房総往還を歩くⅠ-4 
            (姉崎~木更津
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 姉崎-仲町-久保田坂上-長浦駅-小鳥森-今井-奈良輪-袖ケ浦駅-坂戸神社-木更津駅  17.38km          

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2025年11月8日 画面をクリックすると拡大します
■姉ケ崎駅~姉崎神社
 房総往還4日目。●姉ヶ崎駅8時46分着。ここから出発です。ここの地名は「姉崎」なのだが、駅名は「姉ヶ崎」で少し混乱しますね。姉崎神社へ行く途中、左手に●妙経寺があります。顕本法華宗のお寺。江戸時代には、家康から10石の寄進を受けている。ほかにも、徳川光圀や小林一茶などが旅の途中に立ち寄ったという。本堂の左右に広い墓地が広がり、「義僕市兵衛」の墓や「徳川義軍戦没者」の墓などがあるというので、見てみたいと思ったが、案内板などが何もなく、墓地をむやみに探し回るのも失礼かと思って、わからなかったです。市兵衛のことはこの先の「姉崎神社」にも記念碑がありました。 少し遠いが、南東方向に●姉崎神社があります。石段がかなりだが、トントンと上がると、目の前に社殿が鎮座。社殿の前に茅の輪があった。 神社は日本武尊東征の時、走水で人柱になった弟橘姫を偲び、航行安全を祈願し、風神志那斗弁命を祀ったのが創始と伝えられる。境内に"「義僕市兵衛記」 "という大きな記念碑があった。義僕市兵衛については「むかしの姉崎のくらし」(姉崎を知る会)fileの51頁。 また境内に「御社古墳」というのがいくつかあります。 9:15

■姉崎神社~姉崎仲町
 街道に戻って先に進みます。駅前から●県道287に変わっています。「サカモト呉服店」の脇を左へ入ると突き当たりが、●「姉崎小学校」。門前に案内柱が立っていて、「鶴巻藩藩庁跡」となっている。鶴牧藩は、文政10年(1827)に水野忠韶が安房国北条藩から国替えとなったことにより成立し、以後明治の廃藩置県まで3代続きました。藩庁は姉崎小学校敷地内に陣屋が置かれ、周辺には武家屋敷が広がっていたという。 街道に戻って先に進むが、このあたりから●2車線の普通の道路に変わりました。 9:42

姉崎仲町~八坂神社
 右手に●稲荷大明神の小さな祠があります。その前に力石が幾つか並んでいました。 ●椎津川に架かる「姉崎橋」を渡ると、すぐ先、左手に●八坂神社がある。祭神はスサノオ命。景行天皇40年、日本武尊東征の時、戦勝を祈願したと伝わる。境内中央に樹齢約700年といわれる"大銀杏"があり、御神木として崇められてきたという。神社の裏山が「椎津城跡」であるが、神社側からは単なる小山で、裏側から行くと城跡が残っているらしい。城の築城者は不明だが、史料には椎津三郎の名が見え、真里谷武田氏、里見氏が支配、北条氏政が改築。天正18年(1590)徳川軍により落城したという。 9:53

■八坂神社~瑞安寺
 その先、右手に●瑞安寺がある。入口にちょっと読みにくいが、●「西國・坂東・秩父百番札所」と刻む石塔がある。右側面には「文政元(1818)十二月」と「かさがみ道八丁」、左側面には「是よりちばてら四里八丁 たかくら四り」とあるらしいが、下部は土に埋もれ見えない。境内に五士の「徳川義軍之墓」があるというが、確認せず。 寺の対面に●「椎津のカラダミ もと万灯出発の地」という案内板が立っていて、なんだろうと近より、裏側を見ると、"案内板"になっている。 どんな行事なのだか、よくわからないが、千葉県指定無形民俗文化財。 10:00

 ■瑞安寺~久保田坂上
 瑞安寺の対面から右斜めに入る細道は「高倉観音道」というようで、木更津市矢部にある「高倉観音」に通じるという。房総往還は真っ直ぐ進みます。「椎津交差点」を過ぎると、内房線が道路際によって来る。 しかし右側を歩いていたら、歩道が無くなり、●灌木、ススキがガードレールを越えてきて、前方から来る車が見えなくなってきた。左手に渡ると左側は山であり、おまけに手入れがされてなく、雑草がボウボウ。車道へよけると、後ろから車は来るしで、あぶなくてしょうがない。 やがて、灌木は減ってきたが、左の歩道は相変わらず,草ボウボウ。 ●内房線の電車がやってきた。 右手奥には工場の高い煙突が見える。袖ヶ浦市の境界を越える。●「久保田笠上」交差点。左の台地上に縄文時代の遺跡、「笹上観音堂跡」があるというが、パスする。 10:25

