![]() |
布施街道を歩く (根戸~小張T字路) |
歩行地図はこちら 地図 |
根戸十字路-布施入口-布施弁天-新利根橋-戸頭-乙子-守谷上町-常総橋-市野深-寺下-小張T字路 16.6km |
布施街道 布施街道は享保15年(1730)頃に開かれた水戸街道の脇往還で、根戸(柏市)で水戸街道から分かれ、布施弁天、七里ケ渡し、守谷、板橋、谷田部を経由し、土浦の中高津で水戸街道に合流する。 谷田部藩、笠間藩の参勤交代の道となり、布施弁天、板橋不動尊などへの参拝の道として利用された。その為利用者が多く、水戸本街道の宿場が衰えるので、布施街道を通らないようにとの触書が出た程であったいう。 参考資料 「新編 旧水戸街道繁盛記」 山本鉱太郎 崙書房 「利根川図志」 赤松宗旦 岩波文庫 |
![]() |
![]() ![]() ![]() |
■寺山坂下~布施弁天 坂を下ると●交差点にぶつかる。街道は真っ直ぐというか左斜めに進む。 右折すると布施弁天に通じている。ここは弁天に寄るために右折しておく。すると左手に●大日如来堂や安産不動明王堂、 薬師如来堂などがある。布施弁天の東海寺の管理になるお堂群である。右奥に入ると●多数の庚申塔が あった。 9:50 |
![]() ![]() ![]() ![]() |
★布施弁天 さらに進むと小山にぶつかり、山に沿って行くと● 布施弁天と呼ばれる東海寺の楼門入口に出た。入口の横には案内図があるので読んでみた。小山の上に建っているので、てっきり古墳の上に建っているのかと思ったら、利根川の前身の常陸川の流路にあった藺沼に突き出した地形に建てられているということだった。。開山は大同2年(807)、空海作といわれる弁財天を本尊とし不忍池の弁天堂、江島神社とともに関東三弁天のひとつに数えられ、地名から布施弁天とも称されている。 石段を上がると●ハデな本堂が建つ。享保2年(1717)の建立になる。境内の●三重塔は古いものではなく、昭和48年の作である。 有名な●鐘楼は残念ながら修復工事中で足場、カバーが掛けられて見えず。 「からくり伊賀」と呼ばれた飯塚伊賀七が設計したもので、全国でも珍しい多宝塔式の総欅造りのもの。工事中というわけできちんとした姿は寺のHPから拝借。 |
![]() ![]() ![]() |
■寺下~小張T字路 その先街道の左手には●大きくて立派な長屋門があった。小張は宿場だったかどうかわからないが、宿場らしい風情を感じる所だ。 その先の●小張丁字路交差点で街道は右折して、板橋不動尊へ向かう。 14:50 ここで中途半端であるが本日はここで終了としてT字路を真っ直ぐ行って●つくばみらい駅から帰宅した。 15:20 |
![]() |
![]() |
2 小張T字路~中高津 |