0032 平館から三厩宿へ      歩行地図
 平館燈台-弥蔵釜-元宇田-奥平部-砂ケ森-鋳釜崎-山元-今別-三厩    25.28km

2021年10月17日    ※ 写真をクリックすると拡大します
■平館燈台~石崎沢
 ●平館燈台・「ペンションだいば」を7時35分出発。天候は曇り。午後から雨の予報です。今日は奥州街道ゴールとなる三厩へ向かいます。三厩で泊まり明日は龍飛岬へ行こうかと思います。 燈台の100m前に●道の駅「たいらだて」があり、朝も早く開いていません。 このあたり「津軽国定公園」に指定され、松並木が続く松前街道、海水浴場、国道沿いの灯台などがあって、夏は賑わうことでしょう。 ●国道右手の海岸沿いの松並木の残る旧道に進み、やがて国道280に合流、合流地点左側に●「春日神社」があります   7:53

■石崎沢~平館弥蔵釜
 ●石崎沢集落へと進み、右手護岸に●「松前街道 ←龍飛 青森→」の標識が書かれ、ゴールまでのワクワク感が高まりました。前方に見える塔は●石崎無線中継所跡。デジタル以前、マイクロ波の中継の為、長大な中継所施設が必要だった時代の名残。高さ89mという。 昭和53年、 北海道と本州を結ぶ日本電信電話公社の通信拠点として完成。 平成13年、 光ファーバーが通じて、お役御免となった。 アンテナは撤去されたが、塔部分だけが残されている。解体費用の為か?。 その先●弥蔵釜という集落を通過します。地名の由来は、 江戸時代、津軽藩に納める製塩所があった所といいます。  8:20

■平館弥蔵釜~平館元宇田
 元宇田の集落に入ると、左手に、●日蓮宗、宇田山聞法寺がある。門前に●船に乗る日持上人と船頭蠣崎甚兵衛像が立っている。鎌倉時代後期、永仁3年(1295)日持上人が伝道の為、蝦夷へ渡る際、元宇田の守護神に海上安全を祈願、翌年、船頭蠣崎甚兵衛の案内で無事に蝦夷へ渡ることが出来た。その際、上人が海上で法華経を唱えると、初めて見る大漁の魚が浜辺に打ち寄せ、漁師達は喜び「法華の坊さんが授けてくれた魚」として “ホッケ”と名付けたと云います。「ホッケ」の名前の由来がこんな所に書いてあった。
 すぐ先左に●胸肩神社。胸肩は「宗像三神」でしょう。航海安全の守り神。 ●元宇田の集落。木造の家屋が山裾に張り付いています。廃屋もチラチラと。 すぐ先で●歩道が無くなり、海岸には岩がゴロゴロ。北海道渡島半島がうっすら見えます。 8:53

■平館元宇田~岩屋観音
 ●今別町の標識が立って、今別町に入ります。 が ここで疑問が。 地図を見ると、ここに境界線が書かれておらず、今別と外ヶ浜の境は「岩屋観音」あたりと思っていましたが、これはどうしてか?。・・・ 。  この先左手に駐車場があって、""トイレ "もあり(閉鎖中)、その前が●「綱不知海岸」という看板が立っていた。何でも新潟の『親知らず海岸」と同様に、荒波の時は通行不能となり、波を除けて通らねばならず、死者も出るような難所であったという。ちなみに、駐車場の住所は「グーグルマップ」では「外ヶ浜町」になっていますが?。 その先、右側に●岩屋観音入口がある。狭い階段を下りていくと、天然の石洞の中に●岩屋観音が祀られている。 "説明板 " 津軽三十三観音の二十一番札所となっている。 回り込む道が街道だったとすると、「親知らず」のような難所だったと想像できる。 9:26

■岩屋観音~奥平部
 前方に●鬼泊トンネルが口を開けている。通常、街道歩きの場合、トンネルの上を通ったり、脇を抜けたりします。  ここの場合は、岩屋観音の脇を通っていたと云われ、参勤交代の時は岩と岩とに板を渡したという。 今はもちろん、通れないのでトンネルを通ります。  出た先、左側に●●だるま滝というのがあって、水がショボショボと流れていました。 だるまのような2段の形をしているので、この名がついたらしい。 この先は●今別町奥平部集落です。9:45

