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佐倉・成田街道 2 八千代台から成田まで |
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新宿-小岩-江戸川-市川-船橋-成田分岐-八千代-佐倉-酒々井-成田 52km |
![]() ![]() 朝8時30分東葉高速道八千代緑丘駅へ到着。早速、前回の地点まで戻る。 ■八千代台~大和田 合流地点左手に、●馬頭観音やなどがまとめられている。またその先の所などにも●如意論観音、十九夜碑などがまとまって置いてある。子安講中、女人講中の建てたもの。安永五年などの年が刻まれている |
![]() ![]() すぐに東京の周辺をぐるっと回る●国道16号の立体交差を通過。左手に大きな●長屋門備えた旧家らしき建物を発見。地元の名家でしょうか。ゆるい坂を上ると八千代市勝田台。京成電鉄勝田台駅が右側にあり、東葉高速鉄道の終点東葉勝田台駅も地下にできていて、東京方面が便利になった。駅前を通り過ぎると、すぐ佐倉市です。9:55 |
![]() ![]() 京成電車の線路沿いに歩きます。国道はゆるやかに上って行く。やがて竹林の中の左側に、江戸時代、ここに●佐倉藩の江原刑場があった。左の藪中に「南無妙法蓮華経」と彫られた大きな供養碑が建っている。天保14年(1843)佐倉藩の藩医「鏑木仙安」らがが刑死者の遺体解剖を行った。付近には首洗いの井戸があると案内板に書いてある。刑場跡を過ぎ、鹿島川を渡ります。12:05 |
![]() ![]() ●三谷家住宅 明治から昭和初期の建築で、近代佐倉を代表する有力商屋建築を代表する、造形的にもすぐれた建物であり、佐倉の伝統的な商屋建築として貴重なもの。 |
![]() ![]() ![]() 旧道は上元佐倉で国道296号に合流する。国道51号線と交わる一つ手前の道を左折して行くと、酒々井の宿に入ります。特別案内などはないので通過してしまいがちになるが、旧宿場風情は十分感じられる。右手の●八坂神社から農協あたりにかけてが宿場の中心地だったようです。商屋風建物や土蔵造りの旧家が数軒並び、静かなたたずまいをみせている。 |
![]() ![]() ![]() 酒々井の宿を出て、左手に●「酒々井下り松三山碑」という案内がある。携帯用QRコードが付いていて、案内が聞けるようになっている。中々面白い試みだと思う。 京成酒々井駅前通りから、旧道は左斜めへ入り、すぐ右折します。集落の曲がり角に●庚申塔や、道標があり、旧道であることがわかります。 14:35 |
![]() ![]() 国道を横断した先は段々坂になっていて、竹林の中の上り道は●「大坂」とよばれ、ここには通行人の荷車を後押しする「押し屋」が常駐しており、荷車の後押しに活躍した場所であったらしい。14:50 |
![]() ![]() ![]() 坂をのぼりつめたあたりから、国道に隣接しながら800mにわたって伊篠の松並木がはじまる。昭和43年に史跡として指定された当時は、松並木を形成していたが、松食い虫にやられ、多くは枯死してしまい、史跡の指定も解除になってしまった。今でも石碑なども残っており、街道の面影は残っている。 |
![]() ![]() 旧道はコンビニの先で国道を斜めに横切りって行く。左手に●古い石仏がたたずむ。顔の風化がひどいが、文政4年(1821)とある。のどかな田園地区を通り過ぎていく。国道51号に合流するとまもなく成田市境である ●国道の先の交差点で道は左の国道51号と国道409号に分かれる。この先500mほどで再度交差するので、どちらを行っても良いように思い、古くさそうな409号の方を進んだ。15:25 |
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