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古河街道を歩く2 (館林~古河市) |
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太田市追分地蔵-天神山-龍舞-石打-松本-多々良川-館林市内-松原-原宿-谷田川-合い橋-三国橋-古河駅 36.90km |
1太田~館林 | 2 館林~古河市 |
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■館林駅入口~松原2丁目 ●平成通りと呼ばれる、「県道2号」は電柱が撤去され、スッキリした印象。少し先、旧道は●宇沢整形外科の所から左斜めに入ります。 ここはほんの少しで、県道に合流し、そのまま真っすぐ横断。●松原2丁目の三差路にぶつかる。正面のガソリンスタンドの壁の前に"道標" が立っている。道路工事の際に50cmぐらい埋没しているそうだが、正面に「右ゑくろ、せんつい、左いたくら、こが」と深く彫られている。もぅ一つあるらしいが、個人宅内のようなので、わかりません。 10:08 |
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■松原2丁目~普済寺 旧道は左の道を取り、すぐ左手に変わった形の●一本松が立っている。説明によれば・・安政年間、この付近一帯は松林であったそうで、「松原」という地名もそれに由来してつけられ、現在唯一残る"一本松"で、安政以来の名残という。 道なりに数分行くと左手に曹洞宗の古刹、●「普済寺」がある。徳川家康より寺領として朱印百石を賜わったというくらいで、寺域もかなり大きい。●古い茅葺きの山門を入ると、門の脇に、ガラスケースに"銅鐘"が納められ、館林市の指定重要文化財にされている。"説明板" 10:35 |
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■普済寺~第五小学校 東南方向に「子ノ権現」があるので、地図を見つつ、「慶友外科クリニック」の先で、右斜めに曲がり、しばらく行くと●子ノ権現社があります。ここは足の病に良く効くといわれ信仰されていた。"説明板" 。境内に"金属板製ぞうり"を 絵馬代わりに納めるようになって、色々と「足の具合が良くなりますように~」などと書かれていました。 「館林第五小学校」手前の道を左へ入って行くと突き当たりに●富士御嶽神社がある。この神社は古墳の上に鎮座している。もとは前方後円墳だったらしい。 そのまま東へ道なりに行くと、●他宗場と呼ばれる真言宗と曹洞宗の墓地がある。地元ではこれを「タシバ」と呼んでいるそうだ。 11:10 |
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■第五小学校~館林インター 旧道に戻って東へ行くと、「本宿」という所。左手に●八坂神社。 そのまま進むと●宝秀寺に突き当たります。旧道はここで寸断するので、右折して「国道354」に出ます。この付近は東北自動車道の開通にともなってインタ-が出来たこともあって様相が一変してしまったという。旧道は宝秀寺を突き抜けて、●高架下あたりに出ていたようです。 11:26 |
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■板倉町境~原宿 旧道をくの字形に入って、市道の方へ出て板倉町に入ります。「岩田観音前バス停」先を、右折して行くと、左手奥に●筑波神社が「筑波山古墳」の上に建っている。"説明板" 。 そのすぐ南に●舟山古墳があるがあるが、一見単なるこんもりした塊で、"案内柱"がないとわかりませんね。 旧道に戻ってしばらく進み、「原宿地区」の左手に●原宿神社があります。ここは寺院のような形態でした。 12:25 |
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■変電所前~板倉ゴルフ場 「変電所前バス停」先で、●旧道は左へ入ります。 左に●長良神社があります。この道の先は国道の土手に阻まれて、右へ迂回するのだけど、本来は県道を横切って国道につながっていたという。 途中で右に曲がり、国道へ出て、●板倉ゴルフ場に沿って進みます。 13:15 |
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■板倉ゴルフ場~矢田川土手 ●ゴルフ場に沿って、右へ曲がり、しばらく●矢田川土手の上を進むことになります。このあたりは水害などによりしばしば河道が変化したと思われるが、この堤防上の道はある程度安定した道として考えられていたのであろうというのが、「歴史の道調査報告書」の説明。 左手に●筑波山が見えます。 13:32 |
