佐 野 川 往 還 1
     
(八王子追分-陣馬高原下
    歩行地図はこちら  地図
 八王子追分-横川町-諏訪町-西寺方町-上宿-恩方-川井野-和田峠-和田-くらご峠-奈須部-上野原 32.12km
 

 佐野川往還
  八王子・横山宿と甲州上野原宿とをつなぐ脇往還として、人や物資の往来があった。案下道などとも呼ばれた。道筋は甲州街道・横山宿の西端の追分を起点とし北西に進み、横川村、大楽寺村、下恩方村、上恩方村などを経て、和田峠(案下峠)を越え、佐野川村を通り、上野原宿で再び甲州道中に合流する。
 資 料
「歴史の道調査報告書 佐野川往還」(東京都教育委員会
「 講座 ふじの昔話タイムトラベル〜陣馬街道と松姫伝説を訪ねて」(https://fujino-satoyama.com/report_jimba_matsuhime/)


 2025年4月6日  画面をクリックすると拡大します
■八王子追分~南浅川
 今回は八王子追分を始点として、上野原まで、甲州街道の脇街道である「佐野川往還」を歩きます。往還名は佐野川村に通じていたことに由来するが、案下道とか、現在は陣馬街道とか呼ばれます。和田峠までは東京都の「歴史の道調査報告書」で詳細がわかるので、参照しながら進んで行きます。
 ●八王子追分町の甲州街道との追分。甲州街道は少し手前を左折しています。案下道は左方向を入って行きます。甲州街道側、右手に"追分道標" が立っており、「右 あんげ道」というのを、今回歩きます。又ここには"八王子千人同心屋敷跡碑"も立っています。
 ●案下道に入って行き、左手は「日吉町」で八王子横山一五宿の内の一つ「嶋之坊宿」と云われた所。 左手に●日吉神社がある。天慶3年(940)創建と伝わる。  9:27

 ■南浅川~横川町
 日吉神社前を直進すると、●南浅川に出ます。往時は水量も少なく、徒渡りで渡ったらしい。現在は右手の"水無橋"を渡るしかありません。渡る手前に石造の馬頭観音があるというので、うろついてみたが、わかりませんでした。 橋を渡って、「都道521」陣馬街道を西北西に進みます。やがて、右手に●横川邸という屋敷が見えてくる。女子教育の先駆者横川楳子(うめこ)の生家という。明治25年八王子女学校を設立。これが現在の都立南多摩中等教育学校につながっている。 その先●横川町交差点は右方向にゆるやかに曲がります。9:42 

 ■横川町~薬師前
 右に曲がってそのまま進み、「三村橋」で"城山川"を越えます。中央高速道路をくぐり、すぐ先で陣馬街道から分岐して右へ、入ります。程なく左手に●西蓮寺があります。境内に室町末期建立の●薬師堂が現存しています。 "説明板" 。寺の裏手に●住吉神社が鎮座。拝殿はたいしたことないが、"本殿"は 正統流造りで風格がある。 永承6年(1051)源頼義が摂津国から勧請、再建、焼失の後、元和3年(1617)幕府により再建されたという。 10:05

 ■薬師前~四谷町
 西蓮寺の北側にある●相即寺に行くの忘れたので、住吉神社の方から回り込んで行きました。浄土宗で天文15年(1546)の創建。ここは八王子城の鬼門除けの寺として位置づけられていた。落城のときの戦死者を弔う為に●延命閣地蔵堂が建てられ、283体の地蔵を祀る。また「ランドセル地蔵」も祀られていることで有名だそうだ。"説明板"。 入口脇に"新しい地蔵"が可愛らしく置かれているが、本物はお堂の中。 相即から陣馬街道へ戻る途中、●叶谷榎池というのがあった。八王子湧水めぐりの一つで、昔は樹齢百数十年といわれるエノキの根元付近から勢いよく湧き出ていたという。 10:18 

 ■四谷町~諏訪宿
 街道へ出て、西は進み、高尾街道と交わる●「四谷交差点」の先で、往還は陣馬街道から分かれて、右へ入ります。ここは250m位の脇道で、すぐに街道へ合流します。 合流した先が●諏訪宿という所。いわゆる宿場という訳ではなさそうであるが。右手奥に入った所に●諏訪神社がある。社伝によれば、大治元年(1126)信濃国一宮諏訪大社を勧請して創建。元亀年間(1570~)八王子城主・北条氏照が社殿を造営したが、八王子城落城の際に社殿等破壊された。その後再建。 10:40

