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★玉松台公園 緩い坂を上ると正面は●玉松台公園。 "説明板 " 周囲を黒松で囲まれた公園で、●玉松という樹齢三百年以上の老松があって、 江戸時代に津軽半島沿岸を航行する船が、この玉松を目印にしたという話が残っている。 中に「日露戦争戦没者墓地」がある 墓地北西の"「拝み石」"から見ると、丸い幹に見える●「玉松」。 舟から見えるかという疑問も残るのだけど、どうかな。 この公園は通り抜けが出来ないので、元来た道を引き返し、線路を渡って国道に出ました。 |
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★玉松海岸 玉松台l公園から海の方を見ると、玉松海水浴場になって、雨の為視界が悪かったり、樹木がじゃまだったりしたが、●大形離岸堤が見える。離岸堤というのは、波浪などによる海岸浸食を防ぐ為、岸から少し離れた海に築く堤のことで、全長300メートルの東北一の玉松離岸堤は自然の島をイメージして作られたという。平成10年に完成した。 海岸には、村特産品のトマトとほたての大きな看板が目印の●「マルシェよもぎた」がこのあたりでは食事のできる、貴重な店を開いていた。道の駅という感じです。 隣の●「たままつ海の情報館」は 学習コーナー、展望コーナーなどがあるようだが、4月まで休館でした。 駐車場北側に、●「地蔵堂」と百万篇供養塔が並びます。三厩までこのような小祠があちこちあって、"中の石仏が " きれいに着飾っているのが珍しいです 9:50 |
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■玉松~広瀬橋 先の右手、沢木沢川の河口に●鯨の口の様な可愛い「玉松橋」が架けられています。 「瀬辺地駅入口」を過ぎた先、●左手石段を上がって行くと、●瀬辺地天満宮が鎮座し(祭神菅原道真)、奥には●石仏が並んでおり、「津軽外ヶ浜三十三観音霊場」になっています。 "説明板 " 大正4年 西国三十三観音を一度で参拝できる霊場を建立したもの。まあ安直と言えば安直。 10:20 |
84 蟹 田 宿 蓬田宿から2里3丁(8.17km)。砂鉄を産出したことで製鉄が盛んだったが、江戸時代には材木の集積場として発展し上磯地域の中心的役割を持った。蟹田湊は北前船の寄港地で、弘前藩が定めた九浦の内の一つ。町奉行所や湊口御番所、御蔵屋敷など藩の施設が設置され、幕末には蟹田台場を設けられ当地域の行政的、軍事的拠点となりました。 |
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★観瀾山公園 観瀾山かつてはアイヌ人の「チャシ」が築かれていたといわれる。チャシは館、砦等を指す言葉で、「蟹田町中師」の地名自体もチャシに由来するとみられる。 入口は●稲荷神社参道で、この石段を登ると、中師稲荷神社がある。 小説「津軽」の舞台となった山で、上った所に●「太宰治文学碑」が立つ。 佐藤春夫揮毫の「かれは人を㐂ばせるのが何よりも好きであった!」と刻む。 真下には●蟹田漁港、むつ湾フェリーターミナル等が一望され素晴らしい。 北側に進むと●「蟹田台場跡碑」が立って、"説明板 " 寛政9年(1796)頃から外国船が頻繁に現れたので、文化8年(1811)弘前藩は北方の平館砲台と共に「蟹田台場」を設置して海上警備にあたりました。 12:35 |
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■平館今津~平舘野田 平舘今津に入ると、左側に●稲荷神社がある。「才の神橋」を渡ると、前方に●名残の松並木が見えてきた。少しばかりの松並木が残されている旧道で、前方の視界が開け、左側に半島、むつ湾が広がります。 左側に、"地蔵堂と百万遍碑 " があります。 左にカーブし、終わると、国道に合流し、国道と「バイパス」が平行に通る様になる。 国道を進むと右手は●「吉田松陰乗船の場跡」で、支柱に "看板 " が架かっています。 嘉永4年(1851)、吉田松陰は宮部県蔵と脱藩覚悟で、140日間に及ぶ東北遊学の旅に出立、三厩、今別、平館台場をたどり、ここから乗船し青森へ向かったという。 ●野田地区の町並。 15:35 |
85 平 館 宿 蟹田宿から3里16丁(13.50km)。平舘の地は古くから玉石と呼ばれる磁器のような石が取れる所として有名。人夫10人、継立馬3頭と小さな宿場だったが、幕末の弘化4年(1847)に捕鯨船からオランダ人8人が平舘に上陸してから状況が一変し、嘉永2年(1849)には幕府の命により、弘前藩が平舘台場と平舘陣屋を築いた。宿場の外れには弘前藩4代藩主津軽信政によって整備された黒松並木が続いてます。 |
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■台場公園~平舘灯台 右側に、●●平館台場跡が見えます。 弘化4年(1847)平舘沖に、オランダの捕鯨船が碇を下ろし、 8人が上陸し、大騒ぎになった。 この為、嘉永2年(1849)、幕府の命令で西洋式の平舘台場が築かれ、 砲台が海上から見えにくいように、土塁に松が植えらた。"説明板 " すぐ隣には●平館灯台が建つ。初点灯は明治32年。東は下北半島、北側に箱館辺りが望める場所になる。 灯台のすぐ脇にある●「ペンションだいば」で、 今夜はここに泊まります。 一緒の宿泊者4人。食事に出かけるところで、夕食したのは自分1人だけ。 いかハンバーグが名物とのことでした。 ここのペンションの存在は貴重で、ここがないと、不老不死温泉に泊まることになり、次の三厩まで距離が長くなってしまいます。 16:45 |
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030青森-郷沢へ | 032平舘-三厩 |