031 郷沢から平舘灯台へ      歩行地図
 郷沢駅-玉松台-外ヶ浜-蟹田-観瀾山-石浜-塩越-今津-野田-台場-平館灯台  21.9km 

2021年10月15日  ※ 写真をクリックすると拡大します
■郷沢駅~玉松台
青森8時14分発JR津軽線で●郷沢駅8時42分着。次の青森発は11時2分なので、青森周辺の見回りはできなかった。本日は雨模様で、午後から晴れるというのに期待します。 ●国道280号線に復帰して北上する。 しばらく進むと、左手に松林が見えてきて、●標識「玉松園入口←」が立っている所を左折します。 すると「津軽線の踏切」かと思いきや、●前方はフェンスに遮られて進めない。どうしたもんかと思案していると、右手脇に踏み跡がついており、脇から通り抜けできそうなので、入らしてもらった。 しかし線路を渡るのは違反になるだろうし、好ましくありません。 手前の「よもぎ温泉」に通じる踏切を渡らければいけないみたい。しかしこの標識の存在はなんであろう。  9:05

★玉松台公園
 緩い坂を上ると正面は●玉松台公園。 "説明板 " 周囲を黒松で囲まれた公園で、●玉松という樹齢三百年以上の老松があって、 江戸時代に津軽半島沿岸を航行する船が、この玉松を目印にしたという話が残っている。 中に「日露戦争戦没者墓地」がある  墓地北西の"「拝み石」"から見ると、丸い幹に見える●「玉松」。 舟から見えるかという疑問も残るのだけど、どうかな。  この公園は通り抜けが出来ないので、元来た道を引き返し、線路を渡って国道に出ました。 

★玉松海岸
 玉松台l公園から海の方を見ると、玉松海水浴場になって、雨の為視界が悪かったり、樹木がじゃまだったりしたが、●大形離岸堤が見える。離岸堤というのは、波浪などによる海岸浸食を防ぐ為、岸から少し離れた海に築く堤のことで、全長300メートルの東北一の玉松離岸堤は自然の島をイメージして作られたという。平成10年に完成した。 海岸には、村特産品のトマトとほたての大きな看板が目印の●「マルシェよもぎた」がこのあたりでは食事のできる、貴重な店を開いていた。道の駅という感じです。  隣の●「たままつ海の情報館」は 学習コーナー、展望コーナーなどがあるようだが、4月まで休館でした。 駐車場北側に、●「地蔵堂」と百万篇供養塔が並びます。三厩までこのような小祠があちこちあって、"中の石仏が " きれいに着飾っているのが珍しいです   9:50

■玉松~広瀬橋
 先の右手、沢木沢川の河口に●鯨の口の様な可愛い「玉松橋」が架けられています。 「瀬辺地駅入口」を過ぎた先、●左手石段を上がって行くと、●瀬辺地天満宮が鎮座し(祭神菅原道真)、奥には●石仏が並んでおり、「津軽外ヶ浜三十三観音霊場」になっています。 "説明板 " 大正4年 西国三十三観音を一度で参拝できる霊場を建立したもの。まあ安直と言えば安直。 10:20

■広瀬橋~外ケ浜町境
 広瀬簡易郵便局を過ぎると、左にニシン漁で財を成した●田中吉兵衛宅跡地が広がる。田中吉兵衛は漁業、海運で財を成し、明治九年に没。 往時の屋敷は平内町に移築されたそうで、広大な敷地は荒れ果て、蔵の扉も開いたまま。  又、次男の「田中福松」は北海道へ渡り、小樽市に鰊御殿を建てたことで有名。 すぐ先は●左は山と津軽線、右は海岸に挟まれた「一本道」となり、人家が無くなった。 やがて ●「外ヶ浜町」に入ります。「外ヶ浜町」は平成17年、 蟹田町 平館村 三厩村の合併で発足している。11:00

■外ケ浜町境~蟹田駅
  左手に●「ようこそ外ヶ浜へ」という看板が立ち、その先に●蟹田八幡宮(祭神誉田別命)がある。 境内には庚申塚(猿田彦大神・天細女命)があります。 その先、●蟹田町の町並。旧蟹田宿です。 蟹田は前浜が砂鉄を大量に含んで「黒岩の浜」と云われたくらい、砂鉄による製鉄と、ヒバの集積場として栄えた所。 昨日ここまで来ようかと思ったけど無理でした。郷沢から蟹田まで結構距離がありました。小さいながらも真っ直ぐな●駅前通があるので、蟹田駅に向かいました。 11:15

84 蟹 田 宿
 蓬田宿から2里3丁(8.17km)。砂鉄を産出したことで製鉄が盛んだったが、江戸時代には材木の集積場として発展し上磯地域の中心的役割を持った。蟹田湊は北前船の寄港地で、弘前藩が定めた九浦の内の一つ。町奉行所や湊口御番所、御蔵屋敷など藩の施設が設置され、幕末には蟹田台場を設けられ当地域の行政的、軍事的拠点となりました