■奥平部~道添
 左手の崖の上に、●稲荷神社がある。 その右側の岩壁の中に●地蔵堂もある。 前方に●弁天崎が見えてきて、変にノコギリの刃の様な形をしている。付近に「ベンガラ」鉱山があったので、掘った跡かも知れない。 ●「道添バス停」手前で、左の峠道へ折れます。 10:11

■道添~砂ケ森
 林間を上がって行くと頂上付近に、●町立開智小学校跡という石碑が立っています。明治9年創立、平成12年、今別小学校、大泊小学校との統合により廃校となった。 小学生は登校で上がって来るのが結構大変だったかもしれませんね。 現在は何も残っていない。 下り坂を下りてきて、国道に合流する手前の左手、●鳥居と小さな洞が建って、付近一帯は赤い色をした土地が広がるが、「赤根沢の赤岩」といって、赤岩(酸化第二鉄、ベンガラ)を堀り出していた坑道があった所。 古来、ベンガラは神社仏閣の赤い塗料に用いられ、津軽藩は「赤土奉行」を置いて、管理していたそうです。 道端に赤い大岩が見本のように置いてあったらしいが、付近道路工事中だったこともあり、見逃しました。  海岸側は●一本木漁港。 左手の高台にある、●砂ヶ森稲荷神社。 街道沿いに稲荷神社が多いが、五穀豊穣 商売繁盛の外に海上安全の意味もあるのでしょう。高台でおっくうで参拝は遠慮。 10:32

■砂ケ森
 ●津軽国定公園「高野崎」へ来ました。 海の駅「高野崎」があって、お食事処もあり貴重な存在。キャンプ場でもあり、●津軽海峡が望める、絶景のロケーションとなっている。 が 天気が悪く眺望はあまり良くなかった。 ●突端の「高野崎」へは赤い太鼓橋が2つかかっていて、行くことはできるのだが、時間がかかりそうで止めにしました。 国道へ戻り、その先に「袰月魚籠観音入口」の案内標識があるので、左手へ折れて少し進んでみたが、何もなさそうなので戻りました。 蛇行する長い下りとなり、●「袰月集落」に入ります。 11:25

   ~鋳釜崎
 左手に●袰月稲荷神社」があり、鳥居左側に「伊能忠敬泊宿碑」の標柱が立って、全国測量中に止宿した所でしょう。 数軒先に湊番所と陣屋があったらしいが、よくわからず。 その先、●袰月会館前に医師で、津軽弁の詩人「高木恭造文学碑」が立ちます。方言詩集「まるめろ」で有名ですね。 「伊奈かっぺい」のライブCDで聞いたことがある。
 その先左手、●海雲洞釈迦堂には朱の「海雲洞橋」が架かっている。 この付近の、舎利浜よりあらわれたとされる 釈迦如来像を本尊としている。 15分歩いた先が●鋳釜崎。 高野崎と同様な、津軽海峡が望める眺望地です。ここで「吉田松陰碑」を探したのだけど、駐車場のある突端にあると思って、探し回ったけど、見つからず、あとで確認したら、すこし手前、右手海岸縁にあった。   11:45

■鋳釜崎~山崎山元
 鋳釜崎から先、二股で右へ入り、 ●大泊集落へ向かって急坂を下ります。●大泊集落の町並。 大泊集落を抜けると、●正面が大きく開け、三厩湾である。正面に三厩の町並、龍飛崎が見えてきた。ゴールも近い。 この先で又国道に合流して、与茂内を抜けます。  与茂内は「錦石」が採れたことで有名だったという。「 錦石」とは様々な美しい宝玉の総称で、 与茂内浜のものは、「今別錦石」として、 藩政時代から人気が高く、京都でも帯締めに使われたそうです。 与茂内から山崎に入り、中宇田川を渡った先で、又二股を右に入ります。左に「名残の松」というのがあるらしいが、よくわからず。 左側に●宇賀神社があります。13:10