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■矢田川土手~合い川橋 「八間樋橋」を過ぎると、土手は荒れた細道の様になり、車が来なくなりました。左手は民家の農地と屋敷林の様な林が広がります。 途中"古河往還の説明板" が立っていて、この土手が間違いなく「古河往還」の道だと安心できました。 ●東武鉄道の鉄橋と合の川橋が見えてきました。 旧道は橋の手前を右へ下りて、川を渡って対岸に出たという。谷田川の中洲には今でも馬頭観音が建っているのでそれとわかる、というが、橋の向こう側の土手に●石仏、一九夜塔などが集められているので、それらが該当するのかもしれません。 土手はここで終わり、45分程でした。 14:05 |
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■合い川橋~小野袋 橋を渡ると「旧埼玉県、北川辺町」。現在は合併して「加須市」の一員。 この地域は南と東を利根川と渡良瀬川、北と西を谷田川と合の川(今は無い)に囲まれた輪中の様な低地であり、水害の多発地帯ありました。この先ほぼ道なりに一路古河市へ向かいます。 左手に●養生寺。室町時代の創建で、真言宗豊山派。本尊は「地蔵菩薩半跏座像」。子育地蔵として親しまれているとか。 ●柳生駅前交差点は左斜めに進むと、地図上に「平地の三県境」という記号に気がつき、面白そうと思って、踏切を越えてから、左へ曲がり行って見ました。5分ほどの寄り道で到着し、●三県境碑がありました。栃木県栃木市・群馬県板倉町・埼玉県加須市にまたがり、水田上にあって、三点が交差する地点です。"説明板" 山の中では三県境は珍しくないようだが、平地に存在することは大変に珍しいとか。 14:40 |
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■小野袋~渡良瀬川土手 旧道に戻って、左手にポツンとお社みたいな建物が建っています。入口に●田中正造翁之霊と書いてあり、田中正造といえば、「足尾銅山の鉱毒事件」や「渡良瀬川遊水池化」阻止などで活躍した人物なので、扉を開けてみると、"神棚"や"写真"が祀られ、地元民の田中正造への遺徳が感じられます。 そのすぐ先に●柏戸出流神社。 ここは「加須市柏戸」といい、「カシワ」には砂丘、自然堤防の意があり、「戸」は津の意とみられることから、村名は渡良瀬川の自然堤防に位置したことによるとされる。また相撲の「白鵬時代」の横綱大鵬と並び称された、横綱柏戸の四股名はここの地名にルーツがあるそうだ。 県道46号跨線橋をくぐって行くと、●渡良瀬川土手に出ました。 15:07 |
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■谷中湖~三国橋 土手の向こう側に●波瀬川遊水池が広がります。歴史などは(https://watarase.or.jp/about/)などにお任せしたいが、面積33km2、貯水量2億m3の我が国最大の遊水池であります。 "三国橋"に向かって土手を進むと、右手に●カスリーン台風決壊口碑が立っています。昭和22年9月台風による大雨により、東北、関東地方に記録的な大災害を引き起こされた。北川辺町では堤防の決壊により死者9人、被害家屋1910戸を出したという。"説明板" 15:15 |
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★古河の渡し 三国橋を一度横断し、右手、土手下の●鷲神社境内に、●万葉古河之渡碑が立っていて、●三国橋下流の、神社のあたりが「渡良瀬川古河渡し」があった所といわれます。万葉集には古河の渡しとして2首が詠われているという。 "説明板" 15:25 |
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~古河駅 ●本町2丁目交差点は、旧日光街道との追分に当たる。ここを2007年4月に通過しています。 ●旧日光街道側の県道261。電柱が撤去され、すっきりとした感じです。 最後に●JR古河駅に到着。 本日は寒くもあり、寄り道もあって、24kmを越えてしまいました。 15:55 |
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