5年創業という。 古商屋造りの建物がいかにも旧道らしくてすばらしい。   14:00
  2 箱根ヶ崎宿
 南北に走る千人同心街道と東西に走る青梅街道が交わる箱根ヶ崎は交通の要衝として大変賑わった宿場であった。江戸時代後期に入ると商品輸送も増え、日光参拝や、富士講、御嶽講などで旅籠が軒を並べたという。。明治時代に入ると千人同心が廃止されたことや輸送量の低下などで次第に旅籠の数も減り、今は静かな町並みとなっている。

 ■青梅街道交差点~富士山交差点
 残堀川に架かる「大橋」の先は●緩やかな上りとなるが、脇に●日光街道」の標柱が立っている。このあたりでは日光街道と名前は違和感があるかもしれないが、この街道も日光へ通じる道なのであった。
 左折して進むとこんもりとした森の中にあるのが●狭山神社。創建年代は不詳だが、源義家が奥州征伐の永承年間(1046~1053)に箱根権現の霊夢により。当地に勧請、箱根ヶ崎村の鎮守社だったという。
 街道に戻った先で二股になり、正面に小さな祠がある。中に祀られているのは「庚申塔と地蔵尊」。下り坂を下って行くと都道166号を越える。ここを真っ直ぐ進む。このあたりバス停に「富士山入口」や「駒形富士山」など富士山の名前が付いている。高台で富士山の眺望が良いためなのかなと思う。
 間もなく左側に●耕心館という建物がある。周囲に塀をめぐらし豪壮な母屋と二棟の土蔵からなるこの邸宅は屋敷森に囲まれ武蔵野の旧家のたたずまいを示している。当地の豪農で醤油醸造業を営んでいた細渕家の邸宅で、瑞穂町が買収して社会教育施設としたものである。樹木に囲まれて建物の撮影ができなかった。   14:40

 
 ■富士山交差点~二本木交差点
 また「富士山「という名前の付く交差点で国道16号を越える。国道16号がクネククネしているので、何回も国道に合流したり、横断したりしないといけない。しばらく進むと、左側の石段を上った所に●元狭山神社がある。埼玉県入間郡元狭山村の四つの地区にあった四社を移転合祀したとあるので、このあたりは元は埼玉県だったということだろうか。
 瑞穂二本木交差点を過ぎると東京都から埼玉県入間市に入り、●その先で突き当たる。 左に曲がる角に●二本木上宿の道標というのが立っている。日光脇往還と青梅から新河岸に至る河岸街道との合流点に立てられた道標である。延享元年(1744)のもので、「左 大山 八王子」「右 青梅」とある。   15:05

 ■二本木交差点~国道16号宮寺南
  3 二本木宿
 二本本宿は千人同心街道が出来たときに成立した宿で、青梅から川越に至る新河岸街道が 合流する交通の要衝として大変賑わった。宿内の長さ二十町、道幅四間余り、戸数170余。
 右折すると●二本木宿上宿に入る。宿場は千人同心街道の宿場として賑わっていたというが、あたりは人通りも少なく、静かな町に変わっている。
「二本木神社入口」という交差点がある。左奥過ぎる感じで寄るのを躊躇した。宿の右手に寿昌寺がある。 本堂はごく普通の造りだが、●観音堂は文政5年(1822)、狭山・笹井に建立され、その後入間・黒須に薬師堂として移築されたが、昭和58年、現在地に再建されたもの。
 墓地入口で睨みを効かせているのは●石像閻魔大王。享保15年(1730)に二本木村、大森村の念仏衆によって建立されたもので、廃寺となった浄珍寺にあったものだそうだ。  
 先に進むと右手に、柵の中に●木製の秋葉常夜灯がある。先に進むと国道16号にぶつかるが、旧道はその●手前で斜め左へ曲って進む。15:27

