日光御成街道歩き旅    川口から東北自動車道まで  歩行地図
 大手門-追分-王子-赤羽-川口-鳩ヶ谷-(東川口駅)大門-浦和-岩槻-幸手  51.9 (24.9) km
 

 御成道 1  御成道 3   御成道 4

■川口宿
 宿としての成立は寛永から元禄であろうといわれる。荒川の対岸、岩淵宿と合宿として月の前半後半で宿場の役目を交代した。ここの主要な業務は江戸と鳩ヶ谷宿への人馬継立で、千住宿や草加宿などへも継立を行い、常に馬役と歩行役(人足役)の用意が必要とされた。宿役人問屋は宇田川家、永瀬家、増田家などが交替で勤めていた。
 本陣1脇本陣1 旅籠10

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 2007年8月12日の続き
堤防の上に昔よく遊んだ善光寺」があるが、移転して新しくなり普通のお寺になった。以前は河原敷にあった。
★鎌倉道の碑
 中世の鎌倉街道中道(なかつみち)であったころの小川に架かっていた橋で、当時この地は奥州への街道の要所であっことを表す記念碑。
★川口宿本通り
 川口宿の通りで、本陣跡があるはずがよくわからず。2.3古い建物が残る。薬局は大正時代の建物。手前の接骨院は明治の建物だそうだ。

★錫杖寺
 開基は天平12年(740年)の春、行基菩薩によると伝えられている。街道沿いにあったため御膳所として将軍立ち寄り所になっていた 。 梵鐘に由来があり、寛永十八年(1641)の鋳造で県の文化財
★川口神社

 県総社。天慶年間に郡司武芝の創建と伝えられている。元々氷川神社と称しており、川口地域の総鎮守として崇敬されている。特に川口で盛んな鋳物の守護神として名高い。 

★金山神社
 県内社として、川口神社の境内に鎮座している。鋳物師の守り神「金山権現」として祀られてきた。明治時代川口神社に合祀されてきたが戦後別宮となっている。
★エルザタワー55  15:00
 川口の発展を象徴するような、超高層マンションで、55階建てと、日本一のスケールを誇っていたが、現在は順位は落ちている。暮らしやすさの点では疑問符が残ると思っている。

★田中家住宅
 街道は国道122号に入り、十二月田(しわすだ)交差点の先、明治・大正期に味噌醸造で財を成した田中家が大正12年に建設した洋館である。煉瓦造り3階建て。英国のチューダー・ゴシック様式を踏襲し、尖塔(せんとう)アーチ窓や窓枠の飾りなどが特徴とされる。国登録有形文化財に指定。
★商家建築(保坂家)
 この先しばらく歩き、鳩ヶ谷大橋で新芝川を渡る。変電所前で国道と分かれて右側へ分岐して旧道を進みます。坂下町三丁目あたりの右手、古い格子造りの商家建築の保坂家がある。

■鳩ヶ谷宿
 元来この地を中世は鎌倉街道中道が通り、交通の要衝として栄えた。御成街道ができてから宿場町を形成した。また三・八市が開かれるなど、物資の集散地として賑わった。宿は下、中、上の三宿からなり、本陣は中宿にあった。
 本陣1 脇本陣1 旅籠16

★吹上橋
 見沼代用水に掛かる橋で、欄干に子供の像がちょこんと乗っている。見沼代用水は、八代将軍吉宗の頃に大宮、浦和の東側にあった「見沼」に代わる用水として利根川から延々と人手により引かれてきた用水です。見沼通船堀とともに農業用水以外に船運としても使われた。ここから鳩ヶ谷宿が始まる。
★御成公園
 将軍の日光社参の行列の様子を描いた壁画が日光御成道の雰囲気を出している。右側にからくり人形の時計もある。

 ★市の神社 16:00
 本町二丁目のバス停の右手に市神社という小さな社がある。「三八の市」の祭神で商売の神様だそうだ。三八の市というのは、すでに行われていない。浦和宿には二.七市というのがあった。
★蔵造り商家
 その先桜町一丁目バス停の向かい、街道右手に豊田家がある。古い蔵造り商家の遺構をとどめている。

 鳩ヶ谷市新井宿に入る。新井宿といっても宿場ということではない。埼玉高速鉄道、新井宿駅を過ぎて
★氷川神社
 氷川神社と宝蔵寺がならんである。西側には川口グリーンセンターが広がる。氷川神社の石碑のひとつに「武州足立郡赤山領 東新井宿村」と刻まれていた。
★東京外環状線 16:40
 現在開通しているのは関越道(大泉IC)から三郷南ICまでの区間のみである。
★一里塚ポケットパーク
 戸塚支所の通り角。街道を通る車は多く危険。交差点の角が整備されて一里塚ポケットパークと名づけられている。江戸から6番目の一里塚があったと思われるが、まったく説明がないので地元の人でもわからないのでは?。ここを通過してJR武蔵野線東川口駅から帰宅することにした。次は幸手まで。  17:20  川口-東川口駅間 12.3km

 2007年9月24日 東川口駅より出発  9:00
●諏訪神社
  武蔵野線を越してすぐ右手。火の見櫓が立っている。真っ赤な鳥居が印象的。本殿の裏は台地になっていて、眺めが良い。
●大門神社
 創建は不詳。十二所権現社ともいう。祭神が天つ神七代、地の神五代の神と大げさで、こんなの初めて。本殿が真っ赤で、彫刻も美しい。拝殿は明治時代の建物だが本殿は新しいと思う。

■大門宿
 門宿は元禄10年(1697)に発足。将軍は岩槻城に宿泊するので、ここの宿では休憩する程度であった。街道沿いの建物は新しくなってしまったが、道筋は昔のままで、本陣、脇本陣の遺構が残り昔の雰囲気を残している
本陣1脇本陣1 旅籠6

●大門宿本陣表門
  大会田家は本陣、問屋を務めていた。表門は茅葺きの長屋門であるが、番所が付いている点が珍しい遺構となっている。
●大門宿脇本陣跡
 ここも茅葺きで、寄棟造。本陣にくらべやや簡略化されている。将軍御成の時はしんがりの大名が宿泊している。

●大興寺山門
 このお寺は家康より三十石の寄進をを受けている。
茅葺屋根の鐘楼が残る。ちょうど秋分の日で墓参りの人が多く、落ち着いて見学できなかった。
●徳本上人念仏供養塔
。門前に建つt徳本上人は、江戸時代の念仏行者で全国的にも高名であり、ただひたすら「南無阿弥陀仏」を唱え日本各地を行脚し、庶民の苦難を救った清貧の思想の持ち主だとか。供養塔は各地に残り、ここは文政9年(1821)の建立。 この先 東北自動車道を越して 御成街道3に続く。

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