■山崎山元~今別
 山崎集落出口に●地蔵堂と百万篇供養塔が祀られている。 このあたりで予報通り雨が落ちてきました。 最近の予報はよくあたります。 今別も近くなり、今別川の●手前の三叉路を左折するのが旧道なので、左に折れます。 左折したすぐ右手に●赤い鳥居の神社が鎮座。扁額がないのではっきりしないが、見た感じからして「稲荷神社」でしょう。 「あすなろ橋」を渡ると●「今別宿」に入ります。  13:50

86 今 別 宿
 平館宿から5里20丁(21.88km)。今別宿は北前船の寄港地や蝦夷地との交流の拠点として重要視され、津軽九浦の1つに数えられていた。特に三厩宿が開かれる以前は松前藩の参勤交代の祭の上陸地だった為、比較的早くから整備され、弘前藩では町奉行所や御山奉行所を設置しています。その後、隣接する三厩湊に拠点が移り、寛保年間(1741~)の大津波により港湾が大破すると、衰微していったという。

★今別町内
 町に入ると●ねぶた祭りに使うのでしょう、大きな「ねぶた」を引いている人達に出会いました。今年はコロナで中止になり、残念です。 交差点左に●入母屋造り「旧家」が一軒●このあたりは今別町の中心部であろうと思います。左手奥にある「今別八幡」参拝はパスした。 13:55

★本覚寺・正行寺
  突き当りに●本覚寺がある。太宰治の小説「津軽」に登場する寺で知られる。 境内には寺五代「貞伝上人」が自分の墓として鋳造させた●「青銅塔婆」があります。"説明板 " 又上人は漁業振興や植林にも務め、「今別昆布」や「三厩昆布」の発祥伝説にも関係し、読経と共に紙片を巻くと、それが昆布になった・・という伝説がある。 
  今別宿の出口にあたる「長川橋」を渡り、左手にある●正行寺。 真宗大谷派の寺院で、 天和3年(1683)の創健。 境内に●飛龍の松というのがあって、 龍が南天に飛翔しているように見えるからとのこと。 樹齢は300年を超えているという。14:12

■今別町~三厩
  津軽浜名から三厩まで、時間が押してきたり、雨がひどくなってきたしするので、一気に約40分、三厩まで進みました。 三厩に来ると、 「↑龍飛岬 風の岬へようこそ」、「↰三厩駅 津軽国定公園龍飛」という、●風力発電のブレードを利用したモニュメントが立っています。
すぐ増川川の手前で左に曲がり、「増川橋」を渡る。●正面の橋は国道に架かるあすなろ大橋。この橋を最初渡ってしまって、途中で折り返しました。 この先が●緩い枡形になっており、 三厩宿の入口であったところにあたるでしょう。左手に●増川稲荷神社
 15:15

87 三 厩 宿
 今別宿から2里8丁39間(7.78km)。奥州街道の最期の宿場町で、竜飛岬に接し、古くから北海道との関係が深く、松前藩主や幕府巡見使が津軽海峡を渡る際の、港であり、三厩昆布や木材の積出港であった。宿場の中心部には本陣、脇本陣が設けられ、本陣は廻船問屋で名主を歴任した山田家が務めた。現在は源義経伝説や新幹線建設の観光の町となっている。

★三厩町内
 ●現在の三厩町としての中心部に出ます。宿場としての中心部は少し先になります。右手に、●外ヶ浜町健康増進センター「よしのね湯」という日帰り温浴施設や「外ヶ浜役場三厩支所」があったりします。ちなみに三厩の住所は「外ヶ浜町」で、今別町を東西に挟んで、飛び地になっています。 先に進むと、左手に●「三厩小学校入口」の標柱が立つ。学校の辺に藩政時代の番所があったといいます。 ●「三厩橋」を渡ると旧三厩宿に入っていきます。 15:35