 ■久保田坂上~「馬場踏切」
 県道300号の陸橋の左手先、●不動明王の石造と多層塔が無数に並んでいる。左手一帯が「成龍寺」の境内で、この多層塔で囲われていた。なんかハデすぎて、変だと思って、調べたら「幸運乃光」という宗教団体が運営する寺院で、霊感商法で賠償命令を受けたことのある新興宗教団体であるということがわかりました。 しばらく行った先、左手に半分埋もれて●「笠上山観世音」の石碑がある。笠上山観世音は左手高台にある「正福寺」の通称で、明治に観音が正福寺に移されて以来、病気平癒、厄除けなどで人気があるらしいが、行けませんね。 すぐ先●内房線「馬場踏切」を渡ります。  10:50

 ■馬場踏切~長浦駅前
 渡ると、正面に●赤の鳥居が立ち、奥に水神宮がある。昔、このあたりは海だったが、埋め立てられ、久保田漁協の建物が置かれた。その後漁協が解散し、跡地に金比羅宮と水神宮が移設されたということだ。 が、左手の瓦屋根の小祠に金比羅宮が祀られたというが、その小祠の姿がなく、土台らしき跡があるだけ。 また手前に屋根付きの●「弘法清水」と呼ばれる井戸があったらしいが、屋根が無くなり、「弘法清水」らしいの痕跡が残るだけでありました。弘法大師が杖を立てたところ、そこから水が湧いたことに因んでいるといわれています。踏切を渡り返して先に進み、「長浦駅前」に来ました。前方は●小鳥の森公園という、蔵波城があった小山です
 右前方は駅と国道により削られ、左側も平坦地になって、住宅地となり、往時の姿は想像できませんということです。11:10

 ■長浦駅前~愛宕山
 駅前に「イオン」があり、しばし休憩。 小山には密蔵院と八幡神社、山頂には愛宕山があるので行ってみたいが、上り口がわからず、ウロウロしましたが、結局、県道を少し進んで、信号を左折し、更に左折、急坂を駆け上がると、正面が●密蔵院。本堂近くの宝篋印塔の一部が家康の家来本多重次の墓であるという伝承があるというが、わからず。 隣に●八幡神社。応永2年(1395)石清水八幡宮より勧請したもの。裏の石段を上がると愛宕神社があるが、石段が壊れて立ち入り禁止なので、右手の迂回路からあがります。上がるとさすが●眺めが良く、東京湾がよく見えます。

★小鳥の森公園
 小鳥の森山頂は愛宕山というようで、●蔵波城跡になっている。"案内板" 市原市椎津にあった(八坂神社裏手)椎津城の支城として、後に里見氏の城として、対北条氏の前線基地の役割を持っていたという。 脇に●出羽三山供養塔があり、昭和4年のもの。房総往還の歩きの中では、出羽三山供養塔をあちこちで見ますね。 山頂の愛宕神社は小詞で、荒れていて、足場も悪く、うまく写真が撮れなかったが、昔はかなり賑わい、氏子の家に嫁入りした女性は必ず「初参り」することになっていたといいます。 11:35

■蔵波城跡~今井
 昔は蔵波城跡の小山が駅の東側まで突き出ており、旧道はその裾野を回り込んでいる。その為駅の裏側が旧道になる。駅に戻るのも面倒なので、県道の信号を真っ直ぐ行って、内房線の「蔵波踏切」を渡り、駅の裏手の旧道へ出ました。正面の「北口公園」の中に、●干拓記念碑(左)、海岸大鳥居跡碑(中)、日比友好の井戸(右)がある。日比友好の井戸は、平成2年にフィリピンからの研修生を招聘し上総堀の技術を伝えたことを記念するもの。●線路と堀の間の一本道が旧道と思われるので、これを進みます。陸橋をくぐると、「今井」で、このあたり、住宅街になって、旧道がわからなくなっている。それでも、その先左斜めに入る道を注意しながら進み、ゆるゆると入って行くと、●神明社がある。かっての海岸付近に創建され元和3年(1617)今井海岸に打ち上げられた死者を祀ったのが始まり。12:08

