●西宮神社拝殿
古事記、日本書紀に書かれる・・・伊邪那岐、伊邪那美二柱の大神が最初に生み給いしお子は骨のない蛭児であり、吾が子をあわれと思いつつも、葦船に入れて海へ流してしまわれた。その流された蛭児の神が、この地あたりに流れ着き、祀ったのが西宮神社であるという。る
天文3年(1534)の兵火により焼き尽された境内も、慶長9年(1604) から秀頼により拝殿、本殿等全て元に復したと言われています。国宝だった本殿は、先の空襲により焼失してしまったが、昭和36年、ほぼ元通りに復興された。
西国街道以来2度目だけど相変らず朱色が鮮やかな美しい形をしている。
以上で山陽街道、大阪からここまでを中国街道というようだが、一回目終了する。 16:50 |