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奈良街道を歩く 3 (京都から 奈良へ 小倉堤経由) |
歩行地図はこちら 地図 |
城陽駅-長池-山城多賀-玉水-山城-木津川橋-奈良坂-今在家-転害門 21.02km (全38.4km) |
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■山城多賀~玉水 下り坂の●「山城多賀駅」付近を過ぎる。駅への案内板がちょこっと立ち、駅への道も狭く、無人駅だろう。 ●「南谷川」を渡る。この川は結構水量が多かった。奈良線のガードをくぐって、●木津川の土手の手前に出た。府道70号を南下して行く。 11:11 |
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■木津川市~蟹満寺 やがて●木津川市へ入って来た。木津川市入ったらとたんに、両側に旧家が見えた、但し左側は「阿弥陀寺」で、門が閉じられ入れない。●右手はかなり大きな旧家。 前方に「以仁王」の墓の案内板が立っているので、案内に従い、左手へ入り、奈良線の踏切を越えると、●高倉神社があった。高倉神社は、平安時代末期(12世紀)の後白河法皇の第二皇子以仁王を祀る神社で、隣接して以仁王の御墓があります。 ここの鳥居は変っていて、何故か柱の上に鍋ぶたが乗っている。 11:55 |
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■蟹満寺~椿井大塚古墳 街道に戻って、南下を続ける。●棚倉小学校の先の細い道へ入り、奈良線を低いトンネルで抜け、JR棚倉駅前には●湧出宮(わきでのみや)という神社がある。入口に大きな「湧出宮」の石碑が立っている。実名は和伎座天乃夫岐賣神社(わきにますあめのふきめじんじゃ)といい、式内社にして、創建は天平神護2(766)年、伊勢国五十鈴川の畔より、天乃夫岐賣命勧請したと伝わる。 天乃夫岐賣命とは天照大神の御魂であるとされる。後に宗像三女神を伊勢より勧請、併祀している。 大神をこの地に勧請したところ、一夜にして森が湧きだし四町八反余りが神域となったということから、湧出宮という。 本殿は元禄5年の建築で、三間社流造。 その後又奈良線のガードをくぐり、府道70号線も越え、左折すると●鳴子川を越える。ここも天井川であった。 13:10 |
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左手の●天主神社は京都の八坂神社を勧請して、祭神は牛頭天王。本殿が室町時代後期で、小さい割に古い。 「極楽橋」を越えて、●井関川沿いに続く道も、軒卯建を持つ家があったりして、旧道らしい道である。やがて●関西本線(大和路線)のガードをくぐる。このあたりからずっと奈良に向って上り坂が続き、いささか疲れてきた。 15:05 |
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■馬場南~奈良市境 右手に法然上人、御旧跡の●安養寺がある。案内が見あたらず、どこが旧跡なのかよくわからないが、なんでも、法然上人念仏石というのが伝えられているとか。 ●「市坂南口」信号で右手に入る。この道はすぐ府道754号に合流してしまう。大きな「州見橋」をくぐると、やっと、京都府と別れて、●奈良県、奈良市へ到着した。 15:37 |
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■奈良市境~般若寺 「梅谷口」交差点を経て、●「奈良阪」バス停の所を右に入る。いよいよ奈良坂で、あと少しでゴールとなる。右手に●奈良豆比古神社がある。境内には、創建の時からとされる樹齢1300年の樟の木があり、天然記念物に指定されている。 奈良坂は大和国と山城国を結ぶ古くからの交通の要所である。●町並もいささか崩れかけた古い家なども並び、歴史を感じさせる。 16:00 |