■ 国道16号宮寺南~入間IC下
 左に曲がって坂を上がって行く。左手に「入間市博物館 アリット」がある。 隣は狭山小学校。旧道はこの先で●武蔵工業団地の中に消えている。工業団地は●昔の陸軍狭山飛行場の跡地に立地していて、敷地が正方形に近い。そこでなるべく旧道に沿うように工業団地の中を進んで、団地の東北の角、●「サンクス」の駐車場脇」で旧道に復帰した。  15:50
■入間IC下~扇町屋南
 サンクス脇を東北方向へ進む。左手に●狭山開墾記念碑と刻まれた石碑が建てられている。入間ICの下をくぐって先に進むと●このあたり(小谷田)は特に見るべきものはない。やがて国道16号の「小谷田南」交差点で合流する。右側は「武蔵カントリーゴルフコース」で林になっている。国道に沿って進むと、左側に入間市消防署があり、●小谷田交差点には大規模な「ふれあい橋」という歩道橋が架かっている。ここは歩道橋を渡らないと危なくてしょうがない。 歩道橋を渡って北へ進むと●扇町屋南交差点は三つ叉になっており、ここは正面を進む。  16:20

■扇町屋南~愛宕神社
 最初の交差点は扇町屋五丁目。次は●扇町屋3丁目交差点で、このあたりに扇町屋上町の道標があるらしいというので、探してみたがわからなくて通過ぎた。後で調べたら、3丁目交差点手前で、左へ斜めに入ると扇町屋上町の道標があるということだった。 間市のHPで確認
 日光脇往還と青梅からきた青梅街道が扇町屋宿の上町で合流するが、この道標はこの合流点に立てられたものであるという。青梅街道が細すぎて、住宅の裏道同様でわからなかったのが原因と思う。
 扇町屋3丁目交差点を過ぎたあたりから第4番目の宿場の「扇町屋宿」入って行くといわれている。ここも昔の雰囲気が感じられないが、その先右側に●旧家があって、この家が昔の風情を残しているくらいの感じ。
 ずっと進んで「扇町屋中央」のバス停の所を右奥に入ると、●大きな石の鳥居がある。愛宕神社という。  16:40
  4 扇町屋宿
 扇町屋宿は宿の長さ六丁余(約650m)、道幅八間、左右に軒を連ね、戸数90軒、三八の日に市がたったという。この扇町屋は青梅から川越城下ヘ通う道が二条あり、何れもここで継立をしていた。八王子千人同心は、この扇町屋で往きは昼食をとり、帰りは宿泊した。
 地名の由来は愛宕神社の神体が五本骨の扇であることからこの名がつけられたといわれる

★愛宕神社
 ●愛宕神社には南朝の忠臣新田義興が祀られていると伝えられている。摩川河口の「矢口の渡し」で謀殺された義興の首は入間御所で首実検されたのち当神社の社前に埋められたという。義興の従者13人の首は神社周辺に埋められたが、集めて境内に築かれたのが●十三塚である。
  また境内には●初代首塚の松が保存されている。義興の首を埋めた目印に松と杉の枝を挿しておいたところ、根付いたのがこの松だという。残念ながら昭和34年の伊勢湾台風で枯死してしまったのだそうだ。 参道入り口の鳥居脇に●芭蕉句碑もある。    ひらひらと あぐる扇や 雲の峰   

■愛宕神社~黒須坂
 街道に戻り先に進むと道はY字路となり、この●豊岡交差点で宿は終わりになるようだ。右手の角に享和2年(1802)建立の●扇町屋下町の道標が立っている。元々は街道沿いにあったもので、正面に「道祖神」、側面に「かわこへ入間川 道」、「まつ山 日こう 道」などと刻まれている。Y字路を左へ曲がり丸広百貨店横を進むと下り坂になるが、●黒須坂と呼ばれている。  
 さて時刻も17時を過ぎ、30km弱歩いて来たのでかなりくたびれた。ここで終わりとして「入間川市駅」から西武、JR武蔵野線経由で帰宅することにした。   17:15

 
      2 入間市駅~高坂駅