佐屋街道歩き旅 2
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 熱田神宮−金山−−烏森−岩塚−万場−砂子−七宝−神守−日光−埋田−愛宕−佐屋  24.1km
 

2008年8月4日 佐屋街道1より
名古屋高速万場線を潜って大治町砂子に入る先から始まります
■砂子〜東名阪自動車道
●「浅間神社

 「万場」交差点を渡って更に北西へと進むと、右手に浅間神社がある。ここの拝殿は柱だけで壁がなく、珍しく感じた。この神社を過ぎ、新川沿いを北に進み●砂子橋を渡る。工事中と聞いていたが、きれいに完成していた。  9:40

 やがて右手に●「社十二所神社」の鳥居と常夜燈があり、参道が先へと延びている。社殿はずっと先にある。鳥居を右に見ながら、右折して行くと、右手に「佐屋街道の標識」が立っている。
●「地蔵堂」
 この先の十字路で街道は左に曲がるが、その前に十字路の右側に地蔵堂を見る。小さなお堂だが屋根が立派で、頭でっかちの屋根に過剰なほどの鬼瓦などが乗っている。

 地蔵堂の右奥に●「自性院」がある。石柱に「本尊薬師如来 自性院」とあり、奥に山門が見える。山門両側の塀はなまこ壁になっていて、大変珍しい。鰐口が町の有形文化財らしいが、よくわからなかった。
●「旧佐屋街道高札場跡」
 十字路に戻って来て、左折の方向へ向かう。住宅のブロックの門柱とカーブミラーの柱の間に立っている、、白い標柱に「高札場跡(旧佐屋街道)」とあった。

9:55

■東名阪自動車道〜七宝町
 高札場跡の先街道を西へと進む。右手ガレージの前に●常夜燈と髭題目碑がある。
 この先西へ行って、地図を見ると、右手の地名は「馬捨場」となっている。「馬捨場」とはすごい地名で、由来を知りたい。昔、老馬になり役に立たなくなると、平気で街道脇に捨てられ、目に余るので、将軍「綱吉」の有名な「生類あわれみに令」が出たのだと言う説があるくらいだけど、ここに馬を捨てたのだろうか。
 ●「東名阪自動車道」の下をくぐって行く。 
10:05

●「七所神社」
 左に七所神社。この神社は拝殿と本殿が、赤い橋で繋がっており、珍しい形をしている。
 このあたりに一里塚があって、碑が立っているらしかったが、見逃した。
 道は北方句へ曲がって行く。やがて「狐海道東」という交差点に出る。「狐海道」とは珍しい地名と思う。昔、この付近の佐屋街道は、家一軒ない淋しい所で、狐に化かされたという伝説があるそうだ。交差点を左折して●「秋竹橋」を渡り、七宝町に入る。いわゆる「七宝焼」の発祥の地であります。10:25

●「黒塀門構えの家」
 右手に黒板塀に門構えの大きな屋敷がある。名主であった家ではないでしょうか。
●七宝焼原産地の道標」
 七宝役場北交差点の角に道標が立っている。「七宝焼原産地 寶村ノ内遠島」、右面に『従是六町』とあり、裏に「明治廿八年八月建立とある。また上部に「Shippoyaki Toshima」とローマ字が刻まれている珍しい道標でした。七宝焼は、江戸時代末、海部郡服部村(現名古屋市中川区富田町)の梶常吉によって創作され、遠島を中心に広まったという。説明

 ■七宝〜神守
道はまっすぐ西へ向かい、右手に「東海ラジオ」の送信塔をみて、蟹江川に架かる下田橋の下流に車道と並行する「弓掛橋」の方を渡る。ここは車道と歩道と名前が違う橋が架かっている。弓掛橋には義経伝説があるのだという。このあたり、日陰もなにもなく、この日一番暑く、喫茶店なども見あたらずつらかった。ちなみにこのまっすぐな道は古代条里制の名残で、北側に直線的な古代東海道が通っていたという。
●「神守の一里塚」
 神守町の信号を過ぎてすぐ右手、大きな石積みの上に塚があり、看板が掛かっている。「神守の一里塚」といっている。            11:15

 ●神守宿
次の信号が神守町下町で、右折していくと「神守宿」といい、熱田から来ると、3番目の宿場になる。
本陣1 脇本陣0 旅籠12程度の規模。
 右折する前の県道の角に、えらく豪壮な屋敷が建っている。いわれなどはわからない。旧道に入ると急に静かな道に変わり、旧家や旧商屋が並び、旧宿場町の面影を感じることができる。
 中町を突き当たると左に曲がり、上町を過ぎていく