■蟹田駅~中町
 ●蟹田駅   駅舎前に灯台形時計台が立つ。隣に「蟹田駅前市場 ウエル蟹」が併設され、このあたりの店としては貴重な存在でしょう。待合室はお年寄りで混んでいて、社交場になっている感じ。 ●蟹田児童公園は「蟹田町奉行所跡」で、標柱と説明板が設置されています。 駅北側には●長楽寺。 平成13年に本堂・山門などに青森ヒバが使われて再建されたそうで。 ●国道280号に復帰して北上します。  11:42

■中町~蟹田港
 左手奥にに、●浄土宗の専念寺がある。津軽八十八ヵ所霊場第17番札所となっている。 「山門」は安政2年(1855)造営と伝わり、三間一戸の八脚門。最近改修されたようで新しい。 明治22年、住職安田勇善が制作したという●派手な「仁王像」も一緒に改修されたか、真っ赤で真新しい。 蟹田川に架かる●蟹田橋。  蟹田橋より、蟹田川河口を望む。 往時はこの辺が港であったらしいが、 今は北側に蟹田漁港やフェリーターミナルが出来て、そちらが中心となっている。 12:05

■蟹田湊~観瀾山公園
 ●蟹田漁港に寄ります。漁港で検索すると、釣り情報ばっかりで、釣り場として有名らしい。 正面の灯台が蟹田港東防波堤灯台で、白灯台と呼ばれている。  ●トップマストという展望台が出来ていて、海の駅、「 風のまち交流プラザ」と呼ばれている。
 むつ湾フェリーの乗り場となっており。 .●「かもしか号」が駐留していた。  むつ湾フェリーは、 蟹田と陸奥湾を挟んで反対側の下北半島の脇野沢とを60分で結んでいて、 一日2便(夏の最盛期で3便、冬季は休航)とのこと。 地図で見ても下北半島へ行くには、陸路より、フェリ-の方が便利でしょうね。 山側は●観瀾山で、観瀾山公園がある所。上って行きます。 12:21

★観瀾山公園
 観瀾山かつてはアイヌ人の「チャシ」が築かれていたといわれる。チャシは館、砦等を指す言葉で、「蟹田町中師」の地名自体もチャシに由来するとみられる。 入口は●稲荷神社参道で、この石段を登ると、中師稲荷神社がある。 小説「津軽」の舞台となった山で、上った所に●「太宰治文学碑」が立つ。 佐藤春夫揮毫の「かれは人を㐂ばせるのが何よりも好きであった!」と刻む。
 真下には●蟹田漁港、むつ湾フェリーターミナル等が一望され素晴らしい。 北側に進むと●「蟹田台場跡碑」が立って、"説明板 " 寛政9年(1796)頃から外国船が頻繁に現れたので、文化8年(1811)弘前藩は北方の平館砲台と共に「蟹田台場」を設置して海上警備にあたりました。   12:35

■観瀾山公園~石浜
 国道に下りてきて、北上。北上し、「石浜バス停」手前で、●左斜めの前方の旧道へ入ります。 この旧道は結構長く、国道と平行して山裾を通り、平館町境まで続きます。 昔のルートは蟹田橋500m先で海中に消え、再び国道に出て、橋を1本越え塩越に進む形だったらしい。 途中の●石浜の集落。山裾なので「崖崩れ警報」の看板があちこち立ってます。 途中、左手高台に●稲荷神社が。 石段がおっくうで上がっていかなかった。 その先左手に●ガラス戸が嵌められた小祠にきれいなおべべの石仏があります。 12:59

■石浜~平舘境
 水汲沢を越えると、●蟹田塩越地区となる。 塩越は、貞亨3年(1686)、津軽藩は蟹田浜での揚浜式塩田開発の成功、塩焼き場は深泊村(現蟹田)の南北にあり、松前道はこの塩焼き場を通る形になった。それでこの地を「塩越」と呼ぶようになったと云われる。その先の●国道との分岐点から左の山の高台へ向かい、山の中腹を縫うように通って行きます。 やがて●右側の視界が開け、右下には「パーキングエリア」がある。 下り坂になって●国道と合流して行きます。平舘との境目にあたります。 13:48

■平舘境~磯山
  合流点左手に●鳥居と土台だけなった「塩越神社跡」と云うべきか。お堂が無くなっている。 そのちょと先に「蟹田村、平舘村境標識」がヤブに埋もれて立っている。  少し先で●右前方へ入り、磯山地区へ入ります。往時の旧道は先で、海に消えているようです。 旧道は左側の国道と海に夾まれて北上して行きます。●平舘磯山地区の町並み。 左手国道の上に●稲荷神社が鎮座しているが、参拝は失礼させていただく。 磯山集落は稲荷神社の先で終わり、国道に合流します。  14:10

