青梅街道歩き旅3   3 武蔵関から新小平まで  歩行地図
 新宿追分-中野坂上-荻窪-上井草-関町-田無-小平-桜街道-榎-中原-箱根ヶ崎-青梅新町-青梅  44.9km 
 
1 新宿追分~新高円寺  2 新高円寺~武蔵関  3 武蔵関~新小平  4 新小平~青梅

 2009年3月29日 朝武蔵関駅到着。早速青梅街道、関町郵便局の位置まで戻って田無方向へと再開。
■郵便局~伏見稲荷神社
 「武蔵関駅」南口に下りたら、「井口」姓の家があちこちあった。さすが元名主の子孫の方が多く住んでいるのだなと思った。
 さて街道は●「東伏見四丁目」信号で二股になり、青梅街道は右を行く。西東京市へ入るわけだけど、保谷市という方がなじみがある。少し先の右手、保谷家という屋敷の塀の一画に●お堂があり、大日如来といわれる、石仏が鎮座している。 11:00

 街道は下り坂になってきて、坂を下りきった所に坂下交番がある。坂下交番の右手を入った奥に●東伏見稲荷神社がある。東伏見稲荷神社は、西武鉄道が昭和4年に、沿線開発の一助にとの伏見稲荷から勧進して創建した。稲荷らしく朱色の社殿がハデハデしくて美しい。拝殿の奥に「お塚」というのがあり、よく見るような赤い鳥居が沢山立っている。摂社の「八幡大神」の狛狐の顔が厳しくておそろしい顔をしていた。11:15

■伏見稲荷神社~西武線踏切
 街道を進み、石神井川を渡り、東京ガスの手前、橋の脇にある●庚申塔は後ろに武者絵のような錦絵が掛けてある。
 西武新宿線のガードをくぐると右手、富士街道との角に●弘法大師供養塔がある。よくわからないが嘉永七年(1854)のものという。側面は道標になっていて、「練馬江三里 府中江二里半 所沢江三里 青梅江七里」と書かれているらしい。堂の柵にかこまれて良く読めない。   11:40

■西武線踏切~田無1丁目交差点
 富士街道を少し入っていった所、右手の深大寺街道の踏切脇にある●六角地蔵石幢(せきどう)を見る。ほぼ正六角の石柱で、各面の上部に地蔵菩薩立像を浮彫りにして、その下に銘文を施してある。「つや」という女性と「光山童子」の菩提を供養したと説明にある。 
 青梅街道に戻り、しばらく行くと、●「田無町1丁目」交差点に出る。青梅街道と「秩父道」(現所沢街道)との追分になっている。「田無宿」(柳沢宿)の入口であった。青梅街道は左側へ入って行く

 ■田無1丁目交差点~田無駅北口交差点
 右手に●田無神社がある。由来は複雑であるが、田無北部の水の豊富な「谷戸」という所の、尉殿大権現と呼ばれていた神社をこの地に移転させたことによる。尉殿大権現は龍神で、水と風を治める神であり、水に恵まれなかった、田無の人々に篤く信仰されてきたという。本殿は囲われて見られないが、●拝殿の彫刻は風格があり立派なもの。本殿の写真が参道脇に掲示されていた。拝殿は、安政6年(1859)当時江戸彫物御三家といわれた嶋村俊表作で東京都都指定有形文化財となっている。
12:05

 神社の隣に●総持寺がある。山門前に、かっての「田無用水」の跡があり、「やすらぎのこみち」という道が横切っている。田無用水は、元禄9年(1696)玉川上水から分水された。
 総持寺の向かい側、路地を入って行くと、●田無村名主、下田半兵衛の家がある。建物は安政4年(1857)建築で、田無市最古の民家である。元々は三層からなる入母屋造の茅葺(現在は銅葺)で往時の名主の役宅の趣を残す。明治天皇も訪れたことがあるそうだ。12:20

■田無駅北口交差点~橋場
 下田家の向かいは駐車場になっており、その片隅に飢饉に備えて貯蔵した●稗倉と「養老田碑」がある。天保年間田無は大飢饉に見舞われ、名主の半兵衛は稗を貯蔵する蔵を造ったり、自分に田畑を村民に提供したりしている。
 街道に戻り、駅前通を横切り、「田無5丁目」角を右手に入って行くと、●「やすらぎのこみち」に出会う。この場所の右手に馬頭観音、左手に地蔵が立つ。いずれも府中道と青梅街道との分岐点にあったものが移設されたもの。  13:15

■橋場~合同庁舎
 やがて橋場という所へやってくる。名前は田無用水がここで青梅街道を横切り、橋が架けられていたことによる。橋場は、青梅街道、成木往還(東京街道)、立川道との三叉路になっている。成木往還との分岐点に庚申塔と地蔵の祠が二つ並んでいます。両方ともコートが着せてあったりしておもしろい。
 ずっと進んで、小平合同庁舎の裏手に●円成院という寺がある。「矢沢大堅」という僧が新田開発をして新しい信仰を広めようという大悲願から建てた黄檗宗の寺である。  13:50

■合同庁舎~武蔵野神社
 その先右手に●子守地蔵がある。「浅田秀五郎」という人物の「子供を数多くの災難から救いたいので死んだら地蔵にしてくれ。」という遺言により文久3年(1863)建立された。
 右手にある●武蔵野神社は享保9年(1724)上谷保村から毘沙門天をこの新田に遷宮して村の鎮守とし、円成院が管理していたが、明治維新の際分離独立した。参道が長く立派な神社で、社殿の左に猿田彦が祀ってある。猿田彦は、「天孫降臨」の時の道案内の神で、鼻が大きく天狗の元祖ともいわれている。 14:10

■武蔵野神社~熊野神社
 その先西武新宿線踏切を過ぎると、右手に●小平ふるさと村がある。ここは数年前「武蔵野2Dayマーチ」で来たことがあった。中には茅葺の民家などが多数移築保存されている。
  その先にある延命寺は、中藤(なかとう)村の真福寺の塔頭六っか寺の随一といわれた寺で、そのままこの地に引張って(引寺)きたという。門前にある庚申塔は、嘉永3年(1850)の建立で、青面金剛が笑っているなど多摩地域でもめずらしいものだそうです。小平市有形民俗文化財。  14:35

■熊野神社~延命院
 寺の先はゆるやかな下りとなり、また上がって行く。「熊野宮」信号を左に行くと、高い二本のケヤキが目に付く。●「熊野宮一本榎神社」という。夫婦欅と称して社殿の前に堂々と立つ。。社名に由来する一本榎というのは本殿の裏に立っている。「武蔵野乃一本榎」と呼ばれ、青梅街道を往来する人の目印となっていた。
 消防署の前に平安院がある。この地(小川新田)に入植した農民の菩提寺として、元文4年(1724)の建立された。入口の●庚申塔は享保2年(1717)のもの。このあたり地図を見ると、長方形の区画が並んでおり、新田開発の様子がよくわかる。平安院の先から道幅が広くなり、ここに伝馬の中継場が作られた。道の南側に、石灰などを運んできた馬を繋いだという。  15:10

■延命院~新小平駅
 西武多摩湖線の踏切を横切る。脇にある駅はその名も●「青梅街道駅」という。線路は単線。
 さて今日は「東大和駅」までと思っていたけど、武蔵野線の「新小平駅」があり、自宅が沿線なので帰りが便利で、ここでやめておくことにした。駅右手に●「つたかべの径」という標柱があり、小川用水が流れている。青梅街道はよく用水に出会う。それだけ水に苦労したということが偲ばれる。 15:45

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