 ■今井~奈良輪東
 神社の参道を進み、左折した正面に●道標を兼ねた三界万霊塔がある。「面 三界万霊、右面 文化元年今井念仏、左面 きさらす道、裏面に 是より右 江戸道」とある。 その先は道なりに進み、国道16号の高架下をくぐってすぐ左折、鉄道に寸断されるので、●迂回坂を上って、県道87号に入って、西に向かう。このあたり国道と県道が交錯して複雑だが、信号で県道を渡った草地に中に、●いぼとり地蔵と呼ばれる二基の地蔵が立っている。道標を兼ね、摩滅して良くわからないが、右側の地蔵には「右かさもり道 うしく道 左江戸道」、左側の地蔵には「右うしく・かさもりミち 左江戸道」と刻まれているとのこと。 12:27

 ■奈良輪東~
 このあたりの地名は「奈良輪」という。房総往還の姉崎の継ぎの継立村として栄えたという。左手高台の森の中に入って行くと、境内に"「おふごの森ちょうけん塚(長見塚)」"という石碑が立っている。裏手は●こんもりとした小山になっていて、元々古墳であったといいます。昭和20年、奈良輪村と蔵波村との浦境の問題が起きたとき、ここを描かれた絵図によって海の境が決定されたという。調査報告書によると、「おふごの森」という名前の由来について、奈良時代に壬申の乱に敗れた弘文天皇が上総へ逃れ、その皇子の一人福王丸がこの地に居を構え、のち死去したので墓をつくったという伝説があるという。奥に鳥居が立ち、小さな祠が建っている。●第六天神社(大勒天宮)という。街道はこの森の下の波打ち際を走っていて、長見塚の下を通る船は帆を下げて通ったという。
 街道へ下りて、先に進みます。 少し先、左手坂を上がった所に●福王神社があります。祭神は福王丸で、先ほどの「おふごの森」にあったものを延宝2年に移設したという。 12:52 

    ~袖ケ浦駅前
 神社の境内は高台にあり、●木更津方面の眺めが良く、遠方にアクアラインや観覧車などが見えます。 福王神社から下ってすぐ隣が●喜光院。真言宗智山派。上総国薬師如来霊場第16番札所という所。 ●袖ヶ浦駅入口交差点に来ました。奈良輪宿の中程にあたり、奈良輪宿の問屋場があったというが、全く面影がありません。 13:02

 ■袖ケ浦駅前~中央図書館
 駅前を過ぎると、街道は左へずれ始め、●左手に旧道があるので、左斜めに入って行きます。広い県道に突き当たり、左折。 左手の森と、右手「昭和小学校」グランドの間の●山道の様な小径へ入ります。しばらくすると、右手に●市立中央図書館が現れます。
 13:15

 ■中央図書館~坂戸市場交差点
 その先、●坂戸神社の鳥居が立ちますが、本殿は森の上で、上がる気力が薄れ、参拝はパスということにしました。坂戸神社本殿は、唐破風・千鳥破風屋根が見事というが、仕方がない。 道なりに進み、浮戸川に架かる●中河原橋を渡ります。中川原橋を渡って住宅の間を抜けていくと、突き当たりのT字路に●地蔵堂がありました。13:32

 ■坂戸市場交差点~アクアライン連絡道
 T字路を右折して「坂田市場交差点」を左折、●小櫃川を小櫃橋で渡ります。 前方上空に木更津から羽田空港に"着陸する飛行機"が見えてきました。飛行機から木更津市内見下ろすことはあっても、見上げることは初めて。 小櫃橋を渡って左折して旧道に入ると、左手に●水天神社がある。旧道は「初崎バス停」手前で県道270号と合流します。 木更津市に入りました。 前方に●東京湾アクアライン連絡道の高架が見え、その下をくぐってすすみます。13:50 

 ■アクアライン連絡道~久留里線踏切
 この先、調査書Ⅰでは「岩根駅入口」交差点のあたりから、左へ入って行くように書かれる。しかし、現在ではすぐ途切れ、この先の「スバルディーラー」の手前に続いているように思われたので、ここは入って行かず、●スバル手前で右手に入りました。入ると●車も通らない住宅街で、のんびりと歩きます。やがて●久留里線「長須賀踏切」を通過。 但し、この道は後で、じっくり調査書付属の地図を見ると、県道を通っているようにも思え、違っているかもしれません。県道を真っ直ぐ進めば良かったかも。線路を越えてから先は地図では良くわからず。現状、旧道は消えていると思わざるをえません。そんな訳でこのまま進みました。14:24

 ■久留里線踏切~木更津駅
 左手に●日枝神社。境内に小さいながら"富士塚 "があります。 ●県道から続く市道の交差点を右折。
そのまま進むと、●木更津駅に着きました。ここまで旧道とは思えないが、駅まで続く道はこれしか無いように思います。本日はここまで。 15:00

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