初瀬街道(青越え伊勢街道)を歩く 3 
      名張~西青山(六軒町)
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 上八町-芝出-原出-桔梗が丘-  上小波田-羽根-阿保宿-伊勢路-西青山            17.98km


■上八町~東町 ※ 写真をクリックすると拡大します
2012年6月24日 近鉄名張駅到着 駅前から600m程歩き、前回の終了地点、松崎町から上八町に入る所へ来た。名張宿が続く、●上八町へ入ると、左手の酒店が漆喰造で感じが良い。宿場の雰囲気が残っている様に思う。 少し先の左手、●藏、虫籠窓、連子格子を備えた大きな旧家があった。途中、●枡形のようにくねっているところが、宿場の名残であろうか。9:45

 ■東町~芝出
 東町バス停のあたりで県道に合流し、右手へ緩やかにカーブする。合流したら、すぐ右手に●両宮八幡宮がある。仁徳天皇と領主だった、藤堂髙虎を祀っている。
 県道を行くのは200m足らずで、右手に分岐した道がある。右側に県立名張高校が建っている。ここをまた200m程行くと、細く畑の中を●左手へ折れている道がある。これは「七見峠越」の道といい、桔梗が丘駅の脇を通り、蔵持から美旗を通る、「別街道である。幕末から明治にかけて宿場があったというので、魅力あるルートだけど、伊賀ゴルフコースで遮断されてしまって、通れないので、このまま真っ直ぐのルートを選んだ。途中左手に●常夜燈があり、明治8年建立のもの。   10:12

■芝出~原出
 左手に●茅葺がトタン屋根に変ったと思われる民家が2軒ある。今の時代茅葺はなかなか維持が難しい。このような家をあちこちで見かけることがある。近鉄の高架をくぐると、マックスバリューのスーパーセンターが建っていた。道なりに住宅街を進むと、又●常夜燈。こちらは明治29年の自然石のもの。新しく建設されたと思われる、大きな道路を渡ると、すぐ右手に生垣に囲まれて、●延命地蔵堂が建っている。脇に地盤が無くなってしまっている、●五輪塔などがあった。  10:35

 ■原出~桔梗が丘五番町
 川北橋を渡って、国道368号線を横断する。●左側が小山になっている裾を、斜めに行くが、左手高台に延命地蔵があるというが、わからなかった。国道165号に出る。街道はここから北東方向へ進んでいるのだが、桔梗が丘のニュータウン建設で消滅してしまっており、しょうがないので、少し国道に沿って進み、●「桔梗が丘駅1」の信号の所の脇を東北方向へ進んでいく。 ●円弧状に区画整理された街の中を歩いていく。大体旧道に沿っているのではないかと思う。  10:54

■桔梗が丘五番町~上小波田
 円弧状に進むと、国道165号に出た。●「桔梗が丘3」の信号では北から太いバス通りが来ている。ここからまたルートは二つに分れて、国道に沿って真っ直ぐ、小波田橋へ向うルート及びこの信号を右折して、畑の中を進み、小波田川に沿って北上して、小波田橋で合流ルートがある。国道を行っても面白くないので、ここは右折するルートを取った。
 右折すると、ガーデンセンターがあり、その脇を左へ行くと、電柱脇に●道標がある。字が薄いが「右 なばりはせ道 南無阿弥陀仏」、「左下 ひなち道」と刻まれている。
 道なりに坂道を下りていくと、左手に●「岩ごさん」という岩ばかりの小山があって、おそなえ台が置いてある。岩を持帰ったところ家人が病気になったという言伝えがあるという。そのまま畑の中を進んで行くと、●用水堀のある道路へ出て、街道はまた畑の中に消滅してしまった。ここを迂回して小波田川に沿い、小波田信号まで進んだ。   11:35

 ■上小波田~新田池
 小波田信号の手前、右手に●福田神社跡があって、「観阿弥ふるさと公園」になっている。観阿弥が能楽の源流"猿楽"の座を創設した地点と言われていて、能舞台が造られていて、毎年の「観阿弥まつり」で、能楽愛好家による仕舞などが行われいるとか。
 国道を越えた、●小波田橋の所で、「伊賀ゴルフコース」の案内板に従って、小さい道へ入って行く。その先はのどかな田園コースで、少々の上坂があり、左右にため池が沢山ある。途中「上野市」のプレートがあったが、現在は合併して伊賀市に変っている。右手に●新田池を見る。結構大きな池である。    12:05

 ■新田池~羽根橋
 やがて左手に●伊賀ゴルフコースが見えてくる。名張で別れた、七見峠越えの初瀬街道はこのコースを横断しているので、全く通ることができない。クラブハウスの前を右へ折れて進み、●八丁坂を下って行く。国道165号が合流してくる。右手に「コメリ」があり、前方の「新羽根橋」を渡らず、手前で右折する。ここへ左手から「七見峠越」の道が合流してくる。「八丁口」といっている。
 左手の土手の上に●常夜燈や水神がある。●羽根橋を渡る。下を流れる川は「木津川」から分流する「前深瀬川」という。     12:55