★三厩宿内
 宿内に入ると左手、山麓に●三厩神明宮。寛永2年(1625)と伝えられる。 細い道を進むと●国道280との交差点にぶつかる。ここで国道280号は終点になり、 国道339号に変わる。 国道339号は最初正面の広い道かと間違えたが、左手に入って、宿内を通る細い方の道である。 正面の道は特に名前の付いていない「村道」でした。 国道339は龍飛崎へ進み、車の通行が出来ない、 「階段国道」となっていることで有名ですね。 宿に入って左手の2階建ての建物が●脇本陣跡。少し先の、左手「山田商店」が●本陣跡。廻船問屋で名主を歴任した山田家が務めていました。 15:50

★義経寺
 宿の途中で左高台へ石段を上がって行くと●「義経寺」があります。義経伝説と関係あるかのように思われるが、創健は江戸初期で、独特の仏像を彫刻して回った「円空和尚」により開かれたとされます。 但し 寺の由緒では・・・・円空が厩石で義経伝説に関係ある観音像を見つけ、流木で仏像を刻み、胎内に観音像を納めて小さな堂宇に祀ったという。・・・・●山門、●観音堂、●本堂などが並びます。特に「観音堂」は神社の社殿形式に近く、背後には本殿と思われるような祠が配置されていて、神仏習合の名残が見られます。 境内から●三厩港を望む。  16:00

★三厩石・奥州街道終点地
 境内から降りていくと、眼下に●厩石が大きく見えます。義経が平泉で死なず、三厩から蝦夷地に渡ったという義経伝説。その義経が馬を繋いだという海侵岩洞が開いているので「厩石」といい、最初三つ開いていたので「三厩石」といわれた。幕末時点で一つ崩れ●現在では2つの穴が開いている。 "説明板 " このあたり「厩石公園」となっており、●松前街道終点の碑」が立って、奥州街道終点の地でもあります。横には●「源義経と静御前の渡道之地の碑」などもある。・・・ 以上で白河からの奥州奥道中の歩き旅は終わります。同時に山陽道の下関から三厩まで歩きたびによる本州縦断が完成しました。 記念写真でもというところ、撮ってくれるような人がおらず、残念でした。 明日は折角なので龍飛岬を見物して帰ります。  16:10

★龍飛岬
2021年10月17日
 昨日は●龍飛旅館に泊まりました。夕食が豪華で、朝飯にイカ刺が出たりで、1万円以下でした。 旅館の前から「町営バス」100円で龍飛岬まで行けます。 今ではバス1本で行けるが、昔は踏み分け程度の道だけといわれるので、どんだけ難儀したか、想像もつきません。岬に着いたとんでもない天気で、晴れたり降ったり。 風がすごく横殴りに吹き、観光どころではありません。お店もコロナとシーズンオフが重なって、どこもやっていない。10月の龍飛はこんなものでしょうか。それでも少々でも見て回らねば。・・・バス終点の「燈台前」で下りたのは二人だけ。その一人が●「津軽海峡冬景色歌謡碑」のボタン押したらしく、突然大音量で流れ、びっくり。 雨を高台の休業中の店で除けながら、●龍飛燈台を遠望。 話題の階段国道は上から覘いただけ。"説明板 "   ●津軽海峡が少し見えました。数日後、ロシアと中国合同艦隊がここを通過して新聞を賑わせました。海上保安庁や海上自衛隊はさぞや緊張したことでしょう。津軽海峡の真ん中は公海ででしかたありません。 

■龍飛岬~三厩駅
 風雨に耐えられず、「青函トンネル記念館」に逃げ込み、ついでにトンネルを見学しておくかと、●ケーブルカーに乗り、●海面下140mの別世界を体験。実際に工事で使った地下の坑道を歩いて体験するという内容で、それなりに面白かったです。 
 11時50分のバスで●三厩駅に戻り、JR津軽線で、1日5本という超ローカル線の割に、●新型車のようで、きれいでした。1両なのに女性の車掌さんも乗っていました。「奥津軽いまべつ駅」から帰宅しました。

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