■神守〜日光
●「穂歳神社」(ほうとし)

 右手にある神社で、石柱には「村社穂歳神社」とある。「ほうとし」と読むそうで、難しい名前である。ここの祭神は「天竺ルイビン国龍帝龍王の御子」という聞いたことのない、わけのわからない神です。
 用水の流れる道を歩き、越津町交差点で、県道と合流する。この先の日光川に架かる日光橋を渡る。掛け替え工事が終わったようで大変にきれいな橋でした。右手奥にピラミッドのような奇妙な建物が建っていて、なにかと思ったらパチンコ屋でした。 11:55

 ■日光〜埋田追分・愛宕神社
橋を渡り切ると堤防下に石の地蔵様が鎮座している。右手に「日光寺」があるが、無人で廃寺のような感じだった。この先、「古川町」からの県道は賑やかな通りになるが、佐屋街道は寸断されており、わからなくなっている。埋田町交差点から左折して、1本先に平行にわずかに残る旧道を探していく。
●「津島街道埋田追分
 先に進むと間も無く道路脇に、常夜燈と、道標が立っている。追分より先旧道は津島市民病院などを斜めに南下しており、辿ることが出来ない。仕方がないので病院脇を道なりに南下して、愛宕神社まで行くことにした。 
●「愛宕神社」
 津島市民病院を左手に見て、暑い中ひたすら南下し愛宕町に入ると、右手の小道に神社の林が見える。右折して神社の石垣にそってぐるっと行くと鳥居に出る。神社を出ると斜めに細い道が続いているので、これが旧道ではないかと思う。12:50

 ■愛宕神社〜佐屋
その先の「西愛宕町」あたりからは旧道とは関係がないが、出来るだけ斜めに南下することを考えて進んだ。「日置」交差点からくる道を右折すると●「名鉄の踏切」が見えて来るので、踏切を渡る。
 しばらく行き、「内佐屋」交差点を左折すると、角に「佐屋変電所」があり、その後ろに石碑が立っている。これを●「佐屋海道碑」といい、その前の細道が旧道らしかった。いずれにしても追分からこの道標あたりまで、旧道は消滅してしまっている。
13:20

 ■佐屋宿
 県道を道なりに南下して行く。右手に「浄法寺」』があり、石積みの上に鐘楼が立つ。
「須衣」交差点で右折し、いよいよ最後の「佐屋宿」へ入って行く。もう少しでゴールだ。
 宿へ入って行くと、旧家や旅籠風な家がちらほらと見える。佐屋宿は本陣2、脇本陣1、旅篭屋31と結構大きな宿場であった。途中「くいな塚道標」が道ばたに立っていた。これは南100mほどの所に「芭蕉句碑」が立っているためのもの。
13:35

 やがて佐屋交差点が見えてきた。その手前左手に玉垣で囲まれた●道標がある。それには「左 さや舟場道」とある。読みにくいけれども、看板に・・・東海道佐屋路はこの佐屋宿より舟にて桑名へ渡った。寛永十一年佐屋宿創設より明治五年に至る長い年月であった。この道標は舟場への道を示すものである・・・・・とある。
●「佐屋代官所址
 佐屋交差点の右手角、植え込みに囲まれた中に「佐屋代官所址」の碑がある。このあたりには代官所の外佐屋御殿、舟番所、舟会所などが並んでいた。

■佐屋街道ゴール
●「佐屋三里之渡趾碑」
 13時50分到着
 交差点を渡った先、左手のゲートボール場のある公園の一角に『佐屋三里之渡趾』の碑がある。ここから舟に乗船し、桑名への三里の船旅に出発していった。佐屋川を下りると、木曽川へ出、3里の渡船で桑名へ渡ることができる。川下りなので、海ほど荒れることはなく、利用する人が多かった。佐屋川は明治時代に埋め立てられてしまい、こんな陸地の中に渡船の碑があるとは思えないくらい。
 以上で佐屋街道歩き旅を終えることになる。途中古い歴史を持つ津島神社へ行きたかったが断念した。なにしろ暑くてくたくた。(^_^;)
14:20 公園を離れ、名鉄「佐屋駅」から名古屋駅へ、それから新幹線で東京へ戻った。

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