 ■羽根橋~羽根
 羽根橋を渡って、ぐるっと右回りにカーブして行くと、右手に●安楽寺がある。真言宗の寺で、境内に宝筐印塔、旧青山町最古の石仏、十三重の塔などがある。その先右手に「羽根」の表示板があり、常夜燈が立っている。●根本に地蔵群が沢山並んでいる。また右折する、カーブミラーが立っている角に●常夜燈が置いてあって、「初瀬街道阿保宿」の木製の看板が掛けてあった。
    13:05

 ■羽根~阿保宿
 阿保西町信号の所に●街道随一の常夜燈が立っている。安政7年建立で、昔の街道の賑わいを彷彿とさせてくれる。
 ●阿保宿の町並
 阿保宿は上野街道と八知街道が分岐する交通の要衝としてまた宿場として重要な位置をしめし、上野・名張とともに藤堂藩から伊賀の地で3ヶ所だけ許された商業の町として栄えた。現在はあまり賑やかとはいえないが、旅籠風の建物もあり、一応商店街らしい賑わいはある。しかし、人がほとんどいない。 右手に大きな建物がある。嘉永6年(1853)創業の●若戎酒造という。大きな藏で、若戎醸造館という資料館も持っているが、日曜日閉館で、店舗も閉っており、全く愛想がない。
 藏の前面は「たわらや清右衛門」という旅館があった所。旅館は廃業してしまい、その後改修され●「初瀬街道交流館」が建てられた。中に参宮講の看板が200枚あまりが保存してある。   13:30

 ■阿保宿~伊勢路
  阿保宿も終りに近づき、郵便局の所が●枡形の様に曲っている。ここを左折して行くが、右手に「大村神社」への参道を示す、石碑が立っている。左折すると阿保橋へ来た。振返って、●三重側からの入口を見てみた。いかにも宿場らしいという雰囲気が感じられる。左手に●「本居大人菅笠日記抄」と彫られている石碑がある。本居宣長がここを通った記念碑で昭和31年に造られた。 ●木津川沿いに進む。川が右に曲って行く部分は街道から離れて、川に沿って歩いていく。右手の木津川の所が少しせき止めて段になっており、流れがきれいだ。    13:40

  国道に合流する手前に●水神碑がある。国道をしばらく歩いて行く。歩道がないので少し危険を感じる所である。
 やがて●中山トンネルが見えてきた。街道は右手の迂回する右側の道であるのでここを行くことにした。ここは昔、伊賀野中山、天狗岩と呼ばれていたという。迂回していき、国道に合流する手前のガードレールに隠れるように、菅笠日記にある、●歌碑が立てられている・・・・「河づらの伊賀の中山なかへに見れば過ぎうき岸のいはむら」・・とある。
 「下河原バス停」の所で、右折して脇道に入る。農道を通って行き、右手の●常夜燈の奥に善福寺がある。 14:37

 また国道にぶつかり、ここの右手角に●伊勢地宿の案内板、庚申塔、菅笠日記の記念碑などが並んでいる。右折して国道を進み、また左折すると伊勢地宿に入って行く。●案内図に詳しい説明図が載っていた。
  ・・・・ここ伊勢地の宿は(現住は伊勢路)初瀬街道中最大の難所といわれた、青山峠の西麓に位置していたため、この地で一夜の宿を求める旅人か多く、20軒ほどの旅籠が;街道の左右に軒を並べていました。宿場の中央には文政11年(1828)に建てられた大きな常夜燈が残され、徳田屋、大和屋、角屋の建物は、江戸の昔の情緒今も漂わせています。この宿場には、毎夜何百人もの泊まり客があったと言われ、青山峠の東麓に位置した垣内の宿と同じく、初瀬街道ではもっとも人きな宿場町でした。・・・・・
    14:40

  ■伊勢地宿
  宿に入るとまず●入口左手に常夜燈。文政11年(1828)のもの。右折して行くと、●伊勢地宿の町並が続く。昭和30年以前は伊勢地と呼ばれた。全盛期には20軒あまりの旅龍が軒を連ねていたという、現在は宿の経営をやっている所は一軒もない。入母屋造りの豪快な家並みが続いている。伊勢地の宿の特徴は入口の梁が高いことで、これは馬に乗ったまま家の中へ入れるようにとの配慮だったという。宿の東はずれに残る●徳田屋。明治末期まで旅籠を営んでいたという。宿の看板が昔の風情を残す。   14:50

 ■伊勢地宿~旧道入口
 
国道に出て750m程行くと、●左手へ入る旧道の入口がある。入口から草に覆われて、とても入っていける感じがしない。県の地図では赤く書かれ、入れるようではあるが、消えかけているとある。強引に草を払ったりしながら進むと、少し道が開けていて、旧道の雰囲気が残っている。左手に小さな●お地蔵さんがあって、●旧道だなっとわかって安心した。しかし道の中央は水路のようになって、ズブズブの状態で、足を突っ込んだりした。その内、どうにも藪が密集し、払っても進めなくなり、進むのおあきらめ、途中で引返すことになってしまった。   15:10

 ■旧道入口~西青山駅
 国道に戻って、先に進むと、●近鉄の高架橋をくぐる。さらに進むと国道をまたぐ●横断橋が見えてきて、コンクリート製の建物が●西青山駅だった。キリが良いので、本日はここまでにして帰ることにした。西青山駅は近鉄の駅でも最低の利用人員らしく、当然無人駅。ICカードは使用可能だった。     15:40