 ■諏訪宿~切通し
 往還は●二分方入口というバス停の先で又。右へ路地の様に細い道へ入って行きます。今度は●結構長い脇道で、脇に"石仏群"が並んでいたりして、古い感じがします。 しばらく歩き、陣馬街道に合流すると、そこは●切通しという所で、左手から丘陵が迫り、先が崩されて道を通した様子がよくわかります。 11:05

 ■切通し~西寺方町
 切通し手前の上り口に"数体の石仏"が立っている。続く石段の上に●日枝神社がある。この石段は幅が狭く、足を踏み外しそうになり、あぶない。 往還は陣馬街道と分かれて、右手のガラス店と木材店の間を入って行く。左手に小さな"馬頭観音"があり、北浅川の氾濫に辛苦した人々の苦労がしのばれるとある。 その先、北浅川にぶつかり、鉄板2枚をつなげた●仮板橋が架かっている。ここは数日間雨降りだったので、水没するのではないかと心配だったが、トントンと渡れた。北浅川は大雨の度に流れが変わるが、このあたり浅瀬になっているそうだ。 渡った先は同じ西寺方町で、●釣り堀場がある所。 11:16

 ■西寺方町~宝生寺
 北浅川を渡ると、そのまま北上。 右手に湧水を利用した●釣り堀があり、ちょうど桜が満開でした。脇に"馬頭観音"があり、こちらは貞享2年(1686)の造作。川手前の観音より130年ほど早いもの。八王子に向かう旅人の要請に従ったものという。 その先、右手にも馬頭観音があるが、姿、形が崩れてわからなくなっている。 道なりに左にカーブ。左折して、右折すると●宝生寺の南側に出ます。右手に●宝生寺がある。真言宗智積院派。本尊は不動明王、鎌倉末期の創建。北条氏照の保護が厚かったといいます。境内に"夕焼け小焼け"の歌碑があります。11:28 

 ■宝生寺~紙谷橋
 道は寺の前を通り、広い市道を横断して、そのまま細い道に入り、右折すると、正面にこれまた●大きな桜の木が一本盛大に枝を伸ばしています。左折してそのまま進むと、コンビニがあるので、水分を補給。 右折して行くと、左手に●赤いおべべを着てマスクをしたかわいい地蔵が2体祀られています。 その先を左折すると「山入川」に架かる●紙谷橋にぶつかります。 "山入川"は昭和初期まで歩いて渡ったという。又、渡河地点は大水の際、その都度変化したといいます。 11:40

 ■紙谷橋~上野原
 橋を渡り、真っ直ぐ進んで、"元木保育園の"手前を右折。突き当たりを左折すると、美山街道にぶつかります。正面に●大きな石仏群が立っています。安永3年と寛政7年の地蔵、弘化3年の庚申塔です。 石仏を見ながら右折してしばらく行くと、又、左手に●石仏群があった。左側に三角形の名号碑、地蔵など3基などが立つ。 その先●上野原信号を左へ曲がります。 11:51

 ■上野原~上宿西
 細い道をしばらく行くと、右手に調理師専門学校があり、その先カギ型の様な所を左、右折としたら●都道61号に出ます。すぐ先を右に入って行くのが往還で、入った先は●上宿という所。かっての宿場だという。 左、1区画南側は「川原宿」といって、現在の陣馬街道が通っている。 突き当たると宿場特有の●鍵の手になっており、右折、左折します。 曲がった先に"地蔵が2基"立っています。 12:00

 ■上宿西~東大沢橋
 左手に●西川古柳座八王子車人形の幟が掛かる家がある。箱車を使い文楽の3人使いを1人使いで行うという人形芝居だが、ここは稽古場の様です。 その先、道は「恩方第一小」の校庭を回り込み、陣馬街道に出ます。 右折すると、左手に●松竹橋が見える。
 「調査書」の説明によると、本来の往還は橋の手前で北浅川を渡り、(現在橋はない)川の対岸を西へ進み、東大沢橋を渡るとある。そこで松竹橋を渡って西へ進もうと思ったが、地図を見ると、北浅川に橋がなく、陣馬街道に戻れないので、橋を渡らず、陣馬街道をそのまま進みました。 本来の道は"サントピア"の裏側を通っているようだけど、そのまま通過し、「大久保信号」を左折し、民家の前を通って●東大沢橋を渡って、「大沢橋」を左折して進みます。 12:37