■磯山~平館今津
 磯山集落を抜けると、「舟岡越田バス停」手前で、国道左側へ入る旧道が残るので、そちらに入り、旧道沿いに●舟岡集落が続きます。 左手に●久須志神社の鳥居がある。本殿はずっと先の高台らしいので、ここも失礼させていただいた。 船岡郵便局の先で国道に合流し、(地区名は岡 局名は岡 差違は分かりません) すぐ先で●国道と別れ●右前方の旧道へ進むと、右手に「平館村漁村環境改善総合センタ-」、「製氷貯氷センタ-」などいかにもといった施設が並びますね。 14:52

■平館今津~平舘野田
 平舘今津に入ると、左側に●稲荷神社がある。「才の神橋」を渡ると、前方に●名残の松並木が見えてきた。少しばかりの松並木が残されている旧道で、前方の視界が開け、左側に半島、むつ湾が広がります。 左側に、"地蔵堂と百万遍碑 " があります。 左にカーブし、終わると、国道に合流し、国道と「バイパス」が平行に通る様になる。 国道を進むと右手は●「吉田松陰乗船の場跡」で、支柱に "看板 " が架かっています。 嘉永4年(1851)、吉田松陰は宮部県蔵と脱藩覚悟で、140日間に及ぶ東北遊学の旅に出立、三厩、今別、平館台場をたどり、ここから乗船し青森へ向かったという。 ●野田地区の町並。 15:35

■野田~役所前
 左手に●「野田天満宮」があり、北側を流れている川が●玉川。 玉川は水が綺麗で、磁器のような光沢の石が採れることで知られていて、古くは順徳天皇の歌。・・ 「陸奥の野田の 玉川見わたせば ・・・」と詠まれた。今は細く、護岸整備されて、石が採れるのかわかりません。 ●平舘村の根岸地区に入ります。少しばかり、旧街道沿いに名残の松が残されている。  その先、●農協、公民館などが集まる、交差点にやって来た。このあたりが平舘宿の 入口付近であろうかと思います。15:54

85 平 館 宿
 蟹田宿から3里16丁(13.50km)。平舘の地は古くから玉石と呼ばれる磁器のような石が取れる所として有名人夫10人、継立馬3頭と小さな宿場だったが、幕末の弘化4年(1847)に捕鯨船からオランダ人8人が平舘に上陸してから状況が一変し、嘉永2年(1849)には幕府の命により、弘前藩が平舘台場と平舘陣屋を築いた。宿場の外れには弘前藩4代藩主津軽信政によって整備された黒松並木が続いてます。

■役所前~
 正面に●旧平館村長の揮毫による「旧村制100周年記念碑」がどんと置いてあり、左に行くと「外ヶ浜町平舘支所」があり、奥に「不老不死温泉」がある。 ここで泊まる計画もあったけど、今回はもっと先に行きます。  湯ノ沢川橋を渡って、●右にカーブする枡形風な所を出口に見たてて、先に進み、ふと海岸を見ると、いい具合に●松林が続いており、防風林でしょうけど、松林街道風なので、歩いてみました。いい感じです。300mほど続いています。 旧道に戻って、●山居集落を進みます。  16:10

    ~台場公園
 左手に●平館神社の鳥居と奥に●本殿が見えます。左隣は●元別当、「福昌寺」。明治時代までは八幡社であったが、神仏分離で、平舘神社と改称されている。 拝殿の彫刻が見事だが、暗くなって来たので先を急ぎます。 この先、左手国道寄りにある「おかりや公園」は、弘前藩の陣屋跡(御仮屋)なのだが、特に何も残ってないというので、パスして進むと、●「津軽国定公園松並木」に入り、旧道は見事な松並木の中を進みます。 江戸時代、防風・防砂の目的で植えられたもので、 約1kmにわたり、樹齢約300年余の黒松並木が続きます。  16:30

■台場公園~平舘灯台
 右側に、●●平館台場跡が見えます。 弘化4年(1847)平舘沖に、オランダの捕鯨船が碇を下ろし、 8人が上陸し、大騒ぎになった。 この為、嘉永2年(1849)、幕府の命令で西洋式の平舘台場が築かれ、 砲台が海上から見えにくいように、土塁に松が植えらた。"説明板 "    すぐ隣には●平館灯台が建つ。初点灯は明治32年。東は下北半島、北側に箱館辺りが望める場所になる。 灯台のすぐ脇にある●「ペンションだいば」で、 今夜はここに泊まります。 一緒の宿泊者4人。食事に出かけるところで、夕食したのは自分1人だけ。 いかハンバーグが名物とのことでした。 ここのペンションの存在は貴重で、ここがないと、不老不死温泉に泊まることになり、次の三厩まで距離が長くなってしまいます。 16:45

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