●遷喬館
寛政11年(1799)に、岩槻藩士の儒学者児玉南柯(こだまなんか)が創設した私塾であり、文化年間に藩校となりました。 儒学を中心に講義が行われ、藩士の子弟たちがここで学びました。建物は武家屋敷を利用したものであり、木造平屋建て、茅葺屋根の構造です・・・案内板より
●時の鐘 13:30
寛文11年(1671)に、当時の城主阿部正春が造らせたものです。「岩槻に過ぎたるものが二つある 児玉南柯(なんか)と時の鐘」とうたわれるほどでした。当時から岩槻のシンボルとして知られ、その鐘の音は九里離れた江戸まで聞こえたということです。
この先街道に戻り、渋江交差点を一路北上する。右手奥の方に久伊豆神社、慈恩寺などあるのだけど、本日は30キロほど歩くので、先を急ぐことにして幸手宿をめざします。 |