 ■東大沢橋~板当橋
 しばらく進むと●分岐道に出会い、正面に庚申塔が立っている。道は左側を取り、旧道の趣を良く残す●山裾道を、右に北浅川を見ながら進み、●板当橋を渡って陣馬街道へ合流します。橋の手前に木造の板当橋があったらしいが、見当たりませんでした。
 2011年のストリートビューを見ると"木造の板当橋"が確認できます。 12:50

 ■板当橋~尾長橋
 道は陣馬街道と重なり、少し先で、右手の細い脇道に入り、すぐ街道に合流します。「駒木野橋」を渡ると、北浅川は右手に変わる。 大きく北へカーブし●「黒沼田橋」手前を左折して、気持ちの良い●林間道を通過して行きます。●尾長橋を渡ると、再び陣馬街道、「狐塚バス停」手前に出ました。 13:20

 ■尾長橋~ふれあいの里
 ここで「歴史調査書」では、陣馬街道を横断し「興慶寺」へ向かい、寺の前の細い山道を西へ向かう。しかしこの道は陣馬街道が出来た為、雑木藪になり、通行不能とある。 一応寺の前から西へ向かい、あたりの"山林"を探ってみたけど、旧道らしきものはわからず、山林の足跡をたどったら、元の街道に出てきました。 右手、石垣の保護壁を見ながら進み、左へカーブするあたりに●右手に上がる細道があって、ここが往還らしいので上がって行きます。道なりに進むと、正面に●石仏群があったりします。ここを左に進むと、一度陣馬街道に出ます。右に曲がって、その先"夕やけ小やけふれあいの里"駐車場看板を左へ入って、「昭和橋」渡ります。 突き当たると駐車場で、その先は山道になってしまう。その手前に●ふれあいの里近道があるので、そこに入っていきます。13:52

 ■ふれあいの里~宮尾神社
 近道を道なりに行くと、ふれあいの里をぐるっと巡る、都道521、「宮の下バス停」付近に出ます。次の目標は「宮尾神社」で、里の中を突っ切って行けると思ったが、扉が閉められているので、●施設のフェンスに沿って巡って行くと、右手奥に●宮尾神社があります。神社は住吉・琴平神社ともいい、元暦年間(1184~)の創建、再興後、明治初年に琴平神社を合祀した。境内に当神社の宮司高井丹吾の三男、●中村雨紅の「夕焼け小焼け」の歌碑が立っている。神社から下る坂は「愛敬坂」といわれ、交通の難所といわれたとのこと。 14:05 

 ■宮尾神社~落合橋
 神社から下ってくると、陣馬街道「高留橋」付近に出ます。そのまま街道を進むと、右手に●口留番所跡がある。"説明板" 。隣の豪勢な●長屋門を備える家●代々名主を務めた旧家で、口留番所の常番役をも務めていたという。 この先街道は●落合橋を左に曲がります。 14:16

 ■落合橋~川井野バス停先
 北浅川は落合橋で右手、「醍醐川」と左手、「案下川」を併せて北浅川となって流れていきます。 ●陣馬街道は案下川に沿って、進みます。「下川井野バス停」に来るが、この先、「歴史調査書」では、●バス停の先を左手に入り、下川井野橋を渡り、このまま案下川の南岸を1.5km進むとある。残念ながら、この左手に入る道は行き止まりになっており、往還としては廃道になっていると思われます。そこで陣馬街道をそのまま進み●川井野バス停先で左へ入って見ました。 14:32

 ■川井野バス停先~鞍骨沢橋
 ●左へ入った道も行き止まりの表示になっているが、入り口にいた女性に道を聞くと、突き当たり、山道になっているが、通過できますということで、突き当たり、右手の「便楼橋」を渡ると、●気持ちの良い山道となり、●鞍骨沢橋で陣馬街道に合流しました。
 14:55

 ■鞍骨沢橋~陣馬高原下
 陣馬街道に合流したら、あとは一直線、「くぬぎ沢橋バス停」、「下案下」と通過し、●陣馬高原下バス停」に達します。バスはここまで。この先神奈川県境の「和田峠」を越し、上野原向かうことになります。 本日はここまでで、15:30のバスで「高尾駅」へ向かいました。 陣馬山から下山してくる人が沢山いましたが、運良く座れました。15:12

        2陣馬